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旬もの

お客様から季節のお便りを頂きました。サクランボウが生ったそうです。僕も昔サクランボウを育てていたことがありますね。確かもう25年くらい前のことでしょうか。知人の家に置きっぱなし、さてあのサクランボ はどうなったでしょうか。今度見に行こうかな。サクランボウは一般的には「初夏の味覚」であり、夏の季語です。

 

サクランボは結構好きな部類のフルーツです。一般には佐藤錦が人気ですが、食べる分にはアメリカンチェリーの方が僕は好きです。まだ今年は食べてないですね。そろそろ出てくるでしょうか。

 

今日は空豆を頂きました。空豆を食べると、うちに手伝いにきていたおばあちゃんを思い出します。その時の旬もの、とうもろこし、枝豆、空豆、蒸しいも、栗。学校から帰ると、フキンがかかったザルに、何かおやつが置いてあって、それを食べてから、遊びに出かけてました。

実は、実家は八百屋さんだったので、果物も食べ放題でした。

 

 

その頃って日本の人口は今よりずっと少ないはずなのに、何故か商店街にはいつも人がいて、賑わいがあり、街から声が聞こえてきて、色々な人が、闊歩していた活気あった昭和の日本です。街にいる色々な方に出会いながら、他人の姿を見て、学びや気づきがありました。街は学びや気づきの宝庫でした。今は街でなく、スマホですかねー。スーパーマシンスマホの発展は、街や家庭から賑わいや会話を、少なくしていきました。パソコン、ケータイ、スマホの発展と、クールになっていく人やカルチャーは、相関関係があるかもしれませんね。

 

さて話戻って、その頃出会っていた大人たちは、現在はご高齢になり、旅立たれた方もちらほらで始めました。最近、時間を見て、人伝いに連絡をとって、当時僕が出会っきた大人たちに逢いに行っています。僕は知っていること全部伝えます。「てっちゃん、そんなことよく覚えているね。」と目を回るくされ、その日の時間はあっという間に過ぎていきます。どこが面白いのかわかりませんが、僕の話す話は興味深いらしく、笑いと話はつきません。僕にとっても楽しい会話です。

 

懐かしい顔、しばらくぶりに見る新しい顔、そして煌めいていた昔話。時空を超え思い出が蘇ります。数時間のおしゃべりし帰路に。帰り際、玄関先に立って、見えなくなるまで手を降ってくれます。僕も大きく手を振り替えします。

 

何故か、気配も、空気感も、なんだか昭和の感じがしてきます。不思議です。
我々の意識というのは普段は表層を生きていますが場にコンテクストが生まれると、鮮やかに過去は蘇るものですね。

旬で出会ったものは、いつまでも残るのでしょうかね。

 

その日話題に出た曲を一曲