2016年7月から、ほぼ毎日、日々ふと感じたこと、発信情報など綴ります。

身体はリズム

こんばんは。

 

歴史を紐解けば、身体に関して述べている人は数多くいます。今世紀初頭の知の巨人アドルフ・シュタイナーも、身体の周期的なリズムに関してこんな言葉を残しています。

 

「人体のリズム」に関して、シュタイナーは、自我(たましい)のリズムは24時間、アストラル体(こころ)のリズムは7日、エーテル体(いのち)のリズムが28日としています。

 

人体のリズムで考えてる。例えば悲しいことが起きた場合、それが自我の感覚だとしたら24時間ほど、しっかり感じれば、消えていき、心を痛めたとしても、頑張って1週間しっかりと悲しみを感じれば、その痛みは薄れていく。死んでしまいたいくらい衝撃的なことがあっても、しっかりと28日感じきれば、癒えていくものだとしています。

 

しかし、うつ状態がそれ以上に長引いてしまうのは、頭を使って悲しみを増幅してしまったり、繰り返し考えて続けてしまったり、或いは何かしらの原因によりトラウマにしてしまったり、もともと持っているブロックと重なって意味づけをしてしまったりすることにより、悲しみが長引いていきます。

 

心理学的な見解だと、完了させることができずに、つまり、悲しみを感じ切れない、或いは感じることを嫌がる(傷つきたくない)心の働きにより、何かしらの躁的防衛と呼ばれる代償行為に走り、自分を守っていくと言われます。ボディワーカー的な見え方だと、どうしても身体症状から見ていくことにはなりますが、メンタル的なサポートもしながら10シリーズを行う中で、喪の過程が行わわれ、喪失感を始めとした心理的な固着した事例にも、エビデンスが多数出て来ています。心理という複雑な世界も、身体というしっかり感じ取れる中で関わっていくことは、言語だけよりも有効であるように感じています。

 


現在私が行っているケースでいうと、①クラニオセイクラルベースの10シリーズに、内臓、背骨、クラニオなど含めてアプローチしていくケース。(アウェアネスコースに相当)。②セッションごとにナラティブアプローチを加えて対話、物語的に進めていくケース(ナラティブアプローチによる10シリーズ)にて行っています。

 

これまで色々な治療法を試されたがうまくいかなかった方、身体的な違和感まで進んでいる心身のトラブル、長引いている心理的なうつ状態などにに、ボディワーク的なアプローチもいいかもしれません。

ダイアログ・イン・サイレンス

今年の夏も開催されたダイアログ・イン・サイレンスから本が届きました。僕は黄色の表紙をつけました。訪れた時の情景が浮かびます。本棚が一杯になった映像が目に浮かびます。

 

ダイアログ・イン・サイレンスは、聴覚障害者の方がガイドになって、ツアーに出かけます。いくつか部屋に分かれた体験をして、耳を失った現実を体験します。最後の部屋では、オープンダイアローグを行います。書いたり、カードを使ったり、手話をしたり。参加者それぞれが対等に出会う。そんな体験が出来る場所でした。

 

マジョリティの人はマジョリティ側の発想でルールを作り、普通を設定します。マイノリティがマジョリティに合わせているというお現実を知ることなく、問題意識も持ちません。対等でないことにも気がつきません。自分の常識の中で、自分の知覚に映る、普通を元に生きているのが普通です。マイノリティの意識に触れよう、そんな試みが色々なところで開催されています。このダイアログ・イン・サイレンスもその一つでした。ある意味、スマホの対極にあるような体験でした。

 

 

 

さて届いた自分でタイトルをつけた本。「音のない贅沢」と書いてありました。

何を書きましょうか。まだ中身は白紙です。

 

 

未来年表でも書いてみましょうか。

未来は誰にとっても白紙ですね。

 

 

ダイアログインサイエンス

 

https://www.dialogue-in-silence.jp/

 

作り手になる。

こんばんは。

 

映画を見ることだけでなく、映画の作り手として映画に触れることにより、今まで断片的だった映画の知識が統合されてきました。そしてこれまで物語を中心に観ていた映画が、物語以外にも着目するようになります。それまで物語に翻弄されていた自分が映画を客観視し始めます。

 

これは以前関わっていたゲームの世界でも同じです。プレイヤーとして関わるのと、作り手として関わるのは全く違うものを見ていることになります。懐かしい話ですが、雑誌の企画で「プレイヤーから作り手になる」というテーマで、クリエイター企画をなんども作ってきました。作り手意識が、ゲームに飲み込まれない1つのスタンスと言えます。

 

多分、人間が関わること全てにおいて同じなんだと思います。自分の人生を眺めるようにみている状態から、自分の人生に関わるようになった時、そこでの決まった流れや空気感、忖度されている阿吽を超えて、今そこで、判断された現実が動いていく。自分で考えて動く。変化に対して自分は、不安になり、混乱し、ひるむかも知れませんが、自分に負けずに現実を進めていくと、そこには新しい人生の見え方が始まり、人生はやがて輝き始め、新しい物語が始まります。

 

 

しかしいくら自分の人生に関わろうとしても、寝て起きると、日常の中に埋没して、そのこと自体忘れてしまったり。風景の中にいると決まった日常の中、我々は同じ物語の日常を繰り返していきます。現代都市生活は、気がつくとルーティンワーク&ライフに埋没しがち、そんなことも多いでしょう。

 

ルーティンから抜け出すのには、新しいことを学ぶよりも、現状に気づくことがどれだけ大事か。気づいたことは日常生活に採用し、自分に必要のない生活習慣を手放していくと、少しづつ現実は変わっていきます。「自分ごとにすること。それが主体性へと繋がるヒント」だと、一昨年、緑化事業を進める建築・まち づくりプロデューサー甲斐徹郎氏から学びました。

 

「自分を自分ごと化する。」書いてみると当たり前で、不思議な感じですが、それだけ自分の人生を送っていない人が多い気がします。なかなか難しいし、理解と体現で違うのでしょうね。よく分からないという方は、まず自分の身体から自分ごとに、してみましょう!

Q ボディワークとは何ですか?

ボディワークとは、手技やトレーニング、運動を通し、身体からのアプローチにより働きかける身体術の総称です。広義にはヨガやピラティスも含むものと考えています。ロルフィングは、主に手技や動きや知覚的なエクササイズを通じて、ズレや歪みのないニュートラルな身体状況に、身体からシフトしていくボディワークです。

 

心と体は互いに影響を与えあっていますが、ボディワークにより、自己の身体状況、知覚の変化、気づきが生まれ、自己との自然のつながりが取り戻し、自分らしい自然な楽な身体と心を取り戻していきます。

次第に身体のホメオタシス(自然治癒力、調整力、循環力、免疫力、行動力など)が活性化していきます。

 

そんなボディワークの一つであるロルフィングは、セッションごとのにテーマがあり、身体的な気づきを重ねていくことより、歪みやズレが脱却し、楽で自由な自分、そして今まで使われてこなかった潜在能力が表現されてきます。ニュートラルな身体から、健康的な心身、ライフスタイル、関係性を手にしていって欲しいと思います。

 

コラボイベント開催

3年目に入りました恒例のフローティングタンクとのコラボイベントのお知らせです。

 

フローティングタンクとは、1954年にアメリカの脳科学者ジョン・C・リリー博士により考案された「感覚遮断装置」です。

 

セルフロッテを主宰する霧城研一氏は、自身がボロボロの身体が復活した体験から、一人でも多くの方にこの装置を体験して貰いたいという熱い想いからサロン経営に乗り出した健康の伝道師。単なるビジネスとしての提供ではなく、元々の研究体質から、「健康とは何か」に始まり、フローティングの効果・精度を高めるデータを収集し、学者・研究員・医師の方などのネットワークから、快適かつ独自のフローティング環境を作り上げてきました。現状のセルフロッテでのフローティングは、日本で最先端のフローティングサロンと言えるでしょう。

 

ロルフィングによって、身体感覚、身体のニュートラルを取り戻し、自らの活性化し、ロルファーにまでなってしまった私と、フローティングタンクにより、健康を取り戻した、自らを新しいサロン経営に踏み出した霧城見一氏との、健康に対する意気投合によりこのコラボは生まれました。

 

二人の健康ダイアローグ(対話)も好評のようで、今回のイベントは、既に満員御礼という連絡がきました。(次回は4月に開催予定)

なお、それまで待てない!、受けてみたいという方は、ご連絡ください。

個別対応メニューもあります。(→詳細 

 

 

フローティングタンク&ロルフィング 2018・秋

 

*開催日

2018年11月24日(土) 満員御礼

(次回は4月に開催予定)

 

*ご利用料金

コラボ特別お試しセット価格

タンク60分+ロルフィング40~50分 

17,000円(税込)

 

 

 

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YOUR NAME.

『君の名は』。大ヒットした映画。見に行かれた方も多いでしょう。

 

一昨日の夜、那須のバンガローで、遅くまで語り合ってた中にもこの映画の話が出ていました。僕は少し眠くなってた時で、話半分に聞いていましたが、

 

「男女が入れ替わるというのはどうなんだろう。」

「でもあの入れ替わりがなかったら、物語としてつまらなくない?」など映画談義が続いていました。

 

大昔の日本では、名前は大切なもので、人には明かさないものでした。見知らむ人に名前を明かすというのは、出会う時、それから一戦交える時、だったよう思います。真剣に向かい合う時ですね。

 

名前を明かすとは、一緒になることでした。昨年出雲で行った島根県立古代出雲歴史博物館で見た古代の再現ドラマでも、恋に落ちた若い2人がいくつかのドラマを経て出会った時、初めてお互いに名前を明かしました。

 

「僕の名前は**、君の名は?」

「私の名前は**」

そして二人は恋に落ちました。

二人は自分の中で無意識にお互いにとって素晴らしいものも交換します。  

 

 

最近しばらく縄文にはまっておりました。

それもあの深夜のunit(代官山のクラブ)でのイベントで、Tシャツ姿の映画監督の山岡信貴さん出会ってから。

僕らは名前を言って、自己紹介をした。

 

 

監督はちょうどその時、製作中の映画の編集の最終段階でしたね、「縄文にハマる人々」、ただ今ヒット上映中です。

そういえば、この前、國學院の石井さんがキュレーションした縄文のイベント、

「いのちの交歓-残酷なロマンティスム-」で会いましたよね?って。

偶然という名の共時性。

 

この日は、縄文のクラブイベントで、Movements Oneness Meeting "縄文と弥生"で、ちょうど

カシャカシャと写真を撮っていたのは、「縄と矢じり」を主宰する廣川、草刈の両氏。

取材心の有った僕は、イベント撮影をちょっとお手伝いをし、縁が生まれ、

僕はこの日のメインイベントのアイヌの新年の儀式に参加し、酒を酌み交わした。

新しい出会い。

深夜のクラブでマスク姿で踊る病み上がりの僕がイベントレポートに載ってました。

 

 

縄文の文脈だと、魂の交歓と呼んで、イノチを繋げていったそうです。

交換するというのは、その名残り、入れ替わるというのは、ある(あった)のです。

そして僕は映画を作り始め、展示会は縄文から吉田神道に変わり、

時は次の場面に移り変わりました。

何事もなかったのかのように、縄文の嵐は去っていきました。

 

 
さて

男女が出会うのは、 日本神話では、まず男から名乗るのがよいとされています。 

最近は、女性からきっかけ作らないと出会いも少なそうですが、形上、名乗るのは男性からで。

  

我々の身体の中には、「出会う」という能力が残っているのです。

意識だけだと、互いに牽制しあって出会いません。

意識だけでなく言葉、そして心と身体を伴って出会いましょう。

 

 

なぜめぐり逢うのか?いつめぐり逢うのか?

私たちは なにも知らないって、名曲「糸」の歌詞では言ってましたが、

僕が答えましょう。

 

なぜ出会うのか?

それは無意識を共有しているからです。

最近、その能力はあまり使われてない気がしますが、

縄文の血を残す我々日本人は交歓する能力が身体的には高いのだと思います。

 

共時性が縁を惹きつけていくのです。

おもてなしの国である所以は、この辺りにありそうです。

 

 

学びよりも気づきの時代と言われ久しいですが

無意識になっている事に気づくこと。

それは、その人の現実感を動かしていきます。

 

身体を開いて、身体の無意識に出会っていくこと、気づいていくことは、

それは無意識に気が付いていくこと、そして少しづつ出会う力も上がっていくことになります。 

僕のクライアントにもたくさん出会いエビデンスがあります。

 

 

出会うのは、何も人間、男女に限ったことでもありません。

その人が今、必要な気持ち、必要なこと、必要な情報、たくさんの気づきが起こるセッションです。

潜在していた自分の能力に出会うこともあります。

 

 

今、あなたは、何に出会いたいですか?

無意識の中にいる共時性のあなたはどこへ向かっているでしょう。

 

天の岩戸を開きましょう。 

I'm here. 

私はここにいます。

 

 

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記憶と出会う

秋の那須へ行って来ました。今回はテニス、日本各地から集まった12名。見知らぬ同士もバーベキューですぐに打ち解けます。昨夜は夜中2時過ぎまで話をしてました。20代から50代まで世代を超えて色々な話ができて楽しかったです。

 

僕は、学生時代、テニス、バレーボール、スキーをやってました。テニスは久しぶりでしたが、若い頃にやったスポーツは体の中に記憶されていて、久しぶりにやっても、なんとなく体が覚えています。自分がした全ての経験は、消えて無くなるわけではなく、体に記憶されていますね。

 

僕がセッションで、若い頃はこんな風でしたか?とか、左側で怪我されましたか?とかいうと、なんでわかるんですか!とかいう方が多いですが、そうした身体記憶のある部分をみています。スポーツ以外にも身体は様々な動きや使い方のパターンを覚えています。時にその時のイメージや心象風景、場合によったら五感の記憶、感情なども含まれています。そして言語になるもの、イメージのままのもの、それからもっとプリミティブな言語下のものなども、身体と共に記憶されていることも多いです。

 

 

こうした縦方向の理解や深まりが、横方向の可動域や、空間への身体の広がりと共に、開いたり、動きやすくなることと共に、動き出してくることが、ロルフィングの面白いところでもあります。体や心の状態が変わっていくというのは、意識にとって、すごく面白い体験だと思います。

 

もっと自分は変われたのではないか!もっと自分の可能性が開けたのではないか!理解や気づきの体験に、びっくりするような方も多いです。身体の不調な方も、なんとなく閉塞感がある方も、考えすぎてしまって自分がよくわからなくなってしまった人も、誰にとっても面白い体験になると思います。自分の可能性、開かれていきます。

 

ご自分のタイミングで、興味を持った時に、10シリーズを受けてみて下さい(^ ^)

 

 

 

 

 

 

 

Go away little boy

Go away little girl

Go away little girl

I'm not supposed to be alone with you

Oh yes I know that your lips are sweet

But our lips must never meet

I belong to somebody else and I must be true.

Please go away little girl

Go away little girl

It's hurting me more each minute that you delay

When you are near me like this

You're much too hard to resist

So go away little girl before I beg you to stay.

 

ソングライター: Carole King / Gerry Goffin

 

ジャスの世界は大人な世界ですね。

言葉と共に頭に入りますので、他の言語を学ぶことは、とても色々学びや気づきが多いです。近年特に、仕事やネットカルチャーを通じて、環境に、ダイレクトに英語発想が入ってくるので、カタカナ英語的に生きていると、環境や関係性のギャップに違和感やが出てくることも多いかもしれませんね。英語の世界は大人な感じですね。日本語だとどうも阿吽や忖度含めたコミュニケーションなので、言語だけだとなかなかうまくいきません。

 

時に何か外国語を学ぶのはいかがですか?新しい発想が色々と頭に入ってきます。

 

 

友人のアキちゃんの新譜が出ます。

 

中野渡章子 2018年10月14日発売new Album

「All That Jazz」より Go away little boy

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どうしてもあなたに会いたい。

死ぬ時に後悔することというリストがネットにありました。その中に、人生のどこかで、出会い、別れてしまったあの人と、逢いたかった。というのがありました。

 

 なんかテレビでそんな番組がありましたが、あなたには、そんな人がいらっしゃいますか?再会するチャンスはまだありますか?

 

忙しい時代に、知り合った人で、会わなくなってしまった人が何人かいます。少し時間ができてくると、今になって感謝を伝えたい人、ちょっと謝りたい人、何人かいます。

 

そんな機会もなかなか作れずに、たまに思い出した時に心の中で伝えています。人生に起こったことは全て自分のことですが、なかなかうまく出来なかった、そんな時期もあります。いろんなことが一生懸命だったのだけど、やることが多いと、一つ一つ、ちゃんと扱えてなかったことにあとで気がつくことも多いです。

 

時が過ぎ、時代も変わっていく中で、奇跡の再会のような場面に出くわすこともあります。それも偶然に。共時性?無意識の力?そういう惹きつける力というのありますね。思い返してみると、僕はそういうのが多い方ですかね。また最近は、facebookなどで再会も多いでしょうね。まだまだ間に合います。もし再会したい人がいたら連絡してみましょう。

 

さて、体を統合していくと、昔の自分に出会うことがあります。自分の身体の中に、昔の自分が保存されているのですね。 身体が流動性を増していくと、そんな昔の自分に出会うこともあります。人によっては、10シリーズの中でそれを意図してセッションすることもあります。 それがその人にとってのセラピーになるからです。(→参照

 

 

パッシブスキル

パッシブスキルという言葉を聞いたことありますか?

 

パッシブスキルとは、ゲーム用語で、RPGなどキャラが独自に持っているスキルのことをいいます。パッシブスキルは、とくに何かをする必要はなく、バトルに参加しただけ、またある特定条件付きで、スキルが発動します。

 

自分で何かを起動するわけでなく、ある特定条件で起動するスキル。つまり無意識化されたキャラ特有のスキルなんですね。

 

これは、実はゲームのキャラだけでなく人間にもあるのです。ただし特定条件や、バトルフィールドにいかないので発動してない、いわば潜在している能力です。

 

身体統合が進むということは、この特定条件を整えることでもあります。そうすると、それまで潜在していたパッシブスキルが起動してきます。意識しないで出てくるのです。意識して出来てもそれはそれで努力なのですが、無意識に出てくるとなると、なんて、楽で、自由な身体だ。ということになります。

 

ゲームに登場するキャラクターデザイン、背景、世界観、道具、関係性、物語。バーチャルな世界に反映しているのか、既に我々自体がゲーム的な世界に生きているのか、わからなくなりそうですが、現実に生きる身体には、パッシブスキルが必ずあります。そして固有のスキルもあります。

 

なお、パッシブというのは、アクティブの反対です。受け身、消極的、受動態のという意味です。アクティブ優位な時代ではありますが、身体には、アクティブ性、パッシブ性、両方あります。パッシブスキルの表出は、あなたの身体や意識のまだ見ぬスキルを導き出してくれるものです。自分を全部受け取りましょう。

 

 

今日の話は少し無理やりっぽい印象もありますが、人間が生み出すものは、どれも、人間の身体や意識を参照に導き出しているのだなと思いました。思い返せばゲーム業界には制作者時代、本当にお世話になりました。当時なんどもインタビューを取らせていただいたクリエイターの皆さんのその後の活躍をニュースで見ながら、ロルフィングに励むロルファーでした。

 

ナラティブ

ナラティブという言葉を最近よく使います。意味的にいうと物語的という意味ですが物語を説くように進めていくみたいな感じで使います。僕は制作者であり、今は映画と作っているせいもありますが、セッションにおいてもナラティブアプローチを使う場合はあります。

 

痛みや違和感など、ヒアリングし、悩みをざっくばらんに話しているうちに、だんだん進むべき道が見えてくる。あまりこの方向だと、正解を突き進むのではなくて、対話的な手法で、次を本人に紡いでいってもらう感じです。もちろんタイプもあるので、セッションでの紡ぎ手のキャッチボールはあるのですが、アウェアネスに伴う発見、あるいは言語化の過程でこのカウンセリング的な手法を使っています。本質的な意味での痛みや違和感の統合は、決して誰かが上から決めるものではなくて、対話的な手法により導き出されることも多いです。

 

 

物語に参加しているうちに、というのが偶然の一致を生み、シンクロニシティが次が生まれてくるという、ちょっとサスペンスドラマ風な自分を主人公にした物語が進んでいく、そんな風にシリーズを進めることも多々ありますね。物語の題材は色々あります。クライアントの適性をみて楽しくロルフィングするのが僕のモットーです。

 

何か的確なことをアドバイスをされたり、問題点を指摘されたりするよりも、自分の言葉で考えを紡いでいった先に見つけた答えのほうが納得感を感じられるものなので、この手法を使ったセッションでは満足感も高くなってますね。自分を主人公にしたドラマに参加している、そんな感想をくれたクライアントも多いですね。もしかしたらこれって、元制作者上がりのロルファーオリジナルかもしれません。人生をダイナミックに生きてみたいかた!心と体を連れて、自分の人生の主人公になってみましょう!違和感がある方は、自分で気がつかないうちに、誰かの為の人生の生きている場合があります。自分に戻りたい方、メンタルテーマでロルフィングを進める際に有効だと思います。ご希望の方は、ナラティブアプローチ希望とおしらせ下さい。

 

参照→感想

情報整理

こんにちは。情報の整理大事であると、散々、ブログでも言って来たので、自分も整理していきたいと思います。

 

2年ほど、好き勝手に書いて来たこのブログですが、来月から外部メディアにコラムを書くことになったので、少し書くことを整理していきたいと思っています。コラムでは健康や身体、自己活性化、ライフシフトのような話。このブログでは言葉や自己表現、日常、あと本、音楽や映画やアートの紹介というのを基本に考えています。

 

またお知らせ、ついでですが、実験的な映画を企画していまして、出演して頂けるとモデル募集を来月くらいに。それから来年になると思いますが、制作の枠組みで動きそうなプロジェクトのファシリテーターなど募集など予定しています。

 

元々、広告企画の人間で、自分自身がメディアになるよりも、外のメディアを盛り立てていくのが向いている気がするので、外の方とのコラボやユニットでの展開を主に考えて動いていますが、一体どうなりますことやら。

 

僕自身も、今までのように、流れや勢いで、動きつつけるよりも、少し落ちついていい関係を作っていけるような関わりを、仕事でも、プライベートでも、考えております。

 

渋谷での展開だけでなく、地方での場作りや機会にも、僕ができそうなことなら、今年来年は積極的に協力させて頂きたいと思っています。

健康や、ロルフィング、ライフシフト、ライフスタイル、リクリエーションなど、お気軽に連絡ください。

 

今のところ、少し余力あります(^ ^)

動くしかない

ロルファートレーニングは多岐に渡りますが、ある時にこんなレッスンがありました。

 

「今から自由に動いてみて下さい。」

 

最初戸惑っていた参加者ですが、徐々に動き始めます。そこには色々な風景が広がりました。

 

座禅を組む人、ヨガのようなポーズをする人、前衛的な動きをする人、ゴロゴロと転がる人、仰向けで大の字で寝ている人、首を回す人、しゃがんだままの人、目を閉じて直立したままの人、実に様々な人間の動きがそこにはありました。

 

 

 

考えてみると自由に動くとは、意外に難しいものです。我々は、無意識に何かの動きに規定されながら動いてしまう、誰かの動きを見ながら動いてしまう。今の自分の動きは一体誰の動きの模様なのか。わかったものではありません。

 

そうした規定された動きから一度、身体そのものの自由に戻ると一体どんな動きをするのか。ちょっと楽しみではありませんか?それは考えてするものでもないし、自分でさえわからないものです。

 

考えるのをやめた時に、身体は一体どんな動きをするでしょう。他人にどう思われるとか、うまくできるとかを排除した身体の動き、正解のない無我の自分を、あなたは見てみたいと思いませんか?

 

予定調和な現実に囲われれている、今の自分は自分らしくない、そう感じているあなたへの、自由な身体へのお誘いです。

 

WE

先ほどネットをみていたら、WE「私たち」という言葉の使用はパートナーの利己主義に苦しむことなく、関係を上手に発展させようとする者の間にみられる緊密な繋がりを証明しているというカリフォルニア州の研究者の方のニュースが出ていました。

 

これは若いカップルのみならず、年配のカップルにも当てはまると指摘。パートナーとの関係において、言い争いや困難な状況に直面した場合には、「私たち」という言葉の使用が特に重要になるのだそうです。

 

僕は、WEという言葉を無意識でよく使ってしまうのですが、一般的には、主語のない言語である日本語だと、やっぱり使いにくい言葉かもしれません。

 

では日本語ではどうしたらいいのか。民俗学者の折口信夫は、類化性能ということを言っています。英語でいうとアナロジーなのですが、似ているもの同士をくっつけてしまう、比喩の文脈を活用して、一つのものごとを別のものと重ね合わせていく、この能力を発揮すると、音やイメージや形や意味の間にある、どこか似ているというという感覚を元にして、普通ならどこか離れたところにある分離されてあるもの同士が一つに結び合わされて新しいイメージを作り出していくようになる。そんなことが日本語にはたくさんあるのです。僕が過去に作り出してきた広告には、この類化性能を駆使したものが多いです。

 

この能力で、世界の森羅万象を再構築していくと、様々な新しい繋がりが生まれ、ある時自分を取り巻く環境、世界が一変しているようなことさえあるのです。身体にもそういう機能がありますね。それはロルフィングを受けてみるとわかります。突然知覚している世界が変わるのです。不思議ですね。

 

 

誰かと関係性に悩んでいる方は、WE、そして類化性能的能力、ぜひ日常生活で使ってみてください。

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海の砂浜から波打ち際までに至るまでの場所を渚といいます。

 

海でも砂浜でもある場所。波が行ったり来たり、どっちでもある場所。

言葉と現実が明確に一致してなくてもいい、そんな緩やかな場所が、社会や、世界にはもっと必要なんだと思います。

 

ルールや意味が我々の生活を覆ってきて、無意識の忖度にがんじがらめになって、生きているのがきつくなってしまって、檻にいるように感じている方も多いかと思います。

 

身体の外と中との境界線は、本来、渚みたいに出来ています。

波打際は、柔らかく、曖昧で、キラキラ輝いています。

波打ち際を、裸足で歩いてみましょう。

 

身体の境界線は、国境のようではなく、アバウトで、本来、渚のようなものなんです。

頭の中で考える世界ではなくて、外の世界と接するために存在しているのでもあります。

 

身体を固めてしまうのは、そんなことかもしれません。

あなたの境界線に、渚をつくりませんか?

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