歌詞を書き換える

カンペキな絵

2016年7月から毎日何か書いてみようと思いついてずっと書いてきました。

 

この7月の前の10週間は、ジュリア・キャメロンの「ずっとやりたかったことを、やりなさい。」を取り組んでいました(参照→ブログ)。モーニングページ。アーチストデート。を年甲斐もなく、素でやってました。アドバンストロルファーの研修を終え、足掛け3年に渡るロルファートレーニングに始まるり一連のロルファーへの道が、ひと段落した気がしたのです。

 

さて、思えば突然の出会いから「ロルフィング」に恋してしまった!ことに始まる僕が描いた絵のイメージ。それを体現して行く物語の歌詞を紡いでやってきた気がする。仕事や生活、起こってきた出来事をうまくコントロールしながら、フラフラとここまでやってきた糸がプツリと切れた。

 

それまで広告を作っていた人間が突然ボディーワークという別の世界に足を踏み入れ、しかも別の世界だけど歌詞も同じままで、まるで異国に来た少年のようにこの新しい世界で起こることにワクワクドキドキしながら過ごしてきた。

トレーニング途中に、東日本大震災で中断があったり、私生活で介護や臨終の場面も立ち会いながら。自分が違う絵を描き始めたのは、なんとなくわかっていたが、前と同じ歌詞で同じ歌を歌い続けていたことに気がついてなかった。無意識。

 

今にして思えば、僕のロルファーになるトレーニングの日々は、過酷な日々だった。そんなことに気がつかないのも不思議だけど、無意識で生きていたので無理をしていることなど自分ではわからない。朝から夕方までの授業、戻ってから深夜にかけての制作の仕事。そして合間の家族との時間、そして予想外だったのは、母、そして義理の母のダブルの介護や見舞いに翻弄されながら過ごしてきた時間。目の前のことをこなして動き続けていてたち止まり方を忘れていた。

 

アドバンスエントリーに必要な単位を取るためにワークショップに参加し、最短距離で単位を貯め、その一方で卒業と同時に始まった開業からのロルファー生活の日々。5年間、駆け足で取り組んできたことが、あのアドバンストトレーニングを終えた時に、ふーって力が抜けてしまった。ホッとしてしまった。

 

自分の中でやりきった。当面の目標にしていたことが終了した、数年前に心の中に描いたロルファーになる!という絵、その絵を書き上げて、歌を歌いながらカンペキだ!と思った瞬間。僕のいうカンペキは、ロルファーなることよりも、その後の展開含めて、仕事をうまくこなしていくことでまあ60%くらいうまく行かせることか。家族もいるし、その必要があった。そして家族や仕事やその他の現実と折り合いをつけながら、ほころびを残しながら。本当はもう少し楽しみながらやればよかったんだろう、でもあまりにやることがたくさん有り過ぎて自分のペースとか忘れてた。

だからカンペキならぬ、カンペキな絵に似た、そんなだったのかも知れません。

我ら、時を行く

オザケンの「我ら、時 」は、 2014年3月19日に発売された。

その中の何曲かの歌詞が書き換えられていた。いちど作られた歌詞を書き換える!そんなことがあっていいのだろうか。びっくりした。でも書き換えられた歌詞は、その時の感覚ではぴったっと来るのだった。いやー歌詞って書き換えてもいいんだなと。ライブ版であったし、「今ここ」でやるライブのために、歌詞を書き換える芸当をしでかしたオザケンやっぱりartistだなと。オザケンって同じ表現は一度づつしかしない。売れようが売れまいが一回一回をその時の自分自身を表現をしていく。

 

そう、我らは、止まった存在でなく、時を行くのである。今に合わせて歌詞を書き換えていい存在、我らは、「今ここ」に生きているのだ。

 

さて奇しくもこの時の僕は、病院にいることができず、入院施設を探すために姉と首都圏の老人施設を巡っていた時である。母は心を患っていた。母の意識は、「今ここ」にいれなくて、どこか他の世界に行っていた。無意識の中をうろうろしていて出て来れなくなっていた。

 

そんな母の「今ここ」にある身体の置き場を探して、姉と二人、我らは奔走していた。その時に日本の老人介護施設の現実を思い知った。回れど回れど母を安心して任せられそうな場所に出会えなかった。「時」というのは、その人固有のものである。決して時計のようには過ぎていかない。その人の「時」は、その人のもので、出会うには私が、その人の「時」に出会って行かないと出会えない。母の変調は、少し前から始まっていたのだと思う。しかし誰も気がつかなかった。母の「時」に誰もついて行けてなかった。母に誰も出会えなくなっていた。

我ら、時を行く。

 

 

いつも自分の側の視点しかないと、母に出会うことすら出来なくなる。深夜、誰とも出会えなくなって1人うずくまっていた母を抱きしめて一晩明かした日のことを思い出します。普通でなくなることを目の前で感じたそんなどうしようもない状況は、それまでの僕は経験したことがなかった。その時、人は何をするのか。東日本大震災後の余震の中、今という「時」を失ってしまった母。そしてその状況に何も出来なくて、抱きしめることしか出来なかった自分。ボディワーカーとして、自分の在り方に少し気がつき始めた経験だった。

我ら、時を行く。

 

母、そしてその後に起こった義理の母の癌の発覚と突然の死という出来事は、ずっと走り続けてきた僕の心にブレーキをかけた。ブレーキがかかり足元がキーキー言いながら火花が散っていた。しかし止まれない。だいたい日本の男は自分にブレーキが付いていることなど知らない人が多い。僕もその例に漏れず、走り続けた。開業当初のなれなかったセラピストとしての自分は、まだ止まるわけにはいかなったのだろう。ギーギー言わせながらも自分を前に進めていった。自分の歌を歌いながら、自分の書いた歌詞を歌いながら。

そして歌詞を書き換えるなんてことは、僕は知らなかったのだ。

新しい自分に気づく

さて、僕にようやく止まったのは、自らが描いたカンペキな絵に似た達成感を感じた時だった。自分で決めた信念体系。さすが無意識、ちゃんと実現するものだ。

でも気がつけば足は傷だかけ、胸から傷だらけ。痛い。痛かった。本当に胸が痛かった。そして自分の外に出てしまってた自分に気づくことになる。

 

それは2016年2月、それはトレーング中に起きた。時間がゆっくりと動き出し、それまでやってきたことが走馬灯のように流れ出した。そしてその直後に頭が真っ白になり、現実感を失い、浦島太郎のように。自分に気がつくことってなんて難しいことなんだろう。案外自分のことなんて本人が一番わかってないのかもしれない。世界が壊れて宇宙に飛び出した。

 

知らない人もいるかもしれないけど、この宇宙には、色々な存在がいて、ちゃんと生きているとサポートしてくれるようですね。それも知らなかった。

黒い象のような存在が現れて、「お前だけでいきてるんじゃないよ」と脅し、僕を停止させた。このオザケンのジャケットのようなウサギは、僕の視覚を魅了して目を休ませた。

 

それからというもの僕は書くことを続けている。書くことにより、少しづつ自分が見えて来る。自分が整ってくる。整ってくるには新しい方向性が必要なのである。歌詞を書き換えることは困難も伴うけれど、不安定になるのだけれども、時に、想定外のことも起こったりして、危機には違いないけれど、それを乗り越えた時には、また一つ違う自分を手にしていることに気がつく。前の自分とは少し違う新しい自分であることに気がつく。

 

 

さて自分の体験を踏まえて、ロルファーとしてロルフィングを提供することには違いないのだけど、ちょっと違うものも提供したくなった。体ってそれだけ多次元的で心とも繋がってるものだと思った。人間の気づきって、体以外にも色々あるなと思う。

(ちなみにアドバンスの資格は、10シリーズ以外に新しいセッション作り出していい資格だということです。僕がとりあえずの目標にこれを定めていたのが少し分かった気がしました。

シンクして、苦しみながらもがく。

さて何か現実感のなさから、間違いに気がついた僕が、もがきながら歌詞を書き換えて飛び出してきた新しい自分は、2016年8月に始まったと思っています。こんなことを書き残しています。

 

EXPERIENCING AND EXPRESSING - THE ART AND CREATIVITY OF YOUR LIFE - 

 

ロルフィングで実現するのは、身体統合です。しかし今、人間に必要とされているのは身体だけではありません。地球規模で起こっている統合への動きは、これから個人の生活や経済のみならず集団や企業の在り方、コミュニティ、国家や世界の在り方まで大きく変容していくでしょう。今後もボディワーカーとして、セッション提供を続けていくこと深めていくことを続けますが、からだや心や在り方の気づきの機会、ひとりひとりの生き方やライフスタイルに対する提案、研究、そして環境作りにも取り組んで行きたいとを思います。  

   

さて自身にシンクして無意識に出てきて出会った自分自身が今であると思う。まだ止まらない我の記憶を残しながら歌詞を少し書き換えて、僕はまた別の絵を描き始めているようです。

我なのか、いや、我ら、なのか。そして書き換えた歌詞で自分らしさという同じ歌を歌っていくようだ。 

我ら、時を行く。

LIFE IS COMING BACK!

 

人間の体には人間がつけた名前、細かい部分はたくさんあるのですが、あまりに細かく対処していくよりも、からだ全体を捉えて、気がついたことを少しだけ介入し、後は体と対話しながら体の持つ調整力と重力と環境との調和に任せた方がうまくいく場合もある。

体は頭で考えてるような風なカンペキではなくて、開くこと、繋がることで、自分らしくいれるように作られているのです。体の声を聞く。そんな愛に包まれた有機体であることに気がつくこと、手放すことが、体が一番楽である状態であるような気がします。からだ、そしてこころは変えることが出来ます。

 

統合という体が変わる妙技に恋してしまった僕は、人生の歌詞を書き換えたり、痛い目にあいながらも、これからも魔法使いを続けていくようです。恋は盲目、まだ恋しているのかも知れません。

 

さてオザケンは今年(2017年2月)久しぶりに曲を発表しました。「流動体について」。作る作品が全て1点もの、オリジナル。時代を駆け抜けて突然いなくなった彼が、平行する宇宙の僕はどこらへんで暮らしているのかな。と嘯くように、自分の可能性と選択を、自由に感じて生きていたいものです。世界どころか、宇宙まで作り出していい。そんな権利を私たち一人一人が与えられているのです。

 

LIFE  IS COMING BACK 僕も流動体、流れるように、新しい宇宙を作り出していきたいと思います。

 

 我が体と共に。我、時を行く。

 

長くなりましたので今日の物語りはこのあたりで終えようと思います。

校正もせずだらだら書いているのでこの文章は全然カンペキではないです、笑。

 

その後の物語もいつか書いてみたいと、今思いました。

最後まで読んでいただいてありがとうございます。