やりたいことを仕事に。

「やりたいことを仕事に。」出世するからパラダイムシフトした90年台以降、よく言われているキーワードです。僕も20年以上前から、人に、進路相談されると、そんなこと言ってることが多かった気がします。

 

これも幻想だとこの本では言います。こうした幻想を捨てることが大事だそうです。

このブログでも「幻想を乗り越え、リアルな世界へ!」と、てどこかで、書いた気がします。幻想といえば、身体感覚にも、幻想が沢山あり、それに気付いてないから、自由でない場合も多々ありますね。

 

適当な説明するよりも、YouTube見てください。

細かいところ、ちょっと無理もあるけれど、

あっちゃんの勢いに押されて説得されてしまった!

 

 

さて、僕が大学出て、最初に入った会社で、最初に仲良くなったのは、あっちゃんのような独自の勢いがある人でした。この人と一緒だと毎日が楽しくて。つまらない3ヶ月の研修期間中、彼と昼飯食べるだけで楽しく過ごせました。彼は研修が終わると居なくなっていた。さて、今、何してるのでしょう。

 

 

あっちゃん、カッコいい!

父との再会

先日、友人から父親の介護の話を聞いた時に思い出した父親。一昨年綴ったセルフドキュメンタリー映画で、亡くなった父に関して触れ、絶縁のようだった父の魂との再会はここ数年ずっと続いていました。

 

村上春樹が父親と20年も絶縁状態だったということが話題になっているという記事を読み、興味深く思っていました。(僕も自粛期間に読んでみようと思います。)

 

こんなことが書いてありました。

 

父親が90才で2008年に亡くなる少し前、村上さんは入院先を見舞った。

《そこで父と僕は──彼の人生の最期の、ほんの短い期間ではあったけれど──

ぎこちない会話を交わし、和解のようなことをおこなった》

 

そして、今回書き起こすことにより、

父親の歴史を紐解いていくことにより、記憶違いに気づき、

ひとつ重しが取れたような感覚があったそうです。

 

 

同じような経験が僕にもあります。

父が病気で亡くなる三日前でしょうか。父と二人で話す機会がありました。

沈黙した時間がしばし流れ、短い言葉のやりとりをしました。

 

父は翌日意識を無くしていますので、あの日の会話が父との最後の会話だったと思います。

あの時の僕はまだ歳若く、和解のようなことは出来ずに、その蟠りはその後の僕を縛り続けていましたが、50代に入り自分の映画の中で扱った事により、ようやく和解のようなことが出来たような気がします。 

 

深い部分の自分と出会う統合セッションのコースを一昨年始めてから、亡くなった人との対話というテーマのシリーズが増えてきた気がします。潜在意識には、死者の魂が書き込まれているのですね。亡くなった人との邂逅の場に、何度も立ち合わせて貰いました。

 

対話の時代と言われ久しいですが、死者との対話という機会は、自分だけでは、なかなか難しいのかも知れません。親を始め亡き人の魂と未消化のままにしてある方は、世の中には意外に多いのかも知れないと思いました。

 

 

死者との再会というのは、ほろ苦いものですが、色々と気づきや示唆があるものです。凍ついていた感情の綻びが繕うことが出来ると、自分として次の展望が見えてくることがあります。

アフターコロナの仕事の在り方を色々思いを巡らせていると、父が昔語っていた沢山の言葉一つ一つが鮮やかに蘇ります。

 

 

 

また村上春樹の本を読んでから書いてみたいと思います。

移り変わり

2月7日に書きかけのblogがありました。その書きかけのblog を今日再び綴っています。

 

 

コロナウイルスの感染者、死者の世界統計が貼ってあり、今はどうなんだろうと同じサイトを覗いてみると、今朝の数字のをみるとナント10倍以上になってました。数字に少しづつ麻痺してきますが、戦争並みに多くの方が亡くなっています。世界中で沢山の方が苦しみ、命をなくされ、沢山の涙が流されたことでしょう。世界全体を意識し、黙祷を捧げたいと思います。

 

コロナウイルスもやがては、我々から過ぎ去っていくのだとは思いますが、通過するまでにはまだまだ沢山の犠牲が出ることが予想され、そのことに私たち一人一人が心動かされます。待機や自粛という現実、もどかしさ、勇気や感動、協力や協働の現場に立ち会っている方々、医療関係者の方々、全ての人に最大の👍を送りたいと思います。

 

個人の認識では、過程である現在は、今はまだ全体は分かりません。分からないことが葛藤ですし、結果的に正しいベクトルに在りたいと思いますが、何がベストなのか分からない中、それぞれがそれぞれの立場で踠いていくしかないのかもしれません。多少間違っても、それは経験という副産物が残ります。

 

全体的な状態は後からそういう時期が、そしてやがて歴史家が検証し、語るであろう、出来事の詳細が、未来の私達に何かを知らせてくれるでしょう。withコロナ、そしてアフターコロナの未来がやって来る時は、その経験を持って、虹を見出せるような現実に向かい合っていきたいと思います。

 

世界中で流された涙も、汗も、血も、きっとどこかで誰かに繋がって、誰かの役に立っているのだと思います。昔よりずっと他者と繋がりやすくなった今ですが、現実は、まだまだ途中のようです。スペイン風邪のような過去の経験からも第二波、第三波の流行が予想されています。少し長丁場の意識で、自分にニュートラルに、ゆっくりと過ごしていたいと思います。

 

時間をあるので、自粛期間、近所をよく散歩しています。子供の城の跡地にあった、岡本太郎作「こどもの樹」。暫く周りを覆われていましたが、先週見たら、囲いが取れて久しぶりに全体が見えました。

 

さて、世界も子供たちから囲いは取れていくのでしょうかね。

本館はまだ覆われて工事中です。やがて都民の城となり23年度にリニューアルオープン予定だそうですが、この状況だと少し工事は遅れるかもしれませんね。

 

 

      ー

異界探訪

パワースポットの最深部には異界への扉があった。

 

この見出しに惹かれて読み始めた本です。ステイホーム。読書は最適ですね。

 

この本で取り上げているのは、山、岩、洞窟、水、火、神社、古寺、前世・・・古くからあり、そして言語の範囲を収まりきれない、まだ表現しきれてないものだと思います。どんなことでも、深い部分には何かがあります。異界には別世界への入り口があるのだと思います。

 

身体も、我々の意識にとって、異界のような場所だと思います。深い部分の固めや歪みが、ある時つながりが出来て、表層への反映してきます。そこで発見されることには、深い意味があります。

 

塊は、時に、身体に留まる想いやイメージが固まったもの、つまり魂のような情報である場合もあります。深い部分が、溶け出てくれる中、あるいはディスチャージしていく中、よりその人らしくなっていくのです。急がずにゆっくり、少しづつが大切です。別アングルからの自己探究を加速していくと思います。

 

もやもやや、違和感、体感から始まる加速する自己探究のボディワークという側面もありますね。シリーズは、身体文脈でなく、意識の文脈で、気付くの手段として、活用されている方も、増えてきています。身体という自分の一番身近な異界と出会う体験でもありますね。たくさんのリソースでお待ちしています。

 

 →アウェアネスコースの感想

 

 

書籍データ(以下アマゾンから転載)

 

異界探訪

 

内容 日本を代表する比較宗教学者が体験した、現代の怪談。

 

著者略歴

 

町田宗鳳

1950年京都市生まれ。14歳のおり、家出をして仏門に入る。以来20年間、京都の臨済宗大徳寺で修行。34歳のとき寺を離れ、渡米。のちハーバード大学で神学修士号およびペンシルベニア大学で哲学博士号を得る。プリンストン大学助教授、シンガポール国立大学准教授、東京外国語大学教授、広島大学大学院総合科学研究科教授を経て、広島大学名誉教授、ふじのくに地球環境史ミュージアム客員教授、都留文科大学特任教授、天台宗僧侶。研究分野は比較宗教学、比較文明論、生命倫理学。年間を通じて「ありがとう禅」「ありがとう断食セミナー」「心のケア合宿」などを主宰。

 

KEEP YOURSELF、KEEP SOCIETY

こんにちは。

 

自粛期間、明日で終わるはずだったのに、今月末までに伸び、落胆されている方もいるかと思います。新しい情報に触れようにも、コロナ関係の情報が多く、コロナ的な環境から逃れにくい環境も多いかも知れません。自宅にいてもコロナ情報がテレビやネットから入ってきますし、少しでもコロナとは関係ない環境、情報に触れることは、今大切なのかも知れません。

 

さて、以前ブログ紹介したカードを引くというページを、再掲しておきます。頭の中をコロナがグルグルしてしまい、すぐに簡単に出来ますので、おみくじの感じで、軽い気持ちで引いてみたら如何でしょうか。

 

簡単です。そのことを思い浮かべながら1枚引いてみる。それだけです。カードがあなたの今の意識の断片を無意識から引き出してくれます。参考までに、僕が、地球全体をイメージしながら引いて見たところ、出てきたのは、このカードでした。トランスフォーメーション。つまり変容です。

 

様々な道具や武器を手に持った聖人か魔神のような人がいます。頭から鶴が飛翔しようとしています。蓮の花のような、釈迦と同じようなメンタリティ、そして身体から炎が燃え上がるような感じに見えます。しかし、まだ顔が書かれていませんね。右手の下には横向きの人の顔があります。眠った状態ということでしょうかね。地球は変容の時、用意や道具、エネルギーは既に揃っているけど、まだ顔がない、寝ている人を起こして、行動するべき時、そんな感じでしょうかね。

 

読み取り方は、個々人にお任せします。様々な場面で活躍、自粛されている、全ての個々人、魂たち。置かれている立場で、自分を発揮して貰えればと思います。僕も同じく地球の一員です。この変容カードを感じて変容していく時ですね!

 

KEEP  YOURSELF、KEEP  SOCIETY

 

 

 

 

STAY HOME、 STAY HOMETOWN

こんばんは。自粛生活は今月末までとなりましたね。自粛期間中は毎日ブログを書くと、宣言しました。よって Keep Going On 続けていきます。

 

自粛期間中、普段歩いている道は変わりませんが、人が少ないのでいつもとは別のものに意識が行きます。例えば、このビルの裏側はこんな風になっていたんだ。とか、こんなところに洒落た彫刻があったんだ。地面の模様とか。人が多いと、人を見たり、避けたりしながら歩いているのでしょうね。

 

目黒川は近くなのですが、桜シーズンはあまりに大量の人々で近年は近づかなくなってました。でも今年は違います。桜シーズン、ほとんど人のいない川沿いの道を何回見に行ったことでしょう。運動不足でもあるので少し長目に歩くと、気がつくと目黒、そのまま歩くとやがて五反田、そして大崎駅まで続いてます。大崎まで行っても1時間ほどでしょうか。

 

桜は咲いているのもいいですが、川に落ちた流れていく桜も素敵です。桜舞い散る川の横を歩くのが好きです。こんな感じです。

山手線の駅は、駅それぞれに思い出があります。五反田も、大崎も、色々思い出します。大崎はロルファーデビューの街、歩いていると、当時のことを思い出したりします。

 

身体再構築というテクニックを会得したばっかりの僕は、あんな夢、こんな夢を、色々と未来を想像していたものです。大崎の街を歩くとそんなことを思い出します。

 

自粛期間動く量が減っているので、なるべく動こうと思い、買い物はなるべく、主体的にかってでるようにしています。またあまり近くで済ませないで、少し苦労して手に入れる喜びも設定してみました。例えばワイン。ワインはどこでも買えますが、あえて徒歩25分かけて「樽出し生ワイン」を買いに行ってます。しかも税込み754円で買え、ハウスワインとしては充分の味。わざわざ行く価値あります。一度に1本と決めていますので、山を登って買いに行かないといけない設定をしました。おじいさんは山に芝刈りに風。

 

都市にも、山や谷、川、丘はたくさんありますね。そういう「見立て」をして生きていけば、コンクリートジャングルにも、動物も、植物も、恐竜も、岩肌も、色々なものがいますね。(こんな話が好きな人がいたら、1つ1つ説明しますが、そんな物付きな人はセッションに来ている人だと思います)というわけで、ワインは、山の上まで汲みに行きます。


ワインを汲む場所の少し前に教会があります。ちょうど夕暮れの夜間照明のつく時間帯だったのか、ほのかに色のついた教会は幻想的でした。この時間帯は初めてでした。日常のちょっとした道でも、見立てを変えたり、意味づけを変えてみると、また違って見えてくることがあります。認知に対するちょっとした刺激、日常の中のちょっとした刺激、大切にしていきたいと思います。

 

さて自粛期間は続きます。暫く人の少なくなった街の別の姿を楽しみたいと思います。

 

 

ステイホーム、ステイホームタウン。

自粛生活を楽しんで過ごしましょう。

今月の営業に関して

緊急事態宣言が延長されました。

 

 

新型コロナウイルスに関する緊急事態宣言を受け、

~令和2年5月31日までサロンは休業を延長させていただいております。

 

なお、6月以降のご予約、問合せ、ご相談のご連絡は、こちら、ないしメールにて、お願いします。→問合せ

 

なお社会状況は変化しております。

お問い合わせください。

 

 

ワークショップ&講座

こんにちは。

 

ボディワーカーですので、ワークショップや講座を行っています。ロルフィングは身体教育プログラムですので、内容は色々目的に沿って考えますが、体とは色々気づきが多いものです。

 

例えば、姿勢や構造、感覚、機能、循環、ホメオスタシス、セルフケアなどをボディーワークとして、或いはロルフィング講座、単発でも良いですが5回とか10回とか、気づきを重ねていく方が、変化も大きいし、自分の見える世界が変わっていくよう思います。個人セッションで行う個々の身体、グループワークでの気づき、それぞれに特性がありますね。

 

例えばボディワークの連続講座だと、少しロルフィングの文脈を外れ、ボディワークの可能性を感じてもらうようなことを意識しながら、今時のシェア、グループワーク、ワークショップ形式を織り交ぜて、歌ったり、ダンスしたり(笑)バラエティに飛んだ内容で構成しています。意識やメンタルっぽいものまで、色々出来ますのでご相談ください。

 

 

単なる身体のリリース体験ではなくて、もう1つ深く自分の体を考える機会として、そして、心と体の両面から自分へのアウェアネス(気づき)を感じることを目標に、色々と試行錯誤しています。

 

セッションでもそうですが、プロセスを踏んで次に進んでいく、後から考えると、段階を踏んで繋がって行き、初回に始まったものが最終回に通じてくる、そんなスタイルで進めています。知識あり、動きあり、知覚体験あり、エクササイズありで、参加者は、付いてくるのに大変な場面もありますが、感想やアンケートを見ると楽しんでいただけているようです(ホッ)。

コロナ渦、自粛中ですが、いずれ復活できると思っています。

 

豊かさ

GWが明け渋谷は人通りが戻ってきていましたね、まだまだ自粛生活は続きます。

 

さてこんな時期でもありますので、「豊かさ」について改めて考えてみる方も多いのかもしれませんね。

 

 

アメリカのサイトに出てたものを簡単に訳したもの紹介します。

 

 

お金を貯めるとか、豪華なものを食べるとかいうことではなく、ほんものの豊かさを得るためには、以下の4つを要素が必要だそうです。

 

 

1. 感情的な豊かさ

ポジティブな気持ちと豊富な経験をもちましょう。自分の感情をコントロールし、自分のやりたいことを見出し、それに向けての経験をしていきましょう。やりたいことをやっていれば、他人や外的要因に左右されなくなります。

 

 

2. 時間的な豊かさ

自分の価値観で、自分の時間を使えるようになりましょう。すると、少しづつ自分の望む方向に人生が動いていきます。

 

 

3. 場所に関する豊かさ

いつでも好きなときに好きなところへ行けるようになりましょう。思ったことをすぐに出来る状態、自分の居場所を自分で選べるということは、自分の望みや希望の近い生活をし、働くということになります。

 

 

4. 分かちあいの豊かさ

1番大事な定義です。前述した3つの豊かさにより手に入れたものや幸福感を周囲の人たちと分かちあいましょう。環境に還元していくということ

 

 

 そしてロルファーとして5番目に「統合された身体性の自由」というのも加えたいところです。

豊かな身体。健康ということです。

 

こんにちは。

 

昨日のお月様キレイでしたね。5月の満月は、英語でflower Moon、先住民の方に倣い、月に見られる満月に動物や植物、季節のイベントなどがついているようです。日本の月の呼び方と違い、興味深いです。

 

月は自ら光っているわけではなく、太陽の光を反射することで輝いています。そして、地球から見た時に太陽の光を反射している面がどこを向いているかで、三日月や上弦の月、満月など、見かけ上の形は変わります。なので満月は地球の真後ろ180度になるあたりを指すそうです。裏側ですが、太陽が大きいので十分に太陽光線が当たるということです。

 

ちょうど夜の散歩に出た時で、友人からのLINEの知らせで、見上げると、お月様に気付きました。そして月を見ながら、上を向いて歩いていました。一度意識が行くと、ジワジワと存在感を増していきます。存在感が増すと、ますます綺麗に見えてきます。脳内で、イメージを呼び出しているのでしょうか、人間の集合無意識には、どれだけ月を見てきた記憶があることでしょう。それが少しづつ蘇るように、月と集合無意識の対話は、無意識下で少しづつ進んでいきます。

 

写真を撮りましたが。目に映る月とは全く違う月です。これだけ私たちの目には写っていない情報があるのですね。生、ライブの情報、そして私たちの身体とのハーモニーをしばし楽しみました。これからリモート環境のサーピスが色々出てくると思いますが、このライブな生情報はどうなっていくのでしょうね。僕が映像を撮る時は、4Kというカメラを使います。一昨年あたりから8Kが出てきてYouTubeでも8K撮影した映像が見られます。リアリティの追求はまだまだ技術は進みますが、昨夜の月を超える再生映像もやがて出来てくるんでしょうかね。解像度だけでない何か色々あるのでしょうね。また見るという行為の方にもまた別の何か色々がありますね。人間の知覚は奥深いです。

 

NASAの撮影した4K月面映像を貼り付けておきます。

旬もの

お客様から季節のお便りを頂きました。サクランボウが生ったそうです。僕も昔サクランボウを育てていたことがありますね。確かもう25年くらい前のことでしょうか。知人の家に置きっぱなし、さてあのサクランボ はどうなったでしょうか。今度見に行こうかな。サクランボウは一般的には「初夏の味覚」であり、夏の季語です。

 

サクランボは結構好きな部類のフルーツです。一般には佐藤錦が人気ですが、食べる分にはアメリカンチェリーの方が僕は好きです。まだ今年は食べてないですね。そろそろ出てくるでしょうか。

 

今日は空豆を頂きました。空豆を食べると、うちに手伝いにきていたおばあちゃんを思い出します。その時の旬もの、とうもろこし、枝豆、空豆、蒸しいも、栗。学校から帰ると、フキンがかかったザルに、何かおやつが置いてあって、それを食べてから、遊びに出かけてました。

実は、実家は八百屋さんだったので、果物も食べ放題でした。

 

 

その頃って日本の人口は今よりずっと少ないはずなのに、何故か商店街にはいつも人がいて、賑わいがあり、街から声が聞こえてきて、色々な人が、闊歩していた活気あった昭和の日本です。街にいる色々な方に出会いながら、他人の姿を見て、学びや気づきがありました。街は学びや気づきの宝庫でした。今は街でなく、スマホですかねー。スーパーマシンスマホの発展は、街や家庭から賑わいや会話を、少なくしていきました。パソコン、ケータイ、スマホの発展と、クールになっていく人やカルチャーは、相関関係があるかもしれませんね。

 

さて話戻って、その頃出会っていた大人たちは、現在はご高齢になり、旅立たれた方もちらほらで始めました。最近、時間を見て、人伝いに連絡をとって、当時僕が出会っきた大人たちに逢いに行っています。僕は知っていること全部伝えます。「てっちゃん、そんなことよく覚えているね。」と目を回るくされ、その日の時間はあっという間に過ぎていきます。どこが面白いのかわかりませんが、僕の話す話は興味深いらしく、笑いと話はつきません。僕にとっても楽しい会話です。

 

懐かしい顔、しばらくぶりに見る新しい顔、そして煌めいていた昔話。時空を超え思い出が蘇ります。数時間のおしゃべりし帰路に。帰り際、玄関先に立って、見えなくなるまで手を降ってくれます。僕も大きく手を振り替えします。

 

何故か、気配も、空気感も、なんだか昭和の感じがしてきます。不思議です。
我々の意識というのは普段は表層を生きていますが場にコンテクストが生まれると、鮮やかに過去は蘇るものですね。

旬で出会ったものは、いつまでも残るのでしょうかね。

 

その日話題に出た曲を一曲

シーモア・ジョセフ・ガイ作「怖いもの知らず」
シーモア・ジョセフ・ガイ作「怖いもの知らず」

この写真はどんな風に見えますか?

 

怖いもの知らずの弟が、崖に立っているのをお姉ちゃんが危ないよって声を掛けています。

 

 

 

 

 

無意識で生きていると、気がついた時に崖に来てしまう時があります。(崖にいる心境ということです)

 

崖で気づいた時、眼下の景色に恐怖を抱き、座り込んでしまい、こんな所に連れてきたのは誰かと、他人を恨んだり、納得できる理由を探し続けます。その間に身体は、恐怖心を溜め込んでしまい、突発的な行動をしてしまうことさえあります。身体とは自分だけでもないのです。自分以上の何かを含んだ存在でもあります。逆にいうと、まだ自分が自分の行動全部を理解してない場合も多いです。

 

恐怖や不安の間は気が付きませんが、立ち上がって、後ろを振り向いた時に、この場所にきた意味や理由が突如飛び込んでくる場合もありますし、その場所のグラウンディングを確かめることにより、また別のアイデアやビジョンが浮かぶ場合もあります。崖にいるような時は、ピンチでもありますが、チャンスでもありますね。

 

成長を通じて、内在していきますが、男の子は男の子だけでなくて、女の子の中にも男性性がありますね。内在している時は気づきませんが、時が過ぎて、崖にきた時などに、ふと自分自身に、気づきが起こることがあります。

 

大抵は、危ない場所に行かないように誰かが見守っているんですけどね。お母さんとかお姉ちゃんとか。「危ないよー」って、声をかけます。でも大人になると一人で自分を管理していかないといけませんね。

 

 

 

大人になると誰のせいにも出来ません。自立。自分を引き受ける。様々な自立を阻むギミックが人生には用意されています。全ての人が成長していくという新しい社会のルールの中、もがきながら私たちは生きていきます。そして人生は一歩づつ進んでいきます。

 

STAY HOME,STAY NEIGHBORHOOD

こんばんは。自粛生活をいかがお過ごしでしょうか。

 

ステイホーム。家で過ごすことが多くなっている方が多いと思いますが、自分の家は落ち着く場所になっていますでしょうか。

(変な書き方ですが、)自分の家は、自分が落ち着く場所になっていますか。自分の居場所がありますか。今回のステイホームなので、そういう視点で、自分の家を総点検して見てもいいかも知れません。

 

色々工夫してみると、ちょっとした違いで居心地が変わります。一人の方なら、部屋のレイアウトとか、グリーンを一つ買ってきても、雰囲気は変わります。

 

人間関係に悩んだり、人間関係の中でぐるぐるすることは、誰にでもたまにあることだと思いますが、とりあえず家だけでも自分の寛ぎの場所でありたいですね。

 

人生の過程で家族が育って行くと、家もまた社会ですので、自分が落ち着く場所ではなくなってしまっている場合もあるかも知れません。ちょっとした居心地よくする努力が必要なことがあるかも知れません。この際、ちょっと工夫して、家でも居心地よくいれるといいですね。

 

自分の居場所とは、関係性や心境の問題です。人の中だけでなくともいいと思います。自然とか、動物とか、大地とかとも繋がれます。家の中、家の近隣、コミュニティ、少し意識を広げて、いい関係の場所を探ってみたりするといいかも知れません。交流がない近隣の方ともこの際、ご挨拶を。

 

居心地の作り方には色々ありますね。その中には、とりあえず身体を楽にする、リラックスさせるっていうのはあります。自分と自分の身体との関係性をよくするみたいな感じでしょうか。ロルフィングは、楽に過ごせる身体を作るボディワークでもありますね。

 

 

 

リーディング

こんにちは。今日は、ゆるモードで書いてみたいと思います。集中も大事ですが、分散も大事です。どちらか1つのモードだとバランスを崩します。シリアス過ぎるのも健康にはよくないですね。

 

 

さて、クライアントから映画のご紹介のメールが入りました。エドガーケーシーの映画でした。小学生時代から知っている有名なリーディングをする療法家です。

 

どんな人生を送ったのか興味が出て、調べてみると実に興味深い、(NPO法人、日本エドガー・ケーシーセンター

 

 

こんな感じです。

 

22年間ケイシーはこの透視能力をもっぱら病人の治療に役立てた。彼のもとにはさまざまな病気に苦しむ人々が訪れるようになった。病気の原因とその治療法を教え続けた。当時の医学において不治あるいは難病の真の原因を明らかにし、治癒させるに必要なさまざまな方法をアドバイスした。

46才になると、その透視能力はあらゆる分野に向けられるようになった。科学者、アーティスト、政治家、政治家にそれぞれのインスピレーションを与えるようになり、「フィジカル・リーディング」だけでなく、ホロスコープが解読含めた「ライフ・リーディング」の依頼が来るようになった。

 

 

 

 

 

どこかで聞いたようなストーリーです。

 

そう言えば、僕もロルフィングも「ボディリーディング」に始まり、身体をニュートラルにすることにより、自然調整力、自然治癒力を高め、病院でも改善しなかった様々な症状を改善してきました。ある時から、ビジネス、アーティスト、スポーツ選手、経営者などがクライアントに加わり出しはじめました。次第に身体だけでなく、生活やライフスタイルや人生の危機に対する気づき(アウェアネス)のセッション依頼が来るようになり、「10シリーズ」に加え、「アウェアネスコース」、「リボーンコース」を誕生させました。

 

偶然の一致に驚きながら、やはり、体や心と真摯に向かい合っていると同じような道を進むのでしょうか。

 

うーん、その後のケーシーの人生が気になり、読み進めてみました。

 

 

ケーシーは、この後、自らの伝記を出版しました。そして全米から依頼が殺到しました。

そして多忙の中、体を壊し、ケイシーは、自らの健康よりも苦しみにある人々に奉仕することを望み、1944年秋、卒中で倒れ、1945年1月3日帰らぬ人となった。また病院や研究所の設立も行いましたが、資金難により解散したようです。ケーシーがその後有名になったのはケーシーの死後、長年の秘書であったグラディス・デイビスの尽力により纏められ、世界中の人々の関心を集めるようになったとあります。

 

素晴らしい人生です。

そして驚きです。

 

 

 

さて、その後の僕ですが、4年前予約が殺到し、また様々な可能性が目の前にひらき、多忙で我を忘れ、体(と心)を壊しました。

その時、僕はどうしたのか。

 

僕は集中しすぎていた意識を分散させることを始めました。無意識です。

 

仕事量を1/3に減らし、家族と過ごす時間、旅、旧友を訪ねる、映画を作り、ギターを弾き始め、曲を作り、絵を描き、鳥や植物と関係性を取り戻しました。思いつく様々なことを、全てやってみました。

 

仕事以外のことにも意識を向け、分散するような時間を増やすことを選びました。

 

 

結果ですか?

 

その結果は、もう少し先に感じていきたいと思っています。

 

 

ネガティブ・ケイパビリティ

ネガティブ・ケイパビリティとは、 答えの出ない事態に耐える力のことを言います。withコロナの出口はまだ見えない中、今日はこの言葉をご紹介します。

 

多くが悩める時、最も必要と考えるのは共感力だと言います。共感が成熟する過程を共に過ごし、容易に答えの出ない事態に耐えていく能力をさします。イギリスの詩人、ジョン・キーツにより発見され、従軍精神科医であったビオンにより一般化しました。

 

 

ジョン・キーツのエンディミオンという詩をシェアします。

 

  美しいものは永遠の喜びだ

  それは日ごとに美しさを増し

  決して色あせることがない

  わたしたちに安らぎをもたらし

  夢多く健康で静かな眠りを与えてくれる

 

  それ故毎朝わたしたちは花輪を編み

  自分たちを大地に結び付けるのだ

  落胆していようとも 暗澹とした日々に

  生きるのがままならないとも

  なにもかもが意に反して

  むしゃくしゃしていようとも

 

  わたしたちの心の暗闇から不吉なものを

  追い払ってくれる美しさがある 

  太陽や月の美しさがそうだ

  また若葉を芽吹いて繁みとなる木々

  緑に包まれてのびのびと咲く水仙たち

  灼熱の季節にも自分のために

  涼しさを生み出す小川の流れ

  麝香バラの咲き乱れる森の繁み

 

  またわたしたちが偉大な死者について

  思い描く運命の壮大さや

  聞いたり読んだりした美しい物語の数々

  天空の一端からわたしたちに降り注ぐ

  不死の飲み物の尽きせぬ泉に そんな美しさを感ずるのだ

 

 

ガンバ!





倍賞千恵子さんの透き通るような声のこの曲を聴きかながら書いています。


原曲は軽快な曲でしたが、こうしてバージョンを変えてみるとこれはこれでよい味わいが出てきます。



さて、

人にもバージョンみたいなものありますね。

いくつ自分のバージョンを持っていますか?

いつも同じバージョンで、出せない自分が内面でストレスが溜まっていませんか?


バージョンアップだけでなく、

別バージョンもある(出せる)と、楽かもしれませんね。

そして意外な自分は、あなたを活性化させるかもしれません。


予定調和的な世の中だと、そんな自分を出すのは難しいですかねー。

 

 

ギリシャ神話では、全能の神ゼウスと記憶の神様ムネモシュネの間には9人のミューズが生まれました。

ミューズは文芸を司る美しい娘たちです。それぞれが個性的な音楽や文芸を奏でます。芸術の神、アポローンが彼女たちを取りまとめます。音楽や文芸は多様性があることが大事でその魅力でもありますね。


ここで描かれるアポローンはなんかゆるい視線ですねー。ちゃんと周辺視野が使えている気がします。(周辺視野が使えててないと他人に何となくピリピリする威圧感を与えてしまいます。)

こんなアポローンの元なら、雰囲気、空気感も良くなり、皆んなの自然な魅力もが出せそうですね。そしてアポローン自体もバイオリンを奏でています。アーティストへの共感力も高いでしょうね。



自粛生活で、自宅にいて違和感が増える方が多いと聞きます。

こんな時こそ、あなたの別バージョンを出したり、別の文化、文芸に触れるチャンスですので、何かトライしてみてみては如何でしょうか。

チャレンジでなく、トライしてみる気軽さや、緩さが、雰囲気を柔らかくします。

視線を緩く、自らも共に楽しい時を創造できるといいですね。



多様性に触れるだけでも、心は動き出したり、違和感が無くなったり、蘇ったりします。

自分ためだけでなく、他人のためにもなりますね。



なお、この動画のお話は僕ら世代には懐かしいものです。

ガンバと仲間たち。仲間と冒険の旅に出るお話です

自転車で

新しい季節は何故か切ない日々で

河原の道を自転車で走る君を追いかけた

 

と、ギターを弾いていて、ふと、自転車に乗ろうと思い立ち、自転車出してきて目黒川沿いを走ってみました。凄い久しぶりの自転車は結構楽しかった。

 

空気を入れ直したり、掃除したり、出発する前の準備が手間取りました。いつもと同じ風景ですが、風を切って走ると、歩くのとは違う場所のように風景画流れていき新鮮ですね。

 

秋の講座のプログラムを考えてました。マスク姿、ディスタンス、ペアワークは無しかな。

色々想像しながら手探りです。その頃は収束しているといいなぁ。

ライフスタイル



致命的な病が生活習慣病になった現在、ライフスタイルの構築や再構築は、人生の後半の健康年齢を上げていく為の有効な手段だと言えます。日々何をしていくか、その積み重ねが自分の人生を規定していくと言えます。



ライフスタイルは、単に好き嫌いとかでなく、生活の様式・営み方。また、人生観・価値観・習慣などを含めた個人の生き方まで含みます。今流行りのアドラー心理学でもこの言葉を使いますね。アドラー心理学だと、ライフスタイルは、性格であるとします。だから生まれつき決まっているものではなく、自分の意思で決めたものであるため、いつでも変えることは可能だとしています。

 

ライフスタイルは、信念と感情と習慣がごちゃっとして、改めて考えてみないと無意識に運用されている場合も多いです。そして無意識に運用されていて、言われてみるとそうだ、とか、気がつくとそうだ。

みたいに現実を作っていきます。時に少し確認したり、見直したり、できるものであるような気がします。

 

たぶん、どの人も、もっと自分らしい生活や、違和感を感じ始めてそこから抜け出る時に、結果的にライフスタイルを変えてきているように思います。コロナ禍で、未来予測も変更を余儀なくされた方も多いと思います。仕事を変えたり、起業も流行っていますので、セミナーとか、マーケティングとか、集客とか、ネット活用のノウハウを提供を考える方も多いと思いますが、身体感覚がリードしていくタイプの方も多いんじゃないかと思います。


最終的に長続きするには、身体感覚がが大事ですね。無理は続きません。時代はどんどん変わっていきます。今まで以上に心身は悲鳴を上げています。これまで以上に、体がニュートラルであることに意識を傾けて行って欲しいと思います。

身体の全体性の総点検、知覚や認知など脳、神経、メンタリティの状態の確認という意味でも意義の高い10シリーズ、アウェアネスシリーズだと思っています。


自粛期間終了後(6月、7月スタート)の予約受付しています。暫く新規の方は毎月3名迄とさせて戴いてます。

コース説明もお気軽にご相談下さい。


 

内臓ありますか?

さて週一の夕食当番、今週はシチューを作りました。

 

近所のパン屋さんにバゲットを買いに出かけました。帰り道、バゲットを小脇に抱えた格好になり、フランス好きだった十代の頃に憧れて、その後パリに行った際、リュクサンブール公園の脇をバゲット抱えて歩いたことを思い出した。(写真撮る用、つまり、今時でいうインスタ映えでしょうか。多分、アナログ写真探せばどこかにあるでしょう)

 

さて、こうしたイメージに、どれだけ動かされて来たのでしょう。セブンマイルブリッジを走るとか、エアーズロックとか、ワールドトレードセンターとか。若気の至りで育った少年は五十代になりました。

 

外国映画を見て、英語の曲を聞いて育った世代だから、やっぱりホンモノを見たかったのしょう。今時、日本のアニメに出てくるあの風景を見にくるアジアの若者の気持ちが少しわかる気がします。ホンモノがみたい気持ち。

 

皆、多感な時期があり、憧れや夢、自分の「生」をぶつけて、生きていることを確認しているのでしょうかね。

でも、そういう思いがある時は、その時、その時に、伝えたいこと伝えたり、やりたいことをやっていった方がいいと思います。

 

結果でなくて、プロセスに生きる、目先のことを考えてあれこれ動くよりも、長い目でみれば、そっちの方がずっとおトクです。 昔より人生長くなりましたから、急ぐ必要もないです。忙し過ぎて忘れないようにすればいいだけです。

 

 

新しいものと触れ合えば、いくらでも素敵なものと出会えます。

やっぱり猫が好き

こんばんは。

同名の番組が昔フジテレビでありました。

 

マンションの一室を舞台に恩田家の三姉妹と飼い猫という設定で繰り広げられる騒動を一話完結で描いていました。ステイホームの自粛期間中。それぞれの家の中ではどんな感じなのかわからないけど、こんな自粛生活なら楽しいなと思います。

 

今はスマホがあるから、こんなに喋らないのかもしれませんね。30年前のコミュニケーション&家族の距離感、空気感、関係性、ご覧ください。ドラマ的には今見ても十分面白いです。

 

やっぱり〇〇が好き。

そんなものが人生にあると楽しいかもしれません。

 

YouTubeにあったので貼っておきます。

知覚の降り立つ身体

こんにちは。

 

自粛期間どのようにお過ごしでしょうか。いつもと違う生活をするということに違和感を感じられている方もいるかもしれませんが、こういう時は、色々な意味でチャンスでもあります。

 

 

普段、感じることが出来ないことが感じられます。違和感とて、決して悪いことではありません。何か違う、変だな、ということを感じとると、それを意識し、違和感を無くそうと、身体的に思うものです。特に今回は、ライフスタイルに対する制限でしたので、ライフスタイルに関して、何か思うことがあったように思います。

 

自粛期間になって、僕が聞いた話ですと、「電車乗りたくない」とか、「ライブに行きたい」とかありました。「zoom飲みは楽しいけど疲れる」とか、「子供と一緒の時間が長いのは、キツい」とか。「サブスクで映画を見まくって、時間を費やしている」とか、「家族が戻ってきて楽しいけど、疲れる」とか。たくさんの気づきの話を聞きます。日常と違う状況に置かれ、感じていること、気が付いたことは、意識的に何がが目覚め、無意識的になっていたことを、少しだけでも自覚し、その後の生活や仕事に、少し反映されていくことになると思います。

 

 

アーティスト、荒川修作は、難解な言葉、意味深な言葉を、たくさん残してくれました。

 

 

「五感なんてくだらない。ぼくたちにはナンバーのあるだけ感覚があるんだ。」

 

 

「観察なんて時代は終わったんだ。 構築するんだ。」

 

 

「人間の頭の内側とその人の存在する環境は等しい。」

 

 

「意識とは「躊躇」の別名。」

 

 

荒川さんの残したその言葉は、現実感がなかった人でも、今なら少し感じれるような時なのかも知れません。

 

 

ボディワーカーにとって、無意識の知覚に触れる言葉でもあります。

ロルフィングのセッションをした後に、これらの言葉を目を閉じて深い意識で感じていると、

ふと、言わんとしていることがふと知覚に降りてきます。

それはなかなか説明の難しいことです。しかし確かに今ここで、この身体に降り立っているのです。

 

ディスチャージ

こんばんは。

 

セッション中には、色々なことがおきますが、その一つにディスチャージというのがあります。

 

ディスチャージ?あまり聞いたことのない言葉かも知れません。チャージ、充電するとか、エネルギーを溜めるとかの逆の言葉で、発射、 放出、 流量、 放電、 排出、 また抜染(ぬきぞめ)などの意味があるそうです。言葉で見ていくと面白いですね。でも、エネルギーには色々なものがありますので、こうして言葉で見ていくとなるほどなと思うこともあります。中にはエネルギーを溜め込み過ぎて、過充電のような状況になっていて身体的な違和感がある人もいるのです。その場合はディスチャージが必要と言えます。

 

言葉で表現するのは本当に難しいのですが、具体的にどんなことかというと、それは、涙だったり、声だったり、行動だったり、昔の記憶だったり、少し潜在していた意識の中間領域にあるイメージだったり、トラウマ的な出来事だったり、気づきだったり、実にさまざまです。ロルフィングは、必ずしもディスチャージの為に行うものではけしてありませんが、エネルギー的なワークを行う場合もあります。

 

どんな時に起きやすいかというと、セッションが進み関係性がある程度打ち解けてきた時、或いはセッション中に少し深いワークに入った時など、またムーブメントで、初めてする新しい体の動かし方に触発されて出てくることが多いです。ディスチャージが起きるのは、体の中の何かしら固めていたものが外に出てくる時に起こるもの。ブロック、代償行為やトラウマなど、何かしら固めていた、留めていたものが放出されるもの、その無意識下の関係性に内在していたイメージや文脈が新しい動きの獲得と共に発露してきたものでしょうか。 

 

自分自身では出せなかったものが外に出てくるわけで、気分的にはスッキリしていい気分、感情になることが多いです。本人も思いがけないことが多く、しかも他人の前で起こったことに本人はビックリすることもあります。また一度に出過ぎてしまうとまた元に戻ることもあり、少しづつプロセスを踏んで出していくことが大切といえます。その為、メンタル的な葛藤のセッションでは、プロセスを踏んで行くために、アウェアネスコースでのセッションをお勧めしています。

 

 


我ら、哺乳類

筋膜を緩めただけで、すごく身体が楽になるし、立ち方も歩き方も変わることを実感しました。本来の人間の機能をおかしくしてるのは自分自身の身体の使い方なんだなと気付きました。身体のいろいろな機能がつながってくると、力を入れなくてもまっすぐ立てることができるし、歩くのも楽です。

 

ロルフィングは、自分にとってたくさん「初めての体験」がありました。10シリーズは、各セッションごと、それぞれに違うテーマがあって、それぞれ感じることが違い、毎回面白かったです。吉田さんは筋膜と話せる「ムツゴロウさん」みたいだな~とセッション中、いつも思っていました。(→全文

 

 

 

 

(ロルファーコメント)

それにしても、色々なクライアントに感想が語って頂いていますが、ムツゴロウさんはびっくりしました、笑。確かに身体というのは動物と共通している部分も多く、ボディリーディングして、体の声を聞く、という意味では、ある意味当たっているかも知れません、笑。

風を切って走る

こんばんは。先週、自転車を取り出してから少し行動範囲が広がりました。ウォーキングだと距離にすると4〜5キロ位でしょうか。自転車ですと8キロから10キロ位まで伸びるようです。10キロも走るとちょっとした運動ですね。


前にスポーツクラブに行ってましたが、室内より、外で風を切って走っている方が走った感がある気がします。風景も変わるし、風もあるし、人や車を避けたりしてただ走るだけでなく、様々な知覚を駆使しているのでしょうね。

 

さて、自転車ですが、慣れないせいか、お尻がちょっと痛くなることがあります。サドルとペダルとハンドルでバランスを取って乗っているわけですが、身体を運ぶのにちょうどいい感じを引き出してくるには、ちょっとした違和感をちゃんと感じることも大切です。サドルとペダルとハンドルのバランス、ミニマムの自分を感じるのにとてもよい時間を自転車は提供してくれます。



「違和感を感じて、自分を調整する。」こうして活字に書くと、当たり前のことですが、ちょっとした新しい身体感覚です。自分で自分を調整する、セルフケアと呼びます。この方法論、今時は、他の場所でも通じる大切な感覚の気がします。

 

スマホアプリをはじめ、機械の方がより便利にシフトして、人間に合わせてくれるので、私たちはすっかりその中で生きてしまって少し我がままになり、自分を調整することを忘れがちです。アプリのように身体や他人は動いてくれませんものね。


自分も調整することの中に入れておくこと、スマホ時代は大事なような気がします。ちょっとしたことですが、それだけでも環境と調和することが容易になります。つい、違和感を感じた時に、文句を言う、誰かのせいにしてしまう、そんなことが昔よりしやすくなっている気もします。

 


風を切って走る。

気持ちいいですよ。

バランスが変わる

こんばんは。

 

ウォーキングとセルフワークを続けているせいか、右足の立方骨と舟状骨がバランスを変えようとしています。ロルフィングが面白いのは、このように、変化は少しづつ続いていくことだと思います。ストイックに極めようと思えば、身体の統合度はかなり向上していくことになります。



ロルフィングはマシンやケミカルは使わないボディワークですので、変化はゆっくりですが、意識していける部分は、徐々に変わっていきます。

 

そして変化が自分のボディイメージや新しい動きとシンクロしていくには、更に暫くの調整期間に入り、やがて自分の新しいグラウンディングや動きに繋がっていきます。


僕がロルフィングを受けて10年が過ぎようとしていますが、ロルファーでもあるし、自分に探求していく限り体の変化は続いています。その新しい変化の違和感に応じて、新しい身体感覚になっています。足でのちょっとしたバランスの変化ですが、それは時間をかけて、全身に影響し、さらにより自分の身体になっていく、そんな気がします。


変わってく身体や知覚と共にいるだけでも結構楽しめます。自粛期間自分の身体との対話だけでも飽きない位に身体というのは色々なテーマが存在します。自分の内側の距離感を感じていくワークとかよくやるワークです。今年はセルフケアに少し拘っていきたいと思っています。


 

さて、緊急事態宣言も解除になりました。

宣言の間は毎日書くと決めていましたが、通常のペースに戻したいと思います。  

月次検索

 

ブログアーカイブページを誤って消してしまい、このページよりレスキューしました。復旧までこちらでお願いします。

 

ブログ月次アーカイブ

 

6月1日より通常営業致します。

緊急事態宣言により、営業自粛しておりましたが、25日解除になりましたので、6月1日より営業再開致します。また新規のコースも受付再開いたします。

 

なお、6月30日までの新規10シリーズお申し込みのお客様(スタートは7月の予約もOK)には、10シリーズ+スペシャル1セッション(各月3名様まで)にてお待ちしています。

 

なお、衛生面は、国の基準、更にアメリカロルフィング協会に準じてお待ちしています。

 

なお10シリーズ終了後のメンテナンス3〜5シリーズのお客様にもプレミアム付きでお待ちしています。ご予約時にお知らせします。

 

人体を理解すると動きやトレーニングに差が出る。

こんばんは。

イチローのインタビューを聞いてました。なるほど、自分の身体のこと、いろいろ分かって、野球をしていますね。

 

情報化された、いいと言われるものを取り入れて、最短距離を進むよりも、自分にとって必要な失敗は失敗として、身体的に経験しながら、遠回りしながらも、プレーして行った方が、野球の質が深くのだなるそうです。僕もそうだと思います。

 

プロの野球選手でなくても、その人の人生の中で、色々な身体の使い方をしていくと思いますが、自分の身体を分かっていると、色々な人生経験が深くなっていくのは同じだと思います。色々な人生がありますね。

 

それ以外もいろいろいい話をしています。

お時間ある時に観てみてください♪

人も自然である

自分の内側のことは、考えても分からない。

 

都市生活をしていると、考えてすることが多すぎて、自分の体調がどういう風になっているのか、分からなくなってしまった。たまに、揺すったりして、刺激を入れてやらないと、気づきもしなくなっていると話します。

 

元々人は自然の中で生きていた。たまには、森に行こうとおっしゃっています。本当にそう思います。忙しい方のためにダイジェスト版をリンクします。興味が湧いたら、完全版をどうぞ。

https://youtu.be/PRr-zg5u-0s

 

今コロナで少し中断していますが、毎年4、5箇所づつ、東京と違う場所を求めて旅を続けていました。その過程で、不自然であった仕事、(経営していた制作会社)を締め、ロルファー活動と、コミュニティ活動にシフトしました。

そのことを伝えた人からは、「利益が出ているのになんで締めてしまうのか!勿体ない!」と言われることもありましたが、結果的に、自分のペースに戻ることにより、自分の時間が増え、人との関係性が変わってきて、自然な自分になった気がします。

 

自分の中庸のポイントは、その人ごとに違うと養老さんは話します。孔子がいう中庸とは、真ん中でなく、自分のバランスに中心に戻ることだと話していますね。さて、あなたはどんなことを思われますか。

 

僕は、昆虫採集は出来ませんが、都市に滞在し、身体という自然と出会い、色々なことを感じて、その自然を有する方に気付いていただく時間を提供しています。養老先生も話してますが、一番身近な自然、有機体である身体と出会う体験を提供しています。