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いるもの、あるもの。

日本語では「いる」と「ある」の使い方を分けています。一般的にいうと、生物は「いる」で、無生物は「ある」です。

 

しかし例外もありますね。例えば我々は、動く可能性があるものを「いる」といい、動く可能性がないものを「ある」というと思います。

 

生物か無生物かということよりは、「動く」ということが日本では大切にされています。だから、生物である以上、我々は動いていないとしっくりしません。動かなくなると、身体的に違和感が出てきます。特に日本人は動いてないと無意識的に違和感が増していくのではないでしょうか。

 

例えば身体を動かそうとき、その深いところでは、血が騒いだり、内臓からの欲求がきたり、脳がたまらなく楽しいことを探す。そんな動きに基づいて人間はできています。最近は、そんな全身を使った欲求的な動きをすることも少なくなっているかもしれませんが、全身からくる欲求にまで育て上げると全身全霊を込めて行いますので、その動きの実現度、完成度は高まっていきます。

そして、同じ動きだけでは飽きてしまうので、たまには違う動きをする方が身体的には健康的であります。

動くということは、健康にも取り入れられています。

 

 

WHO憲章の中で「健康」について、次のように定義しています。

 

Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity. 

 

健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。(日本WHO協会訳)

 

この定義によって、WHOでは、医療に限定されず幅広い分野で、人々の健全で安心安全な生活を確保するための取り組みが行われています。この憲章の健康定義について、1998年に改変されています。

 

Health is a dynamic state of complete physical, mental, spiritual and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity. 

 

静的に固定した状態ではないということを示すdynamic は、健康と疾病は別個のものではなく連続したものであるという意味付けから、また、spiritualは、人間の尊厳の確保や生活の質を考えるために必要で本質的なものだという観点から、付け加わりました。

 

健康とは動き続けることでもありますね。動かなくなったところから、不健康は始まっていきます。初期の病的状態も動いていると治っていくことになります。

 

この動くというのは、スポーツという意味ではなくて、様々な身体的な動きです。強度が必要な場合もありますが、強度よりも体がバランスよく、全体が使えているかが大事だと思います。

 

 

人間はいるものとして、長らく生きてきましたが、

これからはあるものとして捉えるといいのかもしれません。

動かない部分を知ること。

そうすると、他のものの動きが見えてきます。

その他のものと関係を作る自分も見えてくる。

 

例えば森のように、例えば海のように、

多くのものを活かしたり、包み込んだり出来る存在に

一人一人がなっていけるのではないか、

 

自分という

コンテンツからコンテクストへの移行は、

まず立ち止まってみるところから始まる、

そんな気もします。