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べてるの家

妄想、幻覚を肯定する取り組み

北海道は襟裳岬の近くに位置する浦河町。この町には、精神障害をかかえた人たちの「べてるの家」という施設があります。

 

毎年5月に開かれる「べてるの家」の総会は、今や知る人ぞ知る浦河町の名物行事。総会で行われるイベントの中に強烈なものがあります。例えば「G&M大会」。Gは幻覚、Mは妄想の頭文字。過去1年間でべてるのメンバーたちが経験した幻覚や妄想、それにまつわる言動の数々からユニークなものが選ばれ、表彰されます。

 

精神病の忌むべき症状としてとらえられている幻覚と妄想を、「べてるの家」では否定しません。「治療しなくてもいいのか」と疑問を抱く人もいるでしょうが、こうした精神病との向き合い方こそが「べてるの家」の原点ということです。素晴らしい試みだなー。一度見学にいきたいと思っていたら、NHK Eテレ「バリバラ」で放送があるそうです。見ないと!

 

10月16日(日)

10月23日(日) 夜7時〜

 

参照 

べてるの家

http://bethel-net.jp/

 

 

決め付けないことの可能性、そして多様性社会への模索

べてるの家の事例をなぜ取り上げたかというと、本来病気は治療するものではあるのだけど、治療するという概念を外れた時に、その人としての全体性、表現力や創造力が出てくるのではないかなと思ったからです。

 

もともと病気というのは、特に精神的な病気というのは範囲を決めてその枠から出ているってことだけで、稼ぐ力や社会性があれば、あるいは相方が見つかれば、病気であることを気が付かずにそのまま社会生活を送っているのだと思います。
そういう意味で人間はみんな変わらず何かしらの精神疾患であると思います。

 

「妄想いいねー、幻覚面白い!」という発想は、すごく可能性がある他者理解だと感じます。誰にも迷惑かけてないし、面白いし、本人もたくさん創造力や表現力が発露していることでしょう。でもなかなかそういう風に言えないし、思えないし、もちろんまだまだ紆余曲折あるとは思いますが、こういう寛大な関係性の社会って可能性があるなと感じます。このべてるの家は、地域が町おこしとして活用し、施設と社会が共存しているそうです。

 

こういう社会の方が、人間として、楽で自由を感じて生きていけるのではないかと思うのです。閉塞感のある日本社会。自分の決めた枠の中でもがくよりも、自分の在り方を少しだけ変えるだけですごく楽になれます。周りの人が少しだけ普通を緩くしてあげれば、風通しが良くなったりします。自分と違うものを認める。その勇気。心地よい多様性社会への模索はこうした意識改革から始まるんじゃないのかなーと思いました。

 

ロルフィングの文脈でいうと、体は、頭(意識)が関与しないで動かした方が、うまく動いていくのです。体の声を聞くところから始まる自然体です。肩こりとか腰痛を治さなければ!という無意識の固定観念(ボディスキーマと言います)を手放せた時に、楽で自由な体が実現してくるのに少し似ている感じがします。体において自分を辛くしているのは、自分(の無意識の)クセなんです。施術を受けてすごく調子が良くなった方が理由を何度も聞きたがる人がいますが、その理由は、考えるから感じるにシフトして重力下で生きる自然な体になったからです。自分の考え方/無意識のうち、凝ってしまう考え方(くせ)を手放せばずっと楽な体になるで可能性があるのです。

 

環境(周りの人)が、そして自分(という意識)が決める範囲を少し広げるだけでも、多くの人が創造的な人生を歩める可能性があります。それはみんなの為であるし、自分自身の生きやすさにも繋がってくるのです。このべてるの家の事例はそんな可能性が少し垣間見られる事例に僕には思えます。ロルフィングを通じて、体を通じて思うことを、もっと社会に伝えていく、感じる機会を作っていくことの必要を感じています。その為の行動をしていくつもりで立てたのがプロフィールに書いた今年の行動指針です。

 

少し夢物語です。これも妄想ですね、笑。