· 

職住接近

代官山に住んで15年になる。当時経営していた制作会社が渋谷にあり、職住接近のため、徒歩通勤でき、幼稚園、小学校が近くにあったこの場所を選んだ。

 

僕の実家は、川崎市で商店を営んでいて、僕は元々職住接近している環境で育った。店は夜までやっていたので家族で夕食を一緒に食べることはできなかったが、学校帰りに、お店の前を通るだけでも父と母の姿が見れた。大学を出て、就職し、都心で働くようになり、いわゆる通勤生活が始まった。朝の混雑はものすごく、会社に行くまでに疲れてしまう、そんな時もあった気がする。それは結婚生活が始まっても基本スタイルは一緒だった。小田急線から京王線に移り通勤は少し楽になった。(小田急線も複々線計画があり、混雑は軽減する模様。)

 

職住接近の必要性が出てきたのは、娘の存在であった。幼稚園に入った位の娘との時間をどうしても確保したかったのだ。今から思うと、自然ではない、強い思いが現実を動かした。信念の力。

 ただ、困難もあった。

 

大きい枠組みで考えると職住接近はメリットが大きかった。

僕の場合を参照までに書くと、

○朝の通勤電車とも無縁になった。(風邪や病気にならなくなった?気がする)

○通勤時間分の時間が増える。(僕の場合は増えた2Hをスポーツクラブでの運動時間とした。)

○交通費がかからない。

○ワークシフト。(娘の夕食時間に合わせて一度帰宅、食事や娘との時間を過ごし、娘が就寝後、オフィスに戻り仕事を済ませた。)

○緊急時のリスクマネージメント(電車事故や地震などでも即帰宅できる)

などが代表的なメリット。

 

デメリットは、場所が渋谷であったので、住居費が郊外に比べ約2倍になったこと(しかし当時かなりの頻度で深夜にタクシーで帰っていたのを考えると全体的に見てあまり変わらなかった。)あとは住居スペース的に多少狭くなった。そして郊外では緑の多い場所に住んでいたので、住宅地としての自然環境が激減した。人が多いことによるストレスは増えていたかもしれない。また地域コミュニティの繋がりはやはり郊外の方が良かった気がする。色々あるが全体的には、職住接近して良かったと思っている。

 

それでも年齢を重ねていくと、住み心地や、相応しい住まいというのは変化していくもので、最近は、少し自然環境の良い場所、木の多いところに、移ってもいいかもしれないと思うようになった。娘も成長し、来年は大学生になる。

 

ロルファー効果というのもあるかもしれない。より自然なものへと価値転換が計られつつある。また転地効果というのもあり、引っ越しは経済性以上に気分転換的なメリットもある。場が変わるということは、色々なものが変わることで、体にとってはいい刺激になる。目に入る情報量も変わる。色々な状況変化や共時性的な縁に導かれて、現実は動いていく。それはとても自然なものだ。

 

自分が自然体になっていけば、全てのことは自然の中に、動いていくものなのではないのか。最近はそんなことすら思うようになった。自然と対立してきた人間も、対立から共存というベクトルは既に舵が切られている。長い年月をかければ自然の力には敵わない。自然に滅ぼされてしまう前に自然との共存、良い距離感を僕も考えていきたい。