いい状態を身体に染み込ませてもらいました。

10シリーズを受けることで、生活は楽になりました。今まではある部分が疲れていたり、痛かったりしても、それに順応する形で生活していました。それはそれ でも生きていけるけれど、それがつらくなって、縁があってここに来たんだと思うし、いい状態を身体に染み込ませてもらいました。 この「ああ、これだと楽なんだ!」という感覚、身体同士が協力し合って楽になっているのを生活の中で忘れないように振り返りながら、活かしていきたいですね。(→全文

 

 

 

(ロルファーコメント)

「楽」という感覚には何種類かありますが、身体を使う楽や自由を全部使えてない方が多いです。理屈や説明での納得出なくて、身体が変わるという経験は、心・メンタリティへの影響も大きいのです。

過ぎ去っていくものもありますが、経験したことは自分のツールとして、その後もあなたの中に残り、あなたの姿勢や行動、そして人生をサポートしてくれると思います。ホメオスタシスを活性化する、体を全部使う時に見えていくる世界で十分にあなたを活躍させてください。

身体で体感しないと分からないことは世の中に多いですね。旅行もそうですが、情報として知るのと、行ってみて初めてわかる素晴らしさ、は違います。「ああ、来て良かったな」と、何度思ったことでしょう。限られた人生の時間を有意義にしていくためにも、心と身体は協力していく方が、人生のクオリティも上がっていくでしょう。

当面のセッションに関して

緊急事態宣言が出ております。

 

 

 

新型コロナウイルスに関する緊急事態宣言を受け、

5月6日まで基本休業させていただいております。

 

なお、お問い合わせ、5月6日以降のご予約、緊急のご連絡はこちらまでお願いします。

 

社会状況は変化しております、国や都から要請に即し活動しています。お問い合わせください。

共感覚

共感覚という言葉をきいたことありますか。人には色々な感覚がありますが、本来分けられている感覚の間の感覚を共感覚といいます。(感覚という言葉は広い意味ですので、能力的なニュアンスに変換すると感性という感じでしょうか。感性間知覚という感じでしょうか。間の感覚です。)

ロルフィングのセッションを提供していると、共感覚をお持ちの方にたくさん出会います。あるいはシリーズを通じて共感覚が発露してくる(無意識にあった共感覚的な知覚に気づいていく。)時があります。実に様々な共感覚があります。

具体的にどんなものかというと、例えば、文字や数に色が見えるとか、人をみると色つきで見えるとか、誰かの触感覚を自分触れてる感覚と感じるとか、ある色を見ると味覚となって甘かったり辛かったりする知覚が生じたり、数字を見ると手触り的な触覚につながったり、音を聴くと色を感じるとか、実に様々です。ノイズなのか、小さい声なのか、意識(自分)は葛藤します。


多分そういう感覚は皆あったけど、成長の過程で五感に統合されてしまうだけなのかも知れません。僕にもある気がします。感性は、個性に発達さててもいいし、脳や神経の障害になっていた場合、気づきにより統合されていく場合もあります。このあたりの自分の個性をどう活用していくか、人生の醍醐味、神性、人間の深い部分に触れていくことになる経験ですね。また現場に違和感を感じている方場合、次の展開への自然な突破口となる可能性があります。


標準化された知覚、感性。その裏にある新しいあなただけの感覚。自分にまつわるサスペンスドラマのようと表現した方もいましたね。もちろん共感覚を引き出すワークではありません。体をニュートラルに、統合していくうちに、今まで声を出さなかった自分の下絵に繋がる感性が発露していくる場合もあるという感じです。そうした経験が元になって、自分らしくなっていくことを実感していくということになります。

 

眠り姫

五感の世界で生きていると、人生長くなると、飽きてきて、どうも眠くなります。そして「自分」の近くの中に眠ってしまうような状況もあります。

人間性の感覚とは、主に五感。五感を全て使っていれば、それだけでも素晴らしいことです。

 

 

都市生活、情報生活は知覚を狭めて、視聴覚のみになること多いし、さらに言語の中、映像の中のバーチャルに住んでしまっている人も多いのではないでしょうか。本質的な人間性の意味からすると、寝てしまっているという感じでしょうか。

 

どんな人が眠ってしまうのかというと、ルーチンワークとか、ルーチンな人間関係の中とか、安心安全の中に、自動運転されていく感じだと思います。まだ寝てから日が浅いと、こういう話を聞いて、ハッと、思い当たる人もいますが、熟睡してしまって何年も経過しているとなかなか起きてくるのは難しいことでしょう。

 

都市生活は自動運転環境にすっかりと住んでしまっているような気がします。特に近年ネット環境が24時間体制に私たちを促します。神経や精神がオーバールローしてきている方も多く見受けられます。特に情報系のお仕事されている方、自律神経系が不安定です。

 

24時間忙しく過ごしていると、色々なことが反射的になって、身体は動いているのに、寝ているような状態で運ばれていることに我々は気が付けません。特に幸せを感じてしまったり、目的を実現してしまうと、脳は自動運転モードに入ります。飛行機のパイロットと一緒です。安定飛行に入ったら、自動運転モードに入るわけです。

 

 

山とか海とか、神社とか洞窟とか、パワースポットとか、日常生活にとって異界のような場所が流行っていますが、それは自動運転されたような情報環境、仕事、生活からのエスケープなんでしょうかね。でも一番近い異界は、実は自分の身体、そして無意識の中にもある感じです。様々な動き、そして過去の魂は、比較的近い自分の無意識の連なりの中にあります。

 

身体性と出会うということは、ちょっと前の自分に出会うような感じで、自分に深化していくものでもありますね。

 

 

歩くことは勇気の表明、 そして不安な心をなぐさめる癒しだった。

 

自粛生活が続きます。

 

体を動かさなくなりがちで、お正月のような過ごし方の方も多いのではないでしょうかね。YouTubeに、ストレッチやヨガの簡単に出来る動画、色々ありますので、そんなものをやってみるのもいいでしょうし、ローラーとかチューブとか簡単なもの購入してもいいでしょう。こんな時期ですので初めてチャレンジ!でもせっかくの機会なので、如何でしょうかね。

オンラインシステムを利用した教室も色々あります。数百人で同時に行っているヨガとかもあります。

 

 

歩くことは、現段階では自粛されていませんので、お天気が良い日などは、お散歩とかも気持ちいいと思います。いつも向かう方向(例えば駅)と違う方向へ歩いていくと何か発見があるかも知れません。僕もいつもと違う方向へ向け歩いてます。

 

さて

昔のクライアントから、「最近、歩くことが気持ちいい。」そんな連絡を貰いました。

「よく歩いているよ」というメールもいただきました。

ロルファーになって8年、色々なセッションを行いました。歩けなくなってしまった御老人、杖なしで歩けるようになって貰ったシリーズ。膝に水が溜まるらなくなったシリーズ。歩くために体で出来ることを探す、そんなトライアルだったシリーズを思い出します。

 

一般に歩くことは、あまりに当たり前過ぎて、意識したり、感じたり、考えたりしたことない人が多いでしょう。しかし、歩けるか、歩けないか、ということで、人間は多大な影響を受けます。発想や考え方、人生も変わってきます。一時期、歩けなくなって車椅子に乗った母を押して病院へ通った日々を思い出します。(今は復活し、かなり歩けるようになりました。再び歩くようになってからの方が、考え方や発想も、いい感じですね。)何歳になっても人は変われる可能性があります。体が、そして気持ちが再び歩き出すことへのチャレンジをサポートしていきたいと思います。

 

歩くことはいつだって決然とした勇気の表明であり、 不安な心をなぐさめる癒しだった。

時に心理的な葛藤や、身体的な不調和など歩いているだけで治ってしまう。

街中でもいいが、木々の中、自然の中など歩けるならな良し、歩くだけ健康法となる。

また歩く行為は、脳の中、体の中で程よくシェイクされて、アイデアやひらめきが出てくる。

古来、歩く中でどれだけの発見がなされただろう。

 

そんな知恵をこの本から学びました。

 

歩きながら『人間不平等起源論』を書いたルソー。

被害妄想になりながらも街歩きだけはやめないキェルケゴール。

病と闘う知人のためにミュンヘンからパリまで歩き通したヘルツォーク。

ロマン主義的な山歩きの始祖・ワーズワース。

釈放されるとその足でベリー摘みに向かったソロー。

インク瓶付きの杖を持っていたトマス・ホッブス。

ラッセルの部屋を動物園の虎のように歩くウィトゲンシュタイン。

刑務所のなかで空想の世界旅行をした建築家アルベルト・シュペーア。

ヒロインに決然とひとり歩きさせたジェーン・オースティン。

その小説同様に大都市ロンドン中を歩きまわったディケンズ。

故郷ベルリンを描きながらも筆はいつもパリへとさまようベンヤミン。

パリを歩くことをエロチックな体験とみなしたレチフ・ド・ラ・ブルトンヌ。

歩行を芸術にしたアーティスト、リチャード・ロング。

歩くことは、自分を動かしてくれる。

 

 

 

ロルフィングセッションの中でも歩くことで気づきがあります。

歩く中にその人の姿勢や生き方が現れる。その人の癖や生活、人生が現れる。

数メートル歩けばどんな人だか分かるとアイダロルフは言ったそうです。

歩きを見て僕が語る言葉もかなりその人を的確に捉えているみたいで、

少し深い部分からその人の歩きを見ています。まさにボディリーディングと言ったところですね。

 

 

肩こりの原因ってそんなことだったの?膝が痛くなるのはそういう理由だったんだ!に始まり、

自分に関するあれこれ。痛く無くなるだけでなく、納得できることがその効果を何倍にもしてくれる。

自分に興味がある人には、本当にたくさん得ることの多いセッションだと思います。

 

気持ちよく歩いていますか?

自分の歩きが出来ていますか?

 

 

情報について思うこと

先月に入ってからサイトアクセスが増えています。どこかで誰かに届いて、何かを感じていてくれているのでしょうか。

今のような何が正解だか分からない時は、混乱しない範囲で色々な情報に接することが大事だと思います。或いは一切接しないで、信頼出来る人からの情報で生きていくのもいいかも知れません。

 

緊急事態宣言の間、ブログは毎日は更新することにしました。忙しい時、書くこと出来ない時は、曲や映像、本に、想いを託します。

 

 

人間の大脳辺縁系は、自分のウチ、そしてソトに開いている状態がニュートラルですが、情報化社会は、自分に必要以上に、外の情報と接することを強いられています。情報消費だけに止まらない、身体性の確保、そしてウチなる自分の声が大事です。

 

情報は1つに纏まることと、分散すること。両方が大事だと思います。過去の歴史をみても、纏まることだけに偏っても、分散することだけに偏っても、悲劇や退廃の記録がたくさんあります。我々の無意識には、そうしたバッグボーンもあることを知っておく必要があります。パニックや、固定観念的な見方でなくて、全体を眺めるような、周辺視野的な見え方が「自分」を助けてくれます。そして、少し緩んで、様々な個性を受容し、優しい目と微笑みで、そして必要以上に受容し過ぎず、期待に応えすぎない、「自分」を守るスペースが大切です。

 

 

距離感。繋がり。健康。自分。人生。

そんなことを感じ治すのに良い、自粛期間だと思います。

身体には医療や情報にはない健康になる力が内在されています。

 

 

 

ドレミの歌

小学校の教科書に載ってたから、大昔からあるものと思ってたら1959年から。「サウンドオブミュージック」の挿入歌です。当たり前になっていること、忘れてしまっていることが多いですが、何事にも始まりがあります。

 

僕が最初に作った映像作品はドレミの歌を模したもの。なんだか分からないけど元気になる歌の一曲でしょうかね。唯一縦笛で無意識化されている曲でもあります。体が覚えています。

 

原作では、英語に興味を魅かせる感じで、

Doe, a deer, a female deer

Ray, a drop of golden sun

Me, a name I call myself

Far, a long, long way to run

Sew, a needle pulling thread

La, a note to follow Sew

Tea, a drink with jam and bread

That will bring us back to Do

 

という風に歌い、意味と説明になっているのですが、

日本では別の歌詞で、独自の展開をしています。

 

 

さて今日のおやつはドーナツ、みんなで食べました。

ファはファイトのファ。

空も、ちょっと青い。。。

 

 

音楽も、国語も、体育も、その他、色々な学びと気づきが入った一節です。

こんな授業、受けてみたいな。

いつかやってみましょう、代々木公園の芝生で。

 

 

時間があったら5分47秒最後までどうぞ。

 

原作が素晴らしいのだけど、

頭にあるのは日本語なので吹き替えバージョンです。

歌は平原綾香さん。

 

成長の限界

 

子供の頃、小学生から、毎年1学年づつ上がり、中学生になるとちょっと成長した感じがしました。

 

やがて高校になりまた少し成長、大学生や専門学校などに進んだ時は、成長の意識よりも、別の意識に移っていることも多いでしょう。そのあとは、成長というよりは、目の前のこと、経済、立場、地位とか、関係性の変化に応じた役割、あと気になるのは老化などしょうかね。

 

しかし成長するという思想は、我々の無意識下で働いていて、成長を感じられなくなると、無意識下で違和感が始まります。もっと成長したい、成長してないと、少し寂しい感じがするのかもしれません。

 

さて人智学のシュタイナーは、人間性の成長に関して一つの指針を残しています。7年ごとに時代をわけてテーマを紐解いていくように過ごす感じです。僕が20代にシュタイナーに出会って、当時この区分けで自分を再構築し始めていました。元来飽きっぽく7年ごとに、自分を再構築するなんて、なんて自分の本質を分かってるアイデアだと興味を持ち、自分の指針として作っていたのかもしれません。

 

思い返してみると、この通りにきているような感じもしますし、少しズレを感じた時は修正してきたように思います。そんなに難しく考える必要はないと思います。要は成長の方向性を7年おきに、現実に合わせて少し変える感じです。ちょっと照らし合わせても面白いかもしれませんのでご紹介します。

 

 

0~7歳・・・身体が成長する時。安心・喜び・愛情を受け取る時代

7~14歳・・・心が成長する時。芸術や人間性や自然の美を感じとる時代。

14歳~21歳・・・思考の力が育つ時。真実のある世界観を受け取る時代。

21歳~28歳・・・世界や社会認識力が育つ時。関係性を育てる時代

28歳~35歳・・・人生の危機に向き合う。ライフスタイルの構築の時代。

35歳~42歳・・・精神的な生き方へ向かって。自分に真に大切なことを問うの時代。

42歳~49歳・・・人生の後半をどう生きるか。葛藤し、善悪を超えた先にある価値への気づきの時代

49歳~56歳・・・人生の完成に向かって。芸術的創作・美への意欲、渇望、創造性の時代。

56歳~63歳・・・人生を完成させる。真に自分らしく生きる、本質・エッセンスを求める時代

63歳〜70歳・・おまけの時代だそうです。おまけはお楽しみ。その人ごとに違うおまけのようです。

 

 

シュタイナーは、人生は72年ほどと考えていたようです。奇しくも日本の現在の健康寿命は2016年は72.14歳、女性は74.79歳。現代日本は長生きになりました。健康寿命以降も生は続いていきます。平均寿命は84歳あたりでしょうかね。

 

 

成長の限界「人類の危機」についてのレポートが出されたのが1972年。あれから48年。文明はブレーキがかかったのか、さらに成長へ加速してしまったのか、よくわからないけど、異常気象も、温暖化、寒冷化の話も、常になっていることを考えると、成長を簡単にはやめれない現実もあったのでしょう。

 

 

人間社会の成長は続いてきました。活性化して、バブル崩壊し、鬱が来て、引きこもり、そこから、少子高齢化も社会構造の変化、そして今年、コロナがやってきました。これから始まるwith コロナの現実を、今、全ての人が、それぞれの立場で感じています。個人も、社会も、企業も、国も、世界も、未来も。

     

 

とりあえず病的状況からは脱して、自らの心身の力に気づいていく健康に生きていくというのが、ホリスティック的基本形です。ホメオタシス、安心できる心身から、人生を再構築していきましょう。今提供しているボディワークプログラムは、そんな社会変化に対応していくもの、そんな気がしています。次はサバイバルですか、サナスタビリティーですか、シフトですか。1人づつ違うと思います。

 

 

 

 

スペースを感じる

久しぶりに読み直してみました。

 

 

 

モモ。定期的に読み返す児童文学の定番。大人になっても、そして今でも、十分に楽しめる、興味深いお話ですね。読み返すたびに、何か別のことを感じます。

 

自粛が続くゴールデンウイーク、ついニュースやネットを見過ぎてしまいますが、改めてこうした大人も読めるの児童文学は如何でしょうか。


効率的という発想の中、心をなくしている現実は今も変わってないのか、あるいはさらにひどくなっているのか。自分の時間の使い方、生活がニュートラルであるか、一度顧みてみる機会としてニュートラルになる時間を持つと良いなと思います。

 

 

「人間には時間を感じとるために心というものがある。そして、もしその心が時間を感じ取らないようなときには、その時間はないもおなじだ。」時間がない。そんな方は体から自分の時間を取り戻していきましょう。

 

ロルフィングでは、体の方を感じていくので空間認識を感じます。体の外の空間。そして体の中の空間。どちらも大事です。対話や気づきにより、心を動かして、あなたの周りに時空のスペースを開けていきます。なにかとディスタンスが気になる時節柄、自分のスペースを感じていきましょう。

時間と空間を心と体を使って、自分のニュートラルに気がついていくわけですね。意識を持って受けてくれれば次元が1つ、2つ変わります。

      

 

 

あらすじ

時間に追われ,落ち着きを失って,人間本来の生き方を忘れてしまった現代の人々.人間たちから時間を奪っているのは,実は時間どろぼうの一味のしわざなのだ….この一味から時間をとりもどし,人生のよろこびを回復させたのは,どこからか突然あらわれた無口な少女だった.時間の意味を問う異色のファンタジー。

 

エンデ,ミヒャエル

1929‐1995。南ドイツのガルミッシュに生まれる。父は、画家のエトガー・エンデ。高等学校で演劇を学んだのち、ミュンヘンの劇場で舞台監督をつとめ、映画評論なども執筆する。1960年に『ジム・ボタンの機関車大旅行』を出版、翌年、ドイツ児童図書賞を受賞。1970年にイタリアへ移住し、『モモ』『はてしない物語』などの作品を発表。1985年にドイツにもどり、1995年8月、シュトゥットガルトの病院で逝去 

キープディスタンス

1990年に描かれた映画『ゴースト/ニューヨークの幻』。突然死んでしまった恋人とのファンタジーラブストーリーです。この年の大ヒット映画です。

 

30年後に、ニューヨークに、世界中に、キープディスタンスの時代が来るとは夢にも思わなかったでしょう。愛は幻だったのを、ゴーストに変容するかの勢いです。

 

 

新しい関係性の構築、大切なことですね。世界中のドラマメイカーは自粛生活のいま、withコロナ時代の新しい出会いや物語を書いているのでしょうかね〜。沢山の人を救うことになります。

 

 

映画はいいですね。自粛向きです。

 

お互い、自分のスタンスで、

自分が今できることをしていきましょうね〜。

 

 

 

夜光虫

 

ヤコウチュウ(夜光虫)は、海洋性のプランクトン。大発生すると夜に光り輝いて見えます。昼には赤潮として姿を見せます。夜光虫と言いますが虫ではありません。 栄養過多の水質にプランクトンが大増殖し、それが赤潮となり、海の生物が住めない状態を作り出しているそうです。それが夜、光るのですね。

 

 蛍と同じく、酸化されて発光するルシフェリン-ルシフェラーゼ反応による発光です。なかなか意味深な名前ですね。

 

ヤコウチュウは物理的な刺激に応答して光る特徴があるため、波打ち際で特に明るく光る様子を見ることができます。

 

 また、ヤコウチュウのいる水面に、石を投げたり、水をまいたりして発光を促すことができるそうです。

自粛中ですが、映像でも十分に楽しめますね。不思議な生き物です。

 

 

 

 

 

 

 

back to back

自分の中に、小さい気持ちがたくさんあって、その時、その時の、気持ちの背中合わせで葛藤し、乗り越えて今を選んでいます。

 

選んできた自分を楽しんでいけるといいね。

選ばなかった自分にも気づいてあげれるといいね。

私の中のオルタナティブへの気づき。全部が自分。

 

 

 

 

 

 

 

身体のパラダイムシフト

こんにちは。

 

ロルフィングは、受ける方によって違う変化が起きます。身体が変わるということは、物事の受け止め方が変わります。言わばパラダイムシフトが起きるとも言えます。

 

今、社会も、世界も、パラダイムシフトと言ってもおかしくない現実にあります。現状に違和感を感じていて、その現実と出会えてない、そんな気がする時には、ロルフィングは役立つと思います。自然なこと。楽なこと、自由こと、一緒に、感じて、考えて、自分の呼吸、自分の動きを取り戻していきましょう。

 

 

規制解除後の10シリーズ、アウェアネスシリーズのご予約のご相談、承りまわっています。 


キープディスタンス2

僕らもキープディスタンスになるのかな。

あれはいまのところ、人間の世界だけだよ。

 

結構難しいね。

ストレス多いね。

 

 

 

 

色々な立場で、色々な距離感。 

忙しい人も、退屈すぎる人も。

 

自分の立場で、自分を頑張って。

一人づつ自分へ。