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インディゴ

 

普段ジーンズを履いていることが多いです。インディゴは、ジーンズにも使われる歴史の古い染料の一つです。髪を染めている時代は、ヘナとインディゴで染めてました。最近は染めるのを止め、白髪混じりの素の髪で過ごしています。服の方は、シャツやジーンズでインディゴを使い続けています。僕は無意識的にブルーが好きみたいです。人からもブルーが似合うとよく言われます。

 

インディゴ繋がりで話は少し飛びますが、特別で変わった特徴を持ち、時には 超自然的な能力を持つとされる子どもたちをインディゴチルドレンと呼びます。(大体1977年頃から 1994年頃の間に生まれているそうです。)インディゴチルドレンと言われる子供たちの多くは、注意欠陥・多動性障害と診断されることが多いです。

 

 

もちろんこれは、一般側、しかも文学的な呼び方で、本人側の論理ではありません。インディゴの魂は、深く潜在意識にありますが、時に表層に現れる、あるいは、深い意識で持って生まれてきているのかも知れません。

 

 

一般化の用語としては発達障害という部類に入るのでしょうか。発達障害に関しては、近年NHKを始めキャンペーン中らしく、色々な場所で書かれることが多く、治療的なスタンスで触れられることが多いですが、普通でないことを恐る日本人的な自我は、言葉にやられてしまい、なかなか表には出てきにくい話でした。

 

 

近年は少しづつオープンになりつつあります。色々な人間がいるのが社会であると。日本社会も成熟化を迎えています。オルタナティブな観点から書いておきますが、例えば、アメリカの心理学者のデヴィッド・コーヘンは「医学的な観点では、ADHDは障害や疾患であるが、親なら自分の子どもに疾患があると考えるよりも、才能を持つと考える方がずっと魅力的だ」と指摘しています。扱いかや在り方で、才能として活かすことが充分に考えられるということです。さて生かしますか、潰しますか。それとも治しますか。

 

自分の中のオルタナティブとどう関係していくか。そういうことが気になるか。気になるか。葛藤は人生を通じて続きます。時間を経て無意識や身体を読み解いて行くとインディゴが表層意識に現れてくることがあります。出会いは、気づきを生みますね。

  

そうしたインディゴチルドレンも時間が経ち、親にもなりました。そして親子関係の中で、ぶつかったり、彼らは助け合ったりしています。彼らは、家族を大切にし、共に生きようとしたりします。お母さん、お父さん、子供たちは、潜在意識で出会い直したり。

 

舞台は、時空を超えて、心と身体でのダイアローグだったりします。そして現実世界で再会したり、同じ舞台にたったり。まさに出会いです。あなたの葛藤や違和感の背景には、様々なエッセンス的なインフォメーションが関与しているかもしれません。

ニューロダイバーシティ的な世界が、社会に顕在化してくるのはそろそろでしょうかね。楽しみです。

 

 

オリンピックを機に日本は大変な時代になる。衰退すると考える人と、

オリンピック以降は日本は、ニュートラルに発展するという人両方の方々にお会いします。少し見えている世界が違うのかも知れません。

 

そして多様に広がりつつ様々な世代のインディゴ達は宇宙的な発想で現実社会を見ていて、出会ったりしています。

 

 

時折、セッションや街中、旅先や仕事でお会いします。ネイティブもいるし、オルタナティブもいるので、シッカリと対話してないと気付かないこともあります。

 

オリンピック・パラリンピックのお手伝いをした後、どうしようか。次の動きをボーッと考えていましたが、昨夜とあるインディゴさんから、ちょっとしたアイデアを頂き、ビジョンが生まれてきました。共時性が導くもの。そして自分が導くもの。未来も、過去も、自分の中に内在していますね。