フラットな体

ニュートラルな体という言い方をしばらくしてきましたが、

ロルファーになって最初の頃は、フラットな体という言い方もしていたことを思い出しました。

 

フラットという言葉の意味は、

 

1 平らであること。起伏がないこと。また、そのさま。平坦 (へいたん) 。

2 競走・競泳などで、記録に秒以下の端数がなくきっかりなこと。

3 音楽で、ある音を半音低くする記号。

 

という三つの意味があります。

 

10シリーズの感想でも、

 

とげとげしかった身体感覚が、丸く、まっすぐになった気がする。

きっちりと自分の体になった気がする。ジャスト感覚。

頑張りすぎていた自分が、落ち着いた。楽になった。力が抜けた。

 

というのは、結構多い感想です。

半音下げると楽になる、というのがちょっとしたミソです。

 

 

 

さて、こんな感じで10シリーズでは

活性化していく人。

ニュートラルになる人。

フラットになる人。

などいますが、皆、その人ごとの知覚の違いです。

 

 

10シリーズの感想がどうして色々な方向性があるのか、ちょっと考えてみました。 

それは、多分、身体が一元的なものでなくて、少なくとも3つのベクトルを持った有機体であるからだと思います。

 

 

少なくとも3つと書いたのは、僕もまた10シリーズでは3つ以上を意識してセッションもしていますね。

すぐに気が付かなくてもいいし、何年かしてふと気が付いてくれてもいい、

身体や意識での展開は、瞬間的にくるのでなく、馴染んていく中で、時間差でやってくることも多いです。

 

 

セッションが終わった時に、全部が意識が捉えているようなことは考えてません。

全ての知覚は時間に追いかけられてはいませんね。

いつかどこかで、その人の中で、出会っていけばいいものだと思います。

 

これは、昔クライアントだった、ある学校の先生から学びました。

教えることは、先生たちの方が一枚上手だなと、その時思いました。

 

セッションは、教えられることも多いです。

僕の人生の学びと気づきはまだまだ続きます。

フラットな体、フラットな心で、フラットに生きていきたい、と思います。