まずはセルフヘルプから

自分のケアを自分でやる。自分で自分を整えていくことをセルフヘルプと言います。そうした自助努力も最大限に行いながら、自分の健康を守っていきたいという方も増えてきました。

 

健康のエキスパート達と対話しながら、健康(という範囲)を維持していくことは、ハードに生きるビジネスワーカーや、クリエイターには必要なことですが、自分側に基本的な基準がないとエキスパートとの対話もお任せになりがちです。

 

健康診断の数値には現れないちょっとしたこと、例えば、顔色や、体やメンタルのアンバランス、また対話における普段との変調など、自分での気づき、他者の、目、対話、ボディワークにて、メンテナンスしていくらライフスタイルを選ばれる方も増えてきました。諸外国ではこうしたサポートシステムやサービスも普及していますが、日本では成熟社会を迎え、これから増えていくと思われます。

 

セルフヘルプという発想に基づいたセルフコントロール力のリソースをご提供しています。そして不調にはリリースや、ディスチャージを通じたホメオスタシスの回復を最大限活用した健康管理、それが人生百年時代の健康だと思っています。会社や家庭でのパートナーや医療的な処置では気がつかない部分で、あなたの動的な健康をサポートしています。

 

 

未来

未来が見える。というと、びっくりするかも知れないですが、セッションを通じて僕の話すことは、未来を見通していることがあるそうです(→感想

 

他人に見てもらわなくても自分で自分の未来を見通せている時は、あるものです。僕にもそんな時が何度かありました。娘が誕生した時とか、起業する少し前とか、ロルフィングを受けた時とか。時間の流れが変わって、今と未来がフォログラフィックに映像化されてみえました。まさにビジョンです。

 

「えっ、そんなの無いよ」という人は、想像すると、何か別のものに夢中になっていたり、意識が分散していて、前を通っても気がつかなかったり、ビジョンのスピードが遅過ぎて、早すぎるあなたの意識には気がつきにくかったり。

世の中は、楽しそうなものたくさんありますし、また見た目良さげなものに、心奪われてしまい、自分のビジョンに繋がりそうな大切なものと出会うのを忘れてしまっているだけかも知れません。あと人間関係に巻き込まれていてそのコントロールドラマの中のマトリックスを生きていたり。

 

レオナルドダヴィンチの言う通り、幸運の女神は、気が付いた時に、パッと前髪を掴むのが良さそうです。(女神って言葉の中ではなくて本当に人生に現れるんですよ!)そしてすごく自分に集中している時は、ビジョンと共にあり、その人は、未来永劫と共にあると思います。

 

さて、体には今まで経験してきたこと、過去が書かれていて、セッションをしていて、ちょっと気が付いたことをボソッと僕がいうと、ハッとする人が多いです。僕は特に意図もなく、体に現れているパターンを説明している時でも、当人にとっては、何か、忘れていたことを気づいたりするようです。そうですね、体は、あなたがしてきたことをずっと一緒に経験してきたわけですから、あなたの生き証人です。体は嘘つけません。そういうボディリーディングの断片情報や、その方の何気なく話されることを、統合的に繋げていくと、占いのようなことになっている場合もあるのでしょうね。ということで、過去は身体から、未来はブロックの向こう側のイメージから見ていきます。

 

自分にニュートラルでいるのは、半分、体に意識、半分今目の前にあるもの。意識としては、半眼の瞑想状態のような意識が、自分自身が一番見えている状態と言えるのかも知れません。ボディワーク的にいうと、座禅でいう半眼でもいいですし、周辺視野的な視線を取り入れてもいいです。どちらでもいいので眠らない方で。(眠ってしまうとそれは何かに夢中になっているのと同じく夢の中です。この視覚的なニュアンスでいう中心だけにならず周縁という境界線にも立っていることが大事です。)

 

 

時に自分で無くなっても、自分になり過ぎても、ちゃんと戻ってこれる場所、自分の家、自分のポジションがあるかないかで、安心感とか安定感は変わってこれるものです。体のニュートラルポジションを大切にしてください。車でもニュートラルというギアポジションがありますものね。ニュートラルがどこだかわからなくなったら、それは大変なことになってしまいます。現実を見る目も変わってくる気がします。

 

 

 

 

 

甘酒

 

セッションがたくさん重なったり、ちょっと疲れた時、出張や旅行帰りの夜、主に夏の時期の疲労感が溜まった時にどうしているかというと、僕は、甘酒を飲みます。

 

甘酒は、飲む点滴とも言われ、 酵素がお米を分解してできる成分に点滴と同じ成分のブドウ糖、ビタミンB群やミネラル、アミノ酸等が豊富に含まれています。夏バテ予防にもいいですね。腸内細菌も作られやすくなります。

 

僕は、疲労感のある時など、夜、風呂入る前に飲んでます。豆乳と同量で混ぜてコップ一杯程度。カロリーは高いので飲みすぎに注意。凍らせてアイスでもいけます。

本当は作った方がいいらしいのですが、買うなら、これが絶品です。色々と飲んできたけど一番美味しいです。アルコール分も入ってませんので妊婦さん、お子さんも大丈夫。

自分にトキメキ

新しい動きを手に入れるために、

今に必要ないもの、古い癖、習慣、人間関係を手放していきましょう。

 

KonMariがいうその基準は、「ときめくか」「ときめかないか」。

 

自分の中も同じです。自分の中のトキメキを中心にして、ときめかない、自分の体、動き、ライフスタイルなど、手放していきましょう。積み上げてきた自分を手放すのは、なかなか難しいものですが、自分の心の声に従っていれば大丈夫です。

 

 

新しい自分は、トキメキ身体から生まれてきます。

 

伝える勇気

 

 

今まではベットで寝るにしても、仰向けは背骨が痛い、横向きはめまいがする、うつぶせはあばら骨が痛いしもともと息苦しいのにもっと苦しくなる、ふくらはぎがつる、伸びをすれば体のどこかがつる、など、体中が痛い、苦しい、辛い状況だったのです。こうした状況がロルフィングによって無くなり、普通に寝られるようになりました。息も意識せずに普通に呼吸できるようになりました。

 

私の場合、元がひどすぎたので、普通の方からすると、おおげさに聞こえてしまうかもしれません。(多分普通に近づけたんだと思います。)その位、悪い状態から脱出できた気がしています。(→全文

 

 

(ロルファーコメント)

他人には、なかなか分かってもらえない痛みや違和感が少しでも楽になればと思うけど、この違和感を伝える事さえ出来ない辛さを持った方はたくさんいらっしゃると思います。普通の人には分からない普通でない苦しみは、他人にはなかなか理解して貰えません。そして薬でもなかなか違和感は無くなりません。ホリスティックな手法で、体全部を感じていく中に、気がつくと感じなくなっている違和感に気がつく嬉しさや喜びは、何者にも代え難いものだと思います。体と共に心が蘇ってくる、そんなケースも多いですし、それとは別の自分の気づきが必要な場合もあります。違和感は、プロセスを踏んで改善していくという説明をしっかりと聞いて、それぞれのセッションに臨んで貰えたことも改善に繋がったような気がします。(改善がうまく進まない方で多いのが、自分のペースで、見切りや結論を急いでしまう方のような気がします。)。体には体のペースがあります。頭で考えているペースでは進まないことも多いです。ボディワークに可能性を感じたら、まず10シリーズを受けてみることが、最善だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

知覚のタイプ

ロルフィングのセッションは、施術によるワークの他、動きのエクササイズ、知覚のトレーニングなど行っていきます。

 

知覚って、どんなものかというと、色々あるのですが、一般的にはいわゆる五感が有名です。(触覚、味覚、視覚、聴覚、味覚)

人間の知覚の仕方にはタイプがあり、主に「視覚優位」「聴覚優位」「体感覚優位」の3タイプの人がいると言われます。知覚のタイプの違いにより、認識も違うので、世界観が全然違う場合もあります。人間関係での好き嫌い、合う合わないにも影響がありそうですね。

 

 

セッションでもちょっと応用していて、タイプ別にセッションを変えています。と言ってもロルフィングは全体性のセッションですので、得意の知覚を引き出しながら、不得意な知覚も使うように引き出しながら、最終的には、色々な知覚が使えることに気づいて貰うことが多いですが、知覚の個性は多種多様で本当に人それぞれです。自分と違う知覚タイプの人とどうやって関係性を作るのか。今後国際化が進み、多種多様な人が自分の近くを通り過ぎていきます。その人々と出会うか、出会わないか。知覚の可能性を開くことは、ダイバーシティ化していく現実で、他者理解していく為には必要な視点だと思います。言葉にはなってないことがたくさんありますので本を読んでも分かりません。

 

 

現実の中で使ってない知覚は段々と感じなくなり、次第にそんな知覚があったこともわすれてしまったりします。汎用型の生物である人間は、そうして、環境に適応しながら自分を変えていけるように作られています。体には可変的な可塑性があるのです。可塑性を伴った汎用生物というのが身体的な人間の基本的な在り方ですが、可塑性は少しづつ失い、次第にスペシャリスト的な存在になっていくのでしょう。

 

 

 

統合的なセッション。ニュートラルになるというのが、いまいち分かりにくい方は、身体の可塑性があることを身体的に取り戻し、身体的な可能性を探ってみる機会。そんな風に説明すると分かりやすいでしょうか。

 

もしかしたら、昔感じていた懐かしい知覚や、自分がまだ見ぬ、潜在的な新しい知覚に、目覚めるかも知れません。知覚の獲得は、新しい世界観や能力に繋がります。身体的には、自分単独で何が出来るのか、自分という範囲を再確認するなど、少し面白い体験が出来るボディワークです。

 

人生に飽きてきた頃や、小確幸にも飽きてきた人にもお勧めしたいと思います。人間は元々汎用型であったこと、可塑性が使えることを思い出す体験です。

 

上記のタイプそれぞれの特徴はこちらがまとまってますので、気になる人はチェックしてみてください。

https://matome.naver.jp/odai/2139668693836031101

 

 

 

フラットな体

ニュートラルな体という言い方をしばらくしてきましたが、

ロルファーになって最初の頃は、フラットな体という言い方もしていたことを思い出しました。

 

フラットという言葉の意味は、

 

1 平らであること。起伏がないこと。また、そのさま。平坦 (へいたん) 。

2 競走・競泳などで、記録に秒以下の端数がなくきっかりなこと。

3 音楽で、ある音を半音低くする記号。

 

という三つの意味があります。

 

10シリーズの感想でも、

 

とげとげしかった身体感覚が、丸く、まっすぐになった気がする。

きっちりと自分の体になった気がする。ジャスト感覚。

頑張りすぎていた自分が、落ち着いた。楽になった。力が抜けた。

 

というのは、結構多い感想です。

半音下げると楽になる、というのがちょっとしたミソです。

 

 

 

さて、こんな感じで10シリーズでは

活性化していく人。

ニュートラルになる人。

フラットになる人。

などいますが、皆、その人ごとの知覚の違いです。

 

 

10シリーズの感想がどうして色々な方向性があるのか、ちょっと考えてみました。 

それは、多分、身体が一元的なものでなくて、少なくとも3つのベクトルを持った有機体であるからだと思います。

 

 

少なくとも3つと書いたのは、僕もまた10シリーズでは3つ以上を意識してセッションもしていますね。

すぐに気が付かなくてもいいし、何年かしてふと気が付いてくれてもいい、

身体や意識での展開は、瞬間的にくるのでなく、馴染んていく中で、時間差でやってくることも多いです。

 

 

セッションが終わった時に、全部が意識が捉えているようなことは考えてません。

全ての知覚は時間に追いかけられてはいませんね。

いつかどこかで、その人の中で、出会っていけばいいものだと思います。

 

これは、昔クライアントだった、ある学校の先生から学びました。

教えることは、先生たちの方が一枚上手だなと、その時思いました。

 

セッションは、教えられることも多いです。

僕の人生の学びと気づきはまだまだ続きます。

フラットな体、フラットな心で、フラットに生きていきたい、と思います。

 

 

 

俺はいなくなるのか!

 

 人格(パーソナリティ)。人格を元に現実社会は成り立っています。ですから人格が1つであることを前提にした社会や制度そして個人です。現実の中で個人が拡がり、いくつもの役割を引き受けるようになり、窮屈な現実に体が違和感を覚える人が増えています。価値が緩くなった為に、様々な気づきが生まれやすくなっています。



 

このパーソナリティというのは、色々な意味があります。

1独立した個人としてのその人の人間性。その人固有の、人間としてのありかた。

2すぐれた人間性。また、人間性がすぐれていること。「能力・人格ともに備わった人物」

3 心理学で、個人に独自の行動傾向をあらわす統一的全体。性格とほぼ同義だが、知能的面を含んだ広義の概念。

4 倫理学で、自律的行為の主体として、自由意志を持った個人。

5 法律上の行為をなす主体。権利を有し、義務を負う資格のある者。権利能力。

 

かなり矛盾している言葉でもあります。

固有性、人間性、全体性、自律的な主体というニュアンス違うが曖昧にされているので、あまり明確に突き詰めていくと、自分を育ててきた自我は悩んでいきます。個人と組織、家族、社会を考えていくにあたり、この辺りのメンタリティのあり様と、それを投影した現実社会でのあり様との不一致が、自己同一性を求めていく心理的な葛藤として、心や体に影響を与えている、そんな風にも思います。 

 

 多様化していく社会に、関係性を悩む個人が増えていくのは、成熟化していく社会として必要な段階だと思いますが、個性の逃避行と、過度な受容による主体性を飲み込むブラックホール的な存在から、いかに救出していくか。身体に乗る意識という聖火リレーをいかに繋げていくか。影と共にたまりに飛び込むのか、或いはこの世界を再構築するのか。俺、或いは、Weへの決着は、一人一人の身体の中で、時空を超えて起こっているのだと思います。  

 

 

少し余談です。様々なパーソナリティ障害がありますが、これは誰もがある個性の傾向が少し行き過ぎた時に現れる傾向くらいに考えるのがいいように思います。(日本語の人格障害っていう言葉は意味が強過ぎます。)特別病的なものを除き、少し気が付いたことを修正してもいいし、個性として生かしてもいいし、言葉にやられてしまって、孤立してしまう状況も多々ありますが、気づきと表現の喜びの中に、自分を生かしていくのがよいと考えています。ですので「俺」は決していなくならず、「自分」を主体性の役割を担って欲しいと思います。きっとWeが俺の帰還を待っていますよ。

 

 

なお、僕がブログで取り上げる話のなかで、一般的な方には少し難解な話も有りますが、全てセッション中に対話で起こった現実のリアルな物語です。ニュースでも情報番組でもなく、映画におけるドキュメンタリーと同じような視点、生音の音楽のような響きと、手を繋ぐ確かな手触りを大切に扱っていきたいと思います。人間の固有性とは本来そういうものですね。

 

言葉や記憶のせいで葛藤している世界中の「俺」と「We」達の、リソースやサポートになりますように。今世で地球での経験を終え、次は宇宙へ戻る予定の魂の人、そんな人は大歓迎です。身体経験から統合し次のステージへと自分を進めていきましょう。

Cammon! 

 

      

教えて、おじいさん

大人も読める児童文学というのに興味があります。これから少子高齢化していく中、平均年齢は毎年上がり、商品や制度、常識が段々と大人向けに整備されてきています。大人達も昔子供だったはずなのに、子供心忘れ、不寛容な社会になりつつある場面も多くなってきているそんな気がします。子供心は、遠い昔に忘れ去られようとしています。色々な世代間の対話が必要です。

 

児童文学は、そんな子供心を思い出させていくれるそんなものの1つだと思います。子供の頃読んだ人は懐かしさを、そして、また違う味わいを、初めて読む人は、新しい感動を呼び起こすでしょう。

 

そして、成長の過程で、その時その時の出会ってきた心、成長をやめてしまって置き忘れてきてしまった心、に再開したり、刺激を受けて、成長を始めるかもしれません。言葉が心を開いていくことがあるのだと思います。

 

各地で読書会が開かれています。子供向けとバカにせず、一度足を運んでみては如何でしょうか。世の中の不思議を伝えてくれる機会になるかも知れません。実は僕も読書会にたまに足を運びます。違う世代の方、違う価値観の方々との語らいが楽しみです。また取り上げられる作品が魅力的で、一粒で2度美味しい感じです。また近いうち伺いますね、教えて、Y先生。

 

さて、Eテレの100分で名著で先月は「アルプスの少女ハイジ」を取り上げていました。アニメ作品で有名ですが、アニメを超える深い洞察や叡智に溢れる作品であることを伝えてくれるのと同時に、美しい自然描写や壊れた家族で、心痛めたもの同士が作る新しい関係性や人間の成長とは何かを考えさせられる番組でした。作品もまた時間が出来た時に読んでみたいと思います。

 

ハイジは色々な人に自分で関わり、人の心を開いていきます。関係性を忖度せず新しい関係性へ変容させていきます。おじいさんもハイジにより深く閉じた心を開き、そして、開いた心は、また親友と呼べる人に出会う、原作にはそういう場面もあるそうです。教えて、おじいさん、病んだ心は蘇ることが出来るのです。そして大自然の中におじいさんがいることが、大都会に出たハイジや、都市にすむ他の人々の心を救っていくのです。

 

「アルプスの少女ハイジ」は、スイスの作家ヨハンナ・シュピリの児童文学作品。1880年から1881年に執筆されました。原題は『Heidis Lehr- und Wanderjahre』(ハイジの修行時代と遍歴時代)及び『Heidi kann brauchen, was es gelernt hat』(ハイジは習ったことを使うことができる)。物語はドイツの文豪ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』及び『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』からその着想を採られた成長小説で、キリスト教信仰に基づく描写が多く見られます。ドイツ語圏スイスのデルフリ村、そして大都会フランクフルトでの生活が舞台となっています。

 

修行、遍歴、そして活かす(生かす)。人生は、段階を経て変容して成長していけるものです。それぞれの段階を完了させ、次の自分へと再構築していく。(ロルフィングと同じくプロセスを踏んで次の段階へいくという人間性に基づいた進み方です)自己変容は、人生百年時代の在り方への示唆が沢山含まれてそうです。

 

2015年に実写映画にもなってます。日本語吹き替え予告を紹介します。ハイジの声は花澤香菜さん。おじいさんは、波平役でおなじみの茶風鈴さん、クララ役には早見沙織さんと豪華な布陣です。

女の子が変身する時代

 

変身モノのテレビ番組で育ったせいか、危機の時、変身するのが当たり前に思っていましたが、平成時代は、平静であれば、変身することが望まれない、そんな社会だったかも知れません。

令和になりました。あなたに危機はやってきていますか。もし何かしら、危機にいるのだとしたら、「自分」は変身することが望まれているのかもしれません。

 

さてウルトラマンにしても、仮面ライダーにしても、変身するのは男のヒーローでしたが、セーラームーンあたりから変身するのは、女の子が主流になり、スーパーヒーローは男から女の子の時代にすっかりなりました。(セーラームーン以前にも、古くはキューティハニーとかありますがあれは多分男の子向けの気がします)そう、女の子も変身するのが当たり前の時代が予告されていたのです。

 

 

こうしたアニメや特撮の番組は、単純にテレビ番組ではありますが、子供の頃に見ますので、意外に無意識に入っています。そして、ずっと大人になった後も、その人に影響を与えていたりします、無意識に。そして意識が深くなっていくと、そのコントロールドラマに気がつくことがあります。もちろん、普段は表層意識で生きていますから、そのドラマは現れませんが、危機になったり、状況設定が揃いますと、無意識から飛びでして来ることがあります。目に入るものというのは、印象やイメージを無意識に焼き込んでいくのですね。

 

 

身体や意識の奥の方には、表層意識が知らない小さい声の自分がたくさんいそうです。無意識の自分って奥深いですねー。抑圧の大きい人ほど深層は賑やかです。時間の止まった世界は、年齢が増えるにつれて賑やかです。お祭りのような人もいます! 自分に近いところだけでも少しでも整理すると自己コントロール能力が上がり、生きやすくなっていきます。固めや葛藤を減らし自分らしさに気がついていきましょう、それは身体でもそうだし、心(マインド)でも関係性でも一緒です。

 

都市生活と家庭生活に違和感、感じてませんか

セーラームーン世代の皆々様も、そろそろ変身の時かも知れません。あなたが変わればあなたの周りの人、みんなが変わる。

女の子と書きましたが、女の子マインドです。女性性を投影する時代になったと言えます。男性も内なる女性性に気がつく新たなる自分が生まれてくるかもしれません。自分は1つでなくて、構成を少し変えていくことだって出来るのがマインドの面白いところです。

 

 

 

 

夏本番

こんにちは。昨日辺りから夏本番のようで、熱帯夜も始まりました。いかがお過ごしでしょうか。熱帯夜の翌朝、脱水症状で熱中症になる方もいらっしゃると聞きます。体調を崩すよりは、我慢し過ぎず、早めのエアコンで凌ぎましょう。

 

自宅からサロンまでは歩いて20分程なのですが、アップヒルの通勤路、この20分で汗ばみます。サロンに着いてから、着替えて、ケアしてから、お客様を迎えます。この時期は仕方ないないですね。

 

運動量が足りない日は夜に歩くようにしています。昼と違う顔の街の風景、以外に新しい発見があります。いつもと違う顔って大切ですね。日によっては朝散歩に、こちらは元気なご老人、犬を連れたウォーカー、太極拳をされる方、様々な違う顔に出会います。今朝は、久しぶりに懐かしい顔に出会い、挨拶をしました。これまた違う顔ですね。

 

 

 

時に、自分の住む街の違う顔に、出会ってみては如何でしょうか。ルーチンになりがちなライフスタイル、違うことをすると、身体的にも刺激になっていい感じだと思います。

 

たかがウォーキングですが、頑張り過ぎず「ゆるウォーキング」をお勧めします。

どうも日本人の無意識に、ハマり症、完璧主義が、まだまだ、はびこっています。

丁度いい範囲、ほどほどに収まることが、人生百年時代には必要なのかもしれません。

健康とは、いい、悪いでなく、凄い、駄目ではなくて、範囲にあることを言います。

 

身体、そして自分の無意識と出会う

うまく使えてないから痛みや痺れがあり、それを固定化する繋がりがあり、いずれそれを癖とし、自分のものとして、それを自分としていきます。

 

まずは姿勢とか基本動作で生まれたゆがみやズレをニュートラルにして、楽で自由な身体になりましょうというのが、10シリーズという基本コースです。

 

色々な対処療法を試してきた方でも、力が入っている部分を手放し、リラックスした体勢を、自分の基本スタンスとして持つ、信じられる自分の基本として持つだけでも、色々なバランスが変わってきます。

 

構造、機能、知覚、エネルギー、精神的な葛藤や流れが変わると、生きやすい現実と繋がっていこうとする自分の中の健全性(過度なポジティブだけなく、固定的なパッシブ(受動的、関係性)だけでもなく、現実に即した自分を表現していく健康力)を引き出していきます。

さらに、身体の深い部分、マインド、関係性など様々なテーマで行うセッションシリーズで、自分らしさを見出していきましょう。

 

変化の激しい時代、身体的な葛藤も、身体固有のものだけでなく、見られ方、魅せ方、在り方など、違和感や不安は多岐に広がっています。まずは身体統合から自分を見つめ直してみましょう。

 

 

 

身体とか世界とか

国家間の政治的な葛藤がニュースで飛び交っています。言葉だけをみていると、少し風が強くなってきた気がします。

国際政治とボディワークで何が関係あるのか不思議に思う方もいらっしゃるかと思いますが、人間がやること、構造的には似た状況が現れます。

 

たとえば、体の内、外感覚と似てます。自分の中の説明、口に出して外にする説明は、国内向けの説明、対外的な説明に似ています。矛盾が多ければ葛藤します。自分の内側で葛藤を減らしたいので誰かのせいにして、内部での葛藤を無くすというのは、政治の世界で、困ったら外国のせいにして国内を安定させることに似ています。

 

多少の葛藤の中、開かれ、そして安定を保ちながら、国として前に進んでいけている状態というのがロルフィング的な、活性化されたニュートラルな健康的国家です。国境線を守ることを意識して武力を誇示するなど。国家を個人としてみた場合、精神分析的な解釈やボディワーク的な視点から見ると、実に色々なことが見えてきます。

 

 

考えてみると我々という意識は、そうですね、さしづめマスコミみたいな感じですかねー。言語化した大義名分みたいなものでしょうかね。マスコミ支配の時代が終わりに向かい、メディアの分散し、多極化した双方向のメディアの時代になり、社会は変わり始めました。複合的なメディア環境になったからこその誤解や視点の違いが勘違いや思い込みを増長しているような気もします。

 

行く先は、混乱しカオスに向かっているようにも思えるし、整った世界に向かっているようにも思えます。自分という意識が試されているのは、社会や国家でもそうだし、都市、企業、家族というまとまりでも、そして我々一人一人にも、突きつけられていることだと思います。世の中はあちこちで再構築中です。

 

変革に自らが参加してもいいし、参加しないのであれば、せめて自分という単位での統合をし、関係性をニュートラルにし、体と心の距離を近くし自分自身としてニュートラルでありたいと思います。意見のぶつかり合いや葛藤、小さな小競り合いは、まだしばらく続いていく感じでしょうか、ボディワーカーの皮膚感には風向きの変化や、風の強さの騒がさしさを感じています。

 

暫くは、流動体で、しなやかに。体の中は、穏やかな水圧の流れとテンセグリーの張力で構成されるシステムそのものであればいいのだとボディワーカーは思います。しっかりとした自分の呼吸をして、私、あるいはWeの物語が続いていくのだと思います。