奇異体験

ロルフィングって、奇異体験のセッションなんですか?

僕が色々な表現で書いているので、誤解を与えてしまっているかもしれないので、一度書いておきます。ロルフィングやクラニオは、奇異体験ではありません。あくまで統合、全体性へと向かうシリーズの在る場面で知覚や意識が変容していくことがありますので、人によっては奇異体験に映ることもありえるということです。

 

セッションをしていると色々な方がおります。マインドの力が強い方、身体の力が強い方、想像力の力が強い方。行動力が強い方。それから意識を潜行していくと、色々なイメージが出てきます。生霊が憑いているという方、天使が宿る方、神が宿り、黒い龍が胸から出てきたり、宇宙人、狐や天狗が飛び交う場面なんかもたまにあります。無意識の世界はちょっとした幻魔大戦です。そしてその中で戦っている(葛藤している、抑圧している)場合もあります。無意識の領域、エンティティが潜んでいてもなかなか気がつけません。

 

 

さてそれに相対する僕はというと、ゴーストバスターズのような特別な武器はないし、ボディワーカーですので、ある意味、手は二本、体一つです。戦かわず、迎合せず、繋がっている状態で、対話していきます。対話というのは、人間が開発した強力ツールです。

仮に目で見えないものと出会ってしまっても、対話力があればどうにかなるものが大半です。それが霊的なものでも、エネルギー的なものでも話せばわかるのです。日本語には様々な文脈がありますので、ハードな対話になる時ももちろんありますが、それでも諦めなければどうにかなるものだと僕は思います。それは人が死ぬ寸前まで続く大いなる自分との対話へも通じていきます。それでも僕にも、身体や心がありますので、疲れている時、弱ってる気がする時は、岡本太郎Tシャツを着るようにしています。アートというのは全体性への志向があります。

 

 

逆に自分の中の弱さに行きやすい人いらっしゃいます。体の強弱もありますが、それ以上に心が自分の弱いところ探しを繰り返します。いわゆる心のブロックというものです。少しずつ弱さに気づき、統合するごとに、自分の中のコンテンツに気づき、コンテクスト的な違和感を手放していきます。

 

こんな時は、ハリーポッターの魔法学校のくらいの魔法が使えているのか、いないのか。実際そうしたセッション中は、無意識状態になることが多く、自分では詳しいことはわかりませんが、セッション感想 を読んで見ると、どうやったのか自分でもわからないようなことが書いてあります。無意識と無意識の対話なのでしょう。まるで映画のような世界がセッションで起こることさえあります。でもそれが、今ここ、という場で、その人にとって必要なことなのです。

 

特異な例を書きましたが、実際人間は、強さと弱さ両方を持っているんだと思います。自分の強さと弱さを知り、それ全体を承認されると、人は次に行けるのかなと思います。その際、身体は強力な主体となります。体にグランドし、体と心のレジリエンスが育っていきます。

岡本太郎という、一つの体現の力。

さて、前掲のTシャツの岡本太郎さん。我が出身地、川崎市出身、実家すぐそばに美術館があります。そしてセッションルームのある青山通り、少し骨董通りを入ったところに記念館があります。そして現在暮らす渋谷には、メキシコで発見された大作「明日の神話」が掲げられています。縁あるアーチストです。

 

岡本太郎さん。強いです。負けません。自分に厳しく、自分を見つめ、自分の仕事をしていく。そして女性に優しい。岡本太郎という一人の体現者のパワーは、当時もそうでしたが、亡くなってからも、光を解き放っています。死んでない、生きているとはこういうことだって、我々に語りかけます。作品も多いし、例えばこの写真、ある意味、不動明王、阿修羅より魔除けになります。現代社会を力強く行きていくためのヒントがたくさん体現されています。

 

岡本太郎さん。少年期より既存概念にとらわれる事がなく、人間としての自由や権利を阻害する者、権威を振りかざす者、かさにかかって押さえつけようとする者には徹底的に反抗しました。この反逆児ぶりは生涯貫いており、またそれが創作への情熱にもなっていました。

 

素敵だし、素晴らしいと思います。でもやっぱり、今を生きている人の中で太郎さんのようなライブな体現者に出会いたい。自分の人生の主人公になっていく人を一人でも世に出したい。そんな思いがあります。止まった世界に刻々と向かっている日本社会。生きている人、生き延びている人のリソースとして、ライブな身体の在り方をサポートしていきたいと思っています。だから今日もまたライヴなセッションに臨みます。なお記念館には、仕事場が残されています。パワーエネルギーの爆発の跡、現代のパワースポット!素敵ですので。ぜひ一度お訪ねください。 

 

ちなみに表現には二つあります。一つは、即興性の中に、もう一つはフォーマットのある形の中の表現。即興性の表現。ライブ。生。繰り返さない一度きりのその場の体験。動き。生きている感じ大事なことです。僕が行なっているセッションというのも、今、ここで起きるその瞬間の妙技です。

 

違和感をエネルギーへ!パワーに変える!学びだけでは分からない、転換には体感が近道!

話がそれましたが、それはそれくらい人間というのは、エネルギーを持った素晴らしい可能性を持った存在であるのです。

 

人間、一人一人が、「自分」としている有機体の中に、どれだけの力があるのか知っていますか?ネットで聞くエネルギーバンパイヤなんて怖がってないで、「自分」から出て来ましょう。エネルギーなんてその「自分」の世界を出てくれば、宇宙にはいくらでもあるのだから。

(確かにそういう存在はいますね、でもそういう存在と出会わない為にも自分がニュートラルになることって大切なんです。「自分」でなくて「自分自身」になる事が大事なんです。)

 

 

ちょうどいい写真があったので出してみますが、こんな感じの方いらっしゃいます。見て見て! ほら、虹が綺麗だよ!って。伝えたい。でも彼には伝わらない。現物の虹よりもドラマチックな、奇異体験の虹をみて満足しているかもしれないのです。本物と出会おうよ。自分の体と心と頭って一致させて行こうよ、そのメガネ外そうよ!って。

 

実際には、今の日本人には思っていることと、考えていることと、やっていることとがズレていても気がつかない人多いです。それくらい体の感覚や在り方の全体性を失っている方、いらっしゃいます。仕事とか人間関係とか、「今ここ」でない、誰かに創作された物語の中に生きています。「いい」とか「悪い」とか気にして生きています。間違えたくないと怯えながら生きています。これはなかなか言葉では伝わらないのです。

 

でも違和感があるということは、言ってみれば、メッセージは伝わってきているということです。自分の中からのメッセージ。体からのメッセージは、自分自身からのメッセージでもあります。本当のメッセージは、外からでなくて、自分の中から来るものです。

 

そして、誰かに外に求めていたことは、結局自分の中にもあることを気づくことにもなります。その違和感は反転していけばパワーでもあるのです。そのきっかけは、学びから「学び+気づき」への転換です。体は気づきの宝庫です。体からの気づいてみましょう。