教員という仕事は、代わりの利かない責任の連続です。授業を穴に開けるわけにはいかない。そんな思いから、身体が悲鳴を上げていても「悪くなったら治療に行く」という受動的なサイクルを繰り返していました。私にとって身体は、自分の意志を運ぶための道具というより、どこか重荷を引きずって歩くような、そんな不自由な存在でした。
中学生の頃に受けた足の手術の跡が、ずっと静かなノイズのように残っていました。左脚の違和感から、いつもぺたぺたと地面を這うように、不安定に歩くのが私の「普通」でした。週末になれば、溜まった疲れをリセットするためだけに、泥のように眠って日曜日が終わる。そんな日々に、言葉にならない限界を感じていました。
2. セッション中の微細な変容:肌が思い出す光と風
セッションを重ねるごとに、身体のパーツが本来あるべき場所へ、パズルのピースがはまるように整っていくのを感じました。
特に忘れられないのは、第6セッションでの出来事です。背骨に優しく触れられていたとき、まどろみの中で突然、鮮烈な光景が蘇りました。それは幼少期に過ごしたカナダ、オタワの川岸。芝生に座り、風が吹き抜け、光がキラキラと水面に反射している。
それは「目で見た記憶」ではなく、「肌が記憶していた空間の感覚」でした。何十年も思い出さなかったその時の空気感が、ダイレクトに全身を駆け抜け、思わず涙が溢れました。「もう一度、自分自身に出会い直す」。そんな震えるような興奮が、身体の深部から湧き上がってきたのです。
3. 気づきの核心:身体の中に通った一本の軸
シリーズの終盤、私は自分の身体が「立体」であることを、生まれて初めて知覚しました。
足の裏に確かなアーチを感じ、踵が深く地面を捉える。そこから膝の裏を通り、頭の先まで、身体のど真ん中に一本のしなやかな軸が通った感覚。それまで平面的な世界にいた自分が、奥行きのある3次元の世界に降り立ったという確信。
「自分の足でちゃんと立てていることが、これほどまでに嬉しい」。その気づきは、単なる姿勢の改善を超え、他人の目ではなく、自分自身の在り方に従って生きるという、主体性への回帰でもありました。10回目のセッションを終えた帰り道、まるで物語の主人公になったような清々しさで、心の中には映画のエンドロールが流れていました。
4. 日常に持ち帰ったもの:ノイズの消えた風景
今、私は「頑張って」背筋を伸ばすことをやめました。朝、鏡の前に立つと、無意識のうちに姿勢はピンと整っています。
不思議なことに、自分を立体として捉えられるようになると、服の選び方まで変わりました。色や柄で選ぶのではなく、身体のラインの美しさを基準に選ぶようになり、同僚や生徒からも「おしゃれになった」と声をかけられます。
教室で生徒と向き合う際も、以前のような無意識のバリアは消えました。身体の繋がりがスムーズになるのと呼応するように、人間関係の摩擦も自然に調整されていく。週末に寝込むこともなくなり、日曜日の光を慈しむ余裕が生まれました。
5. プラクティショナーへの信頼:寄り添う「魔法使い」
吉田さんは、解剖図を用いて私の身体の状態を論理的に紐解いてくれる、誠実なガイドでした。「今、どう感じていますか?」という問いかけに、自分の感覚を言葉にする時間は、最初は戸惑いましたが、それは自分自身を大切に掬い取るかけがえのないプロセスとなりました。
彼は「魔法使い」のようですが、決して何かを強いる魔術師ではありません。私の意思を尊重し、寄り添いながら、私が私自身を取り戻すための土壌を整えてくれました。その静かな安心感があったからこそ、私は安心して自分の深い部分へと潜っていくことができたのだと思います
。
今、この新しく、けれど懐かしい身体で世界に立っている。その当たり前のような奇跡を、私は静かに肯定しています。
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