今日の話は、我が菩提寺の住職の言葉がもとになっています。
誰もが、心地よい状態が少しでも長く続いてほしいと願います。けれど、身体も心も、そして日々の現実も、同じ場所にとどまり続けることはありません。
竹の道を進む音(再生ボタンを押すと音が流れます)
若さは移ろい、気分もまた変わります。
朝は軽やかだったのに、午後にはなぜか重たい。そんなことも珍しくありません。
自分の身体なのに。自分の心なのに。
思い通りにならない。
頭では分かっていても、揺れてしまう。
それが「煩悩」なのだと思います。
そして私たちは、自分の内側が思うようにならないときほど、外側に整うことを求めがちです。他者や環境に、無意識のうちに期待をかけてしまう。
ここから、少し身体の視点で見てみます。
ボディワーカーとして感じるのは、煩悩とは「変化への抵抗」ではないか、ということです。
本来、身体は常に変わり続けています。細胞は入れ替わり、筋肉は使い方に応じて変わり、姿勢も日々の習慣や感情に影響されます。心もまた同じです。
変化していること自体が、自然な状態です。
それでも私たちは、「こうありたい」というイメージに身体や心を当てはめようとしてしまう。そのズレが、違和感や葛藤を生みます。
もし身体が思い通りにならないと感じるとき、それは単なる不調ではなく、何かのサインかもしれません。
少し立ち止まって、その背景に目を向けてみる余地があります。
では、この移ろいとどう付き合うのか。
ここで「レジリエンス」という言葉が重なります。
一般には「折れない心」とも言われますが、むしろ重要なのは、折れないことではなく、戻れることです。
強い風を受けても、しなやかにしなって、また元の位置に戻る竹のような力。
煩悩が変化に抗う力だとすれば、レジリエンスは変化の中で戻る力、と言えるかもしれません。
私たちはつい、「もっと強くならなければ」「耐えなければ」と力を入れてしまいます。けれど、その力みが、かえって自分を固くしてしまうこともあります。
少し視点を変えてみると、
煩悩の状態は、変化を拒んで固まること。
レジリエンスの状態は、揺れを許し、戻れること。
その違いは、ほんのわずかな力の抜き方にあるのかもしれません。
ボディワークを通じてお伝えしたいのも、この「戻る感覚」です。
たとえば、少し気分が揺れたとき。
深く一呼吸してみる。足の裏の感覚に意識を向けてみる。
それだけでも、身体は少しずつ緊張をほどき、「今ここ」に戻ってきます。
煩悩をなくすことは難しくても、揺れている自分に気づくことはできます。
その小さな気づきが、しなやかさの入り口になります。
もしよければ、今日一度だけでも、呼吸に意識を向ける時間をつくってみてください。
それが、「戻る力」を育てる最初の一歩になるかもしれません。
【自分という原点に、立ち戻る。】
揺れを許し、しなやかな自分に還るためのボディワークを届けています。
日々の緊張をほどき、新しい呼吸を始めたい方へ。 セッションの扉は、いつでも開いています。
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