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アーシュラマ

人生を1つの物語ではなくて、複数の物語を生きて行くという発想

アーシュラマとは、インドのヒンドゥー教社会において、人生区分のことです。 



4つの段階を経過することから四住期とも訳されます。以前五木寛之さんが、中年以降の生き方指南書として、森住期という本が売れたことが思い出されます。

 

具体的には人生を4つの住期に分け、生涯のうちに経るべき段階としました。

1学生期- 師のもとでヴェーダを学ぶ時期

2家住期- 家庭にあって子をもうけ一家の祭式を主宰する時期

3林棲期- 森林に隠棲して修行する時期

4遊行期- 一定の住所をもたず乞食遊行する時期

この4段階は順次に経過されるべきものとされ、各段階に応じて厳格な義務が定められていました。

 

なぜこの時期ごとにアングルを分けてという発想が出てきたのかというと、古代インドにおいては、ダルマ(宗教的義務)・アルタ(財産)・カーマ(性愛)が人生の3大目的とされ、この3つを満たしながら家庭生活を営んで子孫をのこすことが理想だとされました。その一方で、瞑想や苦行などの実践によって解脱に達することが良いとされました。この2つの両立の困難なことから、この2つの理想を人生における時期を設定することによって実現に近づけようとしたものであろうと推定されているのだそうです。

 

原義はなんと「疲労」であるそうです。やっぱり、一つのことをずっと続けていると疲労するものなんですね。信念を持って取り組むことは、何事も実現していくわけですが、信念が強すぎると、囚われすぎると自分の首を締め、自分自身を健康状態から遠のいていきそうです。そのことにも気がつかなくなります。

 

前述の五木さんの説では、25年づつに分けて、50歳になったら、会社人間を切り上げて、森に住んでいるような意識で生きていくのが望ましい、みたいな中年以降の会社、仕事人間からの脱却を書いていたような気がします。

 

 

何れにしてもとかく、真面目に物事を考える日本人に対して、修行する、場所やあり方を変えていくのがいいよー。という呼びかけだったと思います。それくらい日本人は「みんなと同じ」という、無意識の発想が身についているのですね。無意識に人と同じでないと不安になるそんな発想があります。

 

だから日本人は、とかく気がつくと人生を1つの物語を突き進んでいってしまっている人が多く、頭の中でぐるぐるしている人が出てきます。少し早めに別の環境、現実感に移るくらいの感覚、それどれの時期ごとに、新しいライフスタイルの自分を作り上げていけると自分らしさが素晴らしいように思います。

 

過去の栄光も、過去の在り方も抱きしめ続けるのでなくて、手放して、新しい自分を作っていける、そんな力強さを手にした人は生き生きとしてきます。他人との比較、常識にとらわれない、ニュートラルな意識はどんな時にでもあなたを救ってくれます。

 

過去と比較して、自分が変わらずに、疲労や老化を引き受けるのでなく、新しい自分のいい状態や、今を生きている自分と共にいることの方が、あなたも、そして周りの人にも、好影響を与えます。「疲労」を感じ始めて、自分ではそこから抜け出せないときは、次の期に自分を進めてみてはいかがでしょうか?次がわからない方、体を変えてみる体験、お勧めします。現実に対応するには、姿勢や体感って大事です。