半分、青い。

台風が過ぎ去りました。大きな台風でした。自分の近くを通らないとなかなか実感出来ないけど、台風に巻き込まれた人は大変です。その現実と向かい合わないといけません。

 

普段人間の作った人工空間に生きていますが、自然の中を生きていることを実感出来る、そんな時です。自然は優しくもあり、厳しくもあります。

 

さて10シリーズの最中。体の中は動き始めます。

それが心地よく快適に思う方もいるし、嵐が吹き荒れて、大変な方もいます。自分の身体状況が変わっていくこと、自分が変化していくことを、いいね!と思えるか、違和感と思うかは、人それぞれの知覚がなせる技だと思います。

 

もしそれが途中で嵐だとしても、身体に重力が通り出して、ズレや歪みが少しづつ是正されていくと、不思議と身体内部が綺麗さっぱり整理されている。あの途中の違和感はなんだったのか?あの痛みはなんだったのか?ちょっと忘れてしまうくらいに嵐が過ぎ去った後は、台風一過の、青空であるのだと思いますよ。それが10シリーズの不思議なところだと思います。青空は、全開の青空である場合もあるし、半分だけ青い場合もあります。

 

 

ロルファーは魔法を使っているわけではないので、その人の身体が本来持てる以上のことにはなりません。身体のもつ、自然治癒力、自然な調整力、自然な可能性を引き出しているのです。でもその自分らしい身体というのが本来のあなたです。身体的な可能性とあなた(の心)を出会わせていくということが言ってみれば10シリーズの第2の目的です。

心と身体の統合という感じですかね。。。

 

ロルフィングを受けるとメンタル(心)にもいい影響があるのは、そうした自然な身体を取り戻したことによる、自然治癒だと思います。セッションですので、ロルフィングで半分青い空を見せることが出来ます。

 

あと半分は、ご本人の知覚や感じ方、体感が大事になってきます。身体的現実も、現実と同じく、ご本人の主体性や関係性に依存している面があるのです。自然の中、身体の中は、どこか部分的に頑張っているわけでもなく、完全なものものはなく、調和を目指して、全体が相互に関係しあって成り立っている部分もあるのです。

自分を鏡に映してみる

自分の姿、自分だけでは、なかなか分からないものです。

 

 

鏡に映した姿をみると、少し確認出来ます。自分の本来の姿を見るためにロルフィングを受ける人も最近増えてきています。

 

体には意識と無意識両方が含まれているので、身体統合してくると、自分の無意識、自分の知らない無意識のことが体を通じて意識に上ってくるのです。

 

ロルフィングは、セッションの中、対話の中で、行われていくので、

映る姿を、確認しながら、気づいていけるとも言えます。

身体で行うカウンセリングのようですね。

 

そして自分に深く理解してくると、その姿を見て、ふと腑に落ちるのです。

やはり自分の視線だけになると、何故か腑に落ちないことが出来た時に、

誰かのせいにしたり、自分の辛さを他人に当たってしまう、そんな時もあるでしょう。

自分と他人がうまく切り分け出来ずに、葛藤することもあるでしょう。

 

10のテーマで、身についたズレや歪みを手放していきます。 

重力と呼吸

無意識での体の動きの癖や習慣を修正しても、また以前の習慣の中に入ると少しづつ癖を付けてしまうこともありますか?よく言われます。「すごくいい状態なんですが、戻ってしまいませんか?」

 

ロルフィングのセッションは、脳の中でも習慣的な動きを司る小脳、そして脳幹部に作用する無意識に働きかけるワークです。身体に新しいニュートラルな癖を付けていく感じです。その為に利用するのが重力です。重力との調和を動きの中で計ったりしていくわけです。重力的な調和を計れば、重力を離れることがなければ調整力が働いていますので、身体内の補正下着をきているように筋膜が身体を形付けていきます。なるべく身体知性の知覚で、いてくれればよりその状態が続いていきます。

 

無意識に入った新しい身体は、少しづつ表層の筋肉の状態、動きまで、影響を与えていきます。長いと半年後まで、身体の変化は変わっていくと言われています。つまりロルフィングセッションは、セッション終わってすぐだけではないのです。ですのでセッション間隔も少し開けて頂いているわけです。

 

とても基本的なことですが、重力との調和する身体を得る、というのがロルフィングの基本にあります。 そしてまず最初に取り掛かるのが、呼吸の為のセッションです。この世に生まれて最初にするのが呼吸ですので、まず呼吸を楽にします。

 

さて、今日発売のミスチルの新譜のタイトルは、「重力と呼吸」だそうです。ちょっと気になります。 

WE

先ほどネットをみていたら、WE「私たち」という言葉の使用はパートナーの利己主義に苦しむことなく、関係を上手に発展させようとする者の間にみられる緊密な繋がりを証明しているというカリフォルニア州の研究者の方のニュースが出ていました。

 

これは若いカップルのみならず、年配のカップルにも当てはまると指摘。パートナーとの関係において、言い争いや困難な状況に直面した場合には、「私たち」という言葉の使用が特に重要になるのだそうです。

 

僕は、WEという言葉を無意識でよく使ってしまうのですが、一般的には、主語のない言語である日本語だと、やっぱり使いにくい言葉かもしれません。

 

では日本語ではどうしたらいいのか。民俗学者の折口信夫は、類化性能ということを言っています。英語でいうとアナロジーなのですが、似ているもの同士をくっつけてしまう、比喩の文脈を活用して、一つのものごとを別のものと重ね合わせていく、この能力を発揮すると、音やイメージや形や意味の間にある、どこか似ているというという感覚を元にして、普通ならどこか離れたところにある分離されてあるもの同士が一つに結び合わされて新しいイメージを作り出していくようになる。そんなことが日本語にはたくさんあるのです。僕が過去に作り出してきた広告には、この類化性能を駆使したものが多いです。

 

この能力で、世界の森羅万象を再構築していくと、様々な新しい繋がりが生まれ、ある時自分を取り巻く環境、世界が一変しているようなことさえあるのです。身体にもそういう機能がありますね。それはロルフィングを受けてみるとわかります。突然知覚している世界が変わるのです。不思議ですね。

 

 

誰かと関係性に悩んでいる方は、WE、そして類化性能的能力、ぜひ日常生活で使ってみてください。

動くしかない

ロルファートレーニングは多岐に渡りますが、ある時にこんなレッスンがありました。

 

「今から自由に動いてみて下さい。」

 

最初戸惑っていた参加者ですが、徐々に動き始めます。そこには色々な風景が広がりました。

 

座禅を組む人、ヨガのようなポーズをする人、前衛的な動きをする人、ゴロゴロと転がる人、仰向けで大の字で寝ている人、首を回す人、しゃがんだままの人、目を閉じて直立したままの人、実に様々な人間の動きがそこにはありました。

 

 

 

考えてみると自由に動くとは、意外に難しいものです。我々は、無意識に何かの動きに規定されながら動いてしまう、誰かの動きを見ながら動いてしまう。今の自分の動きは一体誰の動きの模様なのか。わかったものではありません。

 

そうした規定された動きから一度、身体そのものの自由に戻ると一体どんな動きをするのか。ちょっと楽しみではありませんか?それは考えてするものでもないし、自分でさえわからないものです。

 

考えるのをやめた時に、身体は一体どんな動きをするでしょう。他人にどう思われるとか、うまくできるとかを排除した身体の動き、正解のない無我の自分を、あなたは見てみたいと思いませんか?

 

予定調和な現実に囲われれている、今の自分は自分らしくない、そう感じているあなたへの、自由な身体へのお誘いです。

 

情報整理

こんにちは。情報の整理大事であると、散々、ブログでも言って来たので、自分も整理していきたいと思います。

 

2年ほど、好き勝手に書いて来たこのブログですが、来月から外部メディアにコラムを書くことになったので、少し書くことを整理していきたいと思っています。コラムでは健康や身体、自己活性化、ライフシフトのような話。このブログでは言葉や自己表現、日常、あと本、音楽や映画やアートの紹介というのを基本に考えています。

 

またお知らせ、ついでですが、実験的な映画を企画していまして、出演して頂けるとモデル募集を来月くらいに。それから来年になると思いますが、制作の枠組みで動きそうなプロジェクトのファシリテーターなど募集など予定しています。

 

元々、広告企画の人間で、自分自身がメディアになるよりも、外のメディアを盛り立てていくのが向いている気がするので、外の方とのコラボやユニットでの展開を主に考えて動いていますが、一体どうなりますことやら。

 

僕自身も、今までのように、流れや勢いで、動きつつけるよりも、少し落ちついていい関係を作っていけるような関わりを、仕事でも、プライベートでも、考えております。

 

渋谷での展開だけでなく、地方での場作りや機会にも、僕ができそうなことなら、今年来年は積極的に協力させて頂きたいと思っています。

健康や、ロルフィング、ライフシフト、ライフスタイル、リクリエーションなど、お気軽に連絡ください。

 

今のところ、少し余力あります(^ ^)

ナラティブ

ナラティブという言葉を最近よく使います。意味的にいうと物語的という意味ですが物語を説くように進めていくみたいな感じで使います。僕は制作者であり、今は映画と作っているせいもありますが、セッションにおいてもナラティブアプローチを使う場合はあります。

 

痛みや違和感など、ヒアリングし、悩みをざっくばらんに話しているうちに、だんだん進むべき道が見えてくる。あまりこの方向だと、正解を突き進むのではなくて、対話的な手法で、次を本人に紡いでいってもらう感じです。もちろんタイプもあるので、セッションでの紡ぎ手のキャッチボールはあるのですが、アウェアネスに伴う発見、あるいは言語化の過程でこのカウンセリング的な手法を使っています。本質的な意味での痛みや違和感の統合は、決して誰かが上から決めるものではなくて、対話的な手法により導き出されることも多いです。

 

 

物語に参加しているうちに、というのが偶然の一致を生み、シンクロニシティが次が生まれてくるという、ちょっとサスペンスドラマ風な自分を主人公にした物語が進んでいく、そんな風にシリーズを進めることも多々ありますね。物語の題材は色々あります。クライアントの適性をみて楽しくロルフィングするのが僕のモットーです。

 

何か的確なことをアドバイスをされたり、問題点を指摘されたりするよりも、自分の言葉で考えを紡いでいった先に見つけた答えのほうが納得感を感じられるものなので、この手法を使ったセッションでは満足感も高くなってますね。自分を主人公にしたドラマに参加している、そんな感想をくれたクライアントも多いですね。もしかしたらこれって、元制作者上がりのロルファーオリジナルかもしれません。人生をダイナミックに生きてみたいかた!心と体を連れて、自分の人生の主人公になってみましょう!違和感がある方は、自分で気がつかないうちに、誰かの為の人生の生きている場合があります。自分に戻りたい方、メンタルテーマでロルフィングを進める際に有効だと思います。ご希望の方は、ナラティブアプローチ希望とおしらせ下さい。

 

 

パッシブスキル

パッシブスキルという言葉を聞いたことありますか?

 

パッシブスキルとは、ゲーム用語で、RPGなどキャラが独自に持っているスキルのことをいいます。パッシブスキルは、とくに何かをする必要はなく、バトルに参加しただけ、またある特定条件付きで、スキルが発動します。

 

自分で何かを起動するわけでなく、ある特定条件で起動するスキル。つまり無意識化されたキャラ特有のスキルなんですね。

 

これは、実はゲームのキャラだけでなく人間にもあるのです。ただし特定条件や、バトルフィールドにいかないので発動してない、いわば潜在している能力です。

 

身体統合が進むということは、この特定条件を整えることでもあります。そうすると、それまで潜在していたパッシブスキルが起動してきます。意識しないで出てくるのです。意識して出来てもそれはそれで努力なのですが、無意識に出てくるとなると、なんて、楽で、自由な身体だ。ということになります。

 

ゲームに登場するキャラクターデザイン、背景、世界観、道具、関係性、物語。バーチャルな世界に反映しているのか、既に我々自体がゲーム的な世界に生きているのか、わからなくなりそうですが、現実に生きる身体には、パッシブスキルが必ずあります。そして固有のスキルもあります。

 

なお、パッシブというのは、アクティブの反対です。受け身、消極的、受動態のという意味です。アクティブ優位な時代ではありますが、身体には、アクティブ性、パッシブ性、両方あります。パッシブスキルの表出は、あなたの身体や意識のまだ見ぬスキルを導き出してくれるものです。自分を全部受け取りましょう。

 

 

今日の話は少し無理やりっぽい印象もありますが、人間が生み出すものは、どれも、人間の身体や意識を参照に導き出しているのだなと思いました。思い返せばゲーム業界には制作者時代、本当にお世話になりました。当時なんどもインタビューを取らせていただいたクリエイターの皆さんのその後の活躍をニュースで見ながら、ロルフィングに励むロルファーでした。

 

どうしてもあなたに会いたい。

死ぬ時に後悔することというリストがネットにありました。その中に、人生のどこかで、出会い、別れてしまったあの人と、逢いたかった。というのがありました。

 

 なんかテレビでそんな番組がありましたが、あなたには、そんな人がいらっしゃいますか?再会するチャンスはまだありますか?

 

忙しい時代に、知り合った人で、会わなくなってしまった人が何人かいます。少し時間ができてくると、今になって感謝を伝えたい人、ちょっと謝りたい人、何人かいます。

 

そんな機会もなかなか作れずに、たまに思い出した時に心の中で伝えています。人生に起こったことは全て自分のことですが、なかなかうまく出来なかった、そんな時期もあります。いろんなことが一生懸命だったのだけど、やることが多いと、一つ一つ、ちゃんと扱えてなかったことにあとで気がつくことも多いです。

 

時が過ぎ、時代も変わっていく中で、奇跡の再会のような場面に出くわすこともあります。それも偶然に。共時性?無意識の力?そういう惹きつける力というのありますね。思い返してみると、僕はそういうのが多い方ですかね。また最近は、facebookなどで再会も多いでしょうね。まだまだ間に合います。もし再会したい人がいたら連絡してみましょう。

 

さて、体を統合していくと、昔の自分に出会うことがあります。自分の身体の中に、昔の自分が保存されているのですね。 身体が流動性を増していくと、そんな昔の自分に出会うこともあります。人によっては、10シリーズの中でそれを意図してセッションすることもあります。 それがその人にとってのセラピーになるからです。(→参照

 

 

Go away little boy

Go away little girl

Go away little girl

I'm not supposed to be alone with you

Oh yes I know that your lips are sweet

But our lips must never meet

I belong to somebody else and I must be true.

Please go away little girl

Go away little girl

It's hurting me more each minute that you delay

When you are near me like this

You're much too hard to resist

So go away little girl before I beg you to stay.

 

ソングライター: Carole King / Gerry Goffin

 

ジャスの世界は大人な世界ですね。

言葉と共に頭に入りますので、他の言語を学ぶことは、とても色々学びや気づきが多いです。近年特に、仕事やネットカルチャーを通じて、環境に、ダイレクトに英語発想が入ってくるので、カタカナ英語的に生きていると、環境や関係性のギャップに違和感やが出てくることも多いかもしれませんね。英語の世界は大人な感じですね。日本語だとどうも阿吽や忖度含めたコミュニケーションなので、言語だけだとなかなかうまくいきません。

 

時に何か外国語を学ぶのはいかがですか?新しい発想が色々と頭に入ってきます。

 

 

友人のアキちゃんの新譜が出ます。

 

中野渡章子 2018年10月14日発売new Album

「All That Jazz」より Go away little boy

YOUR NAME.

『君の名は』。大ヒットした映画。見に行かれた方も多いでしょう。

 

一昨日の夜、那須のバンガローで、遅くまで語り合ってた中にもこの映画の話が出ていました。僕は少し眠くなってた時で、話半分に聞いていましたが、

 

「男女が入れ替わるというのはどうなんだろう。」

「でもあの入れ替わりがなかったら、物語としてつまらなくない?」など映画談義が続いていました。

 

大昔の日本では、名前は大切なもので、人には明かさないものでした。見知らむ人に名前を明かすというのは、出会う時、それから一戦交える時、だったよう思います。真剣に向かい合う時ですね。

 

名前を明かすとは、一緒になることでした。昨年出雲で行った島根県立古代出雲歴史博物館で見た古代の再現ドラマでも、恋に落ちた若い2人がいくつかのドラマを経て出会った時、初めてお互いに名前を明かしました。

 

「僕の名前は**、君の名は?」

「私の名前は**」

そして二人は恋に落ちました。

二人は自分の中で無意識にお互いにとって素晴らしいものも交換します。    

 

男女が出会うのは、 日本神話では、まず男から名乗るのがよいとされています。 

最近は、女性からきっかけ作らないと出会いも少なそうですが、形上、名乗るのは男性からで。

  

我々の身体の中には、「出会う」という能力が残っているのです。

意識だけだと、互いに牽制しあって出会いません。

意識だけでなく言葉、そして心と身体を伴って出会いましょう。

 

 

なぜめぐり逢うのか?いつめぐり逢うのか?

私たちは なにも知らないって、名曲「糸」の歌詞では言ってましたが、

僕が答えましょう。

 

なぜ出会うのか?

それは無意識を共有しているからです。

最近、その能力はあまり使われてない気がしますが、

縄文の血を残す我々日本人は交歓する能力が身体的には高いのだと思います。

 

共時性が縁を惹きつけていくのです。

おもてなしの国である所以は、この辺りにありそうです。

 

 

学びよりも気づきの時代と言われ久しいですが

無意識になっている事に気づくこと。

それは、その人の現実感を動かしていきます。

 

身体を開いて、身体の無意識に出会っていくこと、気づいていくことは、

それは無意識に気が付いていくこと、そして少しづつ出会う力も上がっていくことになります。 

僕のクライアントにもたくさん出会いエビデンスがあります。

 

 

出会うのは、何も人間、男女に限ったことでもありません。

その人が今、必要な気持ち、必要なこと、必要な情報、たくさんの気づきが起こるセッションです。

潜在していた自分の能力に出会うこともあります。

 

 

今、あなたは、何に出会いたいですか?

無意識の中にいる共時性のあなたはどこへ向かっているでしょう。

 

天の岩戸を開きましょう。 

I'm here. 

私はここにいます。

 

 

コラボイベント開催

3年目に入りました恒例のフローティングタンクとのコラボイベントのお知らせです。

 

フローティングタンクとは、1954年にアメリカの脳科学者ジョン・C・リリー博士により考案された「感覚遮断装置」です。

 

セルフロッテを主宰する霧城研一氏は、自身がボロボロの身体が復活した体験から、一人でも多くの方にこの装置を体験して貰いたいという熱い想いからサロン経営に乗り出した健康の伝道師。単なるビジネスとしての提供ではなく、元々の研究体質から、「健康とは何か」に始まり、フローティングの効果・精度を高めるデータを収集し、学者・研究員・医師の方などのネットワークから、快適かつ独自のフローティング環境を作り上げてきました。現状のセルフロッテでのフローティングは、日本で最先端のフローティングサロンと言えるでしょう。

 

ロルフィングによって、身体感覚、身体のニュートラルを取り戻し、自らの活性化し、ロルファーにまでなってしまった私と、フローティングタンクにより、健康を取り戻した、自らを新しいサロン経営に踏み出した霧城見一氏との、健康に対する意気投合によりこのコラボは生まれました。

 

二人の健康ダイアローグ(対話)も好評のようで、今回のイベントは、既に満員御礼という連絡がきました。(次回は4月に開催予定)

なお、それまで待てない!、受けてみたいという方は、ご連絡ください。

個別対応メニューもあります。(→詳細 

 

 

フローティングタンク&ロルフィング 2018・秋

 

*開催日

2018年11月24日(土) 満員御礼   

一部 23日の設定あり。お問い合わせください。

 

(次回は4月に開催予定)

 

*ご利用料金

コラボ特別お試しセット価格

タンク60分+ロルフィング40~50分 

17,000円(税込)

 

 

 

作り手になる。

こんばんは。

 

映画を見ることだけでなく、映画の作り手として映画に触れることにより、今まで断片的だった映画の知識が統合されてきました。そしてこれまで物語を中心に観ていた映画が、物語以外にも着目するようになります。それまで物語に翻弄されていた自分が映画を客観視し始めます。

 

これは以前関わっていたゲームの世界でも同じです。プレイヤーとして関わるのと、作り手として関わるのは全く違うものを見ていることになります。懐かしい話ですが、雑誌の企画で「プレイヤーから作り手になる」というテーマで、クリエイター企画をなんども作ってきました。作り手意識が、ゲームに飲み込まれない1つのスタンスと言えます。

 

多分、人間が関わること全てにおいて同じなんだと思います。自分の人生を眺めるようにみている状態から、自分の人生に関わるようになった時、そこでの決まった流れや空気感、忖度されている阿吽を超えて、今そこで、判断された現実が動いていく。自分で考えて動く。変化に対して自分は、不安になり、混乱し、ひるむかも知れませんが、自分に負けずに現実を進めていくと、そこには新しい人生の見え方が始まり、人生はやがて輝き始め、新しい物語が始まります。

 

 

しかしいくら自分の人生に関わろうとしても、寝て起きると、日常の中に埋没して、そのこと自体忘れてしまったり。風景の中にいると決まった日常の中、我々は同じ物語の日常を繰り返していきます。現代都市生活は、気がつくとルーティンワーク&ライフに埋没しがち、そんなことも多いでしょう。

 

ルーティンから抜け出すのには、新しいことを学ぶよりも、現状に気づくことがどれだけ大事か。気づいたことは日常生活に採用し、自分に必要のない生活習慣を手放していくと、少しづつ現実は変わっていきます。「自分ごとにすること。それが主体性へと繋がるヒント」だと、一昨年、緑化事業を進める建築・まち づくりプロデューサー甲斐徹郎氏から学びました。

 

「自分を自分ごと化する。」書いてみると当たり前で、不思議な感じですが、それだけ自分の人生を送っていない人が多い気がします。なかなか難しいし、理解と体現で違うのでしょうね。よく分からないという方は、まず自分の身体から自分ごとに、してみましょう!

ダイアログ・イン・サイレンス

今年の夏も開催されたダイアログ・イン・サイレンスから本が届きました。僕は黄色の表紙をつけました。訪れた時の情景が浮かびます。本棚が一杯になった映像が目に浮かびます。

 

ダイアログ・イン・サイレンスは、聴覚障害者の方がガイドになって、ツアーに出かけます。いくつか部屋に分かれた体験をして、耳を失った現実を体験します。最後の部屋では、オープンダイアローグを行います。書いたり、カードを使ったり、手話をしたり。参加者それぞれが対等に出会う。そんな体験が出来る場所でした。

 

マジョリティの人はマジョリティ側の発想でルールを作り、普通を設定します。マイノリティがマジョリティに合わせているというお現実を知ることなく、問題意識も持ちません。対等でないことにも気がつきません。自分の常識の中で、自分の知覚に映る、普通を元に生きているのが普通です。マイノリティの意識に触れよう、そんな試みが色々なところで開催されています。このダイアログ・イン・サイレンスもその一つでした。ある意味、スマホの対極にあるような体験でした。

 

 

 

さて届いた自分でタイトルをつけた本。「音のない贅沢」と書いてありました。

何を書きましょうか。まだ中身は白紙です。

 

 

未来年表でも書いてみましょうか。

未来は誰にとっても白紙ですね。

 

 

ダイアログインサイエンス

 

https://www.dialogue-in-silence.jp/

 

身体はリズム

こんばんは。

 

歴史を紐解けば、身体に関して述べている人は数多くいます。今世紀初頭の知の巨人アドルフ・シュタイナーも、身体の周期的なリズムに関してこんな言葉を残しています。

 

「人体のリズム」に関して、シュタイナーは、自我(たましい)のリズムは24時間、アストラル体(こころ)のリズムは7日、エーテル体(いのち)のリズムが28日としています。

 

人体をリズムで考えてる。例えば悲しいことが起きた場合、それが自我の感覚だとしたら24時間ほど、しっかり感じれば消えていき、心を痛めたとしても、頑張って1週間しっかりと悲しみを感じれば、その痛みは薄れていく。死んでしまいたいくらい衝撃的なことがあっても、しっかりと28日感じきれば、癒えていくものだとしています。

 

しかし、うつ状態がそれ以上に長引いてしまうのは、頭を使って悲しみを増幅してしまったり、繰り返し考えて続けてしまったり、或いは何かしらの原因によりトラウマにしてしまったり、もともと持っているブロックと重なって意味づけをしてしまったりすることにより、内部で葛藤状態になり悲しみが長引いていきます。

 

心理学的な見解だと、完了させることができずに、つまり、悲しみを感じ切れない、或いは感じることを怖い(傷つきたくない)という心の働きにより、何かしらの躁的防衛と呼ばれる代償行為に走り、自分を守っている状態で安定していると思われます。

 

ボディワーカー的な見え方だと、どうしても身体症状から見ていくことにはなりますが、メンタル的なサポートもしながら10シリーズを行う中で、喪の過程を経験し、喪失感を始めとした心理的な固着した事例にも、よいエビデンスが多数出て来ています。心理という複雑な世界も、身体というしっかり感じ取れる中で関わっていくことは有効であるように感じています。

 
現在私が行っているケースでいうと、①クラニオセイクラルベースの10シリーズに、内臓、背骨、クラニオなど含めてアプローチしていくケース(アウェアネスコースに相当)。②セッションごとにナラティブアプローチを加えて対話、物語的に進めていくケース(ナラティブアプローチ、トランスパーソナルアプローチによる10シリーズ)にて行っています。

 

これまで色々な癒しの機会いや、治療法を試されたがうまくいかなかった方、身体的な違和感まで進んでいる心身のトラブル、長引いている心理的なうつ状態、喪失感などに、癒しだけでは解決しない心的後遺症、自己喪失感(自分の人生を生きてない感じ)、対人関係のトラブルが続く方、思い込み、囚われから離れられないなど、ボディワーク的なアプローチもいいかもしれません。新しいリズムを探しに、自分の中への旅に出て行くような感じですね。

何事も理由がある

古い記憶が出てきた。

 

「僕らが旅に出る理由」。意味もなく長い旅に出た後だった僕は、そうそうそうだなって、この曲に共感し、好きになった。サンプリングによる快適な音楽と、詩的表現が満載の歌詞、何度も歌った記憶がある。

 

この曲が街に流れていた頃、Mr.Childrenの「名もなき詩」が初動でミリオンセラーだと誰かの声がする。バーのアイスクリームを食べている。額に汗が滴る。向かい合った友人の眼差し。声。ラックの形。窓から差し込む光。手書きのメッセージ。

 

時にウインドウズ95が出る前の世界。スマホどころか、パソコンがまだそれほど一般的でない時代。その後の世代には想像もつかない現実感でしょうね、笑。

 

個人的な文脈で申し訳ないですが、鮮明な情景記憶が残る時代の一つです。こうして頭の中には、ランダムに記憶の繋がりが残っています。人の顔、音、風景、歌詞、体感、質感、言葉、イメージ、食べ物、感情、など雑多なものが繋がりを持って記憶の中に残っていますね。

 

多分どんな人にも、こうしたコンテクストの記憶がたくさんあり、そのコンテクストは、無意識化して、自分を構成する要素として存在して、潜在的に経験として今に繋がっている。時間が流れ、大切な記憶を思い出すことは時に、素晴らしいセラピーとなり得ることがあります。肩こり解消よりもずっと。

 

そして、今ここに、何かしらの葛藤が、無意識下にある場合、或いは意識化、身体化してきている場合、その突破口が隠れていることも多々ありますね。過去が今を助けてくれる。そんな場面に沢山立ち会ってきました。ある種の精神的な症候群や障害では、自分を止めて、自分の人生を歩まないことを自分としています。何故自分の人生を歩まなくなるのかは、その理由は学者の先生にお任せしますが、人生のキーになるようなコンテクストの記憶を取り戻すということを続けていくと、やがて自分を動かし、自分の人生を歩んでいく、或いは新しい物語を歩み出し、自分の今を再発見することができます。

 

何事も理由がある、理由を創造することが出来る。

納得できることは健康な自然の働きですね。

 

  

懐かしのこの曲を、新しいバージョンで。

身体のオーバーホール

こんにちは。

 

さて、我が家は、現在内装工事中です。古いマンションですので、少しづつリニューアルが計られます。今回は窓が全部新しくなります。冬に向け暖房効率のアップが期待されますね!

 

人間の体も人生真ん中くらい過ぎたあたりで、メンテナンス発想が大事だと思います。僕がロルフィングを受けたのは、43歳の時、ロルフィングによって、僕の身体と人生は生まれ変わりました。

 

なるべく自己管理していきたいけど、セルフヘルプ、セルフリリースでできることは、限度があります。健康診断の数値に一喜一憂するだけでなく、姿勢や筋肉・筋膜、骨格のズレや歪み、知覚のチェックなど、することをお薦め致します。体に関する知識も格段に増えます。自分を大切にしていきたい方の為のボディワークです。

 

 

痛いか、痛くないか、でなくて、痛みや違和感がどうしようもなくなって病院や整体に駆け込むのでなくて、一度、身体をオーバーホールに出す感じでの、10シリーズ、いかがでしょうか?人生100年時代、身体との仲直り。姿勢もニュートラルになっていきます。

 

また筋肉、筋膜のメンテナンス作業は、身体的な無意識の癖や動きのパターンを知ることになりますし、コントロールしている神経系、それから脳へも適切な刺激が入り、脳も活性化します。健康で、活性化した自分自身の為に受けるボディワークです。一般の方は一生に一度受ければいいと思います。

 

 

アンワインド

こんばんは。

 

アンワインド(unwind)という言葉があります。巻き戻す。解ける。という意味です。

 

仕事でも生活でも人間関係でも、色々と一生懸命頑張っていると、つい頑張りすぎて、そのうち無理がきかなくなり、オーバーフローしてしまいます。

 

オーバーフローする前に、自分でアンワインドしていくのがいいのですが、頑張りすぎていると、なかなか自分では気が付けません。やがてどこかの時点で、するすると解けてしまい、そんな時は、急に色々手放してしまって、ちょっとびっくりするかもしれません。

 

どこかで落ち着きを取り戻して、また一つづつ前に進むしかない時もありますね。ゼロからのスタートは、一瞬大変そうですが、きれいにアンワインドされると、意外にうまくいくことが多いです。色々と巻きついたしがらみや葛藤を抱えながら、意識的に、プロセスを積み上げていくよりも、案外、アンワインドされてしまった方が、訳わからないけど、楽だった!そんなこともあるでしょう。女性はアンワインドしてスッキリする一方、男性は駄目ですね、積み上げてきたものをなかなか手放せません、笑。

 

さて、このアンワインドという手法。ボディワークでもあります。アンワインドさせたい部位に、さらにワインド方向に圧力をかけるのです。そうすると、限界点までいったところで、自然に、解けて、楽な方へとシフトしていきます。身体の持つ自然な力ですね。僕のセッションでもケースにより、このアンワインド的な手法、たまに使います。葛藤状態の身体を解く場合は、方向性はともかく、こうした揺さぶりが、新しいバランスを作るための、ニュートラルへと戻っていくのです。

 

 

人生をアンワインドしたいって? いいでしょう。

でもそれには、少しだけ、勇気が必要ですよ(^ ^)

 

 

男性性、女性性

こんにちは。

 

ボディを扱うボディワーカーですので老若男女と分け隔てなく一人一人と接します。その意味でも立場的に、中性的、中庸的、そして、時に両性具有的でもあるのでしょう。

 

気がつくと、たまにガールズトークにも入っていたりします。そこで繰り広げられる話の広がりと深さに、ただただ忖度するわけですが、いい悪いではない、いくところまでいくみたいな在り方は、いい、悪いを付けがちなメンズトークより、動的でシャープ、ボディ感覚満載です。

 

でも、これからの世の中、ガールズトーク的な心も身体も全部使って生きていくような、身体感覚でのやりとりが大事なんじゃないのかなとも思うボディワーカーでした。

 

シシド・カフカのステージを観てきました。カッコいい!叩いている姿を横からみるともっとステキでした。思えばカッコいい女性に憧れて生きてきた気がします。そのことに気が付いた時に、この刷り込みはいつ起こったのか、よくよく考えてみると、幼き時代の姉との関係性に起因しているように思いました。未だに第一線で活躍する4つ年上の姉は、小さい時から眩しかった。

 

彼女の繰り出す、言葉や音楽、ファッションや新しいモノやコト、新しい記号やイメージに翻弄されながら成長した子供〜学生時代、社会に出る時に選んだ業界が広告業界だったのは、今にして思えば、姉からくるものでなく、自分で、自分自身で、新しい文化や記号、モノやコトを生み出していきたいという固有感覚、身体性の渇望だったのかも知れません。

 

男性性、女性性というのが、性別やアイデンティティと一体になったものでなく、個人の中に両方求められる時代になりました。主体性と共感力を持った新しい個人が、今の社会求められているように思います。新しい個人化をしていく為にも、身体からニュートラルになっていきましょう。他人に求める時代は終わり、自分から主体的に自分になっていく時代、ズレや歪みを感じてませんか?

 

社会や周りのせいにして葛藤していても同じレールの上を廻り続けます。変われるのは、他人でなく、あなた自身です。

 

無から始まる

友人にOSHO禅タロットというので、運命を観てもらいました。

 

覚醒の新しいレベルへの到達という場所に来たのは、

No-thingness(無、そして空)というカードでした。

 

「世界のすべては無であり、空である」

次の覚醒は、無、空だそうです。

 

さて身体に関して、これまでダンス、ヨガ、ボディワークと、これまで取り組んできたわけですが、いつの間にか意識は覚醒し、空と相対することになったみたいです。

 

今目の前に広がっている世界も、自分の頭をを通して作られた幻想であって、本当は物質的なものは何もない。自分が見ているものは見るべくして見ているものだし、自分が話している人も会うべくして会った人。一人一人との出会いを大切にして生きる。全ての事は無から始まる。何もないように見えて、ちゃんと種はまかれている。

 

そんな生き方ができるようになったのか、なってないのか、よくわからないけど、僕と出会う一人一人が証人です。

 

Kizomba

こんにちは。

 

昔サルサにハマってた時期があると、以前ブログで書いたことがありますが、最近、来られたクライアントさんに、新しいダンスを教えて頂いた。キゾンバ。

 

キゾンバ(Kizomba)とはアンゴラで生まれたダンスミュージックです。ポルトガル語で歌われ、アフリカのリズムと融合したロマンティックなフローのある音楽に扇情的なダンスで踊ります。(下記リンク参照)

 

ラテンなのにアフリカ?とも思いましたが、ポルトガル語で歌うところからポルトガルでブレイク、南米に逆輸入みたいな感じで、ラテンミュージックに入ってきたようです。新しい動きですね。世界は繋がっていて、音楽やダンスは国境を超えます。

 

最近はソロのダンスばかりで、ペアダンスは流行ってないんですかね。ソロ感覚を追求していく、高めていくことも大事ですが、シンクロしていく楽しさ、奥深さもあると思うんです。しばらくタンゴ、(主に、タンゴセラピーというタンゴを老人ホームで踊るボランティアですが)をしていた時期があるのですが、ペアで踊ることで、ホーム入居者さんたちは、身体も、メンタルも蘇ってきます。ペア感覚って大事だと思いました。タンゴ的に抱擁することで、オキシトシンというホルモンが出てくることにより、心が活性化してくるということです。さらにリズムでセロトニン、他、意欲や楽しさを感じることで、人間らしさを回復していく感じです。人間同士のふれあい、ペアワーク大事ですね。二人だと、一人よりも可能性が高まります。

 

 

体にもリズムが流れてます。一次リズムはお母さんのお腹の中にいた頃から流れているリズム。このリズムが崩れてくると、身体にも変調が現れてきます。クラニオセイクラル・セラピーでは、体の中のリズムを整えて身体のニュートラルを作っていきます。元々あった身体のリズムに還るセッションです。

 

そうしてよくよく考えるとペアダンスからセッション提供者へという僕の歩んだ道はなんだか自然な流れのような気がしてきました。新しいあなたのパフォーマンス、表現を、引き出していきます。

 

 

今日のカードを引く

おととい紹介した、カードですが、ネット上で引けるそうです。今日いらしたクライアントさんから教えて頂きました。色々あります、お試しあれ。

 

https://www.osho.com/ja/iosho/zen-tarot/paradox

 

 

僕も引いてみました。こんなことが書いてありました。

 

このカードは、フリードリッヒ・ニーチェが『ツァラトゥスト ラはかく語りき』で述べている意識の進化を表わしています。彼 は駱駝(らくだ)、ライオン、子どもという三つのレベルを語っています。

 

駱駝は眠たげで、怠惰で、自己満足しています。自分はお山の大将だと考えて妄想の世界で生きていますが、実は、あま りにも他人の意見を気にしすぎて、自分自身のエネルギーはほと んどありません。その駱駝から現われ出るのがライオンです。こ れまでずっと生を見逃してきていたことがわかったとき、私たち は他人の要求に対して「ノー」と言いはじめます。集団から抜け出し、独りで、誇り高く、自分たちの真理をうなりをあげて吠えるのです。

 

しかし、これで終わりではありません。最後には、おとなしく従うこともなければ反逆することもなく、それでいて無垢で、自発的で、自分自身の実存に真実である子どもが現われ出ます。まさに今、あなたがどのようなスペースにい ようとも——眠くて憂欝であろうと、あるいは吠えながら反逆し ていようと——それを許しさえすれば、それはなにか新しいもの へと進化していくのだということに気づいていましょう。

 

 

ニーチェは好きなので、このお話は知ってました。なんか嬉しいですね、このカード。

ウェイキング・ライフ

『ウェイキング・ライフ』(Waking Life)は、2001年のアメリカ映画です。 実写映像を撮影しそれをデジタルペインティングで加工したいわゆるロトスコープという手法で作られているアニメーション映画です。

 

 

とある街のとある駅に戻ってきたらしい青年。

しかしどこから?彼にはっきりした記憶はない。

そこへ見知らぬ男が現れる。

送っていくよと言われるままに、変な乗り物に乗り込む。

この男は一体誰なのか?

そもそも自分は一体誰なのか‥?

夢とも現実ともつかない、幻覚のような時間がはじまる。

 

 

いつまでも揺れ続けて、落ち着くということが決してない日常を送られている人は、現代社会では多いかも知れません。そう、起きているのだか、寝ているのだか、分からない日常に、なかなか鋭い、奥の深い、人生や洞察、哲学に散りばめたセリフが続く物語です。

 

アメリカで作られてから17年、なんだか日本の社会も、安定化、硬直化し、予定調和な、起きているのだか、寝ているのだか分からない、そんな世相になってきましたね。昨年のあなたと今年のあなた、何か変化しましたか?過去へのノスタルジックな思い出でなくて、あなたの今を生きていますか?

 

さて細胞は7年周期でずべて入れ替わるそうです。7年に一度くらい生れ変るくらいの変化があっても、それは細胞とシンクロしていることかも知れません。ウェイキングライフへの近道、10シリーズは目覚めたいあなたにもきっと刺激的な体験になると思いますよ。