子供は父の父である―― ワーズワースの言葉が、もう一つの意味を持つとき

 

 

 

ワーズワースの詩に、こんな一節があります。

《The Child is Father of the Man》

子供は父の父である。

 

 

 

 

 

 

 

直訳すると奇妙に響くこの言葉に、最近よく立ち止まります。子供という存在が日々目の前で育っていくのを見ていると、ふと自分の中にも、まだ年を取らない「子供だった頃の自分」がそのまま住み続けているのを感じることがあるからです。

 

 

 

親という役割を生きることで、逆に自分の内側にある幼さや未完成さに気づかされる。そんな逆説が、この一行には詰まっている気がします。

今、曲を作る時にも、似たような感覚が顔を出します。誰かに向けて書いているはずなのに、気づくとそれは過去の自分への手紙になっている。今の自分が、まだ言葉を持たなかった頃の自分に向けて歌っているような瞬間が、確かにあります。

 

 

 

父との別れ

しかし、かつて自分が「息子」だった頃、父との関係はもっと複雑で、もっと不器用なものでした。

父が亡くなったのは、僕が30代の頃です。

それは呆気ないほど突然のことでした。家族旅行で海外に出発する数日前、姉から電話がありました。

「父が検査入院するよ。心配しないで旅行に行ってらっしゃい。」

姉はそう言いました。幼い娘を連れて初めて海外に出た旅行でした。

 

 

帰国し、お土産を持って実家に寄ったその足で、母と姉と大きな大学病院に向かいました。

病状の説明がありました。喉頭がん。ステージ4。余命3ヶ月。青天の霹靂でした。父が死ぬ。そんなことは考えたこともありませんでした。想定外の出来事は、こうして始まりました。

病室に行くと、父はいつもの憎まれ口を叩きました。

 

 

「なんだ、オマエでも少しは心配とかするのか。」

「ただ来ただけだよー」と僕は言い返しました。

「検査入院だからすぐに家に戻るから」

「うん。」

 

 

父が家に戻ったのは確かにすぐでした。ただし、その会話をした1ヶ月後、父は遺体となって戻ってきました。

父が病気で亡くなる三日前だったでしょうか。父と二人で話す機会がありました。沈黙の時間がしばし流れ、短い言葉のやりとりをしただけでした。父は翌日には意識を失っていたので、あの日の会話が最後の会話になりました。

 

 

あの時の僕はまだ歳若く、和解のようなことはできずに、その蟠りはその後の僕をずっと縛り続けていました。

数年前に、村上春樹が父親と20年も絶縁状態にあったという話を興味深く読みました。

 

父親が90歳で亡くなる少し前、村上さんは入院先を見舞い、人生最期のほんの短い時間の中で、ぎこちない会話を交わし、和解のようなことをしたといいます。そして後年、その歴史を書き起こすことで記憶違いに気づき、重しが一つ取れたような感覚があったそうです。

僕の場合、その重しは、もっと長く僕の中に居座ることになりました。

 

 

50代での再会

父の死は、あまりにも突然すぎました。嘆く時間さえ与えられないまま、僕の心はそこで凍結されたのだと思います。そして、その凍結の奥で、もう一つの魂が生まれました。

父の代役として戦い、家族を守らなければならない、という魂です。

 

父が亡くなったあの日から、僕の中の何かが変わり始めました。現実が変わっていく一方で、父の魂は僕に引き継がれていったように思います。よく目が見えるようになった僕は、現実と向かい合うことになり、生活も仕事も大きく変わっていきました。

 

想定外のことは、想定外のことを生み出していく。想定外に必死に対応し、現実は動き、そしてまた想定内に戻り、次の想定外までまた物語を紡いでいく。そんな繰り返しの中で、長い時間が流れました。

転機が来たのは、50代に入ってからでした。2014年あたりだったと思います。あの凍結が、少しずつ解けていきました。

 

 

2018年、セルフドキュメンタリー映画を作る機会があり、その中で亡くなった父について触れました。絶縁のようだった父の魂との再会は、そこから数年続いていくことになります。映画の中でその蟠りを扱ったことで、ようやく和解のようなことができたような気がしています。

 

同じ時期に、深い部分の自分と出会う統合セッションのコースを始めました。すると、亡くなった人との対話というテーマが、僕の仕事の中でも増えていきました。潜在意識には、死者の魂がずっと書き込まれているのだと思います。亡くなった人との邂逅の場に、何度も立ち会わせてもらいました。

 

対話の時代と言われて久しいですが、死者との対話という機会は、自分だけではなかなか実現しにくいものなのかもしれません。親をはじめ、亡き人の魂を未消化のままにしている方は、世の中に意外と多いのではないかと思います。

 

死者との再会はほろ苦いものですが、そこには気づきと示唆があります。あの日に凍結された思いの綻びが繕われると、自分の次の展望が見えてくることがある。

アフターコロナの仕事の在り方を思い巡らせていると、父が昔語っていた言葉の一つ一つが、今になって鮮やかに蘇ってきます。

 

 

再び「子供は父の父である」へ

父との和解を経た今、改めて娘を見る目が、少し変わったような気がします。父が僕の中に残したものと、僕が娘や、出会う誰かに差し出していくもの。それは決して同じ形ではないけれど、地下茎のように繋がっている気がしています。

 

 

実は、今月出したアルバムの中に「海の馬」という曲があります。自己受容と、独立して生きていくことをテーマにした曲で、歌詞の中で人称が「俺」から「僕」へと移っていく構成にしました。書いている時には意識していませんでしたが、今振り返ると、あの曲の中の「俺」は、もしかしたら父だったのかもしれません。父という存在を、自分の中に内在化した一つの像として描いていたのかもしれない、と今は思います。

 

 

かつて父だった人の魂が、今は僕という形をした器の中で生き続けている。そして僕の中にいる「子供だった頃の自分」が、今の僕を静かに導いている。過去と未来は、思っていたよりずっと地続きだったのかもしれません。

子供は父の父である。

その言葉の意味を、ようやく少しだけ、身体で理解できたような気がしています。

 

 

この物語を書きながら、頭の中で鳴っていた曲があります。「海の馬」。

よろしければ聴いてみてください。