ダムタイプの古橋悌二氏の遺作となった伝説的映像・空間作品「LOVERS 永遠の恋人たち」。
1994年の発表から、30年以上。今もなお、この記事へのアクセスが絶えないのは、あの日私たちが受けた衝撃が、時代を超えて「身体の本質」を突き動かしているからかもしれません。
個性の逆側にある、意識を超えた身体
私にとってダムタイプは、身体表現への興味の原点でした。 初めて見たパフォーマンス「pH」で目撃したのは、私たちが日常で意識する「自分らしさ」とは無縁の身体。映像や音楽と同期し、徹底的に個性を削ぎ落とした先にある、純粋な「動体」としての人間でした。
意識とはかけ離れた身体の動き、その緻密な構成。 「個性の逆側」にある、人間のまだ見ぬ可能性に、私は震えるような驚きを感じました。
なぜ、ひとりの身体が「LOVERS」なのか
11メートル四方の闇の中、壁におぼろげに映し出される、歩き、走り、抱き合おうとする裸の男女。 当時の私は、ひとつの問いに悩み、立ち止まりました。「恋人たち(LOVERS)とは、二人で成るものではないのか。ソロの身体のどこがLOVERSなのか」
しかし、前衛という名の「まだ名付けられていない動き」への挑戦を目の当たりにし、こう感じたのです。これは、自己という名の「もう一人の自分」との対峙、あるいは生と死という、逃れられないパートナーとの対話なのではないかと。
「歩き」から読み解く、人生という物語
ロルフィングの世界においても、「立つ」「歩く」は最も基本的な、そして最も奥深い行為です。 セッションの始まり、私たちはまずクライアントの歩く姿を見ます。これを「ボディリーディング」と呼びます。
ロルフィングの創始者アイダ・ロルフは言いました。 「歩いた姿を見れば、その人の人生がわかる」と。
「LOVERS」で映し出される、漂うような、それでいて懸命な歩行。 あれは、重力と調和しようともがき、自己を表現しようとする、私たちの生命そのものの姿です。
20代の頃に感じた「脱個性」への驚きは、今、ロルフィングを通じて「個の身体の解放」という確信に変わりました。意識を超えた先にある、機能的で美しい身体の動き。その可能性を信じる私の根底には、いつもあの日のダムタイプが流れています。
【あとがき:2026年の視点から】 かつて2015年に綴ったこの思考は、MoMA(ニューヨーク近代美術館)に収蔵された「LOVERS」と同じように、私の中で色褪せることなく呼吸し続けています。 時代がどれほどデジタル化しても、私たちの「歩く」という原初的な営みは変わりません。
あなたの「歩み」には、今、どんな景色が映っていますか? その一歩を、より自由なものにするお手伝いができれば幸いです。
