セッションの感想【40代・事務職】

ロルフィングの10シリーズを終え、一年後にメンテナンスで受けたポストセッションの感想です。

 

とても知覚力に優れた、アクティブな方でした。歩くことでの知覚の解放が印象的だったのを覚えています。

 

 

ポストシリーズの感想

10シリーズから1年経て、ポストセッションを受けることにしました。この一年、体は以前より楽にはなりましたが、その一方で、自分のボディは、ロルフィングで得たものを忘れてしまったこともあり、そしてまた別の体の癖のを発見もありました。最近の話でいうと、以前からのウィークポイントである左脚の調子が悪く、そのせいで中心軸が左に倒れているために、体中のあちこちに違和感を感じていました。また、怠けてしまったボディに、かつてのロルフィングを思い出させ、さらに自由な感覚を呼び戻したく、この日を待ちわびていました。

そんな思いの中、ポストセッションの初日は始まりました。

  

セッション1

最初に、左脚の内転筋へのアプローチ。私の内転筋は思いの外、萎縮していたようで、最初は鈍痛がありましたが、圧がかかるたびに、どんどん痛みが軽減していくのには驚きました。「10シリーズを終えているので体はすぐにリリースしてくれますね」とロルファーから言われちょっと嬉しくなりました。内転筋が終わってから、太ももの横側へのアプローチ。右側の太ももが痛かったですが、これも内転筋と同様、みるみるうちに、痛みの元がなくなっていきました。その他いくつかのワークの後、歩いてみると、左に傾いていた姿勢が、キチンと中心を捉えていました。なんだか嬉しくなり歩いてみると、やっぱり施術前より楽に歩けるようになってました。

上半身は来週ということで終わりましたが、帰り道、呼吸が少し深くなっているのに気付きました。下半身だけしかリリースしてないのですが、体の中でどこかで影響され、上半身もリリースできたようです。

 

翌日、忘れかけていた、大腰筋の支えに気付きました。内転筋と一緒になって、ガチ真っ直ぐ生かされてるって、感じです。来週が楽しみです。

セッション2

今日はポストセッション2回目で、上半身をやるつもりでしたが、前回のセッションで、無感覚になっていた左脚の内転筋が目覚め始めた!、とロルファーに伝えところ、「せっかくだからこの流れで解放していきましょう」ということで、再び脚からのアプローチをやることになりました。

ただ、前回とは少し違って、より軸を感じるためのアプローチ。最初、「足元からお腹に向かって、水が流れてくるようなイメージを持ってください」とイメージを交えたワークから入りました。足元からスタートして大腰筋経由で背骨まで繋げるために。心地よいのか、お腹がキュルキュル鳴り始めました。イメージって、すごいです。

次は、骨盤底のリリース。骨盤底は、自分で意識するのが難しい部分です。途中、左脚の付け根部分の、さらに奥深いところに、固まりがあるのに気付き、そこへのアプローチになって行きました。やればやるほど、その固まりが溶けていき、すごく解放的な気持ちになっていきました。

最後に立って歩いてみると、まるで天井から引っ張られているかのように、姿勢がピンっとして、背も高くなった気がしました。体の軸は、眠りから完璧に目覚めたようです。長い間忘れていましたが、色々なことをセッション中に思い出したのですが、今回のリリース部分は、私にとって痛みや不調の出発点で、やっとここに辿り着いたかあ~という感じでした。

ロルフィングは、一皮一皮玉ねぎのように剥きながら、核心にせまるサスペンスドラマみたいです。

セッション3

今日は、ポストセッション第3回目で、主に上半身へのアプローチでした。

最初に、足から腕にかけて、しなやかに流れるような動きをしてみることに。私は、下半身と上半身の連携がギクシャクしていて、1年前にもやりましたが、肩甲骨のあたりが固く、肩で流れが止まってしまう感じでした。が、「腕の根っこは、肩甲骨のあたりから」という意識を持ってロルファーにサポートしてもらいながら何回かやってみると、次第に滑らかな動きに。体の動きは意識が大切なんだと実感しました。そして足先から手の先まで繋がった動きと言うのが出来た感じがしました。この伸びる感覚は本当に気持ちよいものでした。

次に、胸、肩、背中のワーク。特に、肋骨のあたりがガチガチに固まっていて、甲冑を着ているような感じになっていましたので、ここはいくつかのアプローチを試されてました。次第に呼吸がだんだん深くなってきて、肺にたくさん空気が入ってきて、まるで自分が風船ななったような感じで、そしてすごく眠たくなりました。

一通り終わり立って歩いてみると、施術前に歩いた時よりも、自分の空間や世界が目の前に広がっていました。肩や胸がガチガチだと、空気すらも重たく感じますが、この時の空気は、自分にただ寄り添っているだけの、心地よい友達のような存在でした。自分の在り様で、世界の見え方は一変してしまうというのが、ロルフィングのすごいところだなと思いました。

色々な変化や発見があったポストセッションでした。

 

また次回宜しくお願いします。

変化を感じる身体

未来の渋谷駅が少しづつ姿を表し始めています。2027年まで少しづつ変化が続きます。ヒカリエが出来た時に、少し宇宙的なイメージを感じましたが、その延長線上にあるようですね。まるで宇宙に飛び立つ宇宙港?のような雰囲気です。

 

2027年には、我々が今、世界と捉えているものが、宇宙へとシフトしているかもしれませんね。そんな時代を象徴する街へと進化しているようです。

 

少しづつ変わっていく変化を知覚していくことは大事なことです。ちょっとした気配に気づき、雰囲気を感じていくと、実際に目で見えるものが現れ始め、次第に我々の生活環境が変わっていきます。環境が変わるとそれは我々人間の身体をも変えていくことになります。そうした連鎖や関係が動いていくのが、我々人間といえます。

 

最近、人類学的な本をよく読むのですが、人間に起きた過去の進化も、やはり自然環境の変化に、適応していった結果、生じていることがわかります。過去を見ると一番大きいのは気象変動です。

 

最近、温暖化、寒冷化と気象が変化の兆しが出てきましたね。さて人間はどう適応していくのでしょうか。自分の身体で感じていきたいと思います。

本当にやりたいこと

 

 もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?

 

それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。

 

スティーブ・ジョブス

 

 

自分の人生を引き受ける

 

自分の人生は自分のものです。

 

人は辛くなると自分の人生を生きないで誰かの人生を生きていこうとします。

 

誰かに寄りかからずに、主体的に自分の環境と調和した時、自分の人生が動き始めます。自分の心、自分の身体、自分自身で、自分の人生を引き受けて生きていきましょう。

自分との出会い

私はどんな人間なんだろう、そんなこと考えたことありますか? 

身体に刻み込まれた自分、時に忘れてた自分、知らない自分に出会います。

おまけに今の自分に一番使いやすい身体にも変身します。

 

 

グレートジャーニー

 

伝説の冒険ドキュメンタリー「グレードジャーニー」シリーズ。その冒険者である関野吉晴さんの講座に何度か出させて頂きました。気さくな人柄と会話の中にも体現者としての深いエピソードが伺えます。持続していく地球や社会を考える上で、人類の大先輩が歩んだ道を追体験するというプロジェクトは、大変意義のある体現だったのだと思います。

 

関野さんはこう言います。「人間は進化はしていても、特に進歩はしてないと僕は旅をしながら思いました。だから、先ほど言うように進歩していませんというとおかしいけど、進歩と進化は区別しなければいけないと思います。たしかに進化はしている。進化というのはあらゆる動物がするわけで、すべての動物、今世界中にある動物というのは、登録されているだけでも、150万とか200万種。熱帯雨林とか海底、まだ確認されていない生物を含めると3000万とか6000万とかいわれていますが、その生物というのはすべてみな同じ線上にあるのです。」

 

先日、古代出雲歴史博物館に行きました。展示で古代出雲の暮らしの様子や市場の様子が再現されていましたが、情報通信や乗り物などを除けば、生活の様子はそんなに変わらない、進化しているようには思えませんでした。機械文明、情報化社会は、我々は大切なものを失っていってるとさえ思えます。続くAIによるIoT革命、iPS細胞の研究を始めとする身体や意識の変化は、我々を適応させ、さらには身体的な変化へと揺り動かしていくかも知れません。

印象として、何に適応するか、によって、進化の方向性は変わってくるのだと思います。それが、今を生きる人間たち一人一人に、課せられているように感じます。ある意味、自分という中へのグレートジャーニーとも言えそうです。

 

Integration

 

 

ロルフィングは、Structural  Integration(構造統合)と呼ばれます。なので言葉にするときも、体を統合する。ということをよく言っています。

 

Integrationの意味を調べてみると、統合する、の他に、統一する、まとめる、吸収する、合体させる、調和させる、人種的差別を廃止する、差別を廃止する、総和を示す、積分するなど、様々な意味があり、統合という日本語の意味は、実際にセッションで行なっていることを必ずしも表してないような気もします。

 

僕が思うに全ての意味が関係しているように思います。10シリーズで行いますのでゴールのイメージが大切で、ゴールのイメージに従って、integrationしていくものなんだと思います。

 

ある時は調和ですし、ある時は差別廃止(=使われてない部分を解放して体を全部使う)、またある時は、積分(=部分的に調べて、全体性、総体を導き出す)するようなセッションが確かにあります。またまとめる。みたいなセッションもありますし、吸収するみたいなセッションもあるかと思います。必ずしも日本語の統合するだけではないということを、一度書いておきます。(意味は少し意訳していますが、単純に筋膜をリリースしている訳ではありませんね。)

 

自分の体に関して、色々調べて、全体性、総体から知る。全部使いこなす。みたいなことをしてみたい人が受けるものがロルフィングと言えますね。

 

個人的に言えば最近はコンテクストが増えて、身体面だけでなく、心理面、意識面、気づき面、言語面、色々な展開が生まれているように思えます。自分を積分したい人。自分を差別廃止したい人。自分を調和させたい人。どうぞお越しください。

経験する

経験というのは、単なる時間の積み重ねではなく、人を感じる目であったり、耳であり、皮膚感覚なわけだ。

 

松田優作

 

 

ネットカルチャーの広がりにより知ることは簡単になりましたが、バーチャルなもの、二次情報が増えて、経験する、ということが松田優作の時代よりも、更に難しい時代になりました。自分の色眼鏡を外し、リアルな現実と出会っていくための身体へ。

VR体験はお金でも買えるようになりましたが、リアルな体験は、本来は自分の身体と共にあるのです。リアルなVRをあなたに。

 

 

 

地獄門


国立西洋美術館の入り口には、「地獄門」と「考える人」のレプリカが展示されています。よく行く美術館の一つですが、美術館に入る前にこの庭を眺めてから中に入ります。

 

人生で、一度位、地獄門の前で、考え続けている考える人になってもいいと思います。避けていること、逃げていることは、その場しのぎは出来ても、いずれ人生のどこかであなたに決断を迫ってくるでしょう。天国、地獄どちらでも好きな方を選べます。選ぶのはあなた次第です。

 

選ばなくて、過ごしていると、向こうから近づいて来る場合があります。天使や悪魔となって、あなたは彼/彼女に出会うことになります。見事に巧妙にその時はやってきます。

 

最後まで選択せずにやり過ごしていると、最後の最後この世を去る時に大いなる気づきがやってきます。その時に気づいても、この世で、やり遂げる時間は残されてません。だからこそ、目の前に来た時、やるべき時にやったほうがいいと僕は思います。チャンスはいくらでもあります。ちょっと勇気を出して、自分を前に進めるだけです。あなたも自分を前に進めてみませんか。

 


 

 

 

NHK 人体

NHK特集で人体をシリーズを放映しています。

 

プロローグに始まり、第1集  “腎臓”が寿命を決める。第2集  驚きのパワー!“脂肪と筋肉”が命を守る。

第3集  “骨”が出す! 最高の若返り物質。 というところまで進んで、次回が第4集  万病撃退!“腸”が免疫の鍵だった。と続きます。

 

腎臓にせよ、骨にせよ、筋肉にせよ、普段セッションで扱う部分での、最新の情報や、再現CGをみることは、とても勉強になりますね。ロルフィングは筋膜だから、関係ないでしょ?と思われがちですが、今やっている僕のセッションでは、骨も、臓器も、脳も扱っています。文字通り、全身に対するホリスティックな全体的なアプローチです。

 

番組で紹介された方法でない方法で、再活性化、構造化していきます。体の可能性を開き、楽で使いやすい体を体現しています。

 

 

 

体の中の関係性

体の中にも関係性があります。例えば足首と膝の関係性。それに股関節が入るとちょっと変わります。また指の関節との関係が入ったり、それが上半身にどういう影響を与えているか。など体の中の関係は複雑です。

 

関係性を良くして、体の動きをスムースにしていく。そんなこともやります。簡単にいうと動きの癖を外していく感じです。動きの癖は、ボディスキーマが働いて、機械的に動きを体を動かします。その実行プログラムを修正していくようなことも行います。

 

体の場合は人間関係ほど込み入ってはないので、意外にスッキリしたものが多いのです。時折、かなりひねくれた関係もあります。部位でいうと股関節周りとか、肩関節周りとか色々な動きをしていますので、ひねくれている場合もありますね。

 

そんな時、重力が関係性をスッキリとして、整理してくれるそんなことが多いです。重力の言うことは、体は良く聞いてくれるんですね、というより、そのほうが体は楽なんです。重力は、言ってみれば神様みたいな感じでしょうか。

 

最後まで、抵抗するのはというと、意識ですね、笑。自分はこういう感じだ、こういう風に動かして来たという風に、自分のやり方にこだわる感じです。頑固者だと大変です。

 

素直で、ある程度、協力的な方がいいのは、人間も身体も一緒です。自然体がいいですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

初心に戻る

初心というのはとても大事なことだと思います。問題が生じた際に、文脈で考えていっても、よくわからないい状況は、人生にはあるものです。

 

辻褄がどうしても合わない。いくら考えても理解できない。そんな時は論理構成自体の外に問題の本質があると思われますので、一度、その文脈の始まりに戻るというのがいいと思います。

 

始まったものには、何かしら意味があるものです。まず初心に戻りましょう。「そもそも」というやつです。初心のニュートラルな位置から自分を見つめ直すと、思わぬ発見があるものです。その発見から別のコンテクストが生まれて来ることがあります。

 

もし「そもそも」自体が腑に落ちなければ、その問題は、手放してもいいと思います。それはあなたが次に行くときだと思います。

 

その時に、その「そもそも」を選択した自分自身に気がつけると、もう1つ気づきが増えます。問題というのは、常に自分も関与しながら生まれてきているものだと思うのです。

 

無意識が一つ外れると目で見える現実世界が少し変わります。これは、姿勢や身体の動きや癖でも同じことで、かなりの割合で身体的な違和感やコリは、そうした何かしらの無意識的な事象の反映であるとも言えます。

 

1つ初心に戻り1つのパターンが外れると新しいパターンでバランスを取る。そしてまた感じ直すと心地よいという範囲へ戻るのです。この繰り返しがシリーズを通じて行われるのです。 

価値観の違いを越えて

 

初春歌舞伎を観に行ってきました。通し狂言 世界花小栗判官という演目。

 

今回思ったのは、物語を支える価値観の違い。1800年9月大坂・角の芝居が最古の上演記録だそうで、現代からすると全く違う価値観を生きる人たち、神や、命の感覚も、親子も男女関係も、生き方や生き様もちょっと違うようです。

 

他者理解ということを普段言っていますが、この200年前の価値観を理解するのはもう少し時間がかかりそうです。この頃は、波乱万丈、激流の中、今を生きていくのが良しとされていたのでしょうか。それは激しすぎて、激しすぎて。劇ではあるのですが、日本という国は、こんなに激しく体で感じて生きていたのかと、触れる感じで展開していく物語に、見得を切るシーンが続くヒーローの物語があまりに眩しくて、クラクラしながら観てました。一体、日本人の無意識にはどんなイメージが入っているのでしょう。また少し認識が深まりました。無意識リーディングの参照にしたいと思います。

 

VRやプロジェクションマッピングに慣れた目には、細工や人間が作り出す仕掛けがかえって新鮮でした。

 

 

 

アウェアネス

 

ロルフィングでは、アウェアネスを大事にしています。意識的な気づきという風に訳されますが、ビジネスの側面で使われる、気づきと学びというような概念の時の気づきとは少し違って、偏りのない意識的な気づきみたいな言葉です。なのでカタカナでアウェアネスと書くのでしょうね。

 

例えば、シェードランプの電気が付いていることに気がついていることを、説明できる状態。視覚的なアウェアネスと言ったり、自分がある種の感情を持っている(怒り、喜び、鬱など)」ということに気がついていて、それを言語で報告できる状態を言ったり、自分が、そこに存在していることに気が付いていて、無意識ではないことを指します。気が付いて、説明できること(自己認識があること)を意味します。

 

人間は自分の脳内で行われている処理であっても、そのすべてに関して気づきを持っているわけではありません。むしろ逆にほとんどの処理は気づきを伴わず無意識のうちに進行しています


アウェアネスの体験を共有していく。このことがどれだけパワーがあるのか、僕がこのことに関するアウェアネスがあったのは、ロルファーになってからわかって来たのかもしれません。

              


      

動物にもロルフィング?

 

 

正月に実家に行った際、猫にロルフィングしてみました。

 

その後の猫の

様子を見ていた姉は、猫が何か違うことに気が付いていました。気持ちいいのか猫も大人しくワークを受けてましたね、

 

動物にももちろんロルフィングもクラニオも可能です。これまで人間以外だと、犬、猫、馬にチャレンジしたことあります。どんな効果があるかは基本人間と一緒だと思いますが、まだまだ検証が足りません。

 

少し研究中であるので、もしロルフィング受けさせたい犬、猫、馬の飼い主さん、ご連絡ください。

一から作る

以前紹介したアフリカから南米までの人類拡散の道のり「グレートジャーニー」を逆ルートでたどった探検家・関野吉晴さんは、現在武蔵野美術大学の教授。彼の教える関野ゼミで、「カレーライスを一から作ってみる」という試みが2015年から行われこの度、ドキュメント映画になりました。

 

この映画は、種植えからカレーライスが出来上がるまでの9か月間の記録で、野菜や米、肉、スパイスなどの材料をすべて一から育てるという計画に学生たちと取り組んだそうです。塩も海水から作ったそうです。

 

「買う」という行為では知ることのできない、全部に関わるという学びがそこにはありそうです。ロルフィングでも10回という回数をかけて体全部にテーマごと働きかけて有機体を再構築していきますが、クライアント自身にとって、体の変化だけでなく全体に関わる学びと気づきの時間です。

 

実は、最近自分でも、カレー作りに凝っていて、家でもカレー作りを研究中です。カレーは奥が深いです。隠し味にこだわるのがTE2風です。なんか僕のセッションに似ています。

 

頚椎上部の解放

夜ベッドに入り、自意識が薄れるあたりからその動きは始まっていた。が、知らぬ間に寝入ってしまった。 思えば昨日夜から胸のあたりに少しざわざわした気配があった。

 

朝、微かに目覚めると、昨夜からの変化は胸郭全体から頸部あたりに広がる振動となっていた。その振動は頭蓋に入り口腔内へと広がっていき、鼻腔内へも繋がっているように思えた。呼吸が楽である。一番感じるのは胸椎上部に空間が広がり、呼吸する気道のスペースに余裕がある。普段、排気量が1200ccの車に乗ってる人が2000ccの車に乗った時のような余裕を感じる呼吸である。少しポキポキと音がする。小脳の右部が少し熱い辺縁系が動いているのを感じる。

 

そしてそのバイブレーションは共鳴するように上へ上へと広がっていく。広がりを阻害していたものを切り開いて穴が開けられていくような印象である。それまで感じていた違和感のようなモヤモヤ感は肩を通過し、腕、そして手の平方向へ運ばれていく気がする。呼吸を感じている。正確にいうと呼吸しか感じていない。呼吸と一体になって、バイブレーションの拡散をただ受け取っている。

 

一連の変化が落ち着いたところで、僕は体を起こしベッドから出て、リビングへ向かった。そして、今あった身体的な変化があったことを妻に伝えようと思って声を出した途端、自分の声に驚く。なんと声が頭蓋に響いている。自分に聞こえてくる声が全然違う。昨年ボイストレーニングをしていた際、レッスン後に一時的にこの頭蓋からの発声ができたことはあったが、暫くすると昔の癖で、戻ってしまっていた。それが今朝、ボイストレーニングの時の何倍もの響き方で、頭蓋に声が響いていた。

 

分の声を口腔内、上顎骨?に当てて発声、その声を外から自分の耳で聞くという普通にできる人にとっては単純な行為が僕はうまくできずに、篭ったり、内部を伝わってくる音に依存した発声であった部分が、うまく抜けてくるように思えました。先日のAO関節の解放に続き、頚椎上部から頭蓋の繋がりが動き出した気がする。

 

ロルフィングではこのように、10シリーズを受けて、半年後に骨が動き出したりすることが多々ある。シリーズ終了後も、自分の体を意識して、アウェアネスを続けていくとさらに様々なことを感じる場合もある。

 

体は可能性に満ちている。通院や病院をはしごしても良くならなかった症状や、長年の不調や違和感。様々なアプローチがあるので決して諦めないで欲しい。

アーシング

芝生や砂浜を裸足で歩くと気持ちいいですね。最近は「アーシング」という言い方、コンセプトがあります。アーシングとは、母なる大地の恵みを体に取り入れる&溜まっているエネルギーを大地に流すようなことです。アーシングすると、本来の健康を取り戻していくことができます。

 

アーシング難しく考えなくてよくて、外で素足で過ごしたり、歩いたり。土や草が湿っているところだとさらに伝導性が高まります。また足の裏だけではなく、手のひらや体の一部が地面に接触するだけでもアースパワーを受け取ることができます。

 

水の側もすごくいいアーシングだと思います。砂浜とか、自然の川や湖の水に触れたり、樹の幹にもたれたり、直接皮膚を草に触れさせるだけもアーシングの効果を体に取り入れることになりますね。

 

アーシングと、名前がつくと、別のコンセプト、意識と発想と手続きが違うと、まったく別の経験になりますね。

 

 

マーク・ロスコ

yellow and gold
yellow and gold

かなり前の話ですが、東京で開かれたMOMA展で恋した一枚。その後、どうしても気になり、ニューヨークへ。

 

色々調べてみるとロスコは興味深いです。フロイトやユング、原型や神話など没頭しています。そして彼は様々な不思議な言葉を残しています。

 

「古代の芸術家は‥必要な仲介者、怪物、ハイブリッド、神そして半神半人の集団を作るということが分かった。」

 

「怪物や神なくして、芸術でドラマは生まれない」

 

「私は基本的な人間の感情(悲劇、エクスタシー、運命など)を表現しているだけです。人々の多くが私の作品に直面したときに、感情が揺さぶられて泣くという事実があるので、私は基本的な人間の感情を伝えることができていると思っています。私の絵の前で泣く人たちは、私が絵を描いたときと同じような宗教的な体験を感じています。色彩の関係のみで美術を語る人は間違っています。」


ロルフィングのセッションでも年に数名、感情が溢れ出して、泣かれる方いらっしゃいます。身体が緩みに眠っていた感情がディスジャージが起こっているのだと思います。泣きたい時は泣いた方がいいと思います。感情の使い方を忘れた方、現代社会には大勢いらっしゃいます。ニュートラルになると生きやすくなります。自分自身に戻りましょう。


さて、来たことある方は覚えていると思いますが、僕の前セッションルームに飾ってあった絵も彼の作品です。

 

日本では千葉にある川村美術館にロスコルームが常設で設置してあります。庭もあってのんびりできる素敵な美術館です。

ゆっくり 

何事もゆっくりがいいですね。よくよく考えてみると急ぐ必要があることなんてほんの一握りです。

 

変化も、対処も、処理みたいになると楽しさ半減です。ゆっくりとやっていきましょう。

 

体の動きでもゆっくりやってみると、隠された体のパターンに気がつく場合があります。変化が起きるまでゆっくり待ちます。


セッションは急いでは行いません。ゆっくり進めていきます。

     

 

 

 

 

ピナクルズ

西オーストラリアの州都、パースから北に250km 砂漠に広がる謎の岩柱エリアがあります。ピナクルズと呼ばれ、広大な砂漠の中に一つ一つの尖った形をした岩がたくさん突き出したようになっています。

 

現在のピナクルズは、海から数km内陸に入ったところにありますが、その昔は海岸だったとされており、海岸に自生していた原生林が、川などから運ばれてきた砂によって風化し、その後、さらに長い年月をかけて、堆積した石灰岩層だけが残ったものだそうです。壮大な地球の歴史が創り上げた、壮大な大自然の彫刻といったところです。

 

ピナクルズへ行ったのは、オーストラリアを一周する旅へと出かけた20代のころで、パースへ向かったインデアンパシフィック号の中で知り合った大阪から来た二人組の学生と意気投合し、パース滞在を一緒に過ごしました。一緒に宿を取り、レンタカーをシェアし、ピナクルスに向かいました。途中でスピード違反で警察に捕まり、罰金を払う羽目に。(反則金もシェアしました)

今となっては楽しい思い出です。

 

風景というのは人間の意識や記憶にとって大切な記憶です。穏やかな場所、自分だけの風景に導かれて、無意識が繋がりだし、情動や意欲、気持ちへと繋げていくのです。メンタル的なワークで使います。脳でいうと海馬傍回あたりでしょうか、島皮質でしょうか。脳はまだまだ未解明な部分がありますが、風景を感じ取る部分もあるようです。

 

医学的な認識が増えると、介入が可能なワークが増え、ボディワーク的にもさらに深化していくという、身体と意識の不思議さと可能性があります。最近は、脳へのワークも随分増えた気がします。脳の社会化。さまざまなところで進んでますね。脳化社会です。脳がコンピュータに部分的に取り込まれ、なんとなく気持ち悪さを感じる2018年のような気がします。

 

そして迫るIoTという名の身体化社会。さてさて我々の闇はどこに行ってしまうのでしょうか。意識の幅を乗り越えて、無意識の露出が社会化される、そんな日も近いのではないのでしょうか。なんとなく体感的な気配からすると、そんなことを感じます。

 

さてピナクルスの原風景は、今も頭に残っています。この大平原に、さまざまな岩が飛び出ている風景、どこまでも続く岩と砂漠の世界、ひとつひとつ形が違い、表情が違い、質感が違う。なんでとか、いいとか悪いとか、通り越し、こういう風景があるんだなと。

 

人の意識に関して、セッションするようになり、シーター波に入ると、その人の心象風景が見えてくることがある。それはこのピナクルスで見た砂漠に飛び出している岩のように、形の違う岩が飛び出ていて、形が違う、質感が違う、表情が違う。

 

いいとか悪いとかを飛び越して、そういうもんなんだなと眺めるような、そんな皮膚感が、伝わってきます。どうしてそんな風になるのかなんて、よくわからないけど、波長が会う人だと、色々なことが、触感覚的に伝わってきます。

      

風を感じるとか、テイストやトーンとか、コンピュータには入力できない、手触りのような感覚。そういうものは、言語化されないから、どんどん奥に入ってしまうけど、本当は、本当の本当は、そういう目で見えない感覚のことを、全ての人は知っているし、感じているのだと思う。

 

表層の意識には、言葉には、表現されないけど、そういうアナログな感覚を、感じ取れること。そんなきっかけに、僕のセッションがなっていくといいなとなんとなく、ほのぼのとした感覚で、日々、思っています。このデジタルな社会や生活の隙間にある闇、間の空間に、人と人との間にある、自分の中の闇があるじゃないのかと、なんとなく感じています。

      

ちょっと、とりとめのない話でした。

シックス・センス(その1)

朝起きると、ベッドを出る前に自分の身体の状態を確かめるスキャンしていきます。足の指、足首の稼働に始まり股関節、顎関節、そして頭の上、頭頂骨のポジションや側頭筋の張りまで確認します。また寝る前にまた別のやり方でスキャンをしてから睡眠に入ります。

 

自分の体を自分で確認し、整えていくことをいつの頃からか始めました。人生100年時代、体にもメンテナンスや保守点検という発想大事だと思います。人間ドックだけ受けていればいい。そういう風に思われる方もいるかもしれませんが、体を統合すること、歪みやズレ、調整力を高めていくこと、姿勢を正すことは、人間ドックや検診では賄えません。五感という意識と結びついた別の知覚力も、通常の生活や、運動機会でも感じることは難しいと思います。

 

昔シックスセンスという映画がありました。人間の知覚である五感(触覚、視覚、聴覚、味覚、嗅覚)以外に6番目の感覚というのがあるということをモチーフにしたホラー映画です。6番目の感覚はこの物語の中では、霊感ということになっていました。死んだ人が見える少年のお話でした。彼の話では、死んだ人は自分が死んだことに気がつかず普通に生活しているということでした。霊感についてはまた別の機会にしたいと思います。

 

自分が死んでいることに気がつかない?そんなことあるのか、ないのか分からないけど、最近は、生きている現実感がない人が増えています。自分が生きているのか死んでいるのか分からなくなる。違和感や習慣的な物事しかしないために、生活が全般的に無意識になってしまい、気がつくともう1年経ってしまったと。年齢が上がってくるとよく聞く話です。意識にのぼるような体験をしていかないと、

 

脳は段々と楽することを考えます。なるべく効率よく、最低限でできることを考えます。当然体は怠けますし、合理的にしか動かなくなります。当然使わないところが脳と体に出てきます。使わない部分から停止していきます。

 

自分を全部使うこと、自分を全部表現していくことを推奨しています。それが自分が一番楽しいと思うからです。生きている感じがしなくなった。それは、もしかしたら、体でなくて、頭の中を生き始めているかも知れません。身体に眠る自分、脳の使ってない部分、ロルフィングは、そうした潜在力を再発見する機会でもあります。体の知覚を感じてみましょう。

      

さて、ボディワーカーになり、霊感とはまた別の新しい知覚、第6感を知ることになりました。プロプリオセプション(固有感覚)。自分の体の中を感じ取る知覚です。固有感覚については前に一度書いたことがあります。(固有感覚

 

それは筋骨格系、筋膜に対する知覚で始めり、そして内臓マニュピレーション、クラニオセイクラル・バイオダイナミクスや、神経ワークなど新しい技術を習うに従って、その感覚は、細かいレイヤーに広がり、内臓知覚や背骨、脳の知覚に広がっていきました。

 

こうした様々な固有感覚が、人それぞれ、一人ずつ違う感覚なのです。僕は、僕独自のもののような気がします。それぞれの固有の感覚を知り、大切にしていくこと、動いていくことは、その人の個性や表現に繋がります。

 

さて固有感覚が広がり始め、最初は面白いとか、新しい感覚に楽しく感じていたのですが、そのうち、感覚はさらに繊細になり、腸や胃の動きとか、背骨の骨一つづつとか、小脳、辺縁系の動きとか知覚できるようになりました。身体内を流れる水の流れとか、筋膜と筋膜がスライドしていく感じとか感じるようになり、一時期、自己制御が大変だったこともあります。

 

定かではないですが、もともとの体質、そしてヨガをはじめとする多様な運動経験、それに加えてのロルファートレーニングを通じ、一時的に体の声が聞こえ過ぎてしまったのかも知れません。

 

 

(続く)

 

 

 

映画シックスセンス・予告編リンク貼っておきます。

繋ぐ

ヨガというのは、繋ぐという意味だそうです。その語源から「失ったバランスを取り戻す」、「自己を調和の取れた状態へ導く」という意味があるとも言われています。

 

人間と人間が手を繋ぐこと、それは一番簡単に出来る、繋ぐ行為だと思います。ボランティアでいく老人ホームでも、現在施設に入院中の母とも、帰る際は、手を繋ぎながら挨拶をして帰ります。多分ご友人やパートナーと別れ際も、手でする挨拶などするのではないでしょうか。お子さんがいらっしゃる方なら、子供はいつまでも手を繋ぎたがりますね。手を通じて表現できることは沢山ありますが、手を繋ぐことは、有効な使い方の一つですね。そしてそれは「失ったバランスを取り戻す」、「自己を調和の取れた状態へ導く」ものに繋がっていくのだと思います。

 

さて、セッションで、手を繋いでやるワークというのがいくつかあります。これを行うと、胸郭や背中が開いてきます。手が繋ぐことが、胸を開くことに繋がるなんて、なんかとてもまっすぐな素敵な物語ですね。体って基本、素直にできているものです。

 

 

 

SHIBUYA

渋谷スクランブル交差点のライブカメラに誰も映らなくなる時があるか?というのを以前テレビのクイズでやっていました。その時は、朝方の時間帯で、一瞬だけ誰も写ってない時があった。というのが正解でした。

 

この場所は日本人だけでなく、世界から押し寄せる観光客も増えて、東京を代表するカオスな場所の1つと言えるでしょう。この周辺にいてもなかなか落ち着けない場所ですね。

 

あと数年経つと、駅前は大変化で、ハチ公前の広場も変わり、ランドマークとなるタワー含め駅ビルが大きく変貌することでしょう。前に「都市をロルフィングする!」ということを思ったことがあります。都市社会学という学問をやっていたせいもありますが、日本の都市もロルフィングが必要だと思っています。都市に必要なのは再開発ではなくロルフィングだと思いますね。緩んで、関係性を良くなって、楽で自由な都市、環境と調和した有機的な都市に。


そういうこともACTしていきたい気は満々ではあるのですが、どこまで現実的かはわかりません。東京は全体性を取り戻せないくらいカオスに展開しすぎてしまって、元の形がどうなんだかわからなくなってしまっているかもしれません。渋谷に関しては、この後アーバンコア地区が整備されて少し、わかりやすくなって行くそうです。では最後にスクランブル交差点のライブカメラ、シェアしておきます。

 

TE2ボディワークスは、渋谷駅、表参道駅どちらからもだいたい8分、ヒカリエ裏出口から4分ほどです。

義理の母

2014年10月、義理の母を見送りました。

彼女は膵臓癌を患い、発見された時は既にステージ4に進行していました。

 

その日なんとなく直感がし、僕はセッションさせて欲しいと頼み、病床の彼女にクラニオのセッションをしに出かけました。

 

病床の彼女は恥ずかしそうに、「そうかい、こんなおばあさんで恥ずかしい体なんだけどね、よろしくね。」と言いながら、僕の最後の願いを聞いてくれました。

 

首筋と仙骨に手を起き、「体勢は苦しくないですか。」と声をかけました。彼女は目を閉じていて黙ったまま頷きました。「もし気分が悪かったり、嫌な感じがしたら言ってくださいね」と声をかけました。彼女は黙ったまま、また頷きました。

 

付き添いに来ていた妻は部屋を出ていきました。クラニオをはじめ「**ちゃんにこんなことしてもらうなんて思わなかったよ」、「手があったかいね」などと声を発していたが、そのうち寝てしまったようです。いつものセッションのように体の全体をホールドしました。脳髄液のリズムは穏やか。

 

しばしのち、彼女は目を覚まし、言葉を発しました。

「あら、やだ、気持ちよくて寝ちゃったみたい、夢みてたよ、」、「いい夢だった。なんか気分がいいよ」。

それは良かった。「もう少し続けて大丈夫ですか?」と僕は言いました。

彼女は黙ったまま、頷いた。そのうち彼女はまた寝てしまいました。

 

またしばらくした後、彼女は目を瞑ったまま言葉を発しました。

「**ちゃん、ありがとうね。」、「色々・・・ありがとうね。」そう呟くと、彼女はまた寝てしまった。僕は「はい」とだけ言葉に出し、あとは何も言えませんでした。

セッションの終了処理をして、彼女に声をかけました。

「終わりましたよ」と声をかけ、廊下で待っている妻に声をかけました。

 

妻がどうだった?聞きました。

「効果はよく分からないけど、暖かくて、気持ちよくて寝ちゃったよ。気分もすごく楽でいい感じだよ。」

「はい、それで結構です」と僕は応えました。

それが生きている彼女と会う最後となりました。

 

その1週間後、入院中の義理の母から贈り物が届きました。それはサブウェイのチャージしたカードでした。僕がサブウェイによく行くということを聞いての、何か実用的なものがいいという彼女の思慮で、有り難い贈り物でした。

 

またその1週間後、仕事の打ち合わせをしている時に、訃報が届きました。

セッションの日も元気でしたし、二ヶ月前に海沿いのホテルに一緒に旅に出かけ、卓球を興じ、スマッシュを打ってたくらい元気だったのが嘘のような話でした。

 

訃報を聞いて、僕は病院へ駆けつけました。病院には大勢集まっていたが、僕が到着すると場所を空けてくれました。2週間前と同じように彼女の傍に座り、手、足、首と順に触れていきました。体は冷たくなっていて、死後硬直が始まっていました。亡くなった時の姿勢で、少し体を捻っていて、また左股関節が大きく曲がったままで固定されていました。

 

「まだ間に合うかもしれない」僕は、またクラニオの体勢になり、しばし背骨を触れました。背骨はまだ暖かかった。僕は「水の体」に働きかけ始めました。体はまだ生きていた。僕は会話を試みる。体は僕の働きかけに呼応し、しばらくすると水の循環と同期が取れ始めました。体を自然に戻るように少しづつまっすぐになっていきました。

 

最後に曲がっていた左の股関節を優しく伸ばす方向へ促すと、股関節もまっすぐになりました。シャバアーサナとのように。まだ水の体は動いていたけど、あたりに大勢人がいましたので、手短に「有り難うございました、安らかにお休みください」と挨拶をし、その場を離れました。

 

その後、彼女の命日の金曜日にサブウェイに行きました。義理の母との思い出や記憶を思い出しながら、ランチの時間を過ごしました。それは四十九日が終わるまで続きました。

 

 

 

 

※惜しまれながら2017年に亡くなった 日野原 重明さんの書いた絵本です。

標準からの脱却

標準世帯とは、夫婦と子供2人によって構成されている世帯の形態を意味する言葉です。1960年代以降は4人家族が急激に増え、子供の数は2人が主流になり、既婚女性は専業主婦という家庭が6割を占めていました。

 

その後標準世帯というのは減少し続けてきており、現在最も多い世帯の形態は単身世帯となり、標準世帯という統計が最近はなくなる傾向で、先ほど見た統計だと専業主婦世帯の割合は15%以下になっているようです。社会が確実に変わってきていて、社会制度と我々の認識が徐々に、慣習と常識を変えていく時代です。つまり標準という考え方を手放す時代と言えます。

 

我々は記憶を参照に現実を組み立てる傾向があり、そして社会的な慣習や習慣、それからその文化で流通している神話やライフスタイルを無意識下で採用しながら、無意識的に、自分の発想や意見を作り上げています。日本人は標準という物差しを無意識に採用しながら生きてきたため、標準以外の物差しが少々苦手です。

 

新しい社会の常識にアップデートを計ると、生きやすくなる可能性が高いです。自分の中の常識でなく、社会的な環境に身を委ねると、生きやすい状況が見えてきます。

 

近年脳の研究が進み、認識や記憶のメカニズムも解明され、人間の脳は、可塑性があり、現実的になればなんどもアップデイトできる可能性がたくさん解明されています。アップデイトしていく情報は、本には書いてなくて、どこに書いてあるかというと、あなたの身体に、頭の中に記録されているのです。

それは何か別の新しいことではなくて、まずやることはニュートラルに戻るということです。それから全てが始まります。

 

靴底の減り

 

 

靴底の減りがだいぶ外側よりだったのが、均等になってきた。

体がニュートラルになったのを感じられるひととき。

開放感

子供の頃、若い頃は、何をやっても初めてだった。

 

年齢を重ねていくと、なかなか感じられなくなる、初めての感覚、開放感。

 

そんな新しい体感が、30代でも、40代でも、50代でも、いくつになっても、感じられると思います。

 

新しい刺激で得られる違う体験ではなくて、体がニュートラルになる、歪みやズレが整っていく、自分の体が素直に喜ぶ、そんな経験です。

 

水しぶきをあげて、ちょっとはしゃぎたい、そんな気分です。

寒い日に

まだ路肩に雪が残る東京です。元気にお過ごしでしょうか。

 

世界中で寒い日が続いているようです。異常気象が通常化していくのでしょうか。言われているような小さい氷河期が外伝で言われているようにやってくるのでしょうか。あるいは温暖化で暖かくなるのでしょうか。

 

どちらになるにしても、マイルドな感じではなく、気候は、年々強弱が激しく動くようになってくるような気配がします。気象だけでなく、社会も価値観の変化が目で見えないところで大きく起こっているよう思います。身体も、心も、体も、個々人がレジリアンスが必要なようです。

 

さて今日きたクライアントはスノボー帰りで身体中筋肉痛だと言ってました。僕はウインタースポーツとして学生時代からスキーをやっていました。スキー場で毎年一ヶ月バイトをする位やってた時期もあります。最近のスキー場はどうなっているのかと思い、調べてみると、なんとピーク時の半分位しか人が行ってないようです。

 

若者が減っているのでしょうか。段々と高齢化が進んでいますから、若者のスポーツであるスキーやる人が減っても仕方ない面もありますね。インバウンドが多少入ってきても、日本の人口構成の変化の大きさを吸収できるほどではないでしょうか。

 

人数的に多い団塊の世代が、社会から引退しました。今言われているのは2025年問題で、団塊の世代が後期高齢者になるのだそうです。街を歩いていると既に高齢化社会の様相ですが、2025年には、それが一気に高齢化社会の現実となっていくのでしょうね。

 

アメリカではアクティブなシニア層にスーパーエイジャーと新しい名前をつけました。

https://www.lifehacker.jp/2017/01/170115_superager.html 

 

日本にもこういう人が増えていくのでしょうか。さて今後日本はどうなっていくのでしょうね。変化はじわじわと少しづつ生じているのですが、ある時バーンと変わる時もあります。頭は変化が嫌いなのでびくりしますが、何事も慌てふためかないのが一番です。頭だけでなく体で受け止めていきたいところです。

 

体の声を聞いていけば、比較的マイルドにいくのだと思います。しかし我々の頭は、体の声を無視しがちです。特に近代的な自我は、効率や利害、経済性などに囚われて、頭でだけ判断し、体の声を無視しがちです。体が発する小さい声に、気が付いていきましょう。

 

まずは、身体統合して、自分の体との関係性を取り戻しましょう。持続可能な自分の為に。

コンテクスト -2-

 

 

生きることは音楽的であること。体内の血が踊り出すところから始まるすべての生命がリズムを刻んでいる。君は音楽を感じているか?

 

 

To live is to be musical, starting with the blood dancing in your veins.

Everything living has a rhythm. Do you feel your music?

 

マイケル・ジャクソン

特別なことをする訳ではありません。

 

からだがニュートラルになるために、何か特別なことをし続けなければいけないとか、新しくこれを何回やるとか何か運動をし続けないといけないとか、そういうことではありません。

 

ロルフィングで目指しているのは、楽で、自由な体です。ロルフィングを受けて、後は日常生活をそのまま続けていけばいいだけです。新しい何かを足すのではなく、やり過ぎていたことや、うまく使えてなかったことを使えるようにすることです。

 

自分のニュートラルな体を得る。それだけです。

ニュートラルな体、その心地よさを感じてください。