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自分の中のオルタナティブ

 

朝起きると、苦虫だった。というのは、カフカの「変身」での話ですが、朝起きて寝た時と同じ自分というのは、本当のところ、どうだか分かりません。

 

朝起きるというのは、スイッチを押して起動するパソコンのようなもので、目覚めて初めて自分になり、そして、眠気眼で、同居している家族、或いは鏡や、或いはスマホを見て、脳内にある自分の記憶と照合し、脳が作り出す記憶イメージとしての自分なる人の、アイデンティティを行っていく、そんなような気もします。

 

夢の話のようですが、朝起きて、そこがかつての実家の様相で、幼き頃に見てた父母や兄弟がいて、「早く起きなさーい」と、語りかけられたら、きっと子供の時のような反応をすることでしょう。場所や関係性に導かれる身体の記憶もあります。

 

今の主たる自分と、様々なオルタナティブな自分たちの総称が本来の自分で、主たる自分があまりにその他のオルタナティブな自分を押し込めてしまうと、生きている感じがしなくなってしまったりします。経験という名の様々な自分たちも連れて、今を生きているのが、自然です。無意識になっていて自分ではわからないことも多いかも知れませんが、運や縁に導かれる力も、人間の身体に隠された能力の一つだと思います。

 

中には、もう出会いたくない自分もいるかも知れませんが、隠れた自分が自分を影からコントロールしていることもあり、今の意識で出会って、昇華し、新しい自分になっていくと少し生きやすい今の自分になっていくかも知れません。昨日掲載した感想の方など、まさにその過程を経験されているような気がしました。

 

つまり「今」とは、無意識になった自分や、クリエイティブな自分が創造してきたイメージの自分と、出会い直すことが出来る稀有な時間なのかも知れません。

今、目の前にいる人や、また何故か惹かれる人は、まさにあなた固有の感覚が導いたあなたの中のオルタナティブな存在の鏡なのかも知れません。


次にいく鍵を持っている可能性を持っているのは、こうしたオルタナティブにしてきたまだ見ぬ自分なのかも知れません。