ブログは日々、感じたことなど3日に一度くらい綴っています。ロルフィングだけでなく、身体、意識、世の中、ライフスタイル、その時その時の心の触発したものを言葉にしています。サイト内検索付けました。


失ったものを取り戻す。

tetsuさんとのセッションは、自分の中にあった無意識になんとなく感じていたこと、思ってたことを、改めて意識するそんな機会だった気がする。私は子供の頃、ずっと自分が失っていて、自分を失ったまま大人になった。それを取り戻すために、その後自己表現を始めた。自分らしさを掴みたい!みたいな感覚で、演技したり、曲を作ってきた。それと似たような感じで、自分が失ってた自分の身体を動かしている主体性の部分が得られた気がする。(→全文

 

 

 

(ロルファーコメント)

 

モチベーションや主体性の喪失を年齢や境遇、環境のせいにしてしまうことは、現代社会では多いと思います。彼女は、様々な自己表現へのトライアルをしている繊細な方、生じ始めていた細かい身体的な違和感を整えていける自分の身体の力を再確認していく中に自らのクリエイティビティの全体性や在り方への気づきが多数感じていらっしゃいました。シリーズ中の現実の生活での変化も嬉しいニュースでした。

 





都市の緑

こんばんは。

 

ここ2週間ほどに僕が出会った街中の緑、ランダムに取り上げてみました。

 

特別に選んだわけでもなく、たまたま写した写真です。

 

さて、どこだか、お分かりになりますか?

 

 

街中にも緑は色々ありますね。

 

都市だからこその工夫もありますね。

 

ちょっと目を緑に移すだけでも、

 

目にもいいし、身体にもいい感じですよ。

 

 

 

種蒔く人

 

近隣コミュニテイのイベントでひまわりの種を蒔いてきました。

 

秋の収穫まで、水やりや間引き、ナメクジ駆除など、種の収穫まで、ひまわりの成長を見守っていきます。

 

ひまわりは漢字で書くと、向日葵、文字通り、太陽の方を向きながら成長していきますが、花が咲き成熟期になると、東方向を向いて止まるのだそうです。

 

ひまわり側の特性も色々あることながら、なるほど、大人になると、ある方向にベクトルを定め、向きを定め、動かなくなるというのは人間にも似ている気もします。

 

もっとも人間の場合は、自由意志もありますので、ずっと動き続けてもいいし、あっちこっちベクトルを変えることも許されています。その時の自分が自分で判断し自分で選択することができます。

 

セッションをするようになって沢山の人に出会うようになり色々な人生を見てきました。

安定志向で実直な人生を歩んできた方、変幻自在に動いてきた方、ひとそれぞれで多様な人生が見受けられます。

 

 

動こうが動くまいが、人生を生きていくその原動力が何かというと、身体に内在するパワーの場合もあるし、使命感とか信念とかの場合もあるし、或いは関係性や場の方針、空気感の場合もあります。でもひまわりと同じく、太陽の方を向くみたいなメンタリティは、同じなんじゃないのかなと思えます。

 

10シリーズ後に動き出す人が多い気がするのは、身体には、何か、ひまわりのようなものが、内在されているのだと、ひまわりの咲いた姿を幻視しながらかんじていました。

 

 

 

To say Good bye is to die a little.

 

「さよならをいうのはわずかのあいだ死ぬことだ 」

 

レイモンド・チャンドラーが「長い別れ」の中でフランスの諺として

私立探偵フィリップ・マーロウに語らせた粋なセリフの一つです。

 

村上春樹訳の新訳版では「さよならを言うのは、少しだけ死ぬことだ」と訳されていますが、皆さんはどちらのニュアンスがお好みでしょうか。

 

元々は、エドモン・アロクール という詩人が1890年に作りました。

詩の一番最初の4行を和訳引用してみます。

 

さよならの詩

 

去ること、それは少し死ぬこと

それは愛するものへの死

人は自分自身を少し置き去りにする

いつの時でも、どんな場所でも

 

 

読んでみるとこっちの方が僕はしっくりきます。

無意識下に思い出を残して行くということでしょうか。

 

 

さて 粋なセリフというのが、世の中から無くなって久しいですが、

世の中では、言葉で表現することや、確認し合うことさえ、醒めてしまったんですかね。

 

そういうと、粋なセリフは、今も語られているところでは語られてますよ!

と、ひとまわり以上、年下のクライアントが教えてくれた。

 

そういう吉田さんも、よく粋なセリフを言ってますよ!

自分の話す言葉を全て意識してないですが、時にちょっと気の利いた、粋なセリフを話しているみたいです。

 

が、間違っても「さよならを言うことは少しのあいだ死ぬことだ。」なーんて言いませんよ。

 

 

シン・ジブン

 

 

10シリーズ以外に、アウェアネス(気づき)の機会や、自己発見の機会になりえるシリーズを提供して5年が経ちました。


シリーズを通じて、沢山の方と出会い、そしてクロージャー(別れ)、そして再会というプロセスをどれだけ繰り返してきたことでしょう。

 

気づきや発見の種類は様々ですが、どの経験も、後から考えてみれば、自分にとってのベストな経験だった、そう思ってもらえる、そんなスタンスで、セッションに関わってきました。

 

目覚めと気づきとは、ものの見方が変わるということ、複眼的視点を持つことです。それは多くの場合、オルタナティブな(多くは人)との出会いによって実現されるものだと思います。

 

それは生きている人だけでなく、歴史上の人や死んだ人との出会いである場合もあります。ロルフィングの場合、それが自分の身体との出会いであることが少し特異な経験かもしれません。


或いは身体性を通じて、過去の自分や魂、自分を超え、自然界の動植物、時空を超えたまた別のものとの出会いを経験される方もいらっしゃいます。それはいままでとは異なる無意識下のオルタナティブな関係性が生じることでもあります。そうした経験は、時に自分の新しいミッション(道、使命、役割など)を見いだすことにつながることもあります。


 

ものの見方が変わる、もしくは複眼的視点を持つ、さらには自分がいままで受け入れられなかったような見方が存在すると認めること。


本当の自分に出会うのは、自分という人格は一つで、考え方も一つしかないというのではなく、自分でも気づかない自分に気づき、また別の考え方があると知ることだと思うし、それに気づいたときに、本来の意味での多様性に目覚めるのだと思います。




自分の多様性に気づき、そして力にしていく、そんなことが、自分の中でも、外でも必要な時代になってきたのかもしれません。


時に、渋谷区は、駅前のビル群の再開発だけでなく、

新しい区長の元、新しい言葉で、シン・シブヤへと刷新されてきています。


ちがいをちからに変える街。→渋谷区HP


渋谷区渋谷一丁目に位置する当サロンも渋谷の風、感じています。

 

 

SOC(首尾一貫感覚)

 

「なぜ病気になるのか」を危険因子(リスク)から考える「疫病生成論」に対し、「どうすれば健康が維持(増進)できるのか」を健康になる因子から考える「健康生成論」を唱えた医療社会学者のアントノフスキーが作った概念です。

 

第2次大戦時に「ナチスの強制収容所」を経験した女性の健康状態を調べ、生還後の生活も元気に過ごしている女性に共通したものをまとめたのが

「SOC(Sence Of Coherence)」と呼んでいます。これはレジリエンスと並んで、

現代を生きていくために必要なことの一つだと思います。 

 

さてSOCの要素は3つあります。

 

①把握可能感

 「自分に振りかかった出来事に対し、理解できているものとして捉えられる」ことが把握可能感です。例えば「死」「戦争」「失敗」などは起こりうるものでありますが、把握可能感の高い人は、「なぜ、それらが起こるのか」「今後どうなるか」わかるということです。

 

②処理可能感

 「自分に振りかかった出来事に対し、『自分はそれを処理できる』と考えられる」ことが処理可能感です。自分の「資源」「人的資源」を充分に利用できてコントロールできる、と考えられる能力です。

 

③有意味感

 「自分に振りかかった出来事に対し、この出来事は自分にとって意味のあるものだと考えられる」ことが有意味感です。例えば、「愛する人の死」や「会社を解雇された」といった出来事でも、自分に課せられた挑戦だと受け止め、ベストを尽くそうとします。

 

 

身体感覚や思い込みでやってこられた方も、対話やSNS時代になってくると、説明したり、解説したり、理解して貰うための言語化するする機会も増えてきたと思います。複雑化した現代社会ですが、何事も長く続けていくためには、この3つのような複雑さシンプルにしていくスキルって色々有りますね。

 

 

 

ファウンド・フッテージ

ファウンド・フッテージ(found footage)は、映画の手法で、埋もれていた映像が、その後、撮影者と無関係な製作者の手に渡り、それをそのまままとめられて上映されたり、別の意味づけをしてコラージュした作品に仕上げる技法のことです。

 

第三者によって発見された (found) 未編集の映像 (footage) なので、ファウンド・フッテージと呼ばれますね。

 

 

さてセッションでは10回お会いしますので、身体的な変化に合わせて、個性化という意味で、製作という視点からその人を見ていくコースも提供しています。埋もれてた未編集の逸材・素材が、再編集され、あたらしい意味づけを、提案してみます。

 

身体に埋もれていた身体情報も、製作者あがりのロルファーの手にかかると別の意味づけをして作品になっていきますね。

10シリーズの間にみるみる変身していきます。

 

「私は素材はいいのだけど、なかなか自分をうまく出せない!」なんていう方は、

自分だけで頑張るのでなくファウンド・フッテージのように、自分を出してみるのも、一つの自分を活かすアイデアです。

 

ロルフィングの身体再構築のセッションの間身体的な変化と対話で得た気づきで、生まれ変わっていく人も多いです。

 

僕自身、その一人ですね。

 

 

手放すことから始めよう

コロナ禍になり、変わっていく言葉も多いです。

その為、過去のアーカイブを見直ししています。



変わっていくものと、

変わらないもの。



この4年前のblogは大丈夫でしょうか。

再掲してみます。





手にしているものを手放す。

とても勇気がいることです。


新しいものを手にするためには、

それが手放すことが必要な時もあります。

掴んだものを手放すときが始まりの時。


何を手放しても、自分は変わりません。

また新しいバランスで自分が再構築されるだけです。


時に自分としてきたものとの別れがあるかもしれません。

それはとても辛い出来事かもしれません。


再生の為の時間は、少しかかるだろうし、

もしかしたらそれは、哀しさや切なさを感じることかもしれないですが、

それも必要な過程だと思います。



しっかり感じて次にいきたいと思います。

手にした新しいコンテクストは、

あなたを次のフィールドに連れて行ってくれます。




対局

 

こんばんは。

 

いつもの、にわか習い事レベルですが、多少将棋を指します。コロナ下の自粛期間、フェイストゥーファイス、ほぼ無言でする対局に、随分と救われてきたものです。

 

さて、老若男女が集まる我が将棋コミュニティでは、人類史上初めてかもしれない、情報化パンデミック?の最中、コロナに関しても、様々な感じ方、考え方、入っている情報の違い、など本当に興味深く、そして助かりました。リアルな「人」というメディアの持つ情報力の多さを改めて思い知りました。

 

オンラインでは得られない様々な情報、例えば、息遣い、表情、存在感、眼差し、声、服装、背格好、話など多様な情報が空気感として伝わってきます。そして将棋が加わります。パチンという清々しい響きと共に、場の空気感が変わります。

 

オンライン飲み、オンラインライブ、オンラインセッション、オンライン講座、オンラインヨガ、オンラインの機会が膨大に増えた、ウィズコロナのニューノーマルライフですが、この週に一度の将棋の時間、対局を、僕は1週間の時間の流れの節目の時間に生活してきた時期もあります。対局に身を委ねてコロナ待ち。

 

 

 

心と脳

 

 

  この卵型の骨の器にしまってあるものは何?

 

  傷つきやすく狂いやすいひとつの機械?

 

  私たちはおそるおそる分解する

 

  どこにも保証書はない

 

  その美しいほほえみの奥にあるものは何?

 

  見えるものと見えないものが絡み合う魂の迷路?

 

  私たちはおずおずと踏み込む

 

  私たちは新しい道標を立てようとする

 

  誰も地図は持っていない

 

  しかもなお私たちが冒険をやめないのは何故?

 

  際限のない自問自答に我を忘れるのは?

 

  謎をかけるのは私たち自身の脳

 

  謎に答えるのも私たち自身の脳

 

  どこまでも問い続け・・・いつまでも答えはない

 

  谷川俊太郎

新しい顔、懐かしい顔

 

おはようございます。

 

昨日は、写真を整理していました。

皆さんはどのように整理されていますか?

 

GooglePhotoがどんどん進化してきて、

写真整理が楽になっています。

写真を整理しながら少し昔のことを思い出していました。

 

ロルファーをしていますと、沢山の顔にお会いします。

新しい顔、懐かしい顔、たくさん浮かんできます。

 

これまでセッションを受けてきた方、

セッション時のお写真は、保存してありますので、次回受ける時は、前回のセッションの続きから始めさせていただきます。数年前の自分と出会うのもまた楽しい経験です。

 

新しい方は、新しく写される被写体のような時間を過ごしている自分に気づいていくでしょう。

シャッターチャンスは逃しません。

 

全体的に、霊的な視点から、あなたが見てこなかった姿を写し出していきます。

 

 

 

 

ボディワーカーも10年ほどになり、

長らくセッションしてきましたが、

 

例えばセッション後の、開放感の表情は人それぞれです。

 

この方の嬉しそうだった顔、未だに忘れられません。

 

 

 

 

(感想)

 

自分の身体を感じること、

そして言葉で表現することが難しかったですが、

無理に動かさないで身体に働きかける感覚というのが

とても不思議でした。

解かれるって素晴らしいです。(→全文

 

 

 

 (ロルファーコメント)

寝ても治らない違和感って、既に体の許容力を超えて、体の奥の方で固められているのかもしれません。自分では、どうしても解けない緊張感。懲り。体にとっては、緊急事態です。身体中が解かれた開放感を感じましょう。体が発し続けていたメッセージは、この開放感を感じたかっただけなのかもしれません。楽で、自由になった体から、喜びの声が聞こえてきます。

 

 

 

 

原風景 自分の場所

 

原風景は、人の心の奥にある原初の風景。 懐かしさの感情を伴うことが多い。 また実在する風景であるよりは、心象風景である場合もある。 個人のものの考え方や感じ方に大きな影響を及ぼすことがあります。

 

人がある程度の年齢に至ったときに、最も古く印象に残っている風景やイメージがあり、それを原風景と呼ぶそうです。

 

多くは幼少期の生活環境が根本にある場合が多いそうですが、生活していた環境ではなく、たまたま旅行で行った先の景色である場合もあり、多くの場合、それらは「郷愁を呼ぶ風景」だそうです。

 

原風景は美化されたり、自らが都合のいいように変化していたりするとも言われています。

 

 

僕が そんなことを聞かれるとまず思い浮かべるのはこの場所です。

 

まず生まれ育った川崎の自宅からもほど近い生田緑地の奥。

現在は岡本太郎美術館へと向かうアプローチにあるメタセコイアの樹木群あたりです(下の写真)

 

そして今の住まいの近くですと、明治神宮の裏出口へ向かうこの写真のあたりのエリア(上の写真)

ザクッザクッと音を立てながら歩くこの辺りの感じは都心とは思えない趣です。

 

原風景は何箇所か思いつくので、また別の機会に残りを原風景を紹介します。

 

あなたの原風景はどこですか?

自分の記憶の中から探してみては如何でしょうか。 

      


人間関係の原風景は、やはり家族関係に起因することが多いです。

三つ子の魂百まで。


親との関係性。

出会っているのは目の前のその人か、元型か。

意識の裏側でl同じコンテクストを、

その後の人生で、何度も何度も繰り返したりします。



この話はまたいずれ。






子供の頃、毎年見る夢がいくつかありました。

毎年繰り返し見るから何か意味があるのかなと思っていました。


小学生時代毎年同じ夢をみていて、中学1、2年を最後に見なくなりました。




しかし毎年見ていたので鮮明に覚えています。一つ紹介します。


 

小学生の自分がくつろいでいる。ある時、急に体が大きくなり服は張ちきれて巨人になる夢。その体が巨大化して行く場面が何度もなんども体感を伴って繰り返されていく夢。

体が大きくなってみんなから注目されて、恥ずかしがっている。目立たない場所にいたいのにこんな大きな体ではどこに行っても目立ってしまう。自分の居場所がない夢です。とても意味深な不思議な夢です。



この夢は、映像をみているのではなくて、自分が夢の中の登場人物で、体感が伴っていることが特徴的です。通常見る夢は、客観視スタイルで、そうした場面や映像を見るような感じで眺めている夢が多いのです。しかしその夢は、客観視スタイルでみている自分もいつつ、巨大化していく体感もあるのです。

 


夢の解釈には色々あります。正夢とか、逆夢とか、予知夢とか、また事象に意味づけした解釈などなど。僕が思うのは、脳にとっては、夜見る夢も、現実に思い描くいわゆる夢も同じような感じなのではないかと思います。

無意識という広大なエリアに浮かぶ意識という小さな枠が我々の認識する現実ですから、意識と無意識の境界線がなくなって無意識になれれば、人間の潜在能力が意識、現実に現れてくる、そんな具合です。

 


ロルフィングではなるべく起きている環境で行いますが、クラニオワークでは、もう少し深い意識状態に入るので、まどろみの中、夢を見る方も多いです。その夢は、いつになくメッセージ性のある不思議な夢が多い傾向があります。身体への刺激が、夢を呼び起こしているのでしょうかね。

 

 

オンライン三昧?

 

 

オンラインで打ち合わせをし、オンライン飲み会に参加し、オンラインでセッションをし、オンラインの講座に出て、16万人が参加するオンラインライブを見る。ゴールデンウイークに入ってオンラインが続いています。

 

 

その一方で、緊急事態宣言が出ていて、人の集まりは制限され、店や施設は閉まっていて、旅行に行けず、自粛を余儀なくされています。現実感的に身体は違和感を感じながらも、多元的に存在する目の前の現実の中で、自分が動いていく、そんな気がします。

 

 

在り方は少し変わっていますが、適応力を駆使しているのか、させられているのか分かりませんが、生活そして仕事をしています。



 

僕は、少し早く起きて日の出を見たり、ロルフムーブメントをしたり(自分の体を題材にオンラインセッションのネタを考えたり)、好きな歌をギター弾いたり、YouTubeにアップしたり、家族でテレビ見ながら夕食を取ったり、友人たちとSNSで話をしたり、渋谷ローカルエリアを散歩に出かけたり坂道を降ったり登ったりしています。


平和といえば平和ですね、でもしかし、何か違和感を感じながら生活は続いていきます。キラキラ光る虹のような光の中と、白黒がハッキリしないグレーのような中を自分の足で歩いています。



 

色々な意味で、大きな心が必要ですね。

懐かしい曲が思い浮かびました。

貼っておきます。




裸の心?体?

 

こんにちは。

コロナ時代になり、今までの、動きが遮断され、

少し自分の動きを変える必要が出てきている人が多いですね。

 

制限もなくなって、

少し自由に、活動、行動してもよくなりました。

しかし、今までに、引きづられて、

自由にうまく動くことが難しかったりします。

 

何故でしょう。

それは自分の中の制限に邪魔をされているからです。

自分で、自分の邪魔をする?

そんなことってあるのかと思いますが、

実際には、とても多いことだと思います。

 

 

 

 

ロルファートレーニングは多岐に渡りますが、

ある時にこんなレッスンがありました。

 

「今から自由に動いてみて下さい。」

 

最初戸惑っていた参加者ですが、徐々に動き始めます。そこには色々な風景が広がりました。

 

 

 

 

座禅を組む人、

ヨガのようなポーズをする人、

前衛的な動きをする人、

ゴロゴロと転がる人、

仰向けで大の字で寝ている人、

首を回す人、

しゃがんだままの人、

目を閉じて直立したままの人、

実に様々な人間の動きがそこにはありました。

 

 

 

 

考えてみると自由に動くとは、意外に難しいものです。

我々は、無意識に何かの動きに規定されながら動いてしまう、

誰かの動きを見ながら動いてしまう。

今の自分の動きは一体誰の動きの模様なのか。

それは自分ではなかなか分かりません。

 

 

例えるなら、伝統服のような服を来て決まった動きの中にいる

そうした規定された動きから一度、一度裸のような自分になって、身体そのものの自由に戻ると一体どんな動きをするのか。

それはちょっと楽しみではありませんか?

それは考えてするものでもないし、自分でさえわからないものです。

 

 

考えるのをやめた時に、身体は一体どんな動きをするでしょう。他人にどう思われるとか、うまくできるとかを排除した身体の動き、正解のない無我の自分を見てみたいと思いませんか?

 

 

予定調和な現実に囲われれている、今の自分は自分らしくない、

そう感じているあなたへの、自由な身体へのお誘いです。

 

 

 

 

 

こんな曲も流行りましたね。

 

美容院

美容院へ行ってきました。

 

皆さんは美容院でカットしている間って美容師さんとお話されますか?僕は基本的にずっと話してます。家に帰ってきてその話したら、ウチの二人は、美容師さんとはほとんど話をしない、と言ってました。驚いて同じヘアカットの時間でも色々あるのだなと思いました。

 

今、僕が髪を切って貰っている方は25歳の雰囲気のある女性。お母さんと僕が同じ歳だということで?カットの間も話が尽きません。僕を知る人は、知り合った年代によって関係性は少しづつ違いますが、最近は聞き役に回ることが多いです。(ホントですよ、笑)

 

 

さてネットを見ていたら一般的な働く女性の「美容院代」にまつわる調査が出ていました。


Q.あなたが美容院1回あたりに使う平均予算は?
●1位/5,000円以上~10,000円未満……35.4%
○2位/3,000円以上~5,000円未満……26.0%
●3位/10,000円以上~15,000円未満……17.9%
○4位/1,000円以上~3,000円未満……13.3%
●5位/15,000円以上~20,000円未満……3.5%
○6位/1,000円未満……2.8%
●7位/20,000円以上~30,000円未満……1.1%

 

 

今、僕のセッション料金は、対面は、30分あたり5000円、オンラインは3,000円換算で組んでいて、

大体1時間半位行いますのでセッション料金はそれぞれ15,000円、10,000円としています。

コースだと対面の場合は、対面だと割引が入り、12,000〜13,000円としているのは慣れてくると無意識にお話している時間があるだろうという配慮です。

 

オンラインの場合は設定に少し手間がかかるのと、対話の質を考慮して最適な対話を目指していますね。将来的には同じスタンスの内容、同じ料金でご提供できるようなクオリティに仕上げていきたいと思っています。

現在のシリーズ時のセッション料金13,000円というのは、美容院と同じくらいなんだという認識をしました。

  

一般に人は、自分のヘアスタイルという他人に見える部分へはお金をかけますが、見えない部分にはかけないかもしれません。僕のセッションは見えないところの状態を変えていくものですが、その影響は、時間をかけて目で見えるところを変えていきます。

 

目で見えるのは同じ身体なので、無意識に、街中にあるマッサージと比較されているかもしれませんが、ロルフィングは、身体統合という全く違うものです。

とりあえず、一生に一度のロルフィングが、あなたの現実を変えていきます。

 

 

何かの転換期である、そんな直感がする時に、

その自分の中の小さいメッセージを、大きな声に変えてくれたりします。

 

あるいは自分にご褒美として、ブランニューの身体感覚を得るために、

 

あるいは未来への自己投資して、選ばれる方が多いですね。

 

美容師さんもたまにお客様でいらっしゃいますね(→美容師さん

 

 

今日一日を、自分らしく大切にお過ごし下さい。