ボディリーディング

不思議だと言われることが多いロルフィングセッション、たまに自分のセッションを振り返ったり、考察することにしています。

 

セッション中は、セッションに集中しているせいか、無意識になっていることが多いのです。まるでこれまでロルフィングを教わった先生方の魂が憑依しているような感じでセッションに臨んでいるように思います。プロフィールに書いたこれまで教わってきた先生方とは、全て出会っていますからね。

 

この状況、アシュワンだったらどうするだろう。この症状にはモニカの言ってたアレが使えそうだ、とか、フェルナンドが言ってた身体の中と外の違いの話をしているな、とか、無意識下は、賑やかです。ロルファー吉田は、まるでオーケストラの指揮者のように、全体のイメージや表情つけをしているだけなのかも知れません。一番はアイダロルフです。直接お会いしたことはありませんが、ロルフィングを志すもの、時に触れてアイダロルフに出会います。

 

 

さて、どんな技術を選ぶか、どんな切り口でセッションしていくかは、マニュアル的でも、思考的な判断をしている訳でもなく、直感的にポンポン決めていっているようです。後から自分のセッションを振り返ったり、事後に感想を聞いたりしながら、セッションの質を確かめたりしています。

 

さて、体の状態を確認していくことをボディリーディングと言いますが、大体のセッションにおいて、まずボディリーディングを行います。静止した状態で行うボディリーディングもあるし、動き(例えば歩くとか)の状態で行うボディリーディングもあります。

 

止まった状態で、問題がなくても、動いた状態だと、身体の不調和が見えてくることもあるし、逆に動いていると見えないものが別の止まった状態で気づくことがあります。セッションでのボディリーディングでは、その他、複数のボディリーディングをしてセッションの方法論を決めていきますが、静止と動きという部分で、クライアントと対話しながら、確認を取っていきます。

 

目で見える世界での対話というのはイメージを作ります。それは、撮影する写真や映像のような感じです。イメージの共有がイメージの共有を作っていきます。イメージの共有する体験というのは、現実の世界でもとても大事なことで、仕事や家庭の現場、関係性、コミュニティ活動や創業後の企業ブランディングなどでも、長く続けていく為には大事なことですね。

 

現実の中での共有SNSやゲーム時代だからこそ、身体的なイメージの共有体験、まず自分と自分の身体、自分と他者、それから身体と観察者としてのロルファーという、3つのイメージ共有体験をすることにより、一元化に行き過ぎた存在感を、見える世界に戻してくる。そんなことをしていることもあるようです。

 

体は元々多元的な存在ですが、世の中が一元化していくにあたり、一元化から逃れていたい、そんな身体的な違和感を感じている体感をディスチャージしていく。そんなことも身体の取るバランスの1つになっているように思います。