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義母との思い出

「2014年10月、義理の母を見送りました。彼女は膵臓癌を患い、発見された時は既にステージ4に進行していました。

 

その日、なんとなく直感がし、僕はセッションさせて欲しいと頼み、病床の彼女にクラニオのセッションをしに出かけました。

 

病床の彼女は恥ずかしそうに、「そうかい、こんなおばあさんで恥ずかしい体なんだけどね、よろしくね」と言いながら、私の願いを聞いてくれました。   

 

首筋と仙骨に手を置き、「体勢は苦しくないですか」と声をかけました。彼女は目を閉じていて、黙ったまま頷きました。「もし気分が悪かったり、嫌な感じがしたら言ってくださいね」と声をかけました。彼女は静かに、また頷きました。

 

付き添いに来ていた妻は部屋を出ていきました。クラニオをはじめ、「**ちゃんにこんなことしてもらうなんて思わなかったよ」、「手があったかいね」などと声を発していたが、そのうち眠ってしまったようです。いつものセッションのように体の全体をホールドしました。脳髄液のリズムは穏やかでした。

 

しばらくして、彼女は目を覚まし、言葉を発しました。「あら、やだ、気持ちよくて寝ちゃったみたい、夢を見ていたよ」、「いい夢だった。なんだか気分がいいよ」。

 

それは良かったです。「もう少し続けても大丈夫ですか?」と私は言いました。彼女は黙ったまま、頷きました。そのうち彼女はまた眠ってしまいました。

 

またしばらくした後、彼女は目を瞑ったまま言葉を発しました。「**ちゃん、ありがとうね」、「色々・・・ありがとうね」。そう呟くと、彼女はまた眠ってしまいました。私は「はい」とだけ言葉に出し、あとは何も言えませんでした。セッションの終了処理をして、彼女に声をかけました。「終わりましたよ」と声をかけ、廊下で待っている妻に声をかけました。

 

妻が「どうだった?」と尋ねました。義理の母は答えました。「効果はよく分からないけど、暖かくて、気持ちよくて寝ちゃったよ。気分もすごく楽でいい感じだよ。」

 

それが生きている彼女と会う最後となりました。

 

その1週間後、入院中の義理の母からこの前のお礼にと私に贈り物が届きました。それは、サブウェイのチャージされたカードでした。私がランチにサブウェイによく行くということを聞いて、「何か実用的なものがいい」という彼女の思慮で購入されたというもので、私にとっては何より有り難い贈り物でした。

 

またその1週間後、仕事の打ち合わせをしている時に、訃報が届きました。セッションの日も元気でしたし、ほんの二ヶ月前には海沿いのホテルに一緒に旅に出かけ、卓球を興じ、スマッシュを打つほど元気だったのが嘘のようでした。

 

訃報を聞いて、私は病院へ駆けつけました。病院には大勢集まっていましたが、私が到着すると場所を空けてくれました。2週間前と同じように彼女の傍に座り、手、足、首と順に触れていきました。体は冷たくなっていて、死後硬直が始まっていました。亡くなった時の姿勢で、少し体を捻っていて、また左股関節が大きく曲がったままで固定されていました。

 

「まだ間に合うかもしれない」私は、彼女の傍に腰をかけると、首筋と腰に手を置き、クラニオの体勢になり、そしてしばらく背骨を触れました。背骨はまだ暖かかったです。私は「水の体」に働きかけ始めました。体はまだ生きていました。私は会話を試みました。体は私の働きかけに呼応し、しばらくすると水の循環と同期が取れ始めました。私が促すと、体を自然に戻るように、股関節と左足は、少しづつ緊張を手放し、まっすぐになっていきました。   

 

最後に曲がっていた左の足首を優しく伸ばす方向へ促すと、足首もまっすぐになりました。まるでヨガのシャバアーサナのようにまっすぐに。

 

まだ水の体は動いていましたが、あたりに大勢人がいましたので、手短に「有り難うございました、安らかにお休みください」と挨拶をし、義理母の身体との対話を終え、その場を離れました。

 

その後、彼女の命日であった金曜日には、サブウェイに行きました。義理の母との思い出や記憶を思い出しながら、しばしランチの時間を過ごしました。それは四十九日が終わるまで7回続きました。」