生と死の境

生と死の境に立つ。

 

人はこの世に誕生し、生きて、やがて死んでいきます。

 

 

生きているのが、辛くて、悲しくて、やってられなくて、

生きている間に、死んでしまう人もいるし、

楽しすぎて、快適すぎて、止まってしまう人もいます。

 

あるいは見なかったふりをして眠ってしまう人もいる。

寝ている間に夢をたくさんみます。

それは本来のあなたが経験するはずだったこと。

夢が醒める間際に少し意識に届きます。

昼間にみる白昼夢の中に少し意識に届きます。

そして出会う人から届く、聞こえてくる言葉に心に響きます。

眠らずにちゃんと見て、自分と共に自分であることは、

ほのかな生の小々波の機会が訪れます。

生きている喜び。     

 

 

生と死の境に立つと、そんな世の中や、

そこにいる人間がニュートラルに見えてきます。

このポジションに立つことが出来るようになって、

人を生き返らせたり、立ち位置を感じさせたりすることが

少しだけ出来るようになりました。

 

立ち止まり、振り返り、そして歩んでいく。

人間は動き続けることは出来ないし、止まったままでも楽しくない。

楽しくないと、いずれ生命力はしぼんでいきます。

自分を表現して動いて、そして休息し、また目覚めます。

そんな生を営みを行ながら、人は数十年間、繰り返して生きていきます。 

 

休息に入り、目を閉じて、

この目覚めた我は、昨日の自分とは同じなのか、違うのか、

本当は決まってないのかも知れません。

 

だから、人は誰かと時を共に過ごすのです。

「おはよう。」「こんにちは。」「久しぶり。」「会いたかった。」

相手が何か反応をしてくれたら、

あなたはきっと生きている自分で目覚めたのでしょう。

 

相手が微笑んでいたら、

相手の中にあなたがいます。

休息の前と同じ自分であったことを伝えましょう。

感謝と喜び。

 

自分を確認するために人と人は出会っていきます。

だから出会う人は、自分自身とも言えます。

出会うものと、そして人と、時を楽しみましょう。

 

動きすぎていると、

或いは止まりすぎていると、

知らぬ間に、自分だけになっていきます。

自分だけの時は、誰とも出会ってません。

出会わない時を過ごし続けていくと、

今ここにいなくなり、

遠い黄泉の国に出かけていきます。

 

 

だから、目覚めた時に、誰とも出会わなくなったら、

それは生きているのか死んでいるのか、

よくわからなくなります。

また生きるためには、

甦ることが必要となります。

 

 

 

さて他者承認という言葉が流通しています。

自分が自分であることを証明してくれる誰かを探しますが、

誰かができることは限られています。

 

そして最近では自己承認という言葉が流行りです。

色々な方法があると思いますが、

ボディワーカーである僕は、

まず、時が流れている「自分の体のある場所」に

戻って欲しいと思います。

 

肉体がある!ということを感じることが出来るのは、

生と死だけではありません。

肉体があること。自分自身であること。その場所にいること。

 

その緩やかな流れの小々波を感じることが体にはできます。

体があることに、そして心を繋ぎ止めている生命の流れを感じてみましょう。

言葉では納得できないことが体だと分かり合えます。

 

 

ただ癒すだけでなく、人が再生されてゆく。

そんな様子を僕はセッションを通じてたくさん見てきました。

出会いたいあなたに、勇気がありますように。