シュタイナーからの暗示

REBORN FESTIVALでは沢山の気づきがありました。一つ紹介します。

 

今から95年前にシュタイナーはこの言葉を残しています。この言葉には、今までブログで書いてきたことのエッセンスも、ロルフィングや、(特に)クラニオなどで行っていること、流れる身体、動いている意識を作っていることの意味も、大げさにいうのなら、生きていることの意味をも包含しているようにも思えます。私たちが生きているということは、やはり流れている必要がありそうです。固まることは、痛みが生じます。それを痛風と例えたのでしょう。

 

時に人間は、自分の外に出て痛みを感じないようにすることも出来ます。その痛みは固着したまま、自分として生きていきます。必要な痛みは、痛みとして感じる必要があります。感じないようにしたままでは、リピート再生を繰り返します。時間は止まっていきます。ブログでも何度か取り上げてきたテーマです。

 

痛みはあなたのどこかに残り、気がつかない自分の中の歪として内在されていきます。(→SOS

そして意識が目覚めた時にそこに生まれた影に光を当てる旅が始まるのでしょう。見なかったことを見るのは、辛いし、痛いことですが、少しづつ気づくことで、デトックスされ、少しづつ自分自身に戻っていきます。一度にカタルシスではダメで少しづつデトックスがいいみたいです。この辺り日本人の発想と少し合わない西洋生まれのロルフィングです。

 

この辺りは10シリーズを進めていて後半の気づきの中に現れて来ることも多いです。そして身体からのアプローチ、ロルフィングを面白いと思う方とは、10シリーズ後のフェーズを進めていく場合があります。意識と体の間に、まだまだ伸びしろやスペースがある方とは、ポストセッションを進めていくこともあります。

 

 

さて更に興味深いのは、ちょっと気づいたのですが、僕が痛風になったのは、ちょうど娘が生まれる数ヶ月前違いで同時期だったのです。安定に入ることを告げた身体から入った痛い一撃だったのではないか。(現在は痛風の症状はコントロールされ、薬を飲まなくていい状態で安定しています。)ロルファーになってから出会う人になんども言われていることですが、その後ボディワーカーになることになる僕は、元々体の内部感覚に繊細であったのではないかと思えて来ました。原・触感覚とも言える、触れている感じ。プロプリオセプション。それから内臓感覚など、今から思うと体の中から来るメッセージに小さい時から繊細だった気がします。この辺りは、また別の機会に書いてみたいと思います。