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年輪

こんばんは。

 

先日のRollingthunderの中で引用した感想に書かれていた2つ目の「びっくりしたことがもう1つ。」という話が不思議だと、何人かに言われたので、ちょっと補足で追記してみたいと思います。そういえばご本人にも解説してなかったので、ちょうどいい機会です。

 

ただこれはイメージの話です。僕が自分のブログに書いた、セッションに置けるリアリティです。

 

 

体の中、骨とか、筋肉とか、臓器とか、筋膜で覆われ、そして筋膜で、繋がっています。主に表層筋膜とか、深層筋膜とか説明しますが、この膜的な世界は、複雑なレイヤー(層)的な世界が広がっています。

 

そのレイヤー的な世界は、解剖学の本で現わせるような、単純な感じではなくて、複雑なカオス的世界の繋がりを、触れていく知覚で、探っていくような感じです。そういう複層的なボディが、体の表面の見えている体の下に広がっているのです。イメージしやすいように、例えてみると、年輪みたいなものをイメージしてみてください。年輪みたいに綺麗に並んでいる人は稀で、歪みやズレがたくさん記憶されて、身体にややカオス的に残っているという感じで、無意識は、頭のどこかにもあると思いますが、身体にも沢山記録されているように思います。集合的な無意識は、個体を超えて行くと言われてますね。

 

 

人間の体の中は、解剖学の本に書いてあるようなものだけではないです。生きている体は、動きがあります。有機的に動いているシステムの集合体、動いているリアリティを感じ続けていく集合体。そんな多元的な存在であるように思います。

 

目で見える物質的なものからの繋がりで基本はセッションを行いますが、時に目で見えない層(体の深い層)複層的な別のボディや、体の外あるその人の生命波動に働きかけることもあるということです。そういう方法論もある。テクニックの一つだとお考え下さい。それは確かに不思議なことですが、この世界にはそういうことも存在するということですかね。こういうのはGoogleのビッグデータには入っていかない、身体的な一次情報なんでしょうね。

 

僕は別に習ってはないので、多分人間の体に内在する何か自然の力だと思います。少し見当で話しますが、近代人とか、現代人は出来なくなってしまいましたが、多分大昔の人は、出来た技術なんだと思ってます。30代から取り組んでいた様々な身体技法やロルファートレーニングして、身体性を活性化している最中に、僕の体に何かが起こったと思っています。

 

思えば、人間は、文明が進む中、便利さを追求し、共有できることを優先し、その他のことを排除し、社会を発展させてきました。その中で、非合理的なもの、そして身体性を失い、社会は発達してきました。今はその最終段階として、情報機器を多用する社会に我々は生きています。快適と引き換えに、また人間の身体能力の何かを失いつつあるのかも知れません。自分の身体の可能性を感じとる経験。自分の体との対話。どこか痛めている部分がなくても人生の真ん中くらいになったら受けてみる価値は高いと僕は思っています。知覚とともに人生がリフレッシュされていくと思います。