先日、怖い夢を見た。
AIと人間の間で戦争が起き、私はそのどちらでもない、
あわい(間)の存在として行き場を失うという夢だった。
目が覚めてからしばらく、その怖さの出どころを自分の中で辿っていた。
そして気づいた。これは、コロナ禍にワクチン派・非ワクチン派という二つの陣営ができたときに感じた怖さと、同じ根を持っている。あの時も、多くの人が実際には「よく分からないけど、とりあえず」くらいの温度でいたはずなのに、旗が立った瞬間、あわい(間)にいる人の居場所が消えていった。
自助で生きてきた私が、あの頃初めて公助に触れ、共助も経験した。
コミュニティセンター、区役所、デジタルディバイド支援、学校、美術館。
稼働している場所を点在しながら、自分の場所を取り戻していった。
クライアントも、来る人は誰でも受け入れた。
「昨日コロナが治ったから来た」という人も、「心配だからドタキャンする」という人も、どちらも拒めなかった。
理屈や立場ではなく、目の前に来た体を、そのまま受け止めることしかできなかった。
身体は受容していた。けれど心理は、まだあわい(間)のままだった。
あの頃のブログを読み返すと、揺れている様子がそのまま残っている。断言せず、結論も出さず、ただ揺れをそのまま記録していた。「発言しないのが一番安全だったのでは」と今なら思うこともあるけれど、たぶん、あれは記録することそのものが必要だったのだと思う。
そして今、私は自分のことしか語れなくなった。それは制限のようでいて、実は一番誠実な語り方だったのかもしれない。
社会について断定する言葉を失った代わりに、自分の体を通過した一滴の経験を語る言葉だけを、ずっと育ててきた。
6枚目のミニアルバムを作った。
タイムトラベラーというタイトルは、一曲のブリッジにたまたま出てきた一節から生まれた。
"Time travelers drift in the heart of art"。
後から気づいたのだが、これはこのアルバム全体の姿そのものだった。
この曲は25年前の詩が元になっていて、タイムトラベルから今に戻ってきた。
時の旅人が感じるノイズとは、きっと時代とのわずかなズレなのだと思う。
過去の自分、今の自分、まだ形になっていない自分——そのすべてがぶつかり合う音を、
チューニングしながら自分だけのステージへと向かっていく。
一つの時間、一つの立場にとどまっていれば聞こえないはずの音。
複数の時代を同時に生きてしまう者にだけ響く、静かな摩擦。
身体を通過していった6つの音の残像
1. 虹を見ていた頃
2. 鹿と共に
3. Regeneration -2026-
4. 満ち引きの歌
5. ストロベリーリトリート
6. Slider in My Soul
『鹿と共に』前作「海の馬」の続編、というより「その先」の物語。
青い記憶を、緑の深呼吸に持ち替えて。
一頭の鹿と歩調を合わせながら「正しい道」を探すことをやめてみる。
背伸びせず、丸まらず、ただこの呼吸の速度で。
「Slider in My Soul」の中に、こんな一節がある。
ダイヤルの最終設定じゃないんだ
ただしばらくの間、長くて甘い即興演奏なんだ
固定された答えを探すことをやめて、その都度、位置を確かめながら生きていく。
このアルバムは、その途中経過の記録だ。
