今週は部屋の片付けをしています。整理してなかった自分の机周りにようやく手が入り、積読状態の本が少しづつ片付いていきます。
人生で1番本を読んだのは(買ったのは)、学生時代、そしてロルファーになって色々な人と出会い出し、興味の対象が広がった頃。その時期の積読シリーズは、なんとなく根源、根本、原点を探るような時期だったのでしょうね。そんな中の一冊に縄文時代を巡る物語がありました。
定住しているようでいて、実は常に最適解を求めて動き続けていた縄文の人々。彼らにとっての「軸」は、静止することではなく、変化する環境に即応し続けるしなやかな身体性にあったのではないでしょうか。 今週紹介するアーカイブ記事「縄文の身体性と2026年の軸」は、そんな遠い記憶と、現代のワークアンドライフスタイルを生きる私たちが今立っている現在地を繋ぐ試みです。
静止してしまえば、そこは境界ではなく、ただの「場所」になってしまいます。 中心の無風状態に安住するのではなく、あえて周縁に吹く風の中に立ち、微細なノイズを聞き分けながらフェーダーを動かし続けること。
バランスとは、静止することではなく 動き続き続ける、美しき即興演奏(セッション)なのだ
私の古いメモ書きにはそんなことが書いてありました。安定しようとする時に中心にいることでは無く、自分の境界に立って、周縁をうろうろすることを肯定し、軽やかにステップを踏み続けること。それが、縄文から引き継がれ、2026年の今、私たちが取り戻すべき「身体の軸」なのかもしれません。
縄文の先祖たちが獲物を追って移動し続けたように、現代を生きる私たちもまた、スマホという巨大な「中心」に吸い込まれないよう、自分の足で周縁を歩き、リバランスし続ける必要がありますね。「動き続けることそのものが、私の軸である」この気づきこそが、最高にメロウなステップなのかもしれません。 →縄文の身体性と2026年の軸
