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3年ひと昔

3年前にとある能を見に行きました。

最初の演目は、仕舞は砧でした。

砧のストーリーはこんな感じです。

 

 

訴訟のため都へ上っていた芦屋の某(ワキ)は、三年目の秋、年末には必ず帰郷するという伝言を侍女の夕霧(ツレ)に託す。故郷へ下った夕霧は某の奥方(シテ)のもとへ向かうが、奥方は寂しい日々を嘆くばかりであった。やがて、遠くで里人の打つ砧の音を聞いた奥方は、「夫を思う妻の打った砧の音が、遙か遠く離れた夫のもとへ届いた」という中国の蘇武の故事を思い出し、慰みに自らも砧を打ち、感傷にひたる。しかし、再度の使者が来て、某は年末にも帰らないと告げられ、奥方は絶望し亡くなってしまう。妻の訃報を聞いた某(後ワキ)が急いで帰郷し、弔っていると、奥方の亡霊(後シテ)が現れて夫の不実を責めるが、やがて法華経の功徳によって奥方は成仏するのであった。

 

伝統芸能の面白さの一つに、時代背景や意識する感覚の違いというのがあります。

 

訴訟で3年。現代よりも短い人生の中で、3年家を不在する感覚。

そして電話もメールもない時代。顔を合わせることが今ここで、遠くへ出かける時は一生の別れにもなりうる一大事だったのだろうか。どんな経済や関係だったのだろうか。どれだけ情念が込められた関係性なのか。恋愛という言葉さえない時代に、身を焦がす思いがどれほどのものだったか、どれほどの情報力があったのだろうかと。 

 

想像は膨らみます。

 

 

さてコロナ禍の3年間、色々なことがありました。

違う時間を過ごしていた気がします。

自分と向かい合う3年だったと思います。

色々な違和感、色々な気付き、色々な学びがあったと思います。

 

 

今度観る時は、少し違う現実感で観れるかも知れませんね、

時間感覚がコロナ前とは少し違う気がします。

 

さて3年ぶりの生存確認のメルマガでも出してみようかと本日思った次第です。

お元気にお過ごしでしょうか、皆々様。