心と体のセッション

私はロルファーになり、10シリーズという少し深い関係性のセッションを行うようになりました。

 

色々と試行錯誤しながらセッションを続けてきた中で、身体的な症状や動きのパターンや癖などは、心理的な影響や、関係性の影響も大きいという思いに至り、この2年ほど、精神分析的な勉強や、発達心理学、関係性について勉強してきました。

 

その前のロルファーになるトレーニングでも、バウンダリー、転移、逆転移、セラピティックリレーションシップについて等、関係性について学ぶが、もう少し深い部分で、人間理解を修し、セッションの質的な向上を図りたいと思ってきました。

 

人間は体だけで生きている訳でもなく、体と心、その双方の関わりや統合、健全性を持って、健康となっていくのだと思うからです。具体的には、10シリーズにおけるセッション10の在り方。つまりシリーズのゴール設定における幅の広さや、ロルフィングという秀でた統合技法を、もっと広い層に受けて貰いたいという思いがあったからです。

 

ロルフィングは、単に腰痛や肩こりを解消するだけでなく、身体の全体性を体現する統合技法であり、身体、精神、心、など、存在としての自分を統合方向に向かわせるきっかけとなります。自分の方向性や進路、人生を考え直す転機や中年期の精神的な不安定さなどを考える良いきっかけとなるものだと思います。ユングのいう「人生の正午」や、うつ状態が長く続く際などは、体からの統合は大きな助けになる、そう僕は確信しています。

 

日本人は、自分で考えて自分を前に進めていくことが多いが、アメリカでは、自分のカウンセラーがいて、カウンセラーと共に、メンタルの自己管理をしています。自分のことは自分で全てわかっているように感じますが、自分のことは自分で全て把握するのは難しい。カウンセリングは、自分のマインドを共感してもらう為にカウンセリングに通う。決して病的になってから通うものではないです。いい状態を続けていく為の心のメンテナンスと言えます。

 

アメリカ生まれのロルフィングは、身体的なカウンセリングみたいなものだと思います。自分の体で感じた体のニュートラルや楽な感じは、アメリカ人のように全て言語化された自我でなく、存在が言語化されてない日本人こそ、相応しいカウンセリング的な時間になる要素があると思います。

 

自分に感じる違和感。自分ではわからない漠然とした恐怖。体で感じる自己理解。自分の体の声を聞くセッションという時間は、あなたの人生を切り開いてくれる稀有な時間となり得ると思います。

自分の顔

 

 

大勢の中に入ると途端に失っていく自分の顔

場の空気や、無意識の雰囲気が顔を失わせる

 

誰がの意見や空気感に従うよりも

時に自分の意見を出してみる

 

自分の感覚、自分の考え、自分自身を

少しづつ育てていく

 

そんなことを続けていると

自分の顔になっていく

 

顔がある人同士が繋がるのが

成熟した個人と組織

 

ひとりひとりが主人公の新しい繋がり

多様性の社会へ向けて

 

未来の子供たちのために

今できること 今気づくこと

 

 

 

 

 

国が考える2030年の社会イメージ

http://www.mlit.go.jp/kokudokeikaku/futurevision/index.html 

 

 

 

※リボーンフェスティバルで見たパルコキノシタさんの作品

 http://www.reborn-art-fes.jp/artists/parco-kinoshita/

 

 

紅葉

こんにちは。紅葉シーズン、そして気候的にも歩くのが気持ち良い季節になりました。先週、紅葉が色付き始めた山梨の山を歩いたのですが、代官山でも色づき始めました。蔦屋Tsiteへ行く道でも小さな紅葉がちらほら見かけました。ちなみに代官山でしたら紅葉の穴場は朝倉家住宅です。

 

 

さて、紅葉の中、どんぐりもたくさん落ちています。よくよく見ると一種類でなくて、色々な種類のどんぐりがありますね。どんぐりは食べれるんです。実は栄養豊富で、縄文時代には欠かせない主食だったそうです。

 

 

最近は、有害物質を体から排出してくれるデトックス効果も注目されているそうです。どんぐりの『アコニック酸』という成分は、体内に蓄積された重金属などの有害物質の浄化・排出を促すデトックス効果があるといわれています。 と言ってもどんぐりにはアク(タンニンやサポニンの渋み成分)があり、多くの場合アク抜きしないと食べられません。含まれる量は種類によって違い、マテバシイやスダジイなどの「椎の実」なら、アクが少ないのでそのままでも食べられるそうです。潰してクッキーみたいにしていたそうです。

 

我々の社会は地球を削り取りながら発展していますが、どの方向へ進んでいるのかちょっと不安になります。便利に、物質的に豊かにはなっていますが、生きやすくなっているのか、幸せになっているのか、疑問が残ります。ロルファー的な発想で言えば、あるものを活かす。改善を喜びに生き、完璧を求めずに多少の不便を楽しむ。生活の中で、過ぎているものを元に戻す。出来ることから、少し意識を緩めて、緩んでいけると、いいなと思います。どんぐり拾って食べていれば我々も1万2000年続くかもしれませんね。未来に希望があるような無いような少し違和感が残る2017年です。僕の体には、自然からのメッセージがビシバシと届いています。体の声、内側からの声が届いています。

 

さて最近、新しい学説が出ました。縄文時代前期には小豆や大豆の栽培が始まり、晩期には粟・黍・稲がすでに伝来していた可能性が高いという説がだされました。(小畑弘己・熊本大教授)今まで稲作定住は弥生と習って来ましたが、教科書が変わるかもしれませんね。(縄文・弥生の生活は、この曲がわかりやすいので、貼り付けておきます。)

 

さて紅葉シーズンは短いです。日本人は、古来、季節とともに「今ここ」を大切に生きて来ました。縄文時代のように、どんぐりの拾いながら、紅葉の「今ここ」を共に楽しみましょう。

体と意識のネットワーク

今朝起きる時ベッドでもぞもぞしていて、右を向いた瞬間に、頭蓋骨に響く音が聞こえた。自分の中に響くことで何かしらの変化が自分の体の中で起こった気がした。

 

びっくりして体を起こした。意識はしっかりしている。そうして首を動かした瞬間、首の置き位置、首を支える台座の状態の違いに気がついた。AO関節が解放されている。頭蓋のサポートが増えていた。直感的に理解したのは環椎がシフトである。動かしてみると新しいスペースが生まれていて首の可動域が広がり、動きも滑らかだ。新しい角度で頭蓋を動かせることを確認、AO関節が自分の力で、ニュートラルなポジションにシフトしたのを実感したことを一人感動!

 

ロルフィングを受けると、体は変化し始める。 10シリーズ中もそうだし、10シリージを終わっても半年くらいかけて変化し続ける。その後も意識を持って過ごしたり、またメンテナンスやアドバンスなど別のシリーズを受けると、体はさらに統合していく。今回のAO関節はロルフィングを最初受けてから10年たって動いたことになる。

 

アドバンストトレーニングの時にペアを組んだのが藤本靖氏。彼からセッションを受けた時に指摘されたのが「テツさん、何かバーストラウマがあるかもね。でもどんな人でもあることだから、そんなに心配しなくていいと思うし、ロルファーやっていればいつか何かシフトするかもしない」ば生まれてくる際、産道を抜けてくる時に何かしらの困難があって生じたズレが何かあるのかもしれないと。こうして今日起こったことから逆算して考えると、もしかするとあの時の藤本氏の指摘は的を得ていたかも知れません。本当のことは神のみぞ知る。

 

環椎C1番、頭蓋骨が乗っかっている骨で、この下のC2番軸椎と合わせてAO関節といい、構造的にも、機能的にも、そして精神・生物学的にも重要な場所である。ギリシア神話で天空を支えたという巨人アトラスに由来する。巨躯を以て知られ、両腕と頭で天の蒼穹を支えるとされる。名前は「支える者」・「耐える者」・「歯向かう者」を意味する古印欧語に由来する。

 

 

環椎はふつう3つの骨化中心から骨化が行われる。そのうち左右の外側塊の骨化中心は、胎生7週ごろに現れ、後方に発達する。ここからできた骨は出生時にはまだ軟骨をはさんで隔たっており、癒合していない。生後3歳から4歳にかけて、直接あるいは中間にある軟骨が骨化して癒合する。前弓もまた出生時には軟骨のままである。生後1年目の終わりごろに骨化中心が現れ、6歳から8歳にかけて外側塊と癒合する。

 

もしバーストラウマがあって、成長年齢の時に発達が停止して、発達障害が起きていた。そんな読み解きも出来る。だとしたら、今回の骨の動きで、その年齢で止まっていた発達障害が動き出し成長を開始したことになる。

今後の全身、及び、生活への波及を楽しみにしたい。

 

海から陸に上がった我々脊椎動物の体には、水分が多い、ざっと2/3が水である。普段は身体の法則で動いているのだけど、水の中の水分は独自のネットワークがあって、実に不思議なことだけど、ある種の働きかけをすると体の中の水分ネットワークと出会える。そういうみずみずしい体の状態なら一箇所に落ちた水の雫は全身に、行動に波及していくのだ。

 

統合というのは、筋骨格系の統合もあるが、この水を介したネットワークのボディへ体現していくという統合もある。なぜ水を介したネットワークがあるのかというと、我々生命が、元々海からやってきたからだ。その痕跡は脳の構造にも残っている。つまり両生類、初期哺乳類、動物、そして人間と全てのボディを追体験しながら今の意識+体に至っているのが我々である。以前バックミンスターフラーを紹介した際に書いたが、体というのは、テンション(張力)によるボディがある(テンセグリティ構造・骨と筋肉とそれを支える筋膜のネットワーク)と、今日話した水分のプレッシャー(圧力)によるボディがメインでできていて、恒常性を保っている。

 

前者は主にロルフィングで、後者は主にクラニオセイクラルで統合していく。(まだまだ他にもあるがこの2つがボディワークの範囲だと思っている。これ以外、例えば心の領域である。想念やイメージ、心そのものなど、言語と身体性の感情へのエネルギーワーク。また霊性、関係性、全体性のワークなど、色々ある。人間は多次元的な存在なので実に奥が深い。

 

さて以前紹介したキャロル・ライトバーガーの感情地図で見てみると、この部分は、「死に対する恐れ、喜びの欠如」とあった。万人に存在する恐れの大きな一つである。人間存在の根源的なブロックの一つ。そこが構造的に動いて、新しい動きを始めたということはここ数年の自分に起きてきたことからしても、納得がいくことである。

 

新しい空間を認識するということは、それだけイメージ力が広がると言うことである。身体の場合は空間認識だろうし、心の場合は、言語的なコンテンツからコンテクストへの展開が心を広げていく。つまり顕在的な心は言語から作られている。

そして言語を超えた空間的な広がりは、無意識的な広がりの中に生まれてくる。それは五感的な広がり、そして五感の下にある原触覚感覚の繋がりまで広がっていく。そういう意味では脳化していく人間の知覚は、時代とともに劣化の方向で進んでいる。

 

さて、意識的なコンテクストで広げてみると、デイビッド・R・ホーキンズの「真実と主観性・私」を読み返してみた。左脳的に捉えた意識の覚醒の良書である。(下記参照)意識にとって、生存のエネルギーはサタンのエネルギー。霊性が高まっていくと、意識の覚醒に置いて「私」が最後に出会うエネルギーであると書いてある。生きるか死ぬか。自分を明渡せるか。確かに人間にとって根源的なテーマである。

 

 

 

とりとめのない文章になってしまったが、体と意識の可能性を示す事例だと思うので以上書き出してみた。今日の話の発展系はまた書いてみたいと思う。fight-or-flight-or-freeze response(戦うか逃げるか反応)、トラウマ、真の健康な心身、脳の仕組みと身体的な統合、意識の統合、心理学的なアプローチ含めた非常に広いテーマの示唆が含まれる体験だと思う。

 

体と心、そして意識と想像力と言語と夢は、無意識下では繋がっていて、どれだけ統合していくか、或いはこの無意識の繋がりは、どこかでユングやシュタイナーやグルジェフたちが言ってきた修行的な意識と体のトレーニング、集合的無意識、変性意識状態や、原型(シャドウやアニマ、アニムス)、神的コンテクスト、アカシックレコード、前世、エーテルボディ、アストラルボディ、あの世、輪廻、魂、カルマなどに繋がっていて、人間性の本質が見えてくるものだろうし、いずれ人が「私」個人という統合、そして「私」の範囲を超えて、「私たち」として統合していけるかということにも繋がってくる気もする。体というのは本当に奥が深い。

 

<わたし> ―真実と主観性

キネシオロジーを使って人間の意識レベルを測定してきた著者が、自らの「悟り」の体験を踏まえ、「悟り」や宗教性、スピリチュアルの真実を明るみに出す。

 

著者について

◆著者略歴:デヴィッド・R・ホーキンズ

ホーキンズ博士は、精神科医として1952年より活躍。

アメリカ精神医学会(APA)およびその他多くの専門家組織の終身会員。

米国聖公会およびカトリックの司教管区、修道院、修道会、禅寺院のコンサルタントを務めている。

人類に対する貢献が認められ、1077年に創始されたエルサレムのヨハネ騎士団の団員となり、この儀式がデンマークのバルデマル皇太子が司宰となり、1995年にサンアンセルモ神学校で執り行われた。

全米テレビへの出演は、The McNeil/Leher News Hour、The Barbara Walters Show、The Today Show、科学ドキュメント番組、他多数。

 

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

ホーキンズ,デヴィッド・R.

幼少の頃に覚醒体験をし、その後も覚醒体験を深めていった。精神科医としても実績を積み、多くの患者を助けた。キネシオロジーテストによって意識の分野を測定できることを見出し、世界的な評価を得る 

 

立花/ありみ

サンフランシスコ州立大学卒業。東京福祉大学大学院臨床心理学専攻博士課程前期在学中。渡米中に衝撃的な霊的体験をして以来、アジアの聖地の放浪を経て、霊的浄化の道を歩いている。現在、ホライズン・スピリチュアル・ケア研究所にて國枝欣一氏に師事しながら、看護学校生や援助職従事者、一般参加者を対象とした「スピリチュアル・ケア」や「人間関係論」「自己成長」のワークショップでファシリテータを務める。

旅は道連れ

オーガスタス・エッグ作「旅の道連れ」
オーガスタス・エッグ作「旅の道連れ」

 

僕らが旅に出る理由があるのか、ないのか分からないけど。

 

旅の途中で出会ったものは何か理由があると思う。

 

出会う人とは、何か縁があると思う。

 

そうやって僕らは、無意識に導かれて、次へと向かう。

 

人生が展開していかない人は、旅に出るといいと思う。

 

理由があろうがなかろうが。

 

 

 

リアルな世界を取り戻す

今、ここを生きる。よく言われる言葉です。わかっているようで、わかってない言葉だと思います。或いは分かっていても体現できていなかったり、分かっていると思い込んでいることだと思います。

 

現代社会は、人を今に生きさせない方向へ向けがちですし、自分でも、過去のイメージや感じ方の中で、現実を捉えようとします。今、ここで起こっていることをリアルに感じようとする感性が鈍くなっている。そんな風にも思います。


踊る大捜査線風にいうと、「室井さん!事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ!!」っていう感じですかね。自分の現場にいないとなかなか生きている感じはしなくなってきます。現代社会とは会議室にいて、自分がすることを管理しているような感じです、脳研究の養老孟司さん風にいうと、「現代社会は脳化社会だ」そんな風に感じます。

 

脳が会議室。体が現場。そんな感じで考えると分かりやすいですね。

 

 

現場にもう1度出てみたい人、そんな風に思った時は、体の声を聞く。自分の原点に出会うようなこととても大切なことだと思います。身体感覚を取り戻す。自分の本来の呼吸。自分本来の身体感覚を取り戻す。そんなセッションです。

 

あ、思い出しましたが、制作者時代、CM撮影で、織田さん一度ご一緒したことありましたね。

 

自分という映画を見ている

 

人は、自分という映画の主人公をしています。ハラハラ、ワクワク、ドキドキして、その映画を見ています。

 

もしあまりに辛くなったら、映画館から出てもいい。あなたには歩いて映画館から出るとも出来る。ということをまず知っていた方がいいと思います。

 

見る映画は自由なのだけど、自分で見たい映画を見てなくて辛くなる人も多いと思います。もしかしたら身体症状になって痛みや違和感として出ているかもしれません。或いは自分の心や体の声に耳を貸さずに、映画の中の物語の中であなたは頑張っているかもしれません。

 

頑張ることはいいことですが、もし身体症状になっていたら、あなたの心と体は、信号を送っています。現状から変わりたいという信号です。

 

変わるとはどういうことか、変わったことのない人には、なかなかわからないものです。外の変化に対応することには日本人は比較的慣れています。でも中の変化に気がつくこと、対応することには慣れてません。

 

最近の言葉でいうとレジリエンスが言われる通り、打たれ弱い心、傷つきやすい心が増えています。共感されたり、癒しを求めたりするのは悪いことではないけれど、繰り返しになってしまうことが多いと思います。

 

レジリエンスの力を高めて行くこと。これも大事ですが、もう1つ、自分を突き詰めていくこと、自分を全部理解していくことも同様に大事だと思います。自分の行なっている膨大な無意識なこと、見なかったことにぜずに、自分を全部気付いて行くことは、自分を自然状態、ニュートラルに戻す最短の方法だと思います。

自分をニュートラルにすると生きやすいし、楽だし、自由になっていきます。

 

多分その2つの方法の接点が、あなたにとっての、「今ここ」に生きているグランディングポイント(着地点)だと思います。その上で自分が見たい映画を見に行けば良いのだと思います。自分の気持ちと自分の立ち位置、目で見える現実が一致している、その楽しさを是非感じて欲しいと思います。

あなたの人生の主人公は、他の誰でもなく、あたな自身です。

 

不思議大好き

 

思えば僕が広告業界を志したのは、西武百貨店「不思議、大好き。」という広告の驚きでした。糸井重里さんが作った有名なコピーです。コピーライターブームなるものが起こり、僕も宣伝会議のコピーライター講座に通いました。このキャッチコピーで確か100万とか、数百万とか言われてました。

 

その後、広告業界を目指し、広告代理店時代、広報マン時代、広告制作者時代を経てロルファーになりました。自分の中の割合だとまだ半分くらいは広告の血が流れているかもしれません、笑。

広告のクリエイティブは、アートや創作表現と違って全力でクリエイティブというよりは、世の中の人が少し見えてない無意識を少しだけ表出させてり、新しい組み合わせを生み出して意味付け・付加価値付けしていきます。すごく新しくなくてもよく、その人にとって、受け取れる少し前に進めることを表現していきます。

 

セッションの感想を見ていると、僕のセッションは、もしかしたら、まだ広告を作っている無意識が入っているようにも感じます。その辺りが僕のセッションの個性になっているようにも感じます。(参照・感想)ロルフィングのセッションはロルファーによってかなり違うものかもしれません。

 

体の中、意識の中は、かなり不思議です。その不思議さを知るも良し、知らぬもどちらでも良しなのですが、同じアホなら知らないと損、損と、踊り惚けている方が、きっと人生面白いような気がします。


僕自身がそうだったのですが、ロルフィングは、別に体に支障がなくても十分楽しいです(^-^)不思議です。面白いとか、不思議とか好きな方なら大歓迎です。僕も未だ不思議大好きです。

マインドフルネス

マインドフルネス瞑想、流行っていますね。ブログでも何度か取り上げたことがあります。 僕のセッションでもたまにマインドフルネス瞑想を利用することがあります。

 

マインドフルネスとは、簡単にいうと、今というとき瞬間に目覚めている力です。その今と共にある時に流れるエネルギー状態です。毎日の生活の一瞬一瞬に生きていることに深く触れ続けることのように思います。

 

マインドがフルであることは、あなたが今ここにしっかりと生きることであり、あなたのまわりの人たちや身の回りで起きていることと一つになることです。

 

特別なことをすることでなくて、日常生活、例えばお皿を洗っているときも、散歩で歩いている時も、入浴時ににバスタブに入る時もいつでも心と体をひとつに調和させ、行為行動と一体になるような状態です。 座禅している時だけではなく一日のあらゆる場面でも実践は続けることができると思います。

 

我々の頭は絶えず、色々なことを考え続けます。自分でないことで頭のことがいっぱいになり、時に精神的なバランスを崩すことがあります。そんな時に、少し大きなスタンスでマインドをオープンにして、瞑想したり、行動することは、頭のリセット効果が大きいです。脳内の血流や情報の流れも変わり、気持ちがリフレッシュされます。

 

これとは別に日本には古来、座禅というスタイルもありますね。どちらも同じようなものですが、マインドフルネスの方が、イメージや主体性が使われるので意識のリセット効果が高いような気がします。座禅の方は、身体性を固定して、投げ出していく、感じることも放っておく、手放していくスタイルで、無になっていく感じですね。

 

参考までにいうと、いわゆるグルジェフワークでも、「今ここ」に、臨在していく手法として、この二つを紹介しています。なので人間の精神においてはこの二つが、意識的な覚醒の道の王道なんだろうと思っています、

多分僕のするセッションでも、この二つの方法論をとってセッションをしている時があります。

 

 

ロルフィングの場合は、リフレッシュやリセットを目的としていませんので、これ以外のアプローチをしています。
それはロルフィングがずっと続けていく習慣的なボディワークということよりも、10回のセッションシリーズとして、身体を統合させていくものだからだと思います。ロルフィングは自然に整うのを見守るだけでなく、ロルファーによる身体統合という意図を伴うものである。ということをお伝えしておきます。

 

メッセージを受け取る

メッセージは、スマホやテレビ、友達や、家族からだけ受け取るものではありません。私たちはそれになかなか気がつきませんが、自分の中からも絶えず届いています。

 

メッセージに気がつくには、今の世の中は少し騒がしすぎますね。そして情報が多すぎて、私たちの頭が忙しすぎますね。私たちの知覚は自分の外のことにばかり意識を使ってしまっています。

 

心や体からのメッセージは、方向性を指し示してくれています。メッセージのうちあるものは、気持ちよさ、心地よさ、或いは違和感や痛みなどが届いてきます。

 

それは体を通じてあなたに届くメッセージです。体からのメッセージはあなたを次に連れて行ってくれるそんなメッセージです。静かな心になって、自分と繋がる時間を過ごしての声に耳を傾けてみましょう。

 

 

「目に映る全てのものはメッセージ」、そうユーミンは昔歌っていました。けど、目に映るためには、感じることが必要なのです。知覚が伴わないと、自分の目には映りません。目の前を通り過ぎていきます。

 

分からないから探し始めます。ずっと外の世界を探し歩きます。見つからなくて、わからなくて、少しづつ自分の外のものと繋がります。痛くないものと繋がります。安心できるものに思いを掛けます。

 

そして何かに依存するようになります。そして言葉に依存するようになります。そのうちに依存していることさえ、忘れてしまうのです。

 

あなたにとって大切なことは、あなたにとって本当のことは、言葉では書いてないのです。そして誰も教えてくれないのです。あなたにとって本当のことは、あなたしか知らないのです。 

 

あなたの手にしている美しい花束を見にいきましょう。

パタゴニアの氷河

氷河が人工的な風景のように見えますが、これは自然の意匠による自然の姿です。南米パタゴニアの氷河です。(下の写真は、氷河とMt フィッツ・ロイです。)自然と書くのが不自然な位の大自然です。人為の入ってない自然、表情が豊かですね。

 

今日はグレートジャーニー、旅の実践者、関野吉晴氏のイベントに参加してきました。日本では感じられない大きな力強い自然と、そこに生きる人々の暮らしと生き様を見せつけられました。それにしても関野さん、あの時代にあれだけの旅をこなし、プロデュースしてきた強者、今の時代に同じような人を見つけるのが難しいくらい、只者ではありませんでした。

 

人間も自然の方が表情が豊かなのです。ロルフィング第7セッションでは、鎖骨から上、首、頭を扱います。顎関節、首の深層筋、表情筋や頭蓋を構成する骨や神経、知覚、含めて歪みやズレをニュートラルにしていきます。自然な方へシフトしていき、顔の表情も豊かになります。

 

顎関節の可動域や歪みが自然になり、目や耳の高さや、顔のパーツの関係性のニュートラルが図られます。音がよく聞こえるようになる。そんなことをいう人も多いです。それはニュートラルになってみないと感じられない知覚なのでしょう。

 

人工空間で暮らす我々には、自然を感じる機会そのものが、あまり感じられない中での生活を過ごし、知覚的に、非自然になってきました。

 

大自然は、そこに行った人。その場に立った人。それを享受した人だけが知ることが出来る贅沢な時間と空間の場であるように思いました。

モザイクな存在

 

思えば人間というのは、決して一つの単独のシステムでなく、複合的、モザイクな存在だと思います。人間の視点では、自分として独立存在としていますが、アングルを変えて行くと別の私たちが見えてきます。

 

わかりやすく菌の話に例えますが、例えば常在菌は、皮膚や消化管など体外と通じている器官に存在し、病原菌の侵入を防いだり、 消化を助けるなど人体にとって大事な役を担っています。

 

人と微生物との関係は出生から少しづつ整えられていきます。子供はまず産道で母親の常在菌と出会い、続いて空気や食べ物、周囲の人との接触などを通じて多くの微生物と接していきます。

 

それら微生物と人体が、戦ったり譲ったりの駆け引きを経て、定着した一部の微生物が常在菌になっていきます。常在菌の数や構成する種類は成長につれて安定していき、人と微生物が共に生きる一つの生物集合体ができあがります。菌以外にも我々は、体というアングルから見ると、実に様々なコミュニケーションを外部としていて我々は有機体そのものです。

 

有機体である私たちが環境とどういうコミュニケーションをしているかは、まだまだ解明されてない部分が大きく未知のことも多いのですが、ウイルスの一部は、宇宙からやってきているという説もあります。

 

話が広がりましたが、知覚できない無意識レベルの様々なネットワークというものが我々の知覚の外、盲点的な情報として我々と共に存在しています。そして有機体としての範囲を纏めている集合体としてのイメージ?のようなものが、何層のレイヤーが我々の体にはあるような気がします。あなたが少し自分を緩める方へシフトするだけでも、いつもと違う自分のレイヤーや意識に出会えます。

 

 

ローズクオーツ

 

ローズクオーツを頂きました。

ローズクオーツは、その名の通り淡いバラ色、ピンク色の水晶で、愛と美の女神、「アフロディーテ」にささげられた石とされ、古代ローマやエジプトでは、この石は美しさの秘薬とされていました。また繊細さを表わす石で、繊細さ、優しい心をもつ人を支えてくれる石としても有名です。

 

ローズクォーツは、内分泌系の働きを活発にし、みずみずしい若さと健康を保つ効果もあると言われます。肌のハリをもたらし、シワを減らす効果があったという声もあります。女性は特に、気持ちが上向きになることで、女性ホルモンの分泌が良くなり、お肌の若返りやアンチエイジングにつながることがよくあります。心が身体に影響を与えるんですね。本質的に幸せになるエネルギーを循環させるパワーストーンと言えます。

 

思えば、一昨年、友人の付き合いで行ったミネラルショーに行った際、なんと石を触れるごとに石のパワーを感じ、石から出るエネルギーのテイストがわかる様になってしまいました。ストーンから出てくるエネルギーの方向性とか広がりとか形状、硬さ、柔らかさなどが分かり、お店の人に驚かれたのを思い出します。アドバンストレーニングを受けたあと、感覚的に繊細になり、触る能力が高まり、動物とか鉱物とかとも少しコミュニケーションが取れる様になってしまった時がありました。今は少し落ち着いて来ましたが、人間の潜在能力というのは、底知れないものがあるのだとその時思いました。

 

 

さてミネラルショーでは、その少し前にヒーラーの方に勧められたルビーを買いました。忙しい時やハードなセッションをしたあと、自分の状態が乱れたり、自分の状態をニュートラルに戻す時とかに、このルビーをころころさせながら触っています。

 

ルビーは、情熱の石だそうで、彼によると、ハートを開いた情熱がある状態が僕のニュートラルだそうです、笑。人それぞれにニュートラルの状態があると思いますので、もし自分に合うストーンが欲しい時は、専門家の方に見てもらう方がいいと思います。なおルビーには、能動的な態度や夢を実現させるだけの勇気や自信、また、舞台の中心に立てるだけのスター性を高めるパワーがあるそうです。

 

 さて、ミネラルショーは全国各地で開催されています。東京だと12月にサンシャインで開かれます。参考まで→ミネラルショー

 

さて誰から頂いたのかというと、ロルフィングの有名な教師・ソマティックイクスピリエンスの講師であり、心理学の大学教授であり、アートストでもあるPedro Prado氏。多彩なタレントを持ち、全体性のある素晴らしい方でした。

 

近年増えている心理系のクライアントに関してのボディワーカーとしての在り方、アメリカやブラジルの様子や、精神病理、トラウマ、関係療法、心理療法としてのボディワークの可能性などホリスティックなアプローチについて意見を交換させて貰いました。今取り組んでいる方法論が正しい方向で扱えていることを確信致しました。貴重な夜でした。

 

生きる

 

生きているということ

いま生きているということ

それはのどがかわくということ

木もれ陽がまぶしいということ

ふっと或るメロディを思い出すということ

くしゃみすること

あなたと手をつなぐこと

 

生きているということ

いま生きているということ

それはミニスカート

それはプラネタリウム

それはヨハン・シュトラウス

それはピカソ

それはアルプス

すべての美しいものに出会うということ

そして

かくされた悪を注意深くこばむこと

 

生きているということ

いま生きているということ

泣けるということ

笑えるということ

怒れるということ

自由ということ

 

生きているということ

いま生きているということ

いま遠くで犬が吠えるということ

いま地球が廻っているということ

いまどこかで産声があがるということ

いまどこかで兵士が傷つくということ

いまぶらんこがゆれているということ

いまいまが過ぎてゆくこと

 

生きているということ

いま生きているということ

鳥ははばたくということ

海はとどろくということ

かたつむりははうということ

人は愛するということ

あなたの手のぬくみ

いのちということ

 

 

生きる

谷川俊太郎