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個性的

Facebookに参加してから、昔の友人達との付き合いが復活することがいくつかありました。中には何十年ぶりの再会みたいな感じでした。再会するというのは、楽しいものです。昔の友人と、そして、新しく出会う今の友人と。僕も誘いがあったものには、なるべく参加するようにしています。

 

色々な人がいます。社会で成功した人、有名になった人、子沢山の人、ひとり者の人、見た目全然変わらない人、風貌が大きく変わった人、誰だか分からない人。中には社会的にはもうリタイアしてしまった人、上場企業の取締役、音楽会社社長、テレビ局、印刷会社の管理職、中小企業の社長も多いです。さらには、個性を生かして、バレリーナ、俳優、中にはロックミュージシャンなんて人もいました。カッコいい!(下記参照)、職業でなくても子供3人育てたお母さん、意外に多いです。いやー尊敬に値します。もし許すならば、よく頑張った!と抱きしめたい位(^ ^)、本当に色々で個性的です。

 

 

気がつけば、いつの頃からか、自分の人生を楽しげに話す、そんな話を聞いているのが大好きになっていました。楽しいだけでなく、大変だった人生、苦労している人生もたくさんありますが、なんかどれもいい話です。(実際は、どの人生にも上がったり下がったり、凸凹があるのだと思います。その人がどこを捉えて話すか、それは性格にもよりますね)

いいとか、悪いとか、そんなことはどうでもよく、本当にひとりひとりの人生って素晴らしいなと、思うようになりました。

 

身体も同じようにひとりひとりの体は人それぞれで個性的です。健康で、もっと健康にしていきたい人、病んでいて健康になりたい人、選手でもっと活躍したい人。まだ成長しきってない人。老いとの戦いに生きている人。大きな人。小さい人。太っている人。痩せている人。どの身体も、一人一人個性的です。

 

 

ロルファーは、姿勢や、身体の動きや可動域、痛み、違和感、エネルギー状態、伸びやかさ。表情、メンタル、様々なことから身体を見つめます。そして良くなれる場所。全体の中で可能性のあることを感じようとします。そして本人の意思や希望を聞きます。

 

 

僕は、その方に代わって、体が語る声に耳を傾けます。体も自己表現しているし、体にも実は心のような意思があります。身体の意思はとても小さいものですが、可能性を開きたい、生きていこうとする、力強い意思です。

 

ちゃんと静かにして耳を傾ければ、話を始めます。様々なメッセージを発しています。僕らロルファーはそうした体の小さい声を拾って、自由な状態や楽になれるように少しだけ促しているだけです。あとは体の叡智が、重力を感じて、勝手にいい状態を作っていきます。これを調整力、免疫力、生命力、自然治癒力などと呼ぶものでしょう。身体の状態や姿勢はほとんど無意識に働いていて、意識的に、いい姿勢やいい呼吸をするものではありません。全て無意識です。無意識の力を引き出していくのです。

 

モノクローム

同級生の曲で取り上げたのは、「モノクローム」という曲でした。

 

モノクロームというのは、もともとはフランス語で「単色」という意味でしたが、やがて白黒写真や映画のことを指すようになりました。英語ではそのままB&W(ブラック・アンド・ホワイト)と呼びます。

 

カラーが出来て、モノクロはなくなっていくかと思われましたが、モノクロは無くなりませんでした。モノクロにはモノクロならではの良さがあります。制作者時代にはあえてモノクロにして効果を狙うことも何度かやりました。

 

色という情報をあえてなくすことにより、本質が際立ってくる。メッセージ性が強くなるのです。そのほうが語りかけてくるものが、カラーよりも多いことだってありえます。モノクロ写真に映るもの。影が際立たせるもの。見えないもの。そんなものを見いだす時に、価値が創造されていきます。こんなことも時に必要かもしれません。

 

 

ロルフィングでも、見えないものを見ていきますね。ボディリーディングして写っているのは表面の身体ですが、見ているのは、身体の中の筋肉だったり、筋膜だったり、骨格だったり、身体の中の繋がりや勢いだったり、エネルギー感だったり。ロルフィングでするボディリーディングは、ちょっとアナログな感じですね。CTスキャンに映らないものまで見ていきます。

 

 

先日クライアントに、「何故この写真から横隔膜の状態がわかるのか。」と質問されました。CTスキャンのようなイメージで比較されていたよう思います。ここの繋がりの雰囲気がそんな風に見えるんです。と、曖昧な答え方をしましたが、腑に落ちてないようでした。機械全盛、センサー時代の現代に、雰囲気や気配を感じとるという職人的な感性は、デジタルに染まった意識にはなかなか理解して貰えませんが、そういう感性も、人間の感覚としてあるのだと僕は思っています。

 

何故なら、僕はずっと広告を作ってた人間ですが、ある種のトレーニングと現場的な積み重ねにより、今はこうした知覚があるようなので、きっと誰でも出来ること技能なのではないかと思います。もしかしたら昔はみんな出来たんだと思いますね。機械すらなかった時代、縄文時代など、今の人が思うと、びっくりするようないろんな能力がある人ばっかだったんじゃないのかと思います。実証より実績。経験則。デジタル化される前の情報は、半分は身体情報であったのだと思いますし。

 

さて昔は広告制作作業もアナログでした。いつの頃からかDTP(この言葉も死語ですね)が普通になり、イメージする能力が劣化し始めました。以前は人間の身体化によって、想像し、ビジュアライゼーションしていました。今はビジュアライゼーションはもっぱらパソコンの役目です。僕はクリエイティブ作業をしてきたせいもあり、頭の中に映像化する回路が出来上がっているようです。

 

それはロルファーになった今も同じで、自分の固有感覚と、映像化する脳の機能、それから右脳。が、僕のロルフィングを個性付けしているように思います。クライアントにクリエイティブな人が多いのはそんな理由もあるかもしれません。そういう直感、共時性がどこかで働いているようにも思います。

 

 

こうして通常の医学からみると、またデジタル時代になると、確かにロルフィングの手法は特殊です。ロルフィングにはメディカルな面だけでなく、様々な面がありますが、メディカルなアングルからみると、医療ではなく、ホリスティック医術というものでしょうか。


起こった結果だけ見ると感想にも多い通り、魔法とか、不思議な能力扱いされることも多いですが、極めて単純に、解剖学的知識、生理学、経験則。知覚や動きのトレーニング、セラピー的な人間工学、そしてロルフィングの手順を体現しています。それに各ロルファーが少しずつ自分の個性をトッピングして体現している、そんな風に思います。

      

例えるならばモノクロ写真を取ること。写真から光と影を読み取ること。そしてそれに色を入れていく作業をクライアントと一緒にしている感じです。身体の光と影の切り閉じ。そして色のグラデーションで、あなたの本質を映し出します。

身体はこれまでの人生の記録です。あなたの素晴らしさをあなたの身体は記憶しています。