5月の備忘録
①「ジェミニとやってみた」をLINEで連載。アコースティックギターからAI音楽への変遷を描く。
②歴史を光と闇の両面から掘り下げる講座に参加。物事を見る視点の二面性を学ぶ。
③文章を「書く」、「学ぶ」機会が増える。アナログとデジタルの両方を行き来しながら綴る。(いつか、あらためてレポートしたい。)
5月の備忘録にみる「ブリコラージュ的日常」
振り返ると、この一か月は「デジタル」と「歴史」という二つの視点を行き来する機会が多かったように思う。
一つは、デジタル空間での実験である。LINEでの連載を始め、アコースティックギターの弾き語りからAI音楽へと創作の領域を広げた。これは、長年培ってきた音楽的な感性という手元の材料を、AIという新しい道具と組み合わせながら再構築するプロセスそのものだった。
もう一つは、歴史講座への参加である。光があれば闇がある。物事の二面性を学ぶ中で、デジタルという便利な光の裏側にある影にも自然と目が向くようになった。また、アナログとデジタルを使い分けながら文章を綴る時間が増えたことも、自分という存在を多角的に表現するためのブリコラージュと言えるだろう。
フランス語で「日曜大工」や「寄せ集め」を意味する「ブリコラージュ」という言葉がある。以前、身体の不思議について綴った際にも触れたが、それは特定の計画や専門的な道具に頼らず、手元にあるものを工夫して組み合わせていく技術のことだ。
私はかつて身体というシステムを、「色々なものを揃えなくても、どうにかこなしていく中で、人間らしい創意工夫が発揮されるもの」と捉えていた。最近、自分の日常を振り返ると、まさにこのブリコラージュという生き方が、生活のさまざまな場面に表れていることに気づく。
身体が教えてくれる「余白」の作り方
こうした試行錯誤の最中、ロルフィングで語られる「パリントニシティ(Paratonicity)」という概念がふと頭をよぎる。それは、心身の相反する側面を同時に受け入れ、しなやかに調和させる「二方向性」というあり方を指す言葉だ。
新しい道具に触れたり、新しい学びに取り組んだりするとき、私たちはつい「うまくやろう」と片方の極へ偏ってしまいがちだ。ロルフィングでいう『パリントニシティ(二方向性)』は、光と影のように相反する性質を同時に受け入れ、その中心でしなやかなバランスを保つための知恵でもある。日常に置き換えれば、物事を単純な二元論で分けるのではなく、あえて二面性そのものを面白がってみる姿勢と言えるのかもしれない。
専門家のように振る舞うのではなく、身の回りにあるものを組み合わせながら、その場をどうにか面白がってみる。今の私に必要なのは、そんな軽やかさである。過剰な計画や正解を求めるのではなく、今ある道具を手に取り、不必要な力みを手放しながら、淡々と創意工夫を楽しむこと。身体が教えてくれるブリコラージュの知恵は、これからの日常を、より豊かでしなやかなものにしてくれる気がしている。
さて、次はどんな材料を組み合わせてみようか。
(初稿2023/12/11)追記2026/6/23
