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脳の慣性

こんちには みさなん おんげき ですか? わしたは げんき です。 

この ぶんょしう は いりぎす の ケブンッリジ だがいく の けゅきんう の けっか 

にんんげ は もじ を にしんき する とき その さしいょ と さいご の もさじえ あいてっれば 

じばんゅん は めくちちゃゃ でも ちんゃと よめる という けゅきんう に もづいとて 

わざと もじの じんばゅん を いかれえて あまりす。 

どでうす? ちんゃと よゃちめう でしょ? 

ちんゃと よためら はのんう よしろく 

 

上記の文章読めましたか?

 

これは昔のネタですが、上記の文章も無意識で少し早めに読むと読めてしまいます。

 

これは脳の補正機能が働いて、最初と最後の文字が合っていれば、こんなようなものだという無意識の判断を脳がして、普通に読めてしまうのだそうです。

 

我々の知覚は結構いい加減なものです。でも普通は自分が間違っているなんて思わないから、その自分のアングルにしっかりとしがみ付いて生きています。思い込みに囲まれた我々の生活。とも言えます。思い込みを1つ外すだけでも、大きな世界認識の転換が行われることもあります。

 

体の制御している感覚にも、たくさん思い込みがあって、それを外すと感覚的なシフトが起こり、体全体にそのシフトが波及していく。部分から全体へ。全体から部分へ。そんな自然なやりとりがされる状態へと身体をシフトしていく。知覚的なワークではそんなことをしたりします。

 

体の不自由は、自分で作り出していると言えます。感じている主体を客観視するのは、結構難しいことです。セッションでは、インストラクターやダンサー、俳優など、多いですが、体にまつわる無意識に一つ気がつくだけでも、身体的な世界観に影響する大きな出来事の場合もありますね。