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耳を澄ます

 

2017年は変容の時でした。

一時期セッション漬けのようになっていた日々を脱してセッション以外のことを色々はじめた時です。

ちょうどその頃、ボディワークを教える仕事を頼まれたのもあります。

 

レギュラーの仕事として講師というのが目の前にやってきました。教えるのは得意ではなかったですが、与えられた場は確実にこなしていきたい気がしました。

 

思えば30代に専門学校で講師をしていたことを思い出します。

その頃は広告のクリエイティブが仕事でしたので、教える内容が違いました。

 

当時は、クリエイティブ発想はについて。そしてフリーランスについて。この2つのテーマで講座をやっていた気がします。

 

クリエイティブ発想は、クリエイティブという言葉を規定していくことを考えていました。ふわふわしたクリエイティブのイメージを自分のワークとして規定していくこと。(ボディワーク的にいうと、グラウンディングでしょうか。)


あとアートとデザインの違い。とかでしたでしょうか。実際に自分で作業してもらって、それについて、どう感じるか、どういう意図で作ったか、説明する、シェアする。そんな演習的な内容だった気がします。

 

フリーランスについては、サラリーマンとフリーランスの違い、フリーランスのメリット、デメリット。法人化のタイミング。あとは事例として、トラブルの種類と自分の対応方法の話。人生計画の中でビジョンを持ってプロセスを進めていくこと。仕事以外の仕事。など雑学的な話が多かった気がします。

 

ロルフィングやボディワークだと、ワークショップ形式であり、説明力、アプローチや手順を踏んで貰う確認作業、シェアの時間の取り方など、全く違う部分でのスキルが必要でした。発想するのと、動きや行動を伴うものでは、複雑性やプロセスが違います。準備するドキュメントや小道具も苦心した記憶があります。

 

 

そして他の作業をすることにより、自分にとって適切なセッション。ワークショップ。ひいては仕事量。いわゆるワーク&ライフバランスについて、考え直す時間となりました。


それまでオーバーフロー気味に生きてきた自分を振り返る時期にもなりました。教える側、教わる側という役割の違いについても改めて考え直しました。

 

そしてコロナ禍に、オンラインという環境ができて、オンライン対応のボディワーカーという試練に、なかなか対応できずに、ボディーワーカー以外の自分がムクムクと動き始めてしまい。自分のバランスが変わり始めたのもまだ記憶に新しいところです。ボディワークをメインとすると、自分には色々オルタナティブなスキルがあることを思い出しました。自分の人生経験や人間性の財産が格段に増えた時間が過ごせた気がします。



 

自分の向かい合う場、自己体現、今一度、自分の声に耳を澄ます時期を過ごすことができたコロナ禍だったと思います。

 

それは「聞く」というより、「聴く」こと。 

身を乗り出していくのではなく、

自分が落ち着いて聴くことが出来るまで「待つ」ということ。そして聞こえてくる声に耳を澄ましてみる、

色々な声が聞こえてきます。

 

 

 

今年の夏は蝉が鳴いていましたね。 

蝉の声、何だか少し安心します。