旅は道連れ

オーガスタス・エッグ作「旅の道連れ」
オーガスタス・エッグ作「旅の道連れ」

 

僕らが旅に出る理由があるのか、ないのか分からないけど。

 

旅の途中で出会ったものは何か理由があると思う。

 

出会う人とは、何か縁があると思う。

 

そうやって僕らは、無意識に導かれて、次へと向かう。

 

人生が展開していかない人は、旅に出るといいと思う。

 

理由があろうがなかろうが。

 

 

 

紅葉

こんにちは。紅葉シーズン、そして気候的にも歩くのが気持ち良い季節になりました。先週、紅葉が色付き始めた山梨の山を歩いたのですが、代官山でも色づき始めました。蔦屋Tsiteへ行く道でも小さな紅葉がちらほら見かけましたが、近所の高級ゲートマンション(ナント家賃500万超える部屋があるそうです!)の前の紅葉が綺麗でした。ちなみに代官山でしたら紅葉の穴場は朝倉家住宅です。

 

 

さて、紅葉の中、どんぐりもたくさん落ちています。よくよく見ると一種類でなくて、色々な種類のどんぐりがありますね。どんぐりは食べれるんです。実は栄養豊富で、縄文時代には欠かせない主食だったそうです。

 

最近は、有害物質を体から排出してくれるデトックス効果も注目されているそうです。どんぐりの『アコニック酸』という成分は、体内に蓄積された重金属などの有害物質の浄化・排出を促すデトックス効果があるといわれています。 と言ってもどんぐりにはアク(タンニンやサポニンの渋み成分)があり、多くの場合アク抜きしないと食べられません。含まれる量は種類によって違い、マテバシイやスダジイなどの「椎の実」なら、アクが少ないのでそのままでも食べられるそうです。潰してクッキーみたいにしていたそうです。

 

我々の社会は地球を削り取りながら発展していますが、どの方向へ進んでいるのかちょっと不安になります。便利に、物質的に豊かにはなっていますが、生きやすくなっているのか、幸せになっているのか、疑問が残ります。ロルファー的な発想で言えば、あるものを活かす。改善を喜びに生き、完璧を求めずに多少の不便を楽しむ。生活の中で、過ぎているものを元に戻す。出来ることから、少し意識を緩めて、緩んでいけると、いいなと思います。どんぐり拾って食べていれば我々も1万2000年続くかもしれませんね。未来に希望があるような無いような少し違和感が残る2017年です。僕の体には、自然からのメッセージがビシバシと届いています。体の声、内側からの声が届いています。

 

さて最近、新しい学説が出ました。縄文時代前期には小豆や大豆の栽培が始まり、晩期には粟・黍・稲がすでに伝来していた可能性が高いという説がだされました。(小畑弘己・熊本大教授)今まで稲作定住は弥生と習って来ましたが、教科書が変わるかもしれませんね。(縄文・弥生の生活は、この曲がわかりやすいので、貼り付けておきます。)

 

さて紅葉シーズンは短いです。日本人は、古来、季節とともに「今ここ」を大切に生きて来ました。縄文時代のように、どんぐりの拾いながら、紅葉の「今ここ」を共に楽しみましょう。

Once again I fall into my feminine ways

横浜トリエンナーレへ行ってきました。アート三昧の今月です。たくさんアートを見て、色々印象深かったのですが、最後に見たこの作品が、なんとなく今の日本の雰囲気にはフィットするような気がしましたので紹介します。曲が頭から離れません。

 

 

 

ラグナル・キャルタンソン《ザ・ビジターズ》2012……ビデオ9面、64分の映像作品。ヘッドフォンから聞こえる他者の演奏音を頼りに、異なる部屋で一つの曲を奏でようと試みるようすを9つのスクリーンに投影。孤独な作業から生まれるハーモニー。

 

 

 

サルサ

キューバの街並み
キューバの街並み

サルサは1960年代後半にニューヨークのプエルトリコ移民が中心になり作られた比較的新しいペアダンス。サルサ音楽に合わせ、通常二人で踊ります。(大勢で輪になって踊るルエダというのもあります。)サルサは男性が全ての動きを決める腰を使ったラテンダンスで、ペアダンスの中ではスピードも速いのが特徴です。

 

元々はラテンアメリカのものですが、アメリカ人がやるようになって世界に広がっていく中で、本場ラテンのものも並行して流通している感じです。アメリカで売れるというのが世界的になるということでしょうね。現在では世界中に広がり、ラテンブームのダンスカルチャーの1つになりました。日本でもラテンブームに乗っかってサルサの大ブームが2000年代にありました。

 

踊りのスタイルが幾つかあってL.Aスタイル、N.Yスタイル、キューバンスタイルなどあり、踊りのテンポの取り方が変わってきます。またサルサクラブに行くと、サルサ以外にも、ドミニカのメレンゲ、バチャータ、プレルトリコのレゲトンとかも、かかります。

以上サルサのイントロダクションです。(15年経ってもサルサのことは頭から抜けてませんね、一時期ハマってましたので、笑)

 

さて、今日来たクライアントさん、と話をしてて、話題にサルサが出て、知ってるけど踊れませんということで、「ちょっとやってみますか?」ということで話が盛り上がり、急遽、セッション前にサルサ初級レッスン。

 

サルサの良いところは、ペアダンスで、身体的な共感性を作っていくところです。たまにタンゴセラピーという老人ホームで行うボランティア活動をしていますが、手を繋ぐとか、ダンスを踊るというのは、脳の機能回復、オキシトシンによる精神状態の改善、言語によらない共感力のエクササイズになり、身体機能や精神状態の回復のトレーニングとして効果があります。老人だけでなく、一般の人にも、ペアダンスはとてもいいものだと思います。

 

ただし、社交ダンスでも、アルゼンチンタンゴでも、サルサでも、始めると、皆ハマっていくのが玉に瑕。日本人に関わらず、世界中でどれだけの人がハマっていったのでしょう。そして、体、特に膝や腰を痛めながら、それでも吸い込まれていく、恐ろしい魔性の魅力です。音楽とダンスの組み合わせは気をつけましょう。痛める前にロルフィングでニュートラルな体になってから、笑。

 

さて2017年版、今時のサルサをリンクしておきます。

フクロウの声が聞こえる

さて、度々ブログでも引用して取り上げてきた僕のセッションのコンテクスト・ワールドの登場人物である「オザケン」と、「セカオワ」がナント!新曲でコラボしてしまいました。一大事です。なんというか、ビックリです。WAO!


思いが世界に影響しているのでしょうか。みんなでもっと想いましょう。もっとやりたいことやっていきましょう。もう世界はわたしたちのものです。この世界に我々はやってきました!

 

コラボいいですねー。またコラボやりたーい!

 

 

フクロウの声が聞こえる

 

晩ご飯のあと パパが「散歩に行こう」って言い出すと

「チョコレートのスープのある場所まで!」と

僕らはすぐ賛成する

 

フクロウの声が聞こえる 大きな魚が水音立てる

いつか本当と虚構が一緒にある世界へ

 

渦を巻く 宇宙の力 深く僕らを愛し

少し秘密を見せてくれる

好きになること 嫌うこと

轟音を上げるエンジンの音

いつか混沌と秩序が一緒にある世界へ

 

天を縫い合わす飛行機 その翼の美しさを

チョコレートのスープは映しているよ

枯れ葉と枝 飲みこみつつ

 

フクロウの声が聞こえる 大きな幹を揺らすプラタナス

いつか絶望と希望が一緒にある世界へ

 

渦を巻く 宇宙の力 弱き僕らの手をとり

強くなれと教えてくれる

ちゃんと食べること 眠ること

怪物を恐れずに進むこと

いつか孤高と共働が一緒にある世界へ!

 

芽生えることと朽ちること 真空管を燃やすギターの音

いつか残酷さと慈悲が一緒にある世界へ

ベーコンといちごジャムが一緒にある世界へ

 

導くよ! 宇宙の力 何も嘘はつかずに

ありのままを与えてほしい

震えることなんてないから

泣いたらクマさんを持って寝るから

 

いつか残酷さと慈悲が一緒にある世界へ

ベーコンといちごジャムが一緒にある世界へ

「はじまり、はじまり」と扉が開く

 

ララ ラララ ラララララララ

ラララ ラララララララ

ラララ ラララ ラララララララ

 

フクロウの声が聞こえる 大きな魚が水音立てる

 

いつか混沌と秩序が一緒にある世界へ!

マーメイドラブソディ

長い間、閉じ込められていたガラスの中の人魚達。外の世界に出たがっています。

 

思えば大地を謳歌する前の我々は海からやってきたのです。我々の無意識の中には海洋生物時代の経験もたくさん詰まっています。

 

固体化していた体が緩くなり水のように流れ始めると、その流れにしたがって、人魚達が現れてくることがあります。あなたが経験してきたことの全て、あなたの体と意識の中に残っています。(→何も失われない

 

さて、若い頃ふーんと思いながら、それでもこれは本当なんじゃないかと思って読んでいた三木成夫さんの著作。胎生学的な知識は、ボディワーカーになって言語的な理解を超えて体現するようなことが不思議なことではなくなってきています。長い間、人間を縛っていた知、意味の場が崩れ始め、無意識の中にあった意識が世界に解き放たれています。

 

流動体の体に乗っかって人魚達も時たまやってきています。人魚は、ダンスを踊り始めます。男とか女とか大人とか子供とか関係ありません。この不自由な身体が水に戻る時、あなた自身になって踊るのです。

確かなこと

出会ったり、別れたりしながら、人は生きていきます。確かなことは、今ここに、こころとからだを持って生きていること。

 

生きている感じがしなくなっていたら、それはこころかからだのいずれかを失っているかも知れません。そのことに気がつけたら、こころとからだ、生き返らせましょう。

 

確かなこと。

 

ブレイクスルー

ブレークスルー(英語: breakthrough)とは、進歩、前進、また一般にそれまで障壁となっていた事象の突破を意味します。

 

どんな事象もブレークスルーすると、加速度的に次の場面へと物事が展開していきます。心でも体でもブロックやトラウマがあって、それを突破していく時には、乗り越えていかないといけない境界があり、それを突破すると新しい世界や動きが見えてきます。

セッションをしていて、なんとも言えないのがブレイクスルーした瞬間です。ある時は突然世界が広く明るくなり、ある時は弱いところに雷が落ちます。雷が落ちたら、しばらくビリビリしびれていますが、いずれしびれもなくなるでしょう。それが人間の生命力の不思議なところです。しかもいきていく為に必要なものは、何も失ってません。

 

ブレークスルーする為には、一度暗闇に入る必要があります。その暗闇い入る勇気は、本人しか出来ないのです。だからブレイクスルーすることは自分にとって困難が伴います。それでもやはり暗闇は怖いものですね。構えて仕舞えばしまうほど想像力スイッチがマイナスに働いて怖さ倍増です。このロルフィングという10回のシリーズは、あなたがブレークスルーする為の強力なツールにもなり得ます。そんなコンテンツにロルフィングを仕上げてみました。

 

昨日、数年前に10シリーズを受けた元クライアントと会う機会がありました。久しぶりに会った彼女はすっかり逞しくなっていました。独立する、自分らしく生きる、そんな風に語る彼女の心と体を見て、このベクトルは間違ってないなと思いました。

 

ブレークスルーして、次のボディとマインドを手に入れましょう!あなたが今まで信じてきた常識や現実が変わりますよ。

SOS

 

感じないようにしていた痛みが、

少しづつ癒されて、

あなたから離れていきますように。

 

聞こえてこないようにしていた音が、

あなたに戻って、

新しいあなたを表現していきますように。

 

ひとりひとりの素晴らしさ。

さてFacebookが出来てから昔の友人達との付き合いが復活することがいくつかありました。誘いがあったものには、なるべく参加するようにしています。

社会で成功した人、有名になった人、子沢山の人、全然変わらない人、風貌が大きく変わった人、誰だか分からない人。もうセミリタイアしてしまった人、中にはなんとロックミュージシャン(下記参照)、バレリーナなんていう人もいたり、本当に色々です。

気がつけば、いつの頃からか、自分の人生を楽しげに話す、そんな話を聞いているのが大好きになっていました。本当にひとりひとりの人生って、人それぞれ素晴らしいです。

 

体も同じようにひとりひとりの体は人それぞれで個性的で素晴らしいです。

僕は、あなたに代わって、体が語る声に耳を傾けます。体も自己表現しているし、体にも心がありますね。ちゃんと静かにして耳を傾ければ、話を始めます。様々なメッセージを発しています。僕らロルファーはそうした体の小さい声を拾って、自由な状態や楽になれるように少しだけ促しているだけです。あとは体の叡智が重力を感じて、勝手にいい状態を作っていきます。意識的にいい姿勢やいい呼吸をするものではありません。無意識です。

 

「私の歩き方って普通ですか?」「僕の姿勢ってちゃんとしていますか?」そんなことをよく聞かれる方がいます。そんな時は「体はひとりひとりそれぞれですから、普通とか気にしなくていいんですよ」と答えます。

体をニュートラルにしてくれるのは、あなたではなく、重力です。重力が通って行けば体が勝手に統合して自然になっていくのです。

歌詞を書き換える

カンペキな絵

2016年7月から毎日何か書いてみようと思いついてずっと書いてきました。

 

この7月の前の10週間は、ジュリア・キャメロンの「ずっとやりたかったことを、やりなさい。」を取り組んでいました(参照→ブログ)。モーニングページ。アーチストデート。を年甲斐もなく、素でやってました。アドバンストロルファーの研修を終え、足掛け3年に渡るロルファートレーニングに始まるり一連のロルファーへの道が、ひと段落した気がしたのです。

 

さて、思えば突然の出会いから「ロルフィング」に恋してしまった!ことに始まる僕が描いた絵のイメージ。それを体現して行く物語の歌詞を紡いでやってきた気がする。仕事や生活、起こってきた出来事をうまくコントロールしながら、フラフラとここまでやってきた糸がプツリと切れた。

 

それまで広告を作っていた人間が突然ボディーワークという別の世界に足を踏み入れ、しかも別の世界だけど歌詞も同じままで、まるで異国に来た少年のようにこの新しい世界で起こることにワクワクドキドキしながら過ごしてきた。

トレーニング途中に、東日本大震災で中断があったり、私生活で介護や臨終の場面も立ち会いながら。自分が違う絵を描き始めたのは、なんとなくわかっていたが、前と同じ歌詞で同じ歌を歌い続けていたことに気がついてなかった。無意識。

 

今にして思えば、僕のロルファーになるトレーニングの日々は、過酷な日々だった。そんなことに気がつかないのも不思議だけど、無意識で生きていたので無理をしていることなど自分ではわからない。朝から夕方までの授業、戻ってから深夜にかけての制作の仕事。そして合間の家族との時間、そして予想外だったのは、母、そして義理の母のダブルの介護や見舞いに翻弄されながら過ごしてきた時間。目の前のことをこなして動き続けていてたち止まり方を忘れていた。

 

アドバンスエントリーに必要な単位を取るためにワークショップに参加し、最短距離で単位を貯め、その一方で卒業と同時に始まった開業からのロルファー生活の日々。5年間、駆け足で取り組んできたことが、あのアドバンストトレーニングを終えた時に、ふーって力が抜けてしまった。ホッとしてしまった。

 

自分の中でやりきった。当面の目標にしていたことが終了した、数年前に心の中に描いたロルファーになる!という絵、その絵を書き上げて、歌を歌いながらカンペキだ!と思った瞬間。僕のいうカンペキは、ロルファーなることよりも、その後の展開含めて、仕事をうまくこなしていくことでまあ60%くらいうまく行かせることか。家族もいるし、その必要があった。そして家族や仕事やその他の現実と折り合いをつけながら、ほころびを残しながら。本当はもう少し楽しみながらやればよかったんだろう、でもあまりにやることがたくさん有り過ぎて自分のペースとか忘れてた。

だからカンペキならぬ、カンペキな絵に似た、そんなだったのかも知れません。

我ら、時を行く

オザケンの「我ら、時 」は、 2014年3月19日に発売された。

その中の何曲かの歌詞が書き換えられていた。いちど作られた歌詞を書き換える!そんなことがあっていいのだろうか。びっくりした。でも書き換えられた歌詞は、その時の感覚ではぴったっと来るのだった。いやー歌詞って書き換えてもいいんだなと。ライブ版であったし、「今ここ」でやるライブのために、歌詞を書き換える芸当をしでかしたオザケンやっぱりartistだなと。オザケンって同じ表現は一度づつしかしない。売れようが売れまいが一回一回をその時の自分自身を表現をしていく。

 

そう、我らは、止まった存在でなく、時を行くのである。今に合わせて歌詞を書き換えていい存在、我らは、「今ここ」に生きているのだ。

 

さて奇しくもこの時の僕は、病院にいることができず、入院施設を探すために姉と首都圏の老人施設を巡っていた時である。母は心を患っていた。母の意識は、「今ここ」にいれなくて、どこか他の世界に行っていた。無意識の中をうろうろしていて出て来れなくなっていた。

 

そんな母の「今ここ」にある身体の置き場を探して、姉と二人、我らは奔走していた。その時に日本の老人介護施設の現実を思い知った。回れど回れど母を安心して任せられそうな場所に出会えなかった。「時」というのは、その人固有のものである。決して時計のようには過ぎていかない。その人の「時」は、その人のもので、出会うには私が、その人の「時」に出会って行かないと出会えない。母の変調は、少し前から始まっていたのだと思う。しかし誰も気がつかなかった。母の「時」に誰もついて行けてなかった。母に誰も出会えなくなっていた。

我ら、時を行く。

 

 

いつも自分の側の視点しかないと、母に出会うことすら出来なくなる。深夜、誰とも出会えなくなって1人うずくまっていた母を抱きしめて一晩明かした日のことを思い出します。普通でなくなることを目の前で感じたそんなどうしようもない状況は、それまでの僕は経験したことがなかった。その時、人は何をするのか。東日本大震災後の余震の中、今という「時」を失ってしまった母。そしてその状況に何も出来なくて、抱きしめることしか出来なかった自分。ボディワーカーとして、自分の在り方に少し気がつき始めた経験だった。

我ら、時を行く。

 

母、そしてその後に起こった義理の母の癌の発覚と突然の死という出来事は、ずっと走り続けてきた僕の心にブレーキをかけた。ブレーキがかかり足元がキーキー言いながら火花が散っていた。しかし止まれない。だいたい日本の男は自分にブレーキが付いていることなど知らない人が多い。僕もその例に漏れず、走り続けた。開業当初のなれなかったセラピストとしての自分は、まだ止まるわけにはいかなったのだろう。ギーギー言わせながらも自分を前に進めていった。自分の歌を歌いながら、自分の書いた歌詞を歌いながら。

そして歌詞を書き換えるなんてことは、僕は知らなかったのだ。

新しい自分に気づく

さて、僕にようやく止まったのは、自らが描いたカンペキな絵に似た達成感を感じた時だった。自分で決めた信念体系。さすが無意識、ちゃんと実現するものだ。

でも気がつけば足は傷だかけ、胸から傷だらけ。痛い。痛かった。本当に胸が痛かった。そして自分の外に出てしまってた自分に気づくことになる。

 

それは2016年2月、それはトレーング中に起きた。時間がゆっくりと動き出し、それまでやってきたことが走馬灯のように流れ出した。そしてその直後に頭が真っ白になり、現実感を失い、浦島太郎のように。自分に気がつくことってなんて難しいことなんだろう。案外自分のことなんて本人が一番わかってないのかもしれない。世界が壊れて宇宙に飛び出した。

 

知らない人もいるかもしれないけど、この宇宙には、色々な存在がいて、ちゃんと生きているとサポートしてくれるようですね。それも知らなかった。

黒い象のような存在が現れて、「お前だけでいきてるんじゃないよ」と脅し、僕を停止させた。このオザケンのジャケットのようなウサギは、僕の視覚を魅了して目を休ませた。

 

それからというもの僕は書くことを続けている。書くことにより、少しづつ自分が見えて来る。自分が整ってくる。整ってくるには新しい方向性が必要なのである。歌詞を書き換えることは困難も伴うけれど、不安定になるのだけれども、時に、想定外のことも起こったりして、危機には違いないけれど、それを乗り越えた時には、また一つ違う自分を手にしていることに気がつく。前の自分とは少し違う新しい自分であることに気がつく。

 

 

さて自分の体験を踏まえて、ロルファーとしてロルフィングを提供することには違いないのだけど、ちょっと違うものも提供したくなった。体ってそれだけ多次元的で心とも繋がってるものだと思った。人間の気づきって、体以外にも色々あるなと思う。

(ちなみにアドバンスの資格は、10シリーズ以外に新しいセッション作り出していい資格だということです。僕がとりあえずの目標にこれを定めていたのが少し分かった気がしました。

シンクして、苦しみながらもがく。

さて何か現実感のなさから、間違いに気がついた僕が、もがきながら歌詞を書き換えて飛び出してきた新しい自分は、2016年8月に始まったと思っています。こんなことを書き残しています。

 

EXPERIENCING AND EXPRESSING - THE ART AND CREATIVITY OF YOUR LIFE - 

 

ロルフィングで実現するのは、身体統合です。しかし今、人間に必要とされているのは身体だけではありません。地球規模で起こっている統合への動きは、これから個人の生活や経済のみならず集団や企業の在り方、コミュニティ、国家や世界の在り方まで大きく変容していくでしょう。今後もボディワーカーとして、セッション提供を続けていくこと深めていくことを続けますが、からだや心や在り方の気づきの機会、ひとりひとりの生き方やライフスタイルに対する提案、研究、そして環境作りにも取り組んで行きたいとを思います。  

   

さて自身にシンクして無意識に出てきて出会った自分自身が今であると思う。まだ止まらない我の記憶を残しながら歌詞を少し書き換えて、僕はまた別の絵を描き始めているようです。

我なのか、いや、我ら、なのか。そして書き換えた歌詞で自分らしさという同じ歌を歌っていくようだ。 

我ら、時を行く。

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愛することで強くなる

愛することで強くなること 信じることで乗り切れること

君が残したモノは今も胸に ほら輝き失わずに

幸せに思う 巡り会えたこと オレの笑顔取り戻せたこと

 「ありがとう」あふれる気持ち抱き 進む道程

懐かしのORANGE RANGE、花、より。

 

自分の身体、愛してますか?

身体と出会いなおす。ということは、こんな感じです(^ ^)

 

 

 

 

 

 

Goose houseバージョン

LIFE IS COMING BACK!

オザケンこと小沢健二が19年ぶりにシングルを2/21発売ということです。なんと19年ぶり!埋もれていくアーチストが多い中、売れるとヒットを出し続けることを突きつけられて消えていくアーチストも多い中、この小出し小出しに生き続けている感じって、もしかしたら新しいかもしれない。これが本当のスローライフかもしれない、笑。19年経っても、生きている感じの曲を期待します。

オザケンのいいところは同じことを何度もやらないことです。世の中とかく、「なんとか2」とか、「新なんとか〜」とか、商業主義的二番煎じが多い中、全部1つづつ、1点もの。別の表現なところがアーチストだなと思います。

 

オザケンの曲、最近のSUZUKIラパンのCMで使われてたカバーで「LOVELY」をどうぞ!

 

変わって写真で着ているTシャツはなんと16年前のもの。当時キムタクが来ていたので人気が出たモダンアミューズメントのTシャツ。しばらく着てませんでしたが、着てみると型崩れしてないし、大丈夫そうです。いいものはいい。手入れがしてあるとまだまだ使えそうです。まだ生きてました、笑。

 

筋膜もちゃんと愛情を持って手入れをし、メンテナンスしながら使っていけば、体は違和感なく、楽に、自由に使えます。筋膜を整えておくと、筋肉も、靭帯も、骨格も、臓器も、脳にも好影響を与えます。なぜなら筋膜をはじめとする結合組織が身体中を繋いでいるからです。筋膜が元気=体が生きていることを感じれる!僕はそういう風に思います。

我々の寿命が長くなった今だからこそ、筋膜のお手入れ、メンテナンスお勧めします。

 

LIFE IS COMING BACK!!!

 

死なない子供

住むと身体の潜在能力が引き出され、人間は死ななくなるという極彩色の奇怪な建築物「三鷹天命反転住宅」。この建物を創り上げ、「人は死なない」と断言した男・荒川修作と、「死なない家」に住む人々の生命の記録を収めたドキュメンタリー。監督は自身も住人である山岡信貴、音楽は渋谷慶一郎、ナレーションは浅野忠信さん。

 

2005年に出現した極彩色の奇怪な建築物「三鷹天命反転住宅」。ここに住むと身体の潜在能力が引き出され、人間は死ななくなるという。この建物を創り上げた荒川修作という男の言葉から浮かび上がってくる、あらゆる知性が想像しえなかった衝撃の生命論が明らかにされています。

 

荒川さんが残した言葉で好きなのがこれです。

 

気配を構成しなおす。これはものすごく不思議なことだろう? 気配を構成しなおすって。何によって変えると思う。雰囲気によって変えるんだ。雰囲気は何によって変わると思う? 環境によって変わるんだ。そのすべては何によって変わると思う? 有機体によってかわるんだ。

 

さて、お粗末ながら僕も有機体を構成し直すセッションを、提供させて頂いています。環境との関係性、雰囲気や気配も変えていますね。

 

あ、僕も死なないつもりで生きています。子供ですから。 

 

 

君と一緒でなけりゃ

 

人間なんてみんなバカさ

で始まる曲はちょっとした衝撃。

歌詞をよくよく読んでみると、

 

ちょっとした文明批判。
ちょっとしたエコロジスト。

ちょっとした権力批判。

ちょっとした人間批判。

 

ダライ・ラマが言うように、

自己実現するような強大な自我は、もうこの星は求めてない。

人を癒す人、自然や環境を愛し、夢を語り、

自分の身の回りの人を愛し、

そして同じように世界中の人も愛するような人、

多くの人と協調して生きていく人

倫理的な勇気を持った人

 

そんな人をこの星は求めている。

そんな強大な権力もパワーも誰も求めていない。

 

 

人間なんてみんなバカさ

大地を征服したいだろう

人間なんてみんなバカさ

ルールを作ってみたいんだろう

歴史を変えてみたいんだろう

未来が来てもうれしくないのさ

君と一緒でなけりゃ 

一人じゃないから

 

 

自分の気持ち伝えていますか?

関係は永遠のものでも、記憶の中にあるものでもなくて、

今ここで、また作られていきます。

生きているというのはそんなLIVEなものです。

 

 

 

ずっと閉じ込めてた

胸の痛みを消してくれた

今 私が笑えるのは

一緒に泣いてくれたキミがいたから

   

一人じゃないから

私がキミを守るから

あなたの笑う顔が見たいと思うから

時がなだめてく

痛みと共に流れてく

日の光がやさしく照らしてくれる

 

 

 

 

いつだって仲直りできる

 

百万年に一度でなくたって、

相手の気持ちを理解できれば戦いは終わる。

戦う必要がなくなるから。

仲直りしてごらん。

自分の目に映る世界が変わるから。

大人になったら忘れてしまってるだけ。

子供時の記憶や気持ちって、いつまでも自分の中に残っているかもしれない。

 

 

 

 

GLIM SPANKYのライブに行った。古い時代のロックやブルースを基調にしているので、懐かしい気持ちで聴ける。そこにいまどきの感性の歌詞が乗っかってくる。アンコールの一曲目にかかったのが「大人になったら」。曲の歌詞にこんなフレーズがあり、心に残った。

 

 

『おはよう』なんて言う気分じゃないのさ、気が滅入る。

あぁ、ずっと子供でいたいよ。

  

そうは思っていても、すっかり大人になってしまったと。会社に行って、笑顔でおはようございます!と笑顔で振舞っている自分。子供が無愛想で挨拶しなければ、挨拶くらいしなさい!と小言を言ってみたりする自分。そしてそんな自分の方が普通に思っていたり。

 

猫被り、大人は知らないこの輝く世界がだんだん見えなくなっていくけど、いつか昔に強く思った憧れは決して消えない、消えやしない。

 

 

 

さて僕のクライアントさんでは多いですが、

セッションで感情が出てくる方がいます。

 例えばこんな感じです。

 

背中のセッション中に、突然、子供の頃の記憶がパーッっと蘇ってきたんです。私は幼少時にカナダに1年間いたんですけれども、そのときのオタワの川岸の芝生に座ってて、風がふわっときて、光がキラキラしていた、そのとき自分が感じていた、身体の感覚を思い出したんです。これはうまく言えませんが、目で見た記憶ではなくて、肌で感じた空間の記憶です。何年も思い出さなかったような記憶でした。同時に、好きだった曲も思い出しました。すごくびっくりして、たしかに記憶自体はあるけれど、感じてたことをダイレクトに思い出すことって、ふつうにはないことですよね。「感覚を思い出した」というのはすごくて、すごく興奮しました。つい、家に帰ってから小さいころの写真をひっぱりだしてきちゃいましたね。なんか「もう一度自分に出会い直す」そんな感覚が得られたと思います。

 

 

 

勝手気ままに生きてみるよ。

さてこの「25才」シリーズは、 少し恥ずかしいタイトルが続きます。

これは25才の頃に書いた「自分のルール100」というのが元になっています。 

あの頃はこういう感じだったんですねーんですね〜(^ ^)

 

音楽でごまかします。。。