都市とは身体感覚を失う場所

こんにちは。

昨日は昼間家にいたのでテレビで「即位礼正殿の儀」を観てました。即位を国内外に宣言する平安時代のようなスローな時間の流れる中、厳かな儀式、大変素晴らしかったと思います。

 

体の動きでも、普段のペースではわからないような身体癖も、ゆっくり動くと動きの中に現れてきます。反射的になってしまうと全て無意識の中に入り、盲点化していきます。

 

平安時代の宮中はメディアもバーチャルもない時代、ゆっくりと動く中、色々なものが現実の中にあったでしょうね。きっと今は見えなくなってしまった色々なものが見えていたでしょう。

 

祭日で、都内も静かだったせいか、宣明の後の礼砲の音が、時間差で、窓から直接聞こえてきました。皇居と渋谷の距離は7、8キロ程度あると思いますが、礼砲の音が届くことに驚きを感じました。数キロ先の出来事を感じる、こういう知覚を私たちは失っていますね。街にいると色々な知覚を失っていきます。遠くも見えなくなっていきます。都市とは身体感覚を失う場所かも知れません。

 

 

 

そういえば、この前出た神話講座は、創世記のカインとアベルの話が出てきて、カインを殺したアベルは追放され街を建設したということになってました。神界を追放されたアダムとエヴァは地上へ。彼らの息子は殺人をおかし、都市を作ったそうです。


 

大昔にオーストラリアに住んでた時にアボリジニの知人と話した話を思い出していました。(→アボリジニの話

この数十年前に聞いたアボリジニの話は、この話と繋がっていますね。多分彼は聖書は知らないのに。無意識はやはり繋がっているのでしょうか。

 

さて

文明は都市を作り、巨大化し、高層化した都市は、まるでバベルの塔ですね。東京駅近くには高さ390mの日本一高い高層ビルが2027年にできるそうです。神に近づいた人類は、そろそろ言葉が通じなくなりコミュニケーションが出来なくなり、積み上げるのをやめ、世界中に散り散りに分散して行くのでしょうかね。

 

 

さて令和の時代が始まった日本は、更に積み上げている部分と、積み上げて行くことから既に降りている部分と両方あるような気もします。そして話される言葉は、異化していく動きと、類化していく動きをしながらなんだか集約してきているような気もしています。

人口も縮み、発想も縮み、経済も縮み、成長とは違う方向へ進み出した日本なのでしょうか。

 

環境、気象、関係性、人口、文化、テクノロジーなど、色々な変化が我々の心身に刺激と変化を与え続けるいます。どうぞ、ご自分の心身を大切にしていって欲しいと思います。