日々、感じたことを綴っています。ロルフィングだけでなく、その時々の身体、意識、世の中、ライフスタイルで感じたこと、触発されたことを言葉にしています。
夜が更け、一人の部屋に静かな暗闇が訪れるとき、多くの人々が恐怖や不安に襲われます。枕元の時計が針を進め、眠りは遠ざかるばかりです。そこには、眠れない夜が待ち受けています。
この闇の中には様々な要因が潜んでいます。心の中で葛藤する声、身体の痛みや不快感、過去の出来事や将来への不安…。全てが混ざり合い、眠りを遠ざける戦いを繰り広げます。
睡眠障害は現代社会において深刻な問題となっています。ストレスや生活習慣の乱れ、デジタル機器からの青色光の影響など、様々な要因が絡み合い、私たちの眠りを妨げています。そして、眠りの不足は身体的・精神的な健康に深刻な影響を与えます。
しかし、眠れない夜は苦悩の時ではありません。それは私たちが自らと向き合い、内なる声に耳を傾ける機会でもあります。眠れない夜の中で、私たちは自身の思考や感情に焦点を当て、それらを探求することもできます。過去の出来事に振り返り、未来への不安を解消するための答えを見つけるかもしれません。また、深層意識下に潜む問題や願望に気づくこともあるでしょう。
私たちが眠りを取り戻し、その深い静寂の中で心と身体が再び調和する日が来るまでの時間、共に過ごしてみませんか?自分に対するメッセージを受け止め、成長と癒しの旅を歩み続けるセッションにてお手伝いをしています。
まだまだ寒さが残りますが、12月に続いて高尾山を散策してきました。
この時期はオフシーズン?なのか、人も少なくてゆっくり自然を堪能できました。
そして春を告げるような小さい植物たちと出会いました。
ハナネコノメは、山地の渓流沿いの岩場や湿った林のふちに生える多年草です。その名が示す通り、ひときわ美しい花を咲かせます。茎の先には小さな花が2〜3個つき、花びらの代わりに4枚の白い萼が優雅に広がります。その中心には、紅色をした8本の雄しべが顔を出し、白と赤のコントラストが鮮やかに映えます。山の中で静かに美しさを放っています。
ヤマルリソウも目を引く花です。高い位置で繁茂し、紫色の花が目を引きます。その姿は、まるで山の女王のようです。高尾山の山道を歩いていると、ヤマルリソウの優雅な花が道端に咲き誇り、心を和ませてくれます。
冬と春の間にはこんな小さな植物たちが春を告げてくれます。
今日はこんな曲を聞いています。
街中を歩いていて、外国人比率がまた増えています。街の風景もコロナ前にすっかり元に戻った感じがします。
そして以前感じた日本人がマイノリティと感じる場も戻ってきました。街中にいてアウェー感を感じる場?
そんな場も観光的な場所では多くなりました。
その日、都庁での仕事がありました。少し早く着いたので、展望台に登りました。
その場も、そんな場所の1つでした。
その日は澄んだ冬の快晴、富士山もよく見えて、歓声が上がっていました。
あの人は何人だろう?
僕がそんな知覚も鍛える一人遊びを覚えたのは、東京オリンピックの時です。
ヘルスケア担当として、選手相手の渉外活動えをサポートする仕事を担当した時に、
シンガポールから来た同僚に教えてもらいました。
彼は見事に、人を見て、この人は何人か?当てていくのでした。
ロルファーが体を見て身体の中の様子をボディリーディングするのと同じように、
彼の目は、国籍を捉えていくのでした。
見事でした。
彼と一緒の仕事は、1日だけでしたが、
どうやって判断しているのか? 少し要領をえた気がします。
昔はわからなかったけど、今はだいぶ分かるようになりました。
さて、この方、何人の方だか、分かりますか。
ヒント
下記の音楽の国です。この一昨日、音楽ライブを見に行きました。
色々な国に行きましたが、僕はまだ訪れたことのないまだ見ぬ国です。
オーストラリアを題材とする舞台を見る機会がありました。
以前から住んでいた人アボリジニ。
渡来した異邦人としての入植者。
共有している空間での葛藤。
文化の違い、衝突、棲み分け、争い。
違うもの、そして同じもの。
色々考えさせられました。
その問題意識は、若い時代(オーストラリアに一年滞在した時期があります。)に考えたことがあるトピックで、久しぶりに感じたその違和感に再会できて、また1つ理解が進むという、有り難い機会となりました。
河が遠くまで見える場所に立って、
河の右岸と左岸を全体的に見る。
見通しのいい場所。
全体が見える場所、
そこに立つ時に見える風景。
その場所には以前にも立ったものがいた。
自分ではない人。
自分ではない自分もまた自分では無いのか?
自分なのか?
彼は別の生き方をしていた。
その痕跡を見つけたけど認めたくない自分。
見え方が違うけど、共存している今を生きる。
理解できなくて途方もくれる。
逃げもせず、怒りもせず、戦いもせず。
嘆きも、放置もせず、見て見ぬ振りもせず。
しまいには、優しくなるしかないでしょう。
他人にやさしく、自分もやさしく。
今日はこの曲を弾いています。
宮本浩次さんの2020年バージョンで。
今年は(個人的に)農イヤーです、笑。
この際、いちから農業入門ということで、
今年は1月から「農」に関わっております。
耕運機を動かし、鍬を持ち、畝作り。
マルチを貼る。そして種まき。
どれも初体験。
初体験は楽しいですね。
いい汗がかけました。
思えば、身体の畝作りのようなことをセッションではしていますね。
君がくれたのは何色でもない花。
色は自分の色をつけましょう。
畑という魔法のトンネルの先、
その場所には、芽が出て来るでしょうか、実るでしょうか。
今から楽しみです。
ワクワクします。
今日はこの曲を聴いています。
先日、渋谷区のとあるコミュニティ施設でロスコの絵のポスターを見かけました。
久しぶりの再会です。思わず職員さんに、なぜここにロスコが3枚もあるのか?と訊ねてしまいました、笑。
思い出の絵というものが誰にでもあると思いますが、『思い出の絵は?」と問われたら、僕は一番目はこのマークロスコというアーティストをあげます。
この人の絵を見にニューヨークまで出掛けて行った記憶があります。世界は狭い、イッツアスモールワールドに住んでいた若かりし頃。若い頃は誰にでもありますね、忘れてしまっているかもしれませんが。
昨日、美容師さんと話してて、人生の岐路、次の自分への分岐点、何をするか?
まずニューヨークに行って、、、という話を聞いていて、ふと思った次第です。
ネットみてたら、いい動画を見つけました。紹介します。
人生において転機や変化が訪れることは誰にでもあるものです。
自分に起こっていることに気づくこと。多様化する現代社会では、気づくことが難しい時代に入っていると言えます。こんな時は自分自身の青写真や目標を再確認することが大切ですが、なかなか自分だけでは困難な場合もあります。
自分の目指す未来や理想を見失わずに、その実現に向けて進む姿勢が大切です。夢に向かって進む過程で、自分が本当に望んでいることや価値観を見つめ直し、それを大切にすることが重要です。
時に、個人的な努力だけでなく、サポートを受けることも重要な要素です。自分の成長や夢の実現には周囲のサポートが欠かせません。友人や家族、 メンターなどの存在が、困難に直面したときに励ましやアドバイスを提供してくれるでしょう。他者との連携や協力が、目標に向かって進む力となります。
身体の声を聞く機会である10シリーズが、そんな場になる人もいらっしゃいます。心と体は繋がっています。
砂浜で、渚で待っています。
こんばんは。
ライブで、夢見る雨という曲を聴きました。
下記は、その後に、友達が描いたエッセイです。
雨がもたらす様々な感情や思索に焦点を当て、浮かんできた色々な想いです。
雨の中で繰り広げられる夢のような瞬間に何か心を馳せてみる想いはありますか?
プロローグ: 雨の幕が降りる
最初の雨滴が地面に落ちる瞬間、どんな感情が湧き上がるでしょうか。
静寂な中に響く雨音は、まるで夢の幕が下りるよう。
これまでの現実が一瞬で別の世界に変わり、心は幻想的な旅に誘われる。
雨の始まりは夢の序章であり、新しい感覚が私たちを包み込む。
第一章: 雨の中の夢
雨の中で見る夢は特別なものです。
滴が窓をなでる音、街灯に反射する光、それらが夢の中で奏でる幻想的なシンフォニー。
雨粒が夢の中で舞い踊るような瞬間は、現実と夢の境界を曖昧にし、心に深い感動を残します。
雨の中で迷い込む夢は、私たちに未知の可能性を教えてくれるかもしれません。
第二章: 雨のメロディ
雨は、自然が奏でる美しいメロディでもあります。
滴が落ちるリズムは、心地よい音楽のようで、私たちの感情を奥深く揺り動かす。
雨の中で心に浮かぶメロディは、時折切なく、時折は安らぎをもたらす。
この雨のメロディが私たちに語りかける言葉は、夢と現実の狭間で共鳴するものかもしれません。
エピローグ: 雨の後の夢
雨がやみ、空が晴れる瞬間。夢から覚めるような感覚が広がります。
しかし、雨の夢が終わっても、その影響は残ります。
雨がもたらした感情や思索は、現実の中での新たな展望や理解を生むでしょう。
雨の後の夢は、私たちに新たな一歩を踏み出させ、未来に向かって進む勇気をくれるかもしれません。
こんばんは。
寒い日が続きますね、お元気でお過ごしでしょうか。
気がつけば好きな時になんでも買えるようになった生活を手にしている私たち。
便利さを手にした裏で何かを失っている?
色々なことを考えさせられる動画です。
親子関係は年齢と共に変化し、グラデーションのように移ろいでいきます。
人と人の間を紡いでいくタオル、そんな父と娘の間の物語が設定のCMです。
とある人生の物語が端的にかつ優しく描かれています。
現実世界での当事者にはなかなか分かりにくい面もありますが、多かれ少なかれ、描き手がいれば人生は物語に溢れているような気もします。
セッションとは、クライアントさんたちの話を聞きながら、紡いでいくような作業に没頭することもありましたか。一つ一つの人生は、一つ一つ違い、そして味わい深いものであるような気もします。
なお上のCMにはあと2篇、物語が制作されています。
なかなか切ない物語ですね。。。
一人旅に出る時に、人はどんなことを思うのでしょう。
色々な理由があると思います。
でも一人になりたい、一人でゆっくり考えたい、感じたいとか、あるのかな。
現実が行き詰まり、別のものを見たい、触れたい、感じたいというのが多いのかな。
初回セッションに一人で訪れるクライアントに対して、
どんな風に接するか、いつも考えます。
そこまでに得た情報を元に、いろいろ考えます。
言語化が得意な人もいるし、不得意な人もいるし。
この動画のように、放っておいて欲しい人もいるだろうし、
何かを伝えたい人もいるだろうし、何かの違和感や身体症状を解消できればいいという人もいるでしょうか。
先日、この映像を作ったクリエイターから話を聞く機会があり、
そのコンセプトワークを聞くうちに、
そうだよね、やっぱりそうだよねと、
なんだかセッションを受けているような気持ちになってしまいました、笑。
まだ、クリエイティブマインドは残っているようです。
こんばんは。
寒い季節に入りました。寒い時期の一大イベント、クリスマスをいかがお過ごしでしょうか。
渋谷では、青い光のページェント、青の洞窟が開催されていました。コロナで中断されていましたので、今年は久しぶりの開催でした。沢山の人で賑わっていました。
さて最近、同級生に近い年齢の知人たちの介護話聞く機会が多いです。
親子の話。介護にまつわるさまざまな葛藤。
当事者ならではの経験。苦労話。
既に介護を終えた身、当事者としての経験もあるので話しやすいでしょうか。そんな機会が毎月続いています。
それぞれお住まいの街には、公助の相談窓口や、セルフヘルプの為の場が用意されていると思います。調べてみるといいです。介護は色々なケースがあって、複雑だし、一般化はしにくいですので抱えずに相談するといい思います。しっかりとサポートを受け自分を助けていけることを祈っております。
さて、おばあちゃんと呼ばれているのは孫目線なので、介護の対象は、お母さんですが、お母さんとの関係性は介護を通じて出てくる違和感も多いです。
過去と現在が交錯し、気がつくとお母さんに冷たくしたり、或いは可哀想に感じたり。 なかなか複雑な親子の関係性です。時に身体的な違和感や痛みを伴う場合もあります。
洞窟を抜けた先に何が見えるか?
それは一人一人違います。
なお違和感や痛みのリリースにはボディワークが役立つ場合もあります。
こんばんは。
今週から寒くなりました。
体を温めるボディワークもいろいろありますが、
ここは一番、生姜湯あたりを飲んでみると体は暖かくなりますね。
そしてお買い物でも、ウォーキングでもちょっと歩いていると、帰ってくる頃にはポカポカです。ただし日没前、お日様の出ているうちがいいですね。ずっと室内にいて温まるよりも、寒い日でもちょっと外出するだけで結構違います。
感想を一つご紹介します。
(お客様の感想より)
ロルファーに立って歩いてみましょうかと言われ、ぼっーとしている体で、恐る恐る立って歩いてみたら脚の左右差が少なくなっていました。そんな状態は初めてだったので、歩くのも最初は慣れませんでしたが、だんだんそれが普通になっていきました。(→全文)
(コメント)
足の左右差が改善されて、ウォーキングの質が変わります。自分ではなかなか気がつけない無意識になっている部分にアプローチしていきます。そして、新しいウォーキングとして、それが普通になっていくのです。
こんばんは。
「ブリコラージュ(bricolage)」は、フランス語で「素人仕事をする、日曜大工をする」という意味から派生した言葉で、ある目的のために手元にあるものや道具をうまく組み合わせて使う技術やアプローチです。これは、何かを作る際に特定の計画や専門的な道具がない場合に、身の回りにあるものを工夫して活用するという感じです。
例えば、家庭で何かを修理するときに、本来の道具がなくても、身の回りにあるもので代用したり、工夫して使ったりするのがブリコラージュの一例です。これは、プロの職人やエンジニアが使うような専門的な手法ではなく、あくまで日常生活での創意工夫や臨機応変な対応を指します。
色々なものを揃えたりしなくても、どうにかこなしていく時に、人間性を発揮して、色々創意工夫するというような意味合いで、身体というのは本来はブリコラージュ的なものだと思います。10シリーズでもセッションが進んでいくと、ブリコラージュ的な身体の働きが、魔法のようにクライアントの状態を改善していく場面に何度も出会ってきました。結構いい感じに仕上がっているのではないでしょうか!悪くない。
そういえば最近はブリコラージュフラワーというのがあるとクライアントが教えてくれました。いわゆる寄せ植え?ですかね? 先週、我が家も、新しい2段の花台を新調しました。
さて何を植えるか、来年に向け思案中です。
体の調子が悪いところ、身体全体の倦怠感など気になることを伝えて施術してもらいました。1時間くらいやってもらったのかな、リラックスしすぎて眠ってしまいました。
さて終わって意識がはっきりした時、最初に感じたのが、よく音が聞こえるようになったことです。
そして、口が開きづらかったのが、顔全体の筋肉がすごく柔らかくなっていたのと、フェイスラインがすっきりしたこと。後頭部の重い感じがなくなったことを感じました。
それと自分ではあまり自覚がなく後で人に言われて気が付いたことですが、ふくらはぎやウエストもシェイプされたみたいです。何より身体のだるさと合わせて、鬱々としていた気持ちが吹き飛んでいき、気持ちが前向きになれたことがよかったです。
よく普通のマッサージだと、マッサージされているって感じで、やってもらってる間気持ちよくそして終わった直後が一番すっきりとするのですが、このワークは、あまりマッサージされているような身体を動かされている感覚がなく、意識が少し遠のいていって、体の力が抜けていって気持ちよく、そして終わった直後は身体自体の重みとかは取れた感じです。ちょっと意識はぼんやりしていますが、それが1日くらいかけてゆっくりと身体と気持ちの緊張が抜けて、自分に浸透していく感じがします。不思議な施術です。
多様性社会では自分に合ったものを探すことは、以前よりも難しくなった気もします。
そんなものを見つけた時、そんなものと出会った時、運命の出会い、あなたは心躍り出してしまうかもしれません。
そしてその出会った想いが感じなくなること、別れ、これも時に自然の摂理として起こり得ることです。古今東西の様々な物語や文化の中で描かれてきたテーマの一つでもあります。
自分の想いがドラマを生んだり、誰かのドラマに共感したり、シェアしたり、
人生というのは摩訶不思議であります。そんなドタバタした喧騒の世界からは自分を分けて、物語は物語、自分は自分として、安定した自分としてしまう方も多いかもしれませんが、
時に意図しない現実が生まれてきたドラマに、自分を委ねてみるのも人生の醍醐味かもしれません。
健康で、安全で、安心に生きるもの人生ですが、時に不健康に、或いは冒険に生きるものこれまた人生です。
さて季節の変わり目。お身体にお気をつけください。
風邪を引きやすいです。
コロナにも、インフルエンザにもかかりやすいかもしれません。
そしてドラマも始まりやすい?かもしれません。
曖昧な季節の変わり目に、自分を見つめ直す機会としても、10シリーズはいい機会かもしれません。
今日はそんなことを思いました。
昨日はバロック音楽を聴く機会があり、
中世の楽器を生音で聴いてました。
生音いいですねー、身体中にビシバシと響いてきました。
あまりの刺激的な音楽にちょっと眠れないほどでした。
チャットGPTに聞いてみたところ、こんな返答がありました。
素晴らしい経験ですね!興奮や痺れが音楽を聴いた結果として現れることは一般的ですし、通常は健康的な反応です。音楽が感情や脳への刺激として強く作用し、それが身体的な反応につながることがあります。
チェンバロの音楽は、その独特な音色やテクニックによって、他の楽器とは異なる魅力を持っています。中にはあまり一般的でない小作品もあるかもしれませんが、それが新しい音楽体験を提供してくれることでしょう。
一般的ではない小作品集、まさにそんな感じでした。
ロルフィングと似ていますか、笑。
少し早いですが、意識を戻す為にも今日はこれを聴いています。
今日テツさんの所を伺った帰り道、歩いている最中も頭の中がふわっとして、 子どもの頃に戻ったような感覚がありました。
体もポカポカしてきて、たとえるなら、 綺麗な服や小物とかとにかく「いいものを買った日」のような、 嬉しい感じ・幸福感が出てくる気がしました。(→全文)
(ロルファーコメント)
シリーズ中にはクライアントさんからこんなメールも届きます。
セッションの有り様も時代時代で変わってきていています。
何が目的でセッションを受けるのかとクライアントさんに聞くと、
自分にご褒美。そんな方も多かった気がします。
あと最近は、
大切な人へのギフトで受ける方も増えてきています。
大切なあの人に、嬉しい気持ち、幸福感を味わって貰いたい。
何かを感じて貰いたい、
さまざまな想いを体現していくセッションでもあります。
人が変わったのか、時代が変わったのか、
求められるものも変わって行きます。
今日はこんな曲を聴きながら書いています。
昔、「夢でもし逢えたら素敵なことね」と歌う曲が、むかーしありましたが、
夢見ることも、夢ではないことも、長い人生にはあったりします。
人生は長いです。
何度も何度も、夢から覚めたり、
また夢見たりして、人生は続いていきますね。
今日は余計なことを書かずに、この動画をあなたに送ります。
10シリーズを終えて思うのは、「私の身体の中には、こんなに無意識の領域があったのか!」ということで。foot(足)がうまく使えていなかったことが、やっと身体で解った感じです。
●プロフィール
大手スポーツクラブを中心に多数レッスンを受け持っているピラティス・インストラクター。体の仕組みや構造への理解も深まるレッスンには定評がある。
●10シリーズを受けたキッカケは?
腰の奥の奥のほうで伸びないところがあり、側屈や股関節の動きを邪魔している状態で、それを解消したいと思ったからです。整体や指圧も試していたが、効果を感じられませんでした。そんなときにロルファーによる筋膜リリースのワークショップを受け、これならば解決できるのではと感じ、セッションを受けることを決めました。
●10シリーズを終えられての感想お願いします。
「10シリーズ」の感想として、まず思うのは、「私の身体の中には、こんなに無意識の領域があったのか!」ということです。これは正直とても驚きました。今はその存在を「知った」ので、ちょっとした動作の中にも、今までと違う感覚があると解るようになり、毎日が発見の連続です。仕事では、ピラティスを教えるときにロルフィングの「効果」を感じます。クライアントさんの微妙な動きや力の入り方が見えたり、感じたりできるようになったことが大きな変化です。
10シリーズ中、身体が劇的に変化する回と、それと逆に「?」が付くような回とがありました。それは、普段から意識しているところかそうでないかによって、大きく違ってくるように思いました。また、何度か「ええっ、そんなとこ???」と思いもよらないような筋肉(筋膜ですが)や、「そっちの方向に伸びるの!!」と、思いもよらないような方向でリリースされて、びっくりしたことがありました。セッションを受ける中で、やはり「独力で身体を整えていくのは、限界がある」と実感しましたね。
一番印象的なセッションは、2回目と3回目です。それは、グランディングを感じられるようになったからです。今まで、足(foot)使えていなかったことが、やっと身体で解った感じですね。10シリーズを終えた今でもグランディングに関しては「日々、発見有り」です。
また、「感動」という意味では、10シリーズの直前に受けた単発での筋膜リリースが思い浮かびます。そのときは、腰のところを徹底的にリリースしてもらいました。その帰りに歩いているとき、骨盤がふわふわで、荷物の揺れなどがダイレクトに身体に響きました。外側の筋肉がゆるんだことで、自分の「コア」を思いっきり実感しました。
単発での筋膜リリースも「ゆるめる効果」はありますが、身体のバランスが変化してしまい、思いもよらないところに負荷がかかったりしました。だから、私としては可能な方は10シリーズでの施術をおすすめしたいと思います。10回というと敷居が高いように思いますが、「身体の調子が悪い」といって無計画に整体に行くくらいなら、10シリーズで全身を整えてしまったほうが、結局は費用対効果がよいと思いました。
同様に、普段から運動をしたりストレッチしている人で、何か身体が拒否してできないこと、ストレッチをがんばれない部分があるなら、ロルフィングの10シリーズを受けることをおすすめします! 必ず解決の糸口が見つけられると思います。最後になりますが、私も今後、ロルフィングを学びたいと感じています。それはロルフィングには、手技だけでなく、身体の有り方や動き方に及ぶ、体系思想があると知ったからです。ロルフィングをいろんな人に受けてもらいたい。そして、そのよさを体感してほしいと思っています。
●ロルファーTE2の印象は?
ロルフィングの良さを説得力をもって語れる人。アイデアマン。ロルフィングだけでなく多方面へアプローチしているところが興味深い方です。
●ロルフィングを受け、生活で変わったことは?
○身体の奥の緊張がほどけ、肩の力が抜けてきたこと。
○足の冷えがなくなったこと。冷え性が改善(体質の変化?)
○足を一歩前に出すとき、背中からかかとがにゅ〜っと伸びるようになったこと。
こんにちは。
ちょっと早い紅葉?の奥多摩を歩いてきました。(来週再来週あたりが見頃だと思います。)
奥多摩は関東山地の一部にあたり、雲取山(注※)を頂点に大変起伏の険しい山々が連なり、東に向かって徐々に標高を下げていき、多摩川以北で武蔵野台地、以南で多摩丘陵にそれぞれ接しています。また違う東京の一面が奥多摩や諸島にあり、東京の魅力を醸し出しています。(東京都の広報のようになってしまいました、笑)
私ごと、奥多摩はかれこれ10年ぶりでしょうか。山に行くことはありましたが、東京の山を選ぶことは、なかなか機会がなかったです。
他の山岳行楽地に比べ施設が少なく、なんとなく地味な印象の奥多摩ですが、
今の気分にはちょうどいい感じで、すごく落ち着いていて、のんびりできた気がします。
その時の自分にちょうどいいもの、それは少しづつ変わっていくものだと思います。
今自分に必要なものと出会っていく、それが心地よいのかもしれません。
今の自分は何を欲しているのか!体に問いかけながら時に感じてみてはいかがでしょうか。
※雲取山は、大人気マンガ・アニメ「鬼滅の刃」の主人公・竈門炭治郎とその妹・禰豆子の出身地とされていて公認の聖地です。東京都、埼玉県、山梨県にまたがる標高2,017mの山で、都内最高峰であり、日本百山のひとつにも数えられています。
こんにちは。
今日の東京の日の出時刻は5時55分、日の入時刻は16時56分となっています。今月に入り、日の出は遅く、日の入りは早くなってきました。
真夏の太陽は暑すぎて、勘弁してほしいと思う時もありましたが、こうして秋になると、太陽が少し遠くなったように感じたり、暗くなるのが早いなと感じたり、挙句の果てに、少し寂しく感じたりして、人の思うこと、勝手なものです。
こっちの都合で、近づいたり、離れたり。あっちの都合で近づいたり、離れたり。個人的な都合を超える、世間の都合、社会の都合、世界の都合もありますね。
考えすぎると、難しくなります。
適当なところで立ち止まり、今の自分のグラウンディングを感じて、また歩き出しましょう。
冬至に向けて(冬至よりも少し前の方が日照時間は短いようです)これからどんどん短くなっていきますが、なるべく昼間は太陽を感じられる位置のライフスタイルで過ごしていたいと思います。
最近は、地域愛が以前よりも大きくなっていて、我が街での場所、我が街での時間、我が街での知り合いが増えている気がします。
今年は朝顔がたくさん咲きました。
我が家のベランダの小型のプランターひとつですが、暑い中、日々咲き続けてくれて、最盛期には毎日20、30とその青き顔を朝早くから咲かせてくれました。
その数1000をゆうに超え、今年は1500は咲いてくれたでしょうか。西洋朝顔ですので、花は秋深く11月くらいまで見せてくれるものだと思います。小さいささやかながら、毎日毎日、小さい花が咲いてくれる、日々の暮らしの友として最高の花のように感じます。
昨年、僕も学校に行く仕事があり、教育の現場に少し垣間見ました。
その頃感じてたこと、このPVを見てちょっとすっきりした気がします。
今日はこんな曲を弾いています。
こんにちは、秋ですね。
インド神話では、混沌と闇が支配する原初の海に黄金の卵が現れ、ヴィシュヌがこの宇宙卵に入り込み、その臍から創造神ブラフマーが生まれることで宇宙の創造が始まったとされています。
万物は対立せず、円環の中で調和していました。これは自己完結的な世界であり、始まりも終わりもない永遠の中に存在し、時間も空間も存在しませんでした。全体性の調和がありました。
そして静寂。
いつかやってくるシヴァの到来の前に何を感じることが出来るでしょうか。
都市生活を送る人は、自分が気が付かないうちに自分が規定した世界に生きています。知覚した世界は、一人一人違うのです。
特にスマホが当たり前の世界になってきてから、それぞれが好きな情報を受け取るようになって、頭の中がそれぞれまったく違う世界を生きているカオスです。
セッションを通じて、身体の空間性を取り戻すと、世界を感じ始め、自己が生きていることに気付き、根源的な動きをする中で時間を認識するようになり、身体は時空を取り戻すのです。
こんばんは。
皆様は無事に中秋の名月は見れたでしょうか。
僕は綺麗なお月様が見えました。
しかし何故か写真ではなかなか映ってません。
もちろん何か特別のカメラや特別の設定をすると映るのでしょうね。
チャットGPTに聞いてみると
カメラの性能:一般的なスマートフォンやデジタルカメラは、専門の天体写真を撮影するための機能や設定を持っていないことが多いです。月を美しく写すには、高性能な天体望遠鏡や特殊なカメラ設備が必要です。
露出の設定:月は非常に明るい天体であり、適切な露出設定が必要です。通常のカメラでは、月の表面の詳細を捉えるためには、露出を調整する必要があります。適切な露出設定を知らないと、月がぼやけてしまうことがあります。
照明条件:月が美しく見える時間帯や位置は、夜間や特定の季節に限定されます。また、明るい都市部では、光害の影響を受ける可能性があるため、適切な場所で撮影することも重要です。
画像処理:月の写真を美しく仕上げるには、後処理が必要な場合があります。コントラストや色調の調整、シャープネスの向上など、写真編集ソフトウェアを使用して画像を最適化することが一般的です。
それにしても我々の目は、高性能のカメラ以上の特別の設定がされていますね。
目だけでなく、目からつながる神経、脳、そして身体性も視覚には影響しています。
セッションではそのことを経験して貰います。
初めてみる視覚にびっくりする人も多いです。脳内での知覚のシフトという感じでしょうか。
そして目の状態、視覚域、視野欠損のチェックなどもセッションでは見ていきます。
写真に写すのを諦め、自分の目でしっかりと今のナマ月を眺めていました。
そういえば、この曲の良さを力説していたのは、Kさん、
「テツさん、写真に写ると、古くなる。って凄いと思いませんか!」
今もあの当時と変わらぬ出立ちでいらっしゃいます。流石です。
コロナ禍に動きが悪くなってギブスのようなものをカラダに感じている人にはいいセッションかもしれません。
こんにちは。
あなたの人生の風景はどんな風景が見えていますでしょうか。
体は生き物ですから、変わりゆくものです。
ずっと調子いいとか、変わらないものではなく、日々変わっていくものです。実際はそんなことは余り意識せずに、休息や睡眠の中で、無意識にバランスは、体がとってくれています。大抵は寝てる間に。
たまに体がとるバランスを超えて、体調を崩したり、寝込んだりしますが、
また復調し、バランスの中に戻ってきてくれるものです。
睡眠は大事ですね。毎日よく眠れてますか?
それでも、人生のフェースという感じ方をすると、季節感のような変調はあります。
寝ても治らない不調感、違和感。
一例を挙げると例えば更年期障害のような時期は、人それぞれに変調が出てきます。
いいものでも、悪いものでもなく、そういう時期がある、変わるということです。
変わりゆく風景は外にもありますが、
自分の体の中にもあります。
体の風景は感性として、身体からやってくる声に耳を傾けたいと思います。
自分の身体の声聞いてますか?
自分の体と仲直りする、移りゆく内側の風景を感じること、
そんなきっかけ、タイミングにも10シリーズはなっていく方も多いです。
そんな学びでもあります。
なかなか数値化出来ないもの、
でも確実に聞こえてきているうちなる声、気づいてますか。
いつもと違う時間が、色々な気づきを与えてくれます。
こんにちは。
まだまだ残暑が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。
山や海、海外、、、色々な場所に行ったという便りが、僕の耳にも届いています。
コロナ禍を乗り越え、人々は動き出し、世界は順調に動き出しているようです。やはり社会規制は少なめで、自由の往来出来る社会が、健全な社会だと思います。
Life is going on.
さて、先週はラグビーワールドカップのパブリックビューイング、今週は神宮で行われたヨガイベントに参加していました。
アウトドアでのヨガは、室内とは違ってオープンな感じで、心地よいです。パブリックビューイングは、初めての参加でしたが、1万人ほどの会場で、大きなどよめきや拍手を聞きながら、臨場感を楽しめました。
ヨガは、室内では感じられない、オープンな開放感とそよ風の中、ヨガを楽しめました。
最初見えなかった星々もシャバアサナの頃には、見えてきたり(見えなかった星が本当に見えてくるのです!)、眩しいほどのライティングが目に入ってきたり、特に昨夜は二千人を超える人々との同時ヨガ、普段感じられない光景です。
ヨガはマニアックに取り組まなくてもいいと思います。
自分のペースで自分のヨガをされるのがいいと思います。
一人一人、違う環境を生きていける時代になりました。
室内空間、アウトドアをうまく活用して、自分の身体空間をデザインしていけると良いですね。
自分軸でライフスタイルを楽しみましょう!
自分の身体の使い方、身体空間のデザインするお手伝いしています。
冬の夕暮れ、Oフィールドという競技場のある、
公園のベンチに私は座っていた。
夕暮れは時間は早い、もう太陽が地平線に近づいている。
陽の光と木々が交差し、私に心地よい暖かさを送っている。
私は懐かしい思い出に浸っていた。
子供の頃、この公園で友達と遊んだこと、このグランドで自己ベスト出したこと、ここで初めて恋をしたこと、色々思い出す。
ベンチに座っていると、向かいのベンチに座る老紳士が目に入った。
彼は風景を眺めながら微笑んでいた。私は彼に声をかけることに決めた。
「こんにちは、素敵な夕暮れですね」と私は言った。
老紳士はゆっくりと頷き、言葉をかけてくれることを待っていたようだった。
「はい、本当にそうだ。ここは私にとって特別な場所なんです。」
私は彼の言葉に興味津々で尋ねた。「特別な場所?」
老紳士は微笑みながら語り始めた。
「子供のころ、私たちはここで野球をし、夏の日を楽しんだものです。そして、ここで初めて私の妻に出会ったのです。」
私は彼の話に聞き入っていた。ノスタルジアの中で彼の思い出は色鮮やかに蘇っていた。
彼は続けた。
「妻はもう亡くなりましたが、私は今でもこの公園で彼女との素晴らしい瞬間を思い出します。」
この公園はこの街の人々にとって特別な場所であり、それぞれの思い出が永遠に残る場所なのだと私は理解した。
老紳士と私はしばらく黙って夕陽を眺め、ノスタルジアに包まれた。
時の中で、私たちは過去と現在をつなぐ特別な瞬間を共有した。
(チャットGPTはこんな話を作ってきました。)
※ノスタルジア
ノスタルジアとは、過去の思い出や経験に対する愛着や郷愁を感じる心情である。人々は、過去の良い思い出や懐かしい出来事を振り返ることで、現在のストレスや悩みから一時的に解放されることがある。また、ノスタルジアは、人間の心理的安定や自己評価の向上にも寄与することが研究で示されている。
思えば今までに受け持ったクライアントの1割くらいはダンサーでした。ダンス志向の方が何で多いのかなと思った時期もありますが、僕自身が、多少ダンスをしていた時期があるのが多いからなのでしょうか。全く経験ないよりは体の動きが分かりますね。ダンス経験をフィードバックするような時間、こういう考え方もあります→ダンス
なぜフィードバックしやすいかと言うと、知覚が高まっている時の方が 無意識になっている動きを発見したり、イメージできることも増えたりします。その気付きは、時に、ボコッと音を立てるような気付き出会ったりします。自分に再会する、そんなような気づきです。
ネット社会になって、段々と類友的な現実が現れてくると言う人がいます。パソコンやスマホで検索する度に、その履歴は保存されて、検索の多い情報が出やすくなってきます。SNSやメール環境でも、興味があるフォーラムや情報に接すれば、それに関連する情報が集まるような情報デバイスが多いからだそうです。
その分、好きなことは深く詳しくなっていく、そんな傾向があるそうです。雑学的な人よりも、専門家、ガイド的な人が育っていき、よりイメージのクリアなメッセージを発するようになる。
それに同調、共振する。表現力や描写力のリアリティが物凄く発達してしまった、
そんな知覚の偏った情報環境に生きているそうです。さて身体。
身体と自分との関係性(人それぞれに違いますよね、読み直すといいお話が多いです→)
身体をどう活用していくか。
考えてみる機会は大事なように思います。→からだ
2017年は変容の時でした。
一時期セッション漬けのようになっていた日々を脱してセッション以外のことを色々はじめた時です。
ちょうどその頃、ボディワークを教える仕事を頼まれたのもあります。
レギュラーの仕事として講師というのが目の前にやってきました。教えるのは得意ではなかったですが、与えられた場は確実にこなしていきたい気がしました。
思えば30代に専門学校で講師をしていたことを思い出します。
その頃は広告のクリエイティブが仕事でしたので、教える内容が違いました。
当時は、クリエイティブ発想はについて。そしてフリーランスについて。この2つのテーマで講座をやっていた気がします。
クリエイティブ発想は、クリエイティブという言葉を規定していくことを考えていました。ふわふわしたクリエイティブのイメージを自分のワークとして規定していくこと。(ボディワーク的にいうと、グラウンディングでしょうか。)
あとアートとデザインの違い。とかでしたでしょうか。実際に自分で作業してもらって、それについて、どう感じるか、どういう意図で作ったか、説明する、シェアする。そんな演習的な内容だった気がします。
フリーランスについては、サラリーマンとフリーランスの違い、フリーランスのメリット、デメリット。法人化のタイミング。あとは事例として、トラブルの種類と自分の対応方法の話。人生計画の中でビジョンを持ってプロセスを進めていくこと。仕事以外の仕事。など雑学的な話が多かった気がします。
ロルフィングやボディワークだと、ワークショップ形式であり、説明力、アプローチや手順を踏んで貰う確認作業、シェアの時間の取り方など、全く違う部分でのスキルが必要でした。発想するのと、動きや行動を伴うものでは、複雑性やプロセスが違います。準備するドキュメントや小道具も苦心した記憶があります。
そして他の作業をすることにより、自分にとって適切なセッション。ワークショップ。ひいては仕事量。いわゆるワーク&ライフバランスについて、考え直す時間となりました。
それまでオーバーフロー気味に生きてきた自分を振り返る時期にもなりました。教える側、教わる側という役割の違いについても改めて考え直しました。
そしてコロナ禍に、オンラインという環境ができて、オンライン対応のボディワーカーという試練に、なかなか対応できずに、ボディーワーカー以外の自分がムクムクと動き始めてしまい。自分のバランスが変わり始めたのもまだ記憶に新しいところです。ボディワークをメインとすると、自分には色々オルタナティブなスキルがあることを思い出しました。自分の人生経験や人間性の財産が格段に増えた時間が過ごせた気がします。
自分の向かい合う場、自己体現、今一度、自分の声に耳を澄ます時期を過ごすことができたコロナ禍だったと思います。
それは「聞く」というより、「聴く」こと。
身を乗り出していくのではなく、
自分が落ち着いて聴くことが出来るまで「待つ」ということ。そして聞こえてくる声に耳を澄ましてみる、
色々な声が聞こえてきます。
今年の夏は蝉が鳴いていましたね。
蝉の声、何だか少し安心します。
10シリーズは色々な捉え方が出来ますが、トレーニング中のある講師がこんなことを言いました。
「テツ、組み上げてきた自分のカラダのクセ(僕の場合はヨガ)を手放して、
外に出て動きを眺めてみよう。」
ヨガの動きの基本的なものと思っていましたので、
その問いかけは僕にとって意外なものでした。
思えば、10シリーズは初心に戻るような感じです。
何か問題が生じた際に、文脈で考えていっても、
よくわからないい状況は人生にはあるものです。
辻褄がどうしても合わない。いくら考えても理解できない。
そんな時は論理構成自体の外に問題の本質があると思われますので、一度、その文脈の始まりに戻るというのがいいと思います。
始まったものには、何かしら意味があるものです。まず初心に戻ると解法が見えてくることがあります。
「そもそも」というやつです。初心のニュートラルな位置から自分を見つめ直すと、思わぬ発見があるものです。その発見から別のコンテクストが生まれて来ることがあります。
もし「そもそも」自体が腑に落ちなければ、その問題は、手放してもいいと思います。
それはあなたが次に行くときだと思います。
その時に、その「そもそも」を選択した自分自身に気がつけると、もう1つ気づきが増えます。問題というのは、常に自分も関与しながら生まれてきているものだと思うのです。
無意識が一つ外れると目で見える現実世界が少し変わります。
これは、姿勢や身体の動きや癖でも同じことで、かなりの割合で身体的な違和感やコリは、
そうした何かしらの無意識的な事象の反映であるとも言えます。
1つ初心に戻り1つのパターンが外れると新しいパターンでバランスを取る。
そしてまた感じ直すと心地よいという範囲へ戻るのです。この繰り返しがシリーズを通じて行われるのです。
さて今日は、毎年、自分を振り返りプチ初心に戻る日、お誕生日でした。
ハッピーバースデー トゥー ミー🎵
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美st 2015/5筋膜特集にて店舗紹介されました。
wwdビューティ219にて人物紹介されました。
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