明けましておめでとうございます。

 

今年も沢山いいことが

あなたにあるように

いつも いつも

ワインディングロード

ワインディングロード(Winding road)とは、曲がりくねった道路のことです。

 

この言葉は度々、ポップソングの中でも扱われます。有名なので言えば、ビートルズの楽曲、「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」。他にもエレファントカシマシの楽曲、「ワインディングロード」。浜崎あゆみの楽曲、「winding road」。RCサクセションの楽曲、「海辺のワインディング・ロード」。絢香×コブクロの楽曲、WINDING ROAD など沢山あります。

 

僕が今思い出したのは、スピッツのチェリーの冒頭の歌詞。「君を忘れない。曲がりくねった道をゆく」。ワインディングロードは人生に例えられることが多いです。

 

さて、さて曲がりくねった道を進んでいた人が、見通しの良い道に出て、スピードを出していくと、曲がりくねった道のことはすっかり忘れてしまいます。また曲がりくねった道に出ると、躊躇してしまったりします。最初から、自動車に乗って、見通しの良い舗装されたまっすぐな道しか走らないことも多いですね。そうしたスピードが出た、走りやすい道を走ることが生きていることと思うようになります。

 

そのうちにスピードに夢中になり、快適に走ることにだけ意識が行くようになります。道の行き先だけをみて、風景を楽しむことの意味も変わってきます。そのうち、自動運転スイッチ押して、乗っているだけ。自動運転。そんな社会も見え隠れしています。テクノロジーは人間をリードしていきますので、多分人生もそんな風になっていくのでしょう。

 

ワインディングロードはなくなったわけでもないですが、その道を走る人はだんだん少なくなっていきます。そしてワインディングロードを走る為の感性や知覚も失われていきます。そうして人間は、知覚を変容させながら、自分の生きる道を選択して、自分の今を作っていくのです。曲がりくねった道には曲がりくねった道の良さがあります。道を楽しく進む術を、身体で感じていきましょう!

 

メディア

さて「映像とアクティビズム」という講座に出てきました。社会学を学んだ僕のテリトリーで、今回は「社会変革とメディアの在り方」についての学びました。

統制気味のメディアの外に出て、リアル情報に触れると体の中で騒ぎ出すものがあります。僕の中にも、変革の魂があるようです。

 

メディアについて学んできましたので、今日は少し違う視点から僕のセッションを話してみます思えば、僕は人生の前半は制作者として、メディアを作ってきました。メディアは日常的によく使う言葉です。媒体という意味です。媒体というのは、いくつか意味がありますが、

 

① なかだちをするもの。媒介するもの。

という意味です。それがそれが情報伝達技術が一般化してきて、

② メモリーや磁気ディスクなど、データの記憶するもの。

③ 情報伝達の媒介手段となるもの。新聞・ラジオ・テレビなどのメディア。 

までがメディアという言葉の意味です。

 

なんとなく筋膜に似ていますね。話は脱線しますが、筋膜は中胚葉から発展してきたものの一つです。中胚葉とは細胞が分化して、外胚葉、内胚葉が出来、その両者の間を埋める非常に多様な構造に分化していく部分です。たとえば体腔や循環系、内骨格や筋肉、筋膜、真皮などです。脊椎の元である脊索もここから生まれてきます。

 

話が脱線しましたが、社会に置けるメディアって筋膜に似ている感じがします。メディアの形は、変化していますが、大きな視点にたつと、本質的な一次的な体験よりも、メディア体験が段々と増えてきた時代。そんな世界を生きてきた気がします。そしてメディアの形は、より現実に近づいてきて、もうしばらくすると、現実のリアリティを超えそうな仮想現実も現れてきています。まさにメディアの中を生き出している我々と言えます。ネット社会が出来、そしてインターネットが生まれ、徐々に統合始めたメディアの中に、脊椎のようなものが生まれてくる近未来を夢想したりします。脊索情報を1つ1つの細胞が開示して、脊椎というビックデータ集積回路が出来る過程のようにも感じます。少し脳内イメージで書くと、情報化社会は、太古の昔に、脊索が脊椎へと変容していく過程を社会という中で追体験しているそんなようにもみえます。身体内で起こった生物の情報体系の発展の歴史を追体験しているような様相です。

 

さてリアリティの所在は、既に体験という枠を超えていて、視覚体験は現実を超えています。体験、つまり体による験、つまり、証拠を求めて確かめる。結果が形をとってあらわれること。証拠になる事実。は、メディア的なものになりつつあります。「コト消費」と言われるように、新しい体験が主流の商品になりつつあります。

 

体験を提供するという意味では、僕が提供しているセッションは、ある根源的なコト消費の商品でもあります。メディア化する現実を、身体ベースに戻してみる、そのボディで現実を出会い直してみる。そんな体験です。体は、瞬間的には変わりませんので、手続きが必要で、その為に10回なり、15回なりの段階的なプロセスが必要ということになります。身体は、パーツを変える様には出来てませんので、手続きが必要です。

 

そしてその手続きは、その方ごとの固有の人生経験や知覚がありますので、その方の人生や知覚に沿って、行っていくことをやっています。それはある方にとっては人生の再確認だし、ある方にとっては人生の修正だし、ある方にとっては人生の反転の時間となります。

 

基本は、体の構造再構築、機能回復のセッションでありますが、こうした視点で、メディア化した自分の時間を取り戻す、そんな時間であることも、一度書いておきます。メディアに従うのでなく、自分の身体化、メディア化した知覚体系、メディア環境や関係性を感じ取る直感力をつけることにも繋がります。

 

自己理解、関係性改善、自分の方向性と出会う、そんな自己変革の魂に出会う、身体アクティビズムのセッションとも言えますね。今日は難しい話になりました。でもこんな日があってもよいでしょう、人間は色々な面があります。人間は専用機でなく、汎用機ですから。

ロルフィングセッションの感想【40代女性】

 

 

●動機

 身体に不調がないにも関わらずロルフィングを受けようと思った理由は、今後の自分の在り方を考えたときに行き詰まりを感じたからです。自身のこと、親のこと、家族のことを考えると、自分がどうしたいのか混乱し途方に暮れていました。

 何事も実際的に体を動かすことで身体が知ることが効率のいい方法だと以前から思っており、今回のモヤモヤ・グルグル感に「頭・心・体」の一体感が有効だと思いロルフィングの「統合」という言葉が鍵となり受けてみることにしました。

 

●感想

 ロルフィングとは、ロルファーの舵取りにより自分の身体に耳をすますことだと思いました。私が耳をすませて感じたことは、以下の二つの側面から言い表すことができます。

 

一つは、身体の変化そのものです。私が強く感じた変化は、「足のアーチ」と「骨盤の前傾・後傾」の2つです。「足のアーチ」は15年以上ランニングを続けてきた私にとって、いかに重要なものかという理解はありました。しかし、手でそのアーチを作ってみても、実際の動作時には当然手でサポートはできず、どうしようもないものとあきらめていました。セッション後、立った時、歩いた時の足裏の感覚が違うものになっており、足のアーチを感じることができました。連動して、踵や土踏まずのすぐ下の感覚も違うものになっていました。不思議なことに、以前の足裏の使い方は忘れてしまい、ロルフィング後の足裏の状態が普通になっています。もう一つの「骨盤の前傾・後傾」ですが、これが全くできませんでした。今までピラティスで私が行っていたものは、骨盤の動きでなく形だけ真似た腰の動きだったのです。何故だかわかりませんが、胸をゆるめてもらうことでサポートに従い動かすことができるようになっていました。腰と胸は位置的に離れていますが、繋がっているのです。

 

 もう一つの側面は意識の気づきです。私の場合、身体の変化を意識は反転して捉えているということがわかりました。例えば、左脚の方が長いという事実に対し右脚が長いと感じるということです。ロルファーはその私の固定感を評価してくれているようでしたが、私としては事実と真反対を正しいと認識する意識に非常に困惑しています。先に述べた「骨盤の前傾・後傾」もそうですが、自分ができていると思っていること、自分が正しいと思っていることが、事実は違うのではないか。それは、自身の思い込みや妄想ではないのか。そうゆう意識を今持っています。 

  

今の私は、以上の二つの面の変化と自身の身体を立体的に感じている中にいます。これが継続的なものなのか、身体や頭がどう変わっていくかを今後見守りたいと思っています。 

ねじまき

ロルフィングは、身体をリリースするもの、ゆるめるものだと思っているかもしれませんが、実は、時には、身体から、人生や、現実の”ねじまき”のような作用をすることがあります。留まっていたものが動き出す。今時の言葉でいうと、ワーク&ライフバランスがとりなおされます。

 

ゆるめるのに、ねじまくってどういうこと?と思いますよね。それはゆるむことにより、それまで止まっていたものが流れ出し、流動化し、動き出すのです。しかも頑張ったり急いだりせずに、自然の中で、時間をかけてその流れが進んでいきます。

 

それはゆるむことに始まり、のびる・ライズアップすることで確かなものとなり、繋がっていくことで自信になり、現実を動かしていきます。意識できることもあるし、無意識の中に動いていて、ある時、ああ、そういえば変わっていた!と、気付く場合もあります。

 

「人が死ぬのって、素敵よね」彼女は僕のすぐ耳もとでしゃべっていたので、その言葉はあたたかい湿った息と一緒に僕の体内にそっともぐりこんできた。「どうして?」と僕は訊いた。娘はまるで封をするように僕の唇の上に指を一本置いた。「質問はしないで」と彼女は言った。「それから目も開けないでね。わかった?」僕は彼女の声と同じくらい小さくうなずいた。(ねじまき鳥クロニクルの本文より)

 

素敵な小説を読むと頭の中が変わっていくように、素晴らしいセッションを受けると身体の中が変わっていくのです。見た目でなくて、中が変わっていくのです。身体がゆるまって身体の声が聞こえだすのです。それは時に、ポキポキとか、グルグルとか、キシキシとか。音がする人もいます。匂いがする人もいます。光ってみえる人もいます。なんだか最初はよくわからないものです。

 

水平がズレていたり、こんな風にロボットのようにガチガチになっていると、急にねじまきすると、こんな感じで倒れそうで不安になりますが、人間の身体でいれば大丈夫です。そういうホメオタシスという力を人間の身体は持っているのです。そんなねじまきのようなシリーズも増えてきました。

目の前にある盲点

こんにちは。今日は、毎月行くお気に入りの博物館へ行ってきました。

 

縄文時代の土器などで、煮炊きに使う土器や、狩猟に使う石器など、労働生産、厨房、工具など機能的な道具類を「第1の道具」と呼びます。これに対し、形から用途、機能を推測することが難しい道具を「第2の道具」と呼びます。土偶や石棒などがこれに当たります。

 

土偶や石棒を見ていると、機能的な視点が作り上げた今の社会に足りないもの、私たちが無くしてしまったことが、なんとなく見えてくるような気がします。あなたは何を思いますか?感じますか?

 

身体でも、意識が機能的だけになってしまい、目の前にあるのに、盲点にしてしまっていることは、実はたくさんあります。セッションで身体の全体性の中、統合が進んでいくと、様々なことに気づいたり、ホメオタシスが働いていくことになるのは、そうした様々な視点からのアプローチによるものの賜物です。身体って不思議です。身体にある第2の道具、生かしていきましょう。

 

 

ボランティア

こんばんは。娘の発案で、我が家では東京オリンピックのボランティア登録エントリーを皆で済ませました。応募者の方が多いので、マッチング後、連絡があれば、参加を楽しみたいと思います。

 

さてボランティアの朸状況を少し調べて見ると、応募完了者は、18万6101人、性別は男性が37%、女性が63%で、日本国籍の人が63%、外国籍の人が37%だそうです。

 

日本の大会ですが、外国人が結構多いのですね。他のボランティア参加時も、同じような傾向で、日本人はボランティア好きではないのかな。僕も昔は全く関わりませんでしたが、ロルファーになり、参加するようになりました。

 

参加してみるとボランティア体験は結構楽しいです。普段と違う立場での経験、消費することが自己表現になってしまっている現代生活、いかに消費する私だけに陥らないことも、健康の一つだと思います。消費の外に出る体験、きっと新しい体験になると思います。色々なボランティアがあります。昨年僕は、映画祭のお手伝いをしました。自分に合ったボランティアをお楽しみください。。

 

 

セッションの感想【40代女性】

「脚の形が変わるかもしれない」というのがセッション2までを受けての私の感想です。

 

セッション2後、足裏の着地感と右膝の違和感があります。足裏では、足が着地する度に今まで無感覚だったところが着地したことを感じるようになっています。それは違和感なんですが、安定感があります。そして、いつもより半歩前に自分がいる感覚がしています。

 

右脚は「痛みのある違和感」があります。しかし、この状態を「違和感」でなく、「これが身体構造上のニュートラル」と思うことが自分の癖からの脱却につながりそうです。

 

自分の癖といえば、私はしゃがむ動作において足首と股関節が使えてないことがわかりました。ごく普通の動作において、実は使えてない箇所があり、それをどこかが補完している(過負荷になっている)という事実が興味深かったです。

 

足のアーチ、足裏の着地感、足首と股関節が覚えた新しい仕事。こうゆう側面から見てみてると、歩く立つしゃがむという自分の体重を負荷とした日常の動作というワークによって、脚の形そのものが変わるんではないかと思っています。

今更感はあるのですが(笑)、綺麗な形の脚にこれからなっていくのでは?という期待を胸に抱いているところです。

 

成長の限界

小学生から、毎年1学年づつ上がり、中学生になるとちょっと成長した感じがしました。やがて高校になりまた少し成長、大学生や専門学校などに進んだ時は、もう成長の意識よりも、別の意識に移っていることも多いでしょう。そのあとは、成長というよりは、経済とか、立場、地位とか、関係性の変化、あと気になるのは老化などしょうかね。

 

しかし成長するという思想は、我々の無意識下で働いていて、成長を感じられなくなると、無意識下で葛藤が始まります。もっと成長したい、成長してないと少し寂しい感じがするのかもしれません。

 

さて人智学のシュタイナーは、人間性の成長に関して一つの指針を残しています。7年ごとに時代をわけてテーマを紐解いていくように過ごす感じです。実は、これは僕が20代後半に出会っていて、当時この区分けで自分を再構築し始めていました。僕は、元来飽きっぽく、7年もすると開き始めてしまう自分の本質を無意識に予測し、自分の指針として作っていたのかもしれません。思い返してみると、この通りにきているような感じもします。難しく考える必要はないと思います。要は成長の方向性を7年おきに少しだけ変えるだけでいいのです。

ちょっと照らし合わせても面白いかもしれませんのでご紹介します。

 

0~7歳・・・身体が成長する時。安心・喜び・愛情を受け取る時代

7~14歳・・・心が成長する時。芸術や人間性や自然の美を感じとる時代。

14歳~21歳・・・思考の力が育つ時。真実のある世界観を受け取る時代。

21歳~28歳・・・世界や社会認識力が育つ時。関係性を育てる時代

28歳~35歳・・・人生の危機に向き合う。ライフスタイルの構築の時代。

35歳~42歳・・・精神的な生き方へ向かって。自分に真に大切なことを問うの時代。

42歳~49歳・・・人生の後半をどう生きるか。葛藤し、善悪を超えた先にある価値への気づきの時代

49歳~56歳・・・人生の完成に向かって。芸術的創作・美への意欲、渇望、創造性の時代。

56歳~63歳・・・人生を完成させる。真に自分らしく生きる、本質・エッセンスを求める時代

63ー70歳は・・・は、おまけの時代だそうです。おまけはお楽しみ。その人ごと人生の過ごし方。

 

シュタイナーは、人生は72年ほどと考えていたようです。

奇しくも日本の現在の健康寿命は2016年は72.14歳、女性は74.79歳。

生きることはもういいところまできたので、ここから先は、どう死ぬか、ってことの方へ成長していったらいいのではないでしょうかね。人は如何に死んでいくか。死生観流行りですね。

 

成長の限界「人類の危機」についてのレポートが出されたのが1972年。あれから47年たち、文明はブレーキがかかったのか、さらに成長へ加速してしまったのか、よくわからないけど、異常気象も、温暖化、寒冷化の話も、常態になっていることを考えると、成長を簡単にはやめれない現実もあるでしょう。人間社会の成長は、まだまだ続いてきました。活性化して、バブル崩壊し、鬱が来て、そこから、少子高齢化、人生100年時代と言われるようになりました。

 

さて72歳から先、伸びた寿命の分の在り方は、どういう風に過ごすのがいいのでしょうか。新しく項目を作る必要はない気がします。組み合わせを少し変えるだけで十分運用出来ます。

ちょっとサンプルで作ってみましょう。

 

①多分、おまけの時期が増える。・・・これが通常の年金生活、ハッピーリタイアメントというやつでしょうか。隠居、都市的隠遁生活なんかが粋ですかね。

②それとも7年周期を10年周期に伸ばしてゆっくり進めていくのか。成長のスピードを遅くする感じです。晩婚化などもしかしたらこの兆候かもしれません。その分二毛作のように楽しみをたくさんいてもいいでしょう。

③42歳以降を変容し、再度繰り返すか。早期リタイアで、人生二期作みたいな感じで社会と向かい合っていく感じですかね。二期作は、全く別の作物を植えてみるといいと思います。違う方が、目新しくて楽しいと思います。 

 

まだまだ色々な人生が描けると思います。そして実際にも色々な人生が、今の世の中、急速に現れ始めています。どんな人生にするかは、人それぞれ個性なんでしょうね。何れにしても自分を知る。それが葛藤のない人生だと思います。どれでもない人は、葛藤しながら、耐える、我慢するみたいな人生を送っていくことになるのでしょうか。耐えれない時、病いがあらわになります。

 

現状、身体や精神での病いになると、リカバリーには、相当のエネルギーとお金と時間をつぎ込むことになります。病院通いで、病院が社交上とか言われている日本、過剰適応、躁鬱の二極化、鬱病、依存症、自己愛、ボーダー、防衛過剰・・・が溢れている日本。気づきは必要です。

 

とりあえず病的状況からは脱して、そして心身のメンテナンス的な意識を持って、健康に生きていくというのが、ホリスティック的には基本形です。ホメオタシス、自分の力を信じましょう。

今提供している方法論は、そんな社会変化に対応していくものである、そんな気がしています。心と身体、意識、在り方など。脱成長スタイルや、新しいニュートラルな在り方、知覚、身体、成長の限界を楽しむスタイルへと、自分を深化していきましょう。   

 

DAY BY DAY

こんにちは。11月29日から突如ギターを毎日触れる生活に。

 

楽器というのは不思議です。形といい、質感といい、奏でられる音といい、なんと愛しき存在であるか!こんな4つ、5つのコードでこんなにたくさんの曲を弾けるなんて!演奏の楽しさを実感しています。楽しすぎる!

と取り乱してしまいました。昨日初めて人前で披露する機会があり、スピッツのチェリーを歌って来ました。

"きみをわすれない〜まがりくねったみちをゆく〜♪

ちなみに3月完成の映画も、「君を忘れない」というタイトルです。

 

生きていると色々なことがあると思いますが、曲がりくねっているように見える時もありますが、歩いていれば、day by day 変わってきます。人は変わっていけるのです。身体も変わっていけるのです。

 

諦めない!身体から可能性を開くセッションを提供しています。

 

ロルフィングの感想【40代・女性】

 

『扉が開いた。』

それがセッション3後に抱いた気持ちです。ロルファーが右腰に手を当てていると、右膝に嫌な感じ溜まっていきました。痛みはありません。ただ嫌な感じ。それが一体なぜなのか、身体に耳をすませていました。そして、学生時代に右膝を故障したことを思い出し、不思議なことにすっかり忘れていたその頃の恋愛感情が浮かんできました。

 

相手に受け入れてほしくて自分を押し殺し、気分屋の彼の気持ちを斟酌することに全力を注いでいたこと、それがその後の男性との関係性に大きく影響してきたこと。気が付いた時には涙が止まらなくなっていました。彼が常にいた右側に、捻じれた感情を私は閉じ込めていたのかもしれません。扉が開かれ、私の捻じれた感情は涙と共に飛び出しました。それは、内捻転気味だった私の右脚がセッション前と違うものになっていたことや歩き方までも変わっていることからそう感じるのです。

 

 今、立ってみると、足裏に吸盤があるよう地面に吸い付く感じがします。その安定感は私に安心を与えています。グルグルと頭の中で渦巻いていたものが、もう自分を押し殺すような、捻じ曲げるような生き方はしないという決断へと変わっています。あとは、表現するだけです。どう自分が表現していくのかを楽しもうと思います。

 

自分の中のオルタナティブ

 

朝起きると、苦虫だった。というのは、カフカの「変身」での話ですが、朝起きていつも同じ自分というのは、本当のところ、どうだか分かりません。

 

朝起きるというのは、スイッチを押して起動するパソコンのようなもので、目覚めて初めて自分になり、そして、眠気眼で、同居している家族、或いは鏡や、或いはスマホを見て、脳内にある自分の記憶と照合し、脳が作り出す記憶イメージとしての自分なる人の、アイデンティティを行っていく、そんなような気もします。

 

夢の話のようですが、朝起きて、そこがかつての実家の様相で、幼き頃に見てた父母や兄弟がいて、「早く起きなさーい」と、語りかけられたら、きっと子供の時のような反応をすることでしょう。場所や関係性に導かれる身体の記憶もあります。

 

今の主たる自分と、様々なオルタナティブな自分たちの総称が本来の自分で、主たる自分があまりにその他のオルタナティブな自分を押し込めてしまうと、生きている感じがしなくなってしまったりします。経験という名の様々な自分たちも連れて、今を生きているのが、自然です。無意識になっていて自分ではわからないことも多いかも知れませんが、運や縁に導かれる力も、人間の身体に隠された能力の一つだと思います。

 

中には、もう出会いたくない自分もいるかも知れませんが、隠れた自分が自分を影からコントロールしていることもあり、今の意識で出会って、昇華し、新しい自分になっていくと少し生きやすい今の自分になっていくかも知れません。昨日掲載した感想の方など、まさにその過程を経験されているような気がしました。

 

つまり「今」とは、無意識になった自分や、クリエイティブな自分が創造してきたイメージの自分と、出会い直すことが出来る稀有な時間なのかも知れません。今、目の前にいる人は、何故か惹かれる人は、まさにあなた固有の感覚が導いたあなたの中のオルタナティブな存在の鏡なのかも知れません。次にいく鍵を持っている可能性を持っているのは、こうしたオルタナティブにしてきたまだ見ぬ自分なのかも知れません。

 

さて、無意識が導く不思議な縁、身体から紐解いてみたくなり、新しいプロジェクトを始めます。新しい出会いについて、学ぶ・そして気づく。出会う。そして分かち合う。そんなことをテーマにした展開を3人ユニットでの展開です。ここでは、「パートナーシップ」、「結婚&再婚」、「家族」などをテーマにブログを始めとし、講座、イベントも企画していきたいと考えています。ブログは月一で僕も担当します。

 

寒くても大丈夫、ホットレモネードを飲みながら。

近いうちにまた紹介します。

依存症

依存症には様々なものがあります。

 

例えば、物質への依存(過食症、ニコチン依存症やアルコール依存症といった薬物依存症)、過程やプロセスへの依存(ギャンブル依存症、インターネット依存症、借金依存症)そして人間関係や関係への依存(共依存、恋愛依存症、依存性パーソナリティ障害など)があり、程度により重大な精神疾患にいたるケースもあります。

 

多民族社会であるアメリカでは色々な研究や具体的な依存脱却の活動が数十年に渡り研究されてきました。

 

例えばアルコール依存症。第一ステップとして当人の自己管理能力の有無や、霊性的な状態を確認し、心の状態をチェックします。

 

日本では見逃されがちですので、簡単に紹介しますと、このような心の病気を挙げられています。

 

1 落ち着きがない、過敏である、不満を感じている。

2 対人関係に問題を抱えている。

3 感情的な性格を、うまくコントロールできない。

4 不幸や抑うつの犠牲であったり、苦しんでいる。

5 生活を自分で行うことが出来ない。

6 価値がないと感じている。

7 恐怖に満ちている。

8 不幸である。

9 他者に対して現実的な助けができない。

10 劇場全体を駆け回わりたい役者のようである。

11 複数の恐れ、自己妄想、自己探求、自己同情に駆り立てられている。

12 自己暴動を起こす。

13 二重生活を送っている。

14 他人の人生の上を通過する竜巻のような生き方をしている。

15 利己的で控えめな習慣を持つ。

 

これらの病的症状は、自己中心性という常用癖に共通の中核問題とされています。その習慣性を手放せないということです。

 

日本の場合、個人化してない場合が多く、自分自身を物事の中心と定義して、世の中の物事を解釈する(本人がそれを自覚していないことが多い)ことや、そのような考えを元に、他人のことを考慮しない行動をする性質、幼児期の心理特性、自分を基準にして世界を解釈すること、自分を客観視することができないこと、自分とは異なる価値観があることを理解するのは困難な場合など複雑な心理構造があり、根気のいる治癒への道となる場合が多いです。病的であることを、認識する相互関係も少ないと思います。

 

治癒には色々な手法がありますが、言語習得以前の幼少期の心理傾向に関するものも多いのでボディワーク的な手法での統合が納得に至るケースも多いのです。健康的な意識への変革は、身体から起こる場合もあることを一度書き置きしておきます。

それは奇しくも古代ローマの詩人ユヴェナリウスの言葉、「健全なる肉体の中に、健全なる心」にあてはまります。身体的な統合は、依存症から抜け出し、あなたらしさを取り戻す、第一歩となりうりますね。

 

セッションの感想【40代・女性】

セッションを受けるごとに、立つ歩くという日常の動作ですら、右をかばい結果的に左に負荷をかける動きをしていることに気がつかされました。右脚から動ける自由、右側に体重を預けられる安心感、そこから得られる右脚の自立感は私に信じられないほどの解放感を与えてくれました。

 

一方で、右膝の痛みが続いており、歩き方が歩きたての子どものようにぎこちないものになっている認識がありました。足と地面がまるで強固な磁石のN極S極のようにしっかりと吸い付き安定感を与えているのに、脚がてんでんバラバラな感じがして、「くねくね人形」のようだと思っていました。

 

 セッション4後、立つと重心は前へ、脚のラインが外側にあったものが内側にあることを感じます。歩くと、脚は股関節というよりもっとお腹、腰骨辺りから出ている感じがします。以前は足が出てそれから体重が追いつく感じだったものが、前に出した足に体重が乗って進みます。重心移動が速いのです。そして、右膝の痛みがなくなっていることに気が付きました。もう、くねくね人形ではありません。幹のようなものが私の身体に通っていることを身体が教えてくれているのです。

アンチエイジング

朝のテレビを見ていたら、アンチエイジングの為に大切なのは、テロメアと骨密度とAGEという話をやっていました。重力と調和する身体を作るロルフィング。どれも関係ありそうな気がしますが、エビデンスがある訳ではないので、効果があるとは言えません。ただロルフィングで進めている重力と調和する身体というのは、骨やうまく使えてない筋肉、筋膜体系を活性化することであるので、テレビで見た話を十分に含んでいるように思えます。

 

今週はこの3つに関して、ロルファーの立場から1つづつ解説してみたいと思います。日頃、身体が良かろうが、悪いところがあろうが、人生の真ん中あたりでの10シリーズ、ホリスティックな身体を感じることを、僕がなぜお薦めしているのか、2月上旬はアンチエイジングの視点から話してみたいと思います。AGE、骨密度、テロメアと、3回シリーズ位でいきます!

杜へ行きましょう

国土面積に占める森林面積の割合を「森林率」といいますが、日本は森林率が67%と国土の2/3が森林です。これは、世界の国の中でも森林率の高いことで知られているフインランドやスウェーデンと並び、日本も世界ではトップクラスの森林国ということができます。

 

日本の国土は乱開発が続いているように感じていましたが、日本の森林率は、ナント150年前と一緒です。日本の森林は守られているのですね。思い込みは怖いものです。これから日本の人口が減り出すことを考えると、森林が今以上に減ることは考えにくく、日本は今後も世界有数の森林国ということが出来ます。森と共に生きるのが日本という国なのかも知れませんね。

 

鎮守の杜というのは、多くの神社を囲むようにして存在した森林。日本古来の神様は、森との関係性が深く、神社的な場所は、自然と人間の共生関係の場所として、自然を忘れないため、定期的に通うことを大切にしてきた先祖からの贈り物ですね。神社は西洋的な公園とは別の、自然と親しむ場所なのかも知れません。杜へ行きましょう!

 

東京は武蔵国に含まれます。そういえば武蔵国の一宮神社に行ってない、一度は、ご挨拶に顔を出しておいたほうがいいなということで、先日、大宮氷川神社へ出かけてきました。東京含む武蔵国の一宮神社は大宮にあります。ここは、東京都・埼玉県近辺に約280社ある氷川神社の総本山です。

正月に、『江戸を建てる』という江戸の街の開発の話をやってましたが、東京という街の歴史は、徳川家康が作った街、日本史の中では新しい街ですね。さて渋谷にも氷川神社があり、よく訪れます。氷川神社から国学院大学へ抜ける道は、都会の中のちょっとしたオアシス、杜ですね。僕のよく通る散歩道でもあります。


Bodymateにて 人物インタビューされました。

美st 2015/5筋膜特集にて店舗紹介されました。

wwdビューティ219にて人物紹介されました。

MAQUIA 2013,10、筋膜特集にて店舗紹介されました。

FRaU 2012/7にて店舗紹介されました。


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