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良いオッパイ、悪いオッパイ

昼間、井の頭線渋谷駅で、お母さんと子供のツーショットを目撃しました。最近は都心ではあまり見かける機会が少なくなりました。微笑ましい光景です。

 

渋谷のスクランブル交差点で「授乳フォト」なんていう写真家の方もいらっしゃいました。(→記事)そういうのが表現になってしまうのは、日本ならではなのかも知れません。普通のことを普通として、ただ在りたいだけ。違うものを排除する空気感への社会提示でしょうね。

 

 

さて、うつの研究を始めたメラニー・クラインは、のちに児童の分析を熱心に手がけます。クラインはそうしたなかで対象関係論と呼ばれる理論を発展させます。

 

簡単に紹介します。

 

一つは,自分の欲求を満たしてくれると満足し,機嫌よくしていますが,少しでもそれが損なわれるとギャーギャー泣き叫び,不満と怒りをぶちまける段階です。お乳がよく出るオッパイは「良いオッパイ」,出ないオッパイは「悪いオッパイ」でしかありません。それが同じ母親の同じオッパイであるということなどは関係なしです。その場その場の欲求を満たしてくれるかどうかが,「良い」「悪い」の基準になります。こうした部分部分で対象と結びつく関係を,クラインは「部分対象関係」と呼びました。

 

もう一つの段階があります。子どもは母親が一人の独立した存在で,自分の欲求を常にすべて満たしてくれるわけではないことを,少しずつ理解するようになります。さらに成長するにつれて,自分にとって都合のいい「良い母親」も,欲求を満たしてくれない「悪い母親」も,どちらも一個の同じ母親であることがわかり,どちらも受け止めることができるようになります。こうして自分の都合や欲求だけでなく,相手の都合や気持ちにも目がいくようになるのです。良い部分も悪い部分も含めた対象とのトータルな関わり方を,クラインは「全体対象関係」と呼びました。

 

うつ病など心身疾患の原因に、幼児期にこうした段階をちゃんと経てないことも関係しているということですね。授乳時も、将来の関係性に大きく影響してそうです。こういうのでも出会わなければ通り過ぎていってしまうものですね。

 

これまで空気感と当たり前という忖度で行われてきたことが問われてます。自己実現と他者理解。受容と違和感。外国人が増えていく中、個人と社会の活性化の為には、日本社会が通り抜けなくてはいけない移行空間なんでしょうね。。。妄想を通り抜けて、鬱を通り抜けていく未来は、きっと明るいのだと僕は思っています。