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「やり直しスイミング。3日間でスイマーに!」

少し昔話を書いてみたいと思います。

 

ちょっとしたことが人生の節目になる。今まで苦手としていたことが出来るようになる。コンプレックスが特技になる。

 

 

そんな経験はありませんか?そしてそれが次の自分を導いていくことさえあります。

 

僕は、昔から運動は得意でしたが、走る系や球技とかいわゆる陸系ばかり。海系は、苦手でした。

苦手というか、はっきり言うと、「泳げなかった!」のです、笑。

 

当時住んでいた家の近くにはスイミングスクールがあり、  ある日、近所のスイミングスクールでこんな告知が貼ってありました。

 「やり直しスイミング!3日間でスイマーに!」。

 

30代も半ば、今更、という思いもありました。でもこの時に、まだ小さかった娘がスイミングスクールに通い出し、彼女が飛び込む姿を見ていたら、この先、一緒に泳ぐ機会を想像し、泳げない自分はマズい!と、危機感を感じ、レッスンに参加することに決心しました。

 

レッスンへ行くと、なんと参加者は私一人でした。

「こんにちは!」とやってきたのは、キレキレ水着の美人インストラクター。ちょっと気負いしつつ、情けない気持ちを感じつつ、頭を切り返して準備運動に入りました。そしてプールサイドでのバタ足や水中ウォーキングで、体をならし、レッスンぱ始まりました。

 

「まず水の中で体をまっすぐにして下さい。」これはいわゆる「けのび」です。

バタ足もなしで、ただ体をまっすぐにして浮かぶやつです。あれ?このレッスンは泳ぎ方のレッスンではなかったのかな?そんな疑問も湧きましたが、言われた通りやってみると、これが難しいのです。今から思うと不思議ですが、当時の僕の体は、「けのび」すら出来ない体だったのです。このケノビで体現するストリームラインを、色々な泳ぎ方のテクニックで泳ぐのが泳ぎであることを、この日生まれて始めて知ったのです。泳ぎ方ではなく、浮く感覚や、ストリームラインを泳ぐのが大事だったのです。

 

「体の力を抜いて」「自分の中心を感じて」。

美人インストラクターに言われるままやってみるのですが、全然出来ません。情けない。

 

うまくやろう、こんな簡単なことも出来ない自分に苛立ちつつ、やっぱり水泳は不得意だな、と納得しようとしていました。誰だって、不得意や苦手はある。俺の祖先は、陸上に上がって進化したラインの繋がりなんだと、自分を納得させて、いち早くこの場を去ることを考え始めている自分。美人インストラクターは、笑顔で続けます。

 

「もっと体の力を抜いて」「水に自分を投げ出すように」なんどもなんども、けのびを繰り返しました。確かこの日は蹴伸びだけで終わった気がします。そしてようやく私の体は、ストリームラインらしきものを知覚し、水の中を送られるようにまっすぐに進んでいくようになったのです。

 

私の体は水の中でまっすぐもできないし、体の力を抜くこともうまくできなかったのです。私の体は自分の中心も感じられないことに愕然としつつ、でも今日できるようになってしまおう!と気持ちを奮いたたせたのです。「プールで壁を蹴って体をまっすぐに伸ばす。そして体がまっすぐ進んでいく。」こんな単純なことに深く感動を覚えたのでした。

 

 

このセンセーショナルな体感は、私を次の意識へと向かわせる出発点になったと思います。数ヶ月通ううちには、水泳は苦手から得意に変わり、そして自分のストリームライン感じて泳げるようになりました。この体がまっすぐの心地よさへの気づきは、体感として定着し、その後の私の体再発見の旅のベクトルの一つとなっていきました。体の体験というのは、納得を凌駕する体現という感覚になり、

その後の人生を大きく左右する出来事にもなりうるのですね。不得意なことを得意にすることは、次の新しい自分が築かれることを、身を以て経験したのです。

 

セッションで、始めて歩く歩きに、そしてまっすぐ立っている感覚に、感動する人も多いですが、驚きのその顔に、僕は始めてストリームラインを感じた自分を重ね合わせて眺めています。そのまっすぐな姿勢にラインが通っているとロルフィングでは呼んでいます。ストリームライン、ライン、場所は違うだけで、同じようなものかも知れません。

 

 

その時感じたストリームラインの延長線上を、僕は今も泳いでいる、そして歩いているようにも思えます。

ラインのある姿勢で、「自分に戻るような何か、或いは自分になるような何か」を探している人、或いはやり直したい人、歓迎します。