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知覚の降り立つ身体

こんにちは。

 

自粛期間どのようにお過ごしでしょうか。いつもと違う生活をするということに違和感を感じられている方もいるかもしれませんが、こういう時は、色々な意味でチャンスでもあります。

 

 

普段、感じることが出来ないことが感じられます。違和感とて、決して悪いことではありません。何か違う、変だな、ということを感じとると、それを意識し、違和感を無くそうと、身体的に思うものです。特に今回は、ライフスタイルに対する制限でしたので、ライフスタイルに関して、何か思うことがあったように思います。

 

自粛期間になって、僕が聞いた話ですと、「電車乗りたくない」とか、「ライブに行きたい」とかありました。「zoom飲みは楽しいけど疲れる」とか、「子供と一緒の時間が長いのは、キツい」とか。「サブスクで映画を見まくって、時間を費やしている」とか、「家族が戻ってきて楽しいけど、疲れる」とか。たくさんの気づきの話を聞きます。日常と違う状況に置かれ、感じていること、気が付いたことは、意識的に何がが目覚め、無意識的になっていたことを、少しだけでも自覚し、その後の生活や仕事に、少し反映されていくことになると思います。

 

 

アーティスト、荒川修作は、難解な言葉、意味深な言葉を、たくさん残してくれました。

 

 

「五感なんてくだらない。ぼくたちにはナンバーのあるだけ感覚があるんだ。」

 

 

「観察なんて時代は終わったんだ。 構築するんだ。」

 

 

「人間の頭の内側とその人の存在する環境は等しい。」

 

 

「意識とは「躊躇」の別名。」

 

 

荒川さんの残したその言葉は、現実感がなかった人でも、今なら少し感じれるような時なのかも知れません。

 

 

ボディワーカーにとって、無意識の知覚に触れる言葉でもあります。

ロルフィングのセッションをした後に、これらの言葉を目を閉じて深い意識で感じていると、

ふと、言わんとしていることがふと知覚に降りてきます。

それはなかなか説明の難しいことです。しかし確かに今ここで、この身体に降り立っているのです。