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デウス・エクス・マキナ

アルテミス・カリュアティス
アクロポリスのエレクテイオン神殿のカリアティード

こんにちは。

今日は、緊急事態宣言が出されるそうですね。

 

先月から美術館も、ヨガスタジオも休みになってしまい、予定していた打ち合わせや、集まりも延期が増えてきました。今日は久しぶりに書くモードになっています。

 

古代ギリシャの演劇で、話の収拾が付かなくなったときに、機械仕掛けを用いて(現代の機械ではなく、釣られるなどして)神が現われ、強引に大団円に持っていってしまう物語の展開で登場してくることがあります。その神様のことをデウス・エクス・マキナといいます。神様が出てきて万事解決、いわゆる「どんでん返し」(例:夢オチなど)の一つです。創作の世界で批判されることも多いのは、通常の文脈的な段取りを超越しているからでしょう。

 

ただし、不条理な展開を演出するため、文学や現代演劇、落語、漫画、漫才など幅広いジャンルでは見られます。先月新型コロナで志村けんさんがお亡くなりになりましたが、往年の伝説的な番組、「8時だョ!全員集合」でもよく使われていた手法です。そのオチを見て我々も安心したのでしょう。現代の実際の物語の中では、悲劇、喜劇により扱いが変わり、大団円でなく、力なきもの達の協力、勇気、冒険の末、「ラスボス」のような存在として滅びていく役目の場合もありますね。

 

さて新型コロナウイルス。世界での感染者、死者が増え続け、現代社会にとって、大きな試練となりつつあります。現実世界の中で、どういう風に描かれていくのか分かりませんが、この世界にとって、この星にとって変化を促している一事例であることには違いないのでしょう。静観しつつ、関わりのある自分に出来ることに、最大限関わっていこうと思っています。

 

さて、そんな中、知人の息子さんが、現実や将来の先行き不透明感の中、少し精神的に不安定だということでセッションを引き受けました。現れた17歳の青年とはバイクの話で盛り上がりました。(僕も若者の頃?、バイク乗ってました。)楽しそうに、免許を取りに行くことに始まる彼のバイクへの夢、アルバイトの話、将来ビジョンを聞きながら、僕も当時の自分と出会ってました。

 

不透明感は、多元的な世界に対する、整理の仕方の問題もあるので、現実認識、自分と環境、ビジョンという場で、現実を整理することを話したと思います。また不安定になった時に意識や身体をどう落ち着けるか。秋に区民講座を担当した時にやったボディワークを紹介しました。半年後の再会を約束しハイタッチで別れました。

 

 

 

さて、1982年に描かれたアニメ「AKIRA」が、2020東京オリンピックを予言していたと話題になってましたね。そして東京オリンピックは、中止ではなく、延期ということになり、保留されました。僕の、オリンピック物語も、3月に配属が決まったところで、現在、保留になってます。さて現実がどう動いていくのか、注目したいと思います。

そういえば「AKIRA」の中でも、少年たちはバイクに乗ってました。それに関して大友克洋は、こう述べています。

 

登場人物たちはみんな若者にしました。……ただ単に暴走して、つまんない世界にいる人間たちを主人公にして、東京の中のいろんな政治や、大きな秘密の中に触れながら、どうしようもない若者たちが少しは成長していくという話を作ったんです。

話はSFなんですけど、少しずつ自分たちで何かを見つけるんだよというメッセージは描きたいなと思っていました。それは、社会に参加して、または世界に参加して、自分たちで自分たちの道を発見する話なんです。…(中略)…いろんなことがあるんですけど、自分たちが見つけたもの、そして、自分たちがこれからなんかやってくんだよというメッセージは込めました。

 

 

登場人物は、敢えて全部若者にしたのですね。僕もやはり新しい物語、新しい現実は、いつの時代も若者たちや、内なる若者(或いはインナーチャイルド)が築くのだと思っていますが、さて今回はどうなるでしょうか。

 

体の世界でも、意図した対処がうまく働かないような時があります。そういう時に身体の全体性に働きかけて、経過を観るような風にしてみると不思議と落ち着いてくる事が多いです。身体にある機械的受容器というのに働きかける感じで、一般的な神頼みとはちょっと違うので、さしずめ、身体の可能性を引き出す場に降りる新型デウス・エクス・マキナでしょうかね。

 

徒然に、書いてみました。