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父の死

友人から、両親の認知症状を嘆く話を聞きました。御年91歳だそうです。仕事を抱えながら、認知症を支えていくことは、大変ですね。母の介護時代のことを思い出します。

 

私ごとですが、今、父が生きていれば、ちょうど今年91歳。

同じ年ですねー。

父が亡くなったのは僕が30代の頃。

それは呆気ないほど突然のことでした。

 

 

家族旅行で海外に行く出発の数日前、姉から電話があった。

「父が検査入院するよ。心配しないで旅行に行ってらっしゃい。戻る頃検査結果が出てるから一緒に聞きに行こう。」

姉はそう言った。

 

幼き娘を連れて初めて海外に連れ出した時だった。旅行から帰ってきてお土産を持って実家に行き、その足で、母と姉と連れ立って大きな大学病院へ出かけた。

 

病状について説明があった。喉頭がん。ステージ4。余命は3ヶ月。青天の霹靂だった。

父が死ぬ。そんなことは考えたことがなかった。

想定外の出来事はこうして始まった。

 

病室に行くと父はいつもの憎まれ口を叩いた。

「なんだ、オマエでも少しは心配とかするのか。」

 

僕は言い返す。「ただ来ただけだよー」

「検査入院だからすぐに家に戻るから」

「うん。」

 

父が家に戻ったのは確かにすぐだった。

その会話をした1ヶ月後、父は遺体となって戻って来た。

 

その日から、僕の中の何かが変わり、変容し始めた。

現実は変わりながら、父の魂は僕に引き継がれ、

よく目が見えるようになった僕は、現実と向かい合うことになり、

現実は加速し、僕の生活と仕事は大きく変わっていった。

      

想定外のことは、想定外のことを生み出していく。

想定外に必死に対応し、現実は動き、

そして、また想定内に戻り、

次の想定外のことまで物語を紡ぐ。

 

 

さて親の死の前後する時期にロルフィングを受けられる方いらっしゃいます。

今年度は多かった気がします。

そんなタイミングで、身体も何か違和感を感じやすいのでしょうか。

体の中の身体記憶がそうさせるのでしょうか。

長いシリーズの中で、は、親との関係性の話が出てくることが多いです。

魂は身体や、深い意識の中で出逢いに来ているのでしょうかね。

 

 

視線を遠くする時、過去と今の距離感は近くなり、

そして繋がりが生まれ、知らなかった真実に気づくことがありますね。

そういえば一昨年作ったセルフドキュメンタリー映画でもこのテーマを扱いましたね。