体について

「身体」「体」「からだ」「カラダ」。

文学や随筆だとまだまだたくさんの体という字が使われますね。

 

僕のサイトの中の表現で出てくるのは、この4つの体です。紛らわしいですが、少しづつニュアンスが違うので一度ブログで触れておきます。

 

一般的には体という字が全てを含む言葉だと思うのです。特別な意図がない場合は体としています。

 

あえて身体と書くときは、物質としての体でなく、身を伴った体、心のニュアンスを入れた人間の体という意味合いが入っています。体と書くと、動物も体という意味では同じですが、動物には身体とは書かないですよね。身体検査、身体感覚、身体表現、皆、人間の体の用語ですね。

 

次に、ひらがなで、「からだ」とするときもあります。これは、生きている生命そのもの、みたいなニュアンスが入ると、漢字を開いて、「からだ」としている風に思います。

 

さらにカタカナで「カラダ」と書く場合があります。これは、少し特別の新しいイメージのカラダ、ブランニューな体というニュアンスを含めています。

 

また感想のページだと、お客様が書いた言葉そのまま使っていることが多いです。僕の意味づけを超えてその方の意味合いで使われていると思います。

 

英語だと多分どれもボディ(肉体)って感じですね、

あと心や細胞のニュアンスを入れてソマティックという風にいうこともありますね。

 

言葉でなく、実際に自分の体で感じることが大事です。

 

 

(イメージ写真はサイト撮影に協力していただいたボディリーディング中のAyaさん

花があり、鳥がいる、緑が繋げていく街の風景

さて、トップページとブログページで背景に使っている絵ですが、この絵は、2年前に僕が人生で初めて描いた油絵です。少し大きな絵で、どちらも一部分です。二枚とも、筆は使わずに手で描きました。ボディワーカーっぽいですかね。

 

大きな意味では動的二元性、二つのポジションの行き来を表しています。一つの場所に留まらず、動的な揺らぎある自然観を表しています。

 

例えば、身体の文脈で言えば、収縮と弛緩を繰り返す筋肉や、呼気と吸気を繰り返す呼吸のイメージ。また心理の文脈でいえばメラニー・クラインが作った理論、部分関係論の、抑うつと妄想ポジションの行き来をイメージしています。二つのポジションを間を移り変わりながら動的健康は維持されています。

 

深いレベルで力が入ったままで、充分に弛緩が出来ない身体や、吐ききれない呼吸。そのポジションでの固定、葛藤など、を如何にリラックスさせて、リセットして緩めていくか、それが身体の自然なリズムを呼び起こしてきます。身体の中の代償的なバランスから統合され、全体性を持った身体へ、重力と動きの調和が、体として再活性化した身体であるともいえます。間に挟まっている黄色い絵は、転換期ですね、躁的防衛をポジションとするか、第3の道を進むか、ある種変容の時と言えます。僕はポジションというクラインの説を取りたいと思います。身体の文脈でいくと、筋肉の固着です。そこから脱するも、繰り返してしまう固着。この固着状態のサイクルから外れるためには、イールドという明け渡すという意味のその他のリリースを受け入れるかどうかなのです。

 

ボディワークの一つのゴールは、こうした流動体、動的な健康状態へと導くことだと感じております。治癒が起きるには、こうした段階的なプロセスを追いながら、プロセスに埋没ぜず、ポジションを体感しながら次を築いていくことが大事だと思っています。

 

そんな想いも入れ二つの絵を表裏に、そしてその他のページの背景は、「花があり、鳥がいる、緑が繋げていく街の風景」をグリーンの単色で入れてみました。その色付けは、その人が自分の色で彩って欲しいと思っています。

Ch-ch-ch-ch-changes

学生時代の友人と話す機会が増えて来ました。仕事モードがひと段落し、懐かしい話が楽しい時かもしれません。子供が成長し、大人になり、家族の在り方も変化し、定年はどうする?、親の介護は?そして終活は?話す内容も共通のものが多くなり、そして多岐に渡り、また話をしたい年代になって来たのかもしれません。

ある時に友人に、学生時代の僕の口癖を、教えて貰いました。学生時代の僕は、「永遠のものなどない」「変化することに意味がある!」「変化こそ美しいのだ」と、ことあるごとに「変化の美学」を語っていたそうです。

 

様々なものが多元的に変化しながら進んでいくのが、宇宙の本質で、同じ状態で、同じものが、永遠にあるというのは、宇宙の論理には合ってません。我々人間も宇宙を構成する一要素なのですから。

 

安定した仕事や家族が必要だった時代は過ぎ、最近の僕はまた変化の方の僕が強く出てきているような気がします。ロルフィングの理論でも、身体は、安定感と空間への全方向への開きの引っ張り合いが本来の人間性だと説きます。魂も時に修正し、変化していくダイナミズムを営みたいと思います。

 

大人になると安定を目指しますが、安定は停滞を生みます。変化しながら我々は生きていることを感じて、動いていくものという宇宙の論理も忘れずに、今を生きていきたいと思います。

 

さて今日、若い友人に、そんな吉田さんにぴったりの曲があるということで、デビッドボウイのchanglesという曲を教えてもらいました。クイーンの映画もヒットしているようですし、70年代、80年代がリバイバルしているのかな。最近の若い人は昔のことをよく知ってますね。昔のものの方が本質的なものが多いからかも知れません。

 

デビッドボウイ同世代としては、自分の時代のことを若者に教わるのはちょっと情けないですが、まあこれも、気づきなのでしょうね。教えるだけで無く教わることも大事です。自分の事でもわかってないことたくさんあります。これも一つの僕のchangesです。

 

デビッドボウイで、チェンジズ。歌詞には変化の美学が語られていますね。

変りたいのに変われない、そんな人には、身体から変わることをお勧めします。

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Happy Birthday to you

近所でギター講座があると聞き、早速申し込みをしました。 確かギターあったよなーと思い、実家に問い合わせたら、「ギターはまだ倉庫にあるよ!」とのこと、色々あって、結局、姉が渋谷まで持ってきてくれました。有り難う。

 

うん十年ぶりのギター。チューニングを済まし、弾いてみる。指が少し覚えている。でもスチール弦が左指が痛い。しばらく痛いだろうなあ。

ちょうど義理の妹が誕生日だというので、「ハッピーバースデー」を弾き語りでビデオに撮って送ってみた。ギター楽しいかも。しばらく続けてみます^ ^

 

僕からの誕生日メッセージは、弾き語りでいくかも。弾いているので引かないで下さい^ ^

 

さて久しぶりにギターを弾く体勢になってみると、姿勢が気になった。

色々あるけど、右のかかとを少しあげてしまうことに気がつく。右かかとの左側が少し浮いてしまう癖はもしかしたら高校生の時に始まったのかもしれない。

体って自分の記録簿のようであるなと思いました。

 

 

 

 

お腹からの呼吸ができる

呼吸が浅かったのですが、深いお腹からの呼吸ができるようになりました。

 

あとは、加圧トレーニングを3年くらいやってるのですが、加圧トレーニングでの効果が上がりましたね。息切れをしなくなったり、可動域が広くなったりしました。プログラムもより高度なものを出来るようになり、インストラクターにもビックリされるくらい目に見えて効果がありました。(→全文

 

 

 

 

(ロルファーコメント)

10シリーズは呼吸の改善に始まり、バランス、重心、歩き方、座り方などをニュートラルな状態にしていきます。自分が普段している運動や身体技法の中で起こる、変化への気づきがそれに続いて起こります。無理に体が使っていた人ほど、変化は大きいでしょう。ニュートラルな身体で自分のやりたいことを思いっきり楽しんで見るといいと思います。

さて、あなたは身体の変化を、どういう風に受け取め、そして何を行っていきますか?

 

なにが自分に合っているのか。

日曜日、施術直後ランに明らかな変化が⁉とfbでご紹介しましたが、今日10km走ってみて継続効果に更に驚愕しました。嘘のように膝痛が軽減されているのです‼

 

これまで膝痛に悩まされ鍼灸、整体、整形外科いろいろ試しましたが、私の身体にはこれが1番合っている(→全文

 

 

 

(ロルファーコメント)

自分に合っているものと出会うこと。簡単なようで難しいことです。何が合っているかということをわかること。これも簡単なようで難しいことです。その二つを解決してしまうようなセッションを行うように心がけていますが、中には合わない人もいるでしょう。

 

それもちゃんと感じていかないと、分からないものです。身体でも心でも、過剰適応していても、自分ではなかなか気が付けないものです。ニュートラルになるという意味は、実はすごく深いメッセージで、その人の「在り方」や、知覚(つまり感じ方)にも影響することです。

 

「身体が変わると、心も変わる。」と書くと、「ホントかな?」と思う方も多いと思いますが、この変わるという行為と一緒に、違和感や痛みも統合されていく。気にならなくなっていくという、言葉で理解しようとしてもなかなか難しい、身体と無意識へ働きかけるセッションです。