· 

体と意識のネットワーク

今朝起きる時ベッドでもぞもぞしていて、右を向いた瞬間に、頭蓋骨に響く音が聞こえた。自分の中に響くことで何かしらの変化が自分の体の中で起こった気がした。

 

びっくりして体を起こした。意識はしっかりしている。そうして首を動かした瞬間、首の置き位置、首を支える台座の状態の違いに気がついた。AO関節が解放されている。頭蓋のサポートが増えていた。直感的に理解したのは環椎がシフトである。動かしてみると新しいスペースが生まれていて首の可動域が広がり、動きも滑らかだ。新しい角度で頭蓋を動かせることを確認、AO関節が自分の力で、ニュートラルなポジションにシフトしたのを実感したことを一人感動!

 

ロルフィングを受けると、体は変化し始める。 10シリーズ中もそうだし、10シリージを終わっても半年くらいかけて変化し続ける。その後も意識を持って過ごしたり、またメンテナンスやアドバンスなど別のシリーズを受けると、体はさらに統合していく。今回のAO関節はロルフィングを最初受けてから10年たって動いたことになる。

 

アドバンストトレーニングの時にペアを組んだのが藤本靖氏。彼からセッションを受けた時に指摘されたのが「テツさん、何かバーストラウマがあるかもね。でもどんな人でもあることだから、そんなに心配しなくていいと思うし、ロルファーやっていればいつか何かシフトするかもしない」ば生まれてくる際、産道を抜けてくる時に何かしらの困難があって生じたズレが何かあるのかもしれないと。こうして今日起こったことから逆算して考えると、もしかするとあの時の藤本氏の指摘は的を得ていたかも知れません。本当のことは神のみぞ知る。

 

環椎C1番、頭蓋骨が乗っかっている骨で、この下のC2番軸椎と合わせてAO関節といい、構造的にも、機能的にも、そして精神・生物学的にも重要な場所である。ギリシア神話で天空を支えたという巨人アトラスに由来する。巨躯を以て知られ、両腕と頭で天の蒼穹を支えるとされる。名前は「支える者」・「耐える者」・「歯向かう者」を意味する古印欧語に由来する。

 

 

環椎はふつう3つの骨化中心から骨化が行われる。そのうち左右の外側塊の骨化中心は、胎生7週ごろに現れ、後方に発達する。ここからできた骨は出生時にはまだ軟骨をはさんで隔たっており、癒合していない。生後3歳から4歳にかけて、直接あるいは中間にある軟骨が骨化して癒合する。前弓もまた出生時には軟骨のままである。生後1年目の終わりごろに骨化中心が現れ、6歳から8歳にかけて外側塊と癒合する。

 

もしバーストラウマがあって、成長年齢の時に発達が停止して、発達障害が起きていた。そんな読み解きも出来る。だとしたら、今回の骨の動きで、その年齢で止まっていた発達障害が動き出し成長を開始したことになる。

今後の全身、及び、生活への波及を楽しみにしたい。

 

海から陸に上がった我々脊椎動物の体には、水分が多い、ざっと2/3が水である。普段は身体の法則で動いているのだけど、水の中の水分は独自のネットワークがあって、実に不思議なことだけど、ある種の働きかけをすると体の中の水分ネットワークと出会える。そういうみずみずしい体の状態なら一箇所に落ちた水の雫は全身に、行動に波及していくのだ。

 

統合というのは、筋骨格系の統合もあるが、この水を介したネットワークのボディへ体現していくという統合もある。なぜ水を介したネットワークがあるのかというと、我々生命が、元々海からやってきたからだ。その痕跡は脳の構造にも残っている。つまり両生類、初期哺乳類、動物、そして人間と全てのボディを追体験しながら今の意識+体に至っているのが我々である。以前バックミンスターフラーを紹介した際に書いたが、体というのは、テンション(張力)によるボディがある(テンセグリティ構造・骨と筋肉とそれを支える筋膜のネットワーク)と、今日話した水分のプレッシャー(圧力)によるボディがメインでできていて、恒常性を保っている。

 

前者は主にロルフィングで、後者は主にクラニオセイクラルで統合していく。(まだまだ他にもあるがこの2つがボディワークの範囲だと思っている。これ以外、例えば心の領域である。想念やイメージ、心そのものなど、言語と身体性の感情へのエネルギーワーク。また霊性、関係性、全体性のワークなど、色々ある。人間は多次元的な存在なので実に奥が深い。

 

さて以前紹介したキャロル・ライトバーガーの感情地図で見てみると、この部分は、「死に対する恐れ、喜びの欠如」とあった。万人に存在する恐れの大きな一つである。人間存在の根源的なブロックの一つ。そこが構造的に動いて、新しい動きを始めたということはここ数年の自分に起きてきたことからしても、納得がいくことである。

 

新しい空間を認識するということは、それだけイメージ力が広がると言うことである。身体の場合は空間認識だろうし、心の場合は、言語的なコンテンツからコンテクストへの展開が心を広げていく。つまり顕在的な心は言語から作られている。

そして言語を超えた空間的な広がりは、無意識的な広がりの中に生まれてくる。それは五感的な広がり、そして五感の下にある原触覚感覚の繋がりまで広がっていく。そういう意味では脳化していく人間の知覚は、時代とともに劣化の方向で進んでいる。

 

さて、意識的なコンテクストで広げてみると、デイビッド・R・ホーキンズの「真実と主観性・私」を読み返してみた。左脳的に捉えた意識の覚醒の良書である。(下記参照)意識にとって、生存のエネルギーはサタンのエネルギー。霊性が高まっていくと、意識の覚醒に置いて「私」が最後に出会うエネルギーであると書いてある。生きるか死ぬか。自分を明渡せるか。確かに人間にとって根源的なテーマである。

 

 

 

とりとめのない文章になってしまったが、体と意識の可能性を示す事例だと思うので以上書き出してみた。今日の話の発展系はまた書いてみたいと思う。fight-or-flight-or-freeze response(戦うか逃げるか反応)、トラウマ、真の健康な心身、脳の仕組みと身体的な統合、意識の統合、心理学的なアプローチ含めた非常に広いテーマの示唆が含まれる体験だと思う。

 

体と心、そして意識と想像力と言語と夢は、無意識下では繋がっていて、どれだけ統合していくか、或いはこの無意識の繋がりは、どこかでユングやシュタイナーやグルジェフたちが言ってきた修行的な意識と体のトレーニング、集合的無意識、変性意識状態や、原型(シャドウやアニマ、アニムス)、神的コンテクスト、アカシックレコード、前世、エーテルボディ、アストラルボディ、あの世、輪廻、魂、カルマなどに繋がっていて、人間性の本質が見えてくるものだろうし、いずれ人が「私」個人という統合、そして「私」の範囲を超えて、「私たち」として統合していけるかということにも繋がってくる気もする。体というのは本当に奥が深い。

 

<わたし> ―真実と主観性

キネシオロジーを使って人間の意識レベルを測定してきた著者が、自らの「悟り」の体験を踏まえ、「悟り」や宗教性、スピリチュアルの真実を明るみに出す。

 

著者について

◆著者略歴:デヴィッド・R・ホーキンズ

ホーキンズ博士は、精神科医として1952年より活躍。

アメリカ精神医学会(APA)およびその他多くの専門家組織の終身会員。

米国聖公会およびカトリックの司教管区、修道院、修道会、禅寺院のコンサルタントを務めている。

人類に対する貢献が認められ、1077年に創始されたエルサレムのヨハネ騎士団の団員となり、この儀式がデンマークのバルデマル皇太子が司宰となり、1995年にサンアンセルモ神学校で執り行われた。

全米テレビへの出演は、The McNeil/Leher News Hour、The Barbara Walters Show、The Today Show、科学ドキュメント番組、他多数。

 

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

ホーキンズ,デヴィッド・R.

幼少の頃に覚醒体験をし、その後も覚醒体験を深めていった。精神科医としても実績を積み、多くの患者を助けた。キネシオロジーテストによって意識の分野を測定できることを見出し、世界的な評価を得る 

 

立花/ありみ

サンフランシスコ州立大学卒業。東京福祉大学大学院臨床心理学専攻博士課程前期在学中。渡米中に衝撃的な霊的体験をして以来、アジアの聖地の放浪を経て、霊的浄化の道を歩いている。現在、ホライズン・スピリチュアル・ケア研究所にて國枝欣一氏に師事しながら、看護学校生や援助職従事者、一般参加者を対象とした「スピリチュアル・ケア」や「人間関係論」「自己成長」のワークショップでファシリテータを務める。