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身体とか世界とか

国家間の政治的な葛藤がニュースで飛び交っています。言葉だけをみていると、少し風が強くなってきた気がします。

国際政治とボディワークで何が関係あるのか不思議に思う方もいらっしゃるかと思いますが、人間がやること、構造的には似た状況が現れます。

 

たとえば、体の内、外感覚と似てます。自分の中の説明、口に出して外にする説明は、国内向けの説明、対外的な説明に似ています。矛盾が多ければ葛藤します。自分の内側で葛藤を減らしたいので誰かのせいにして、内部での葛藤を無くすというのは、政治の世界で、困ったら外国のせいにして国内を安定させることに似ています。

 

多少の葛藤の中、開かれ、そして安定を保ちながら、国として前に進んでいけている状態というのがロルフィング的な、活性化されたニュートラルな健康的国家です。国境線を守ることを意識して武力を誇示するなど。国家を個人としてみた場合、精神分析的な解釈やボディワーク的な視点から見ると、実に色々なことが見えてきます。

 

 

考えてみると我々という意識は、そうですね、さしづめマスコミみたいな感じですかねー。言語化した大義名分みたいなものでしょうかね。マスコミ支配の時代が終わりに向かい、メディアの分散し、多極化した双方向のメディアの時代になり、社会は変わり始めました。複合的なメディア環境になったからこその誤解や視点の違いが勘違いや思い込みを増長しているような気もします。

 

行く先は、混乱しカオスに向かっているようにも思えるし、整った世界に向かっているようにも思えます。自分という意識が試されているのは、社会や国家でもそうだし、都市、企業、家族というまとまりでも、そして我々一人一人にも、突きつけられていることだと思います。世の中はあちこちで再構築中です。

 

変革に自らが参加してもいいし、参加しないのであれば、せめて自分という単位での統合をし、関係性をニュートラルにし、体と心の距離を近くし自分自身としてニュートラルでありたいと思います。意見のぶつかり合いや葛藤、小さな小競り合いは、まだしばらく続いていく感じでしょうか、ボディワーカーの皮膚感には風向きの変化や、風の強さの騒がさしさを感じています。

 

暫くは、流動体で、しなやかに。体の中は、穏やかな水圧の流れとテンセグリーの張力で構成されるシステムそのものであればいいのだとボディワーカーは思います。しっかりとした自分の呼吸をして、私、あるいはWeの物語が続いていくのだと思います。