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作り手になる。

こんばんは。

 

映画を見ることだけでなく、映画の作り手として映画に触れることにより、今まで断片的だった映画の知識が統合されてきました。そしてこれまで物語を中心に観ていた映画が、物語以外にも着目するようになります。それまで物語に翻弄されていた自分が映画を客観視し始めます。

 

これは以前関わっていたゲームの世界でも同じです。プレイヤーとして関わるのと、作り手として関わるのは全く違うものを見ていることになります。懐かしい話ですが、雑誌の企画で「プレイヤーから作り手になる」というテーマで、クリエイター企画をなんども作ってきました。作り手意識が、ゲームに飲み込まれない1つのスタンスと言えます。

 

多分、人間が関わること全てにおいて同じなんだと思います。自分の人生を眺めるようにみている状態から、自分の人生に関わるようになった時、そこでの決まった流れや空気感、忖度されている阿吽を超えて、今そこで、判断された現実が動いていく。自分で考えて動く。変化に対して自分は、不安になり、混乱し、ひるむかも知れませんが、自分に負けずに現実を進めていくと、そこには新しい人生の見え方が始まり、人生はやがて輝き始め、新しい物語が始まります。

 

 

しかしいくら自分の人生に関わろうとしても、寝て起きると、日常の中に埋没して、そのこと自体忘れてしまったり。風景の中にいると決まった日常の中、我々は同じ物語の日常を繰り返していきます。現代都市生活は、気がつくとルーティンワーク&ライフに埋没しがち、そんなことも多いでしょう。

 

ルーティンから抜け出すのには、新しいことを学ぶよりも、現状に気づくことがどれだけ大事か。気づいたことは日常生活に採用し、自分に必要のない生活習慣を手放していくと、少しづつ現実は変わっていきます。「自分ごとにすること。それが主体性へと繋がるヒント」だと、一昨年、緑化事業を進める建築・まち づくりプロデューサー甲斐徹郎氏から学びました。

 

「自分を自分ごと化する。」書いてみると当たり前で、不思議な感じですが、それだけ自分の人生を送っていない人が多い気がします。なかなか難しいし、理解と体現で違うのでしょうね。よく分からないという方は、まず自分の身体から自分ごとに、してみましょう!