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ピナクルズ

西オーストラリアの州都、パースから北に250km 砂漠に広がる謎の岩柱エリアがあります。ピナクルズと呼ばれ、広大な砂漠の中に一つ一つの尖った形をした岩がたくさん突き出したようになっています。

 

現在のピナクルズは、海から数km内陸に入ったところにありますが、その昔は海岸だったとされており、海岸に自生していた原生林が、川などから運ばれてきた砂によって風化し、その後、さらに長い年月をかけて、堆積した石灰岩層だけが残ったものだそうです。壮大な地球の歴史が創り上げた、壮大な大自然の彫刻といったところです。

 

ピナクルズへ行ったのは、オーストラリアを一周する旅へと出かけた20代のころで、パースへ向かったインデアンパシフィック号の中で知り合った大阪から来た二人組の学生と意気投合し、パース滞在を一緒に過ごしました。一緒に宿を取り、レンタカーをシェアし、ピナクルスに向かいました。途中でスピード違反で警察に捕まり、罰金を払う羽目に。(反則金もシェアしました)

今となっては楽しい思い出です。

 

風景というのは人間の意識や記憶にとって大切な記憶です。穏やかな場所、自分だけの風景に導かれて、無意識が繋がりだし、情動や意欲、気持ちへと繋げていくのです。メンタル的なワークで使います。脳でいうと海馬傍回あたりでしょうか、島皮質でしょうか。脳はまだまだ未解明な部分がありますが、風景を感じ取る部分もあるようです。

 

医学的な認識が増えると、介入が可能なワークが増え、ボディワーク的にもさらに深化していくという、身体と意識の不思議さと可能性があります。最近は、脳へのワークも随分増えた気がします。脳の社会化。さまざまなところで進んでますね。脳化社会です。脳がコンピュータに部分的に取り込まれ、なんとなく気持ち悪さを感じる2018年のような気がします。

 

そして迫るIoTという名の身体化社会。さてさて我々の闇はどこに行ってしまうのでしょうか。意識の幅を乗り越えて、無意識の露出が社会化される、そんな日も近いのではないのでしょうか。なんとなく体感的な気配からすると、そんなことを感じます。

 

さてピナクルスの原風景は、今も頭に残っています。この大平原に、さまざまな岩が飛び出ている風景、どこまでも続く岩と砂漠の世界、ひとつひとつ形が違い、表情が違い、質感が違う。なんでとか、いいとか悪いとか、通り越し、こういう風景があるんだなと。

 

人の意識に関して、セッションするようになり、シーター波に入ると、その人の心象風景が見えてくることがある。それはこのピナクルスで見た砂漠に飛び出している岩のように、形の違う岩が飛び出ていて、形が違う、質感が違う、表情が違う。

 

いいとか悪いとかを飛び越して、そういうもんなんだなと眺めるような、そんな皮膚感が、伝わってきます。どうしてそんな風になるのかなんて、よくわからないけど、波長が会う人だと、色々なことが、触感覚的に伝わってきます。

      

風を感じるとか、テイストやトーンとか、コンピュータには入力できない、手触りのような感覚。そういうものは、言語化されないから、どんどん奥に入ってしまうけど、本当は、本当の本当は、そういう目で見えない感覚のことを、全ての人は知っているし、感じているのだと思う。

 

表層の意識には、言葉には、表現されないけど、そういうアナログな感覚を、感じ取れること。そんなきっかけに、僕のセッションがなっていくといいなとなんとなく、ほのぼのとした感覚で、日々、思っています。このデジタルな社会や生活の隙間にある闇、間の空間に、人と人との間にある、自分の中の闇があるじゃないのかと、なんとなく感じています。

      

ちょっと、とりとめのない話でした。